七夕の出逢い Side 涼

陰謀

 屋敷に呼び出されてから数日――いつもより早くに診察室に着くと、看護師たちの話し声が聞こえてきた。が、何かおかしい。
 業務確認を行うときとは異なり、声は周囲を気にするように潜められている。
「ミキ、やばいってば。噂が本当だったらどうするの?」
「そうだよ、こんなのばれたらクビ飛ぶって」
 女はふん、と鼻で笑う。
「院内にどれだけの人間がいると思ってんの? ファックスを誰が流したかなんてばれるわけないじゃん」
 ミキと呼ばれているのは、検査のとき、俺につくことの多い看護師、笠原のことだ。ほかのふたりは同じ消化器科の看護師、楠田くすだ猪瀬いのせだろう。
「あんな噂デマだし」
「え? デマ?」
「デマデマ。あのふたり、別に好きあって付き合ってるわけじゃないから。それだけは確か」
 自信たっぷりに言い切った。
「でも、休みの日にデートしてるって、見かけた人結構いるみたいだし、会長宅にも出入りしてるらしいじゃん」
「ごっこだよ、ごっこ。お付き合いごっこ、恋人ごっこ。……私、聞いちゃったんだよねー。宮の姫が芹沢センセと話してるの」
「ちょっと、それっ、どういうことっ!?」
「マシロ様が検査した日、私、九十九つくも先生付きだったんだけど、検査が終わって診察室で検査結果話してるの聞いちゃったんだ」
「ミキっ!?」
「そしたらさ、見合いが負担でストレス性の胃潰瘍だって。バッカみたい。お姫様は見合いでも結婚でもさっさとすればいのに。でさ、芹沢先生も芹沢先生だよ。普段は藤宮なんてなんとも思ってないって感じなのに、『自分が交際相手になりましょう』とか言っちゃってさ。私たち看護師や院内の女蹴散らすのに丁度いいと思ったみたい」
「それっ、ホントなのっ!?」
「本当も本当。だから、絶対に結婚とかあり得ないしっ」
「だからミキ、芹沢先生のこと諦めなかったんだ?」
「そーゆーことっ!」
「でもさ、そのファックスはまずいって……」
「私もそう思う……。仮に交際してることが偽装だったとしても、そのファックス流したら姫様敵に回すようなものだよ!?」
「あんな女怖くないっ。おとなしそうな顔して、うちの医師、何人たぶらかせば気が済むのよっ」
 ピッ、と電子音がし、ファックス機に手をかけたのがわかる。
 ここまで聞けば十分だろう。
 こちらに背を向けている三人に歩み寄り、ファックス機の電源を根元から引き抜いた。
 当然、ファックス機はうんともすうとも言わなくなる。
 三人は、声もあげずに一斉に振り返った。
 正確には、声をあげることもできなかった、というべきか……。
 引き抜いたプラグを差し込むと、中途半端に吸い込まれた用紙が自動的に吐き出される。
 用紙にはいくつかの画像が写っていた。
 そのどれにも彼女、真白さんが写っている。見覚えのある場所はすべて院内。そして、相手はうちの病院の医師たち。
 さらには怪文書よろしく、雑誌や新聞を切り抜いた紙で、『宮の姫は淫乱。医師を手当たりしだいつまみ食い。写真の医師は被害者です』と貼られていた。
 それらをさらっと流し見て思う。
「よくこんなものが手に入りましたね?」
「せ、芹沢先生っ!? 私っ、違っ……」
 笠原が真っ青な顔で否定を口にする。両脇にいた楠田と猪瀬は口もとを手で覆い、悲愴そうな顔をしていた。
「……私と真白さんの写真がこの文の上にあるのは、今現在、噂の的になっているふたりだから、でしょうか? しかも、誘惑したのが真白さん、ですか。……ほほぉ。こうやって何人もの医師をたぶらかしている、と? ――そのような事実があったのですか?」
「そ、その写真が証拠ですっ」
「この写真が証拠とは……互いに手を添えて抱き合っていたり、口付けでもしていれば別ですが、これはどう見ても医師が真白さんの腕を掴んでいるようにしか見えませんね? もっと言うなら、真白さんは嫌がってるようにしか見えないのですが……」
「っ……男はそういうのにそそられるんでしょうっ!?」
 口調が変わったか……。
 くっ、と俺は喉の奥で笑う。
「好みは人それぞれかと……しかし、この写真が証拠ですか? 大変残念なことに、これだけでは『証拠』としては不十分でしょうねぇ。絶対的に数が少ない、。それに、写真を見た人の心証というものもあります。物証はもっと決定打になり得るものでなくてはいけません。もしくは、この写真に写っている医師や真白さんご本人から証言を得てるとでも?」
 笠原の目を見据えると目を逸らした。
「……そうでしょうね。笠原さんの目的は真白さんを中傷することにあるようなので、きちんとした証拠や証言など必要なかったでしょう」
