七夕の出逢い 番外編

過去 02話 Side 涼

 話しだすと、どこで息継ぎをし、どこで話を区切ればいいのかわからなくなる。
「彼の母親は孤児でした。つまり、彼の親族は父方の親戚しかいないわけです。……が、親戚と言っても父親は一人っ子だったこともあり、従兄弟や叔父伯母、という人間もおりません。必然的に、彼は父方の祖父母に引き取られることになりました」
 苗字は変わらず、住む場所と学校だけが変わった。それは、祖父母の気遣いだった。
 同じ学校に通う術がなかったわけではない。ただ、先生や友人、友人の保護者は新聞に大きく載ったその事故を知っていた。誰もが哀れみの目で俺を見ては、腫れ物に触れるように接した。
 それが当然といえば、当然なのだろう――けれど、九歳の俺には耐えられなかった。
 転校することで周りの環境を変えてくれたのが祖父母だった。
 しかし、その祖父母との生活も長くは続かない。
「彼の両親は少ないながらにも保険金を残しましたが、祖父母は彼の将来のことを考え、その金には手をつけませんでした。彼の父親は年がいってからの子だったので、彼を引き取ったとき、祖父母は文字通り、『老後』を謳歌する年でした。ですが、祖父母は彼を引き取ってから、できる仕事を見つけては、ささやかながら収入を得る生活に転向したのです。祖母は家で内職を、祖父は新聞配達を。彼が学校から帰ってきたとき、家に誰もいない、ということはありませんでした」
 それが普通だと思っていたわけじゃない。祖父母に負担をかけていることはわかっていた。
 わかったところで何ができるわけでもない。「子ども」の自分には何をどうすることもできなかった。
 勉強をがんばりいい成績を持ち帰る――それしかできなかった。
 あとは家の手伝いをするくらい。
 祖父母と暮らし始めたとき、近所の人に「えらいわね」とよく声をかけられたがそれは違う。
 うちは両親が共働きだったこともあり、家事を手伝うのが習慣になっていただけだ。
 習慣とは面白いもので、環境が変わっても身体が勝手に動く。何をしようと思ってやっていたわけではない。もし、そこに何かしらの変化があったというのなら――
 両親にはそうすることで褒められることが嬉しかった。が、祖父母に褒められるのは気が引けた。どうしようもなく心苦しかった。
 自分が子どもじゃなかったら、もっと大人だったら、バイトができる年だったら――
 何度考えたか知れない。

「彼が十二歳のときのことです。祖父がインフルエンザから肺炎になり、入院することになりました。……すぐに退院できるはずだったのですが、その入院は思いのほか長引き、ようやく祖父の退院の目処が立ったころ――祖母が倒れました。検査結果は胃がん、ステージ四でした。癌が体中に転移しており、手術ができる状態じゃなかった。祖父と入れ替わりで入院しましたが、化学療法に耐える体力もなかったため、祖母は一切の治療を受けることができず、三ヵ月後に亡くなりました」
 祖母の顔色が悪いことも、日に日に食べる分量が落ちていたことも、食べては戻していたことも、俺は知っていたのに――
「医者に診てもらおう」
 そう言うことしかできなかった。何度勧めても、
「薬を飲んでるから大丈夫だよ」
 と、祖母は優しい笑みを浮かべるだけで、決して病院へかかろうとはしなかった。もしかしたら、「いやな予感」がしていたのかもしれない。患者だけが感じる、「いやな予感」を。医者に、決定的なことを言われるのを避けるために受診を拒んでいたのかもしれない。
 それとも、自分まで入院することになったら、家に俺がひとりになってしまうことを懸念したのだろうか。
 口にしたことはない。でも俺は、「独り」になることを恐れていたと思う。ある日突然、家族がいなくなる恐怖を、二度と味わいたくないと思うほどには……。
 真実がどうであろうと、俺が何もできなかった過去は変わらない。
 時計は決して左回りには進まないし、たとえ過去に戻れたところで、そこにいるのは無力な子どもの自分なのだ。何を変えられるわけでもない。
「祖父が入院し、祖母が亡くなるまで、彼は四ヶ月間毎日のように病院に通いました。祖母の告別式が済んだあと、祖父はすっかりやつれていました。自分が肺炎で入院などしなければ……と自分を責めていましたが、残されたのは自分だけではなく孫もいるということに気づき、気持ちを切り替えようとします。しかし――慣れない家事に老いという現実。予期せぬ時期に伴侶を失った衝撃は大きく、刻々と祖父の身体を蝕んでいった。……祖母が亡くなってから半年と経たないうちに、彼は祖父も亡くしました」