「っ……」
「ですが……笠原さん、写真選びは慎重になさったほうがいいですよ。写真のここ、安全ミラーにあなたの姿が写っています。このファックスを誰が送ったかのはわからずとも、写真を撮った人間はすぐに特定できたでしょう。このファックスが公になれば、藤宮の方々が黙っているとは思えませんし……。ファックスを送った人間、写真を撮った人間くらいはすぐに割り出される。写真を撮った人間は共犯にはなり得ませんか?」
 にこりと笑って三人を順に見た。
「せ、芹沢先生っ、私たちは何もっ……」
 猪瀬が自分は関係ないと言い出し、それに楠田も続く。
「えぇ、存じてます。ふたりが笠原さんを止めている会話はすべて聞いておりましたので」
 ふたりは心底ほっとしたようだったが、激情したのが約一名。
「立ち聞きなんてっ」
「おや? 患者と医師の会話を立ち聞きし、さらには人に話すような方に、そのようなことを言及されたくありませんね」
「っ……だってっっっ」
 この状況で何をどう反論しようと言うのか、俺には理解できない。
 同僚のふたりも笠原と距離をとってしまう始末。
「なんでしょうか?」
 訊くと、
「芹沢先生、飲み会に誘ってもランチに誘ってもいつも断ってばかりでっ」
「それが何か? 断る自由くらい私にはあるかと思いますが?」
「っ……」
「内容がどんなものであれ、患者と医師の話を第三者に話すなど言語道断。決してあってはならないことだと思いますが……笠原さんがそのあたりをどう考えているのかお聞かせ願いたい」
「それは……」
 激情したあとには泣きそうな顔をしている。だが、もう救う道など残されてはいない。
 このファックスが流れていたら、いずれは彼女の耳にも入っただろう。
 そしたら、彼女は心を痛める。
 写真を撮られた己を愚かだと責め、共に写った医師が糾弾されないか、と心配するに違いない。それらを危惧して、こんな事実はない、と父親に泣きつくだろうか。
 すべて抱え込んで、口も心も閉ざしてしまいそうだ……。
 何にせよ、こんなことで良くなってきている胃を悪化させられるのはごめんだ。
 ましてや――自分の好きになった女を傷つけようとした人間を、おいそれと放置できるものか。
 そこまで考えて、ふと思う。
 藤堂武ならどうしただろうか、と。しかし、すぐに違う人間が脳裏に浮かぶ。
 あの狸が動かないわけがない。愛娘の耳に入る前に、きれいさっぱり片付けそうだ。
 とりあえず、そんな大事になる前に食い止められそうだが……。
「ここが病院であろうと、一企業であろうと、顧客の情報漏洩はあってはならないことだと思いませんか?」
 にこりと微笑みかけると笠原は完全に口を噤んだ
「私はあなたの上司ではありません。……が、もし仮にそうだったとして、守秘義務すら守れないような部下は持ちたくありませんね。……まぁ、上司であるかないかは別にして、大変申し訳ありませんが、私は患者の秘密も守れない人間には検査に立ちあっていただきたくはない。今回のことは看護部長に報告させていただきます。あなたは補佐としては非常に優秀な看護師だっただけに、とても残念です」
 この女が職場にいなくなることを清々すると思いながら口にすると、
「先生っ、好きなんですっ。私、芹沢先生が好きなんですっ。だからっっっ」
 まだ何か言うつもりなのか?
 俺は完全に笑みを消し去り、冷ややかな視線のみを向けた。
「だから、なんでしょう? あなたもご存知の通り、私にはお付き合いしている女性がいます」
「だってっ、あんなの偽装じゃないですかっ。藤宮の名に目がくらむなんて先生らしくありませんっ」
「……笠原さんがどれほど私のことをご理解してくださっているのかはわかりかねますが、私はいやなことや面倒なことにプライベートな時間を割くつもりはありません。それに、藤宮の名、ですか? そんなもの、興味などないに決まっているでしょう。面倒なだけだ」
「じゃぁ、どうしてっ!?」
 笠原は戸惑いと苛立ち、悲愴感。どれを表に出したらいいのかわからないような表情をしていた。
 代わりに口を開いたのは楠田。
「芹沢先生……もしかして、真白様のこと――」
「ご想像にお任せします。ですが、今回のことはやはり見過ごせない。私の大切な方にストレスを与えるとどうなるのか……。まずは笠原さんに身をもって証明していただきましょう。楠田さんも猪瀬さんも、どうぞお好きなように触れ回ってくれて結構ですよ?」
 にこりと笑みを添えると、ふたりはブルブルっと首を横に振った。
 もはや血の気のない笠原は、その場にしゃがみこみ、気の狂ったような笑い声を発し始めた。

 看護部長にはありのままを話した。
 笠原が中傷と思える内容を病院中にファックスしようとしていたこと。同僚ふたりがそれを止めようとしていたこと。
 物証には、流そうとしていた用紙を添えれば十分だった。
 厳重注意などで済むわけがない。笠原は懲戒解雇された。
 解雇された腹いせに何かしようものなら、そのときこそ「藤宮」が動くだろう。

 帰り際、猪瀬に声をかけられた。「共犯にしないでくれてありがとうございます」と。
「本当に共犯ではなかったのでしょう? でしたら、そのようにかしこまる必要はありません」
「でも……やっぱりお礼が言いたくて」
「そうですか。では、気持ちだけ受け取りましょう」
 この日、通常通り診察や検査の業務が行われてはいたが、中はてんやわんやだった。
 シフト制で動いている看護師ひとりが朝一番で懲戒解雇になったのだ。人手が足りなくなるのは必須。
 半狂乱で泣き笑いをする笠原を見た人間により、すぐに噂は広まった。
 しかし、事の真相が伏せられていたこともあり、関わった人間の名前までは広まらなかった。
 
 病院を出ようとしたとき、事務の女に呼び止められた。
 このタイミングで呼び止められるのは二回目だ。
 もはやいやな予感しかしない。
「なんでしょう?」
「あ、あのっ、か、会長からお電話がっ」
「……何番ですか?」
 内線番号を聞くと、
「こ、こちらに、直接つながっております」
 そう言って、電話の子機を渡された。
「電話機がカウンター内にありますので、このフロア内でお話いただけますか? でないと、切れてしまう恐れが……」
「ご親切にありがとうございます。このフロア内ですね」
 女は浅く礼をしてカウンターへと戻った。
 子機の通話ボタンを押すと、
『わしを待たすとはいい度胸じゃな』
「失礼いたしました。病院を出るところでしたので、危うく、この電話が無駄になるところでした」
 受話器からくつくつと笑い声が聞こえてくる。
『わしにそんな対応するのはおぬしくらいなものであろうな』
「お気に障りましたでしょうか?」
『良い。じゃが……真白のことはどうするつもりじゃ?』
「……と、申しますと?」
『とぼけるでない。院内での噂くらいとうに知っておるわ』
「恐れ入りますが……どの噂でしょう?」
『この狸めが……』
 どっちがだ、と言いたい。
「あまり噂は気にしない性質でして、すべて把握しているわけではございません」
『良かろう。わしが重要視しておるのは、婚約破棄説の次。結婚数秒説じゃ。それと、今日、おぬしが最後通牒を渡した若い看護師、笠原美紀のことも知っておるわ。その場にいた、楠田と猪瀬という看護師のこともな』
「いやはや、隠し立てはできませんね」
 クスクス、と声をたてて笑ってみせたが、実のところは少し肝が冷えていた。
 この狸のもとには、毎日膨大な情報が寄せられていることだろう。その中には娘に関わる噂も含まれるようだ。
 何に感心するというのならば、一情報として埋もれさせることなくそれらを把握していること――
『わしが訊きたいのは結婚のことじゃ。おぬし、どう考えておる?』
「どう――ですか? ……そうですね、こればかりは自分の一存ではなんとも申し上げられませんので、少しお時間をいただきたいのですが」
『もったいぶりおって……。真白に打診するか?』
「えぇ。当人同士の問題、ということでしたら、まずは真白さんにおうかがいしなくてはいけないでしょう」
 いけるところまですっとぼけてやろうと思った。
 だが、狸は意外とあっさり手を引く。
『よかろう。今週の土曜にうちへ来い。そのときに答えを聞かせてもらおう。答えによっては、今後、真白と会うことを禁ずる』
「かしこまりました」
 俺は通話が切れるのを確認してから、「切る」というボタンを押した。
 明日には彼女の検査予約が入っている。電話をせずとも話す機会は得られる……。



 検査当日、彼女はどこか緊張した面持ちではあったが、検査結果はとても良いものだった。
 これなら投薬をやめていいだろう……。
 検査室に彼女を呼び、とりあえず「おうかがい」をたてることにした。
「さて、どうしましょうか?」
 彼女は「え?」といった顔をして、目を白黒させる。
 それはそうだ。彼女は今入ってきたばかりで、こんなふうに切り出される会話など検査中にもしていないのだから。
 昨日のことは彼女の耳には入っていないだろう。それを前提に、俺は話を続ける。
「先日の件です。会長にああは申しておきましたが……婚約破棄説は打ち消せたものの、どうしたことか、結婚まであと数秒説が浮上しています」
「っ……!?」
 彼女は目を瞠った。
 俺は彼女の表情が変わる様を見るのが好きなようだ。
 気づけばクスクスと音をたてて笑っていた。
「迷惑な話ですが、人の口には戸が立てられないとはよく言ったものですね」
「……どうして、どうしてそんなに冷静でいられるのですか?」
「さぁ、どうしてでしょう?」
 少し首を傾け、彼女を見やる。
 彼女はほんのりと顔を赤らめ俯いた。
 あなたが気に入っているのはこの顔だけですか? それとも――
「どうなさいますか?」
 訊くと、彼女の頭がビクリと動き、それに伴って長い髪が少し揺れた。
「実はですね、またしても会長に呼び出されているのですが……」
 カレンダーを見ながら言う。
 指定された土曜日まであと二日。
「今度は何を……?」
 彼女は恐る恐る、というように顔を上げ質問をしてくる。
「いつまでこの状態でいるつもりだと訊かれました」
 途端に彼女の顔が真っ青になった。
「どうお答えしたものかと。このままでは本当に結婚することになってしまいそうですが……」
「……あのっ」
 珍しく、言葉を遮られた。
 だが、答えを出す前に検査結果は伝えたほうがいいだろう。
 何か言おうとしている彼女より先に口を開き、先の検査結果を伝える。それと共に、自分と彼女の分かれ道を提示した。
「あなたの胃はだいぶ良くなっている。出血もきれいに止まっているし、炎症も起こしていない。もう、投薬の必要はないでしょう。このタイミングが契約解消のラストチャンスかと思いますが……」
「――あのっ」
「何でしょう?」
 さぁ、なんと答えを出す?
「あのっ、私ではだめでしょうか!? ……本当の、本物の恋人に……婚約者になってはいただけませんか?」
 一瞬、目を見開いてしまったかもしれない。が、さほど表情に変化はなかったはず。
 けれど、心はかなりの衝撃を受けていた。
 今、彼女をつなぎとめられるのは「契約」のみだと思っていた――まさか、本物の恋人に、婚約者に、とこの場で言われるとは思いもしなかった。
 しかし、それを鵜呑みにできるほど素直でもない。
 俺は間をおかずに答える。
「それは困ってるからですか?」
 彼女は少し唇を噛み、否定した。
「違います。あの……私……私っ、初めてお会いしたときに一目惚れしてしまったみたいなんですっ」
 言葉の途中から彼女はぎゅっと握った自分の手元に視線を落とす。
 わかっている――彼女が冗談や嘘を言う人間ではないことを。
 それでも確認せずにはいられない。
「それは、愛の告白と解釈してもよろしいのでしょうか?」
 顔を上げた彼女の目をじっと見る。
 答えは遅れてやってきた。実に彼女らしいシンプルな返事で「はい」と一言。
「それでは……藤宮真白さん、私と結婚してください」
 プロポーズの言葉を発すると、彼女は無言になった。
「返事は?」
 催促に応じて、「はい」と答える。
 答えたあとは、どうしてかポカンと口を開けていた。
 彼女にしては珍しい、と思いつつ、
「では、今週の土曜日に会長お会いする際にはそういう話の方向で」
 とっとと話をつけてしまおうと、頭の中で算段を始めたそのとき、
「涼さん……?」
 彼女に呼びかけられ、今の今で覆されたりはしないだろうな、と少し不安になる。
「なんでしょう?」
「涼さんは……涼さんはそれでよろしいのですか?」
 何を問われているのか一瞬悩んだが、問われていることは「結婚」そのものだろう。
「えぇ、構いませんよ?」
「こんな……こんな成り行きのような形で結婚が決まっても……ですか?」
 どこからかはわからない。だが、俺にとっては途中から成り行きではなくなっていた。
 出逢いや交際のきっかけが「偶然」や「成り行き」でも、「結婚」は違う。自分で選んだつもりだ。
 しかし、そんなことを彼女が知るわけがない。
「もとより、どうでもいい人間の交際相手を買って出るほど私はお人好しではないんですよ。……互いが一目惚れというのも悪くないでしょう?」
 言うと、彼女は頬を真っ赤に染めた。
 一目惚れというものがどういうものかはわからない。
 けれど、「隠れ蓑」は知らないうちに恋愛対象になっていた。気づかぬうちに、守りたい人になっていた――



Update:2009/07/12(改稿:2019/12/21)


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