 ――「ごめんなぁ。ひとりにしちまって、ごめんなぁ」。

 祖父は目に涙を浮かべ、最後の力で俺の手を握りしめた。俺は流れる涙をそのままに、たれる鼻水をそのままに、力の限り祖父の手を握り返した。
 行かないで、おいていかないで。ひとりにしないで――
 思いは言葉にならず、嗚咽と祖父の苦しそうな呼吸音が古民家の六畳間に響いていた。
 祖父は震える俺の手を握りしめ、涙に濡れる目でじっと俺を見ながら――目を閉じ、息を、心臓を、血の流れを、止めた。生きるために必要なものの一切を、停止させた。
 俺は、自分の手を握る手から力が抜けても、その手を放せなかった。何時間もずっと、最後のぬくもりが消えるまで――
 
 祖父母に兄妹はいた。しかし、皆高齢ということもあり、自分を引き取る者はいなかった。祖父母の甥と姪にあたる五十代半ばの夫婦が二組いたものの、そこには子どもが二人、三人といたため、とてもじゃないけど引き取る余裕はないと言われた。
 自分の居場所はどこにもなかった。
 家族がいて、何も考えずに寝食ができる場所があることは当然ではないのだと、このとき痛いほどに思い知った。
「彼は十三歳になる月に施設に入りました。施設は高校を卒業するまでは面倒を見てくれますが、高校を卒業すると出なくてはいけません。たいていの人が就職しますが、彼は成績だけは優秀でしたので、第一種奨学金を得て大学に進むことを決めました。それを機会に、両親と祖父母の残した遺産を持ってその地を離れました」
 両親と暮らしたのは祖父母の住む隣の市だった。祖父母と暮らしたのは四年。施設に入って五年半。何も感じないように、何も思い出さないように過ごそうとした。
 祖父母は両親と暮らした家をそのまま残してくれていたが、それに固定資産税やなんやかやと金がかかるなど、子どもの自分にはわからなかった。
 祖父が亡くなってからそれらを知り、両親と暮らした家も、祖父母と暮らした家も、すべてを手放し金に換えた。
 建物ごと土地を売ることもできたが、跡形もなく壊してしまいたかった。なくしてしまいたかった。幸せな思い出が残る場所で、もう誰にも過ごしてほしくなかった。
 だから、金が余計にかかると言われても、それらすべてを処分した。
 今でも覚えている。ショベルカーの刃先が家にめり込む瞬間を。
 ガッ、バリバリバリ、ガゴゴゴゴ、ドーン――
 けたたましい音をたてて外壁を貫く様を、俺は間近で眺めていた。
 壁がはがれ、自分の使っていた部屋がむき出しになる。使っていた勉強机やベッド、愛着あるそれらが家と共に崩れていくのをじっと見ていた。目をそらすことなく、涙ひとつ零さずに――

 いつ何があるかわからない。この世で自分が頼れるのは自分しかいない。
 そう思えば、金の無駄使いをすることはなかったし、大学にしても何にしても、無利子で立て替えてもらえるものは立て替えてもらう。そういう考えを貫いた。
 第一種奨学金は無利子だ。大学を出て、就職をしてからの返済でも返済額が変わるわけではない。ならば、安定した収入を得られるようになってから、自分の衣食住に困らないことを確認してから一括返済しようと考えた。
 通常、連帯保証人は親族の四等親以内と言われるが、俺にそんな関係の人間はいなかった。誰を頼ることもできず行き詰まっていたとき、声をかけてくれたのは施設の花崎園長。

 ――「君なら大丈夫です。五年間、ずっと見てきましたからね。私が大丈夫と言ったら大丈夫なんですよ」。

 花崎園長の朗らかな笑顔とあたたかな言葉に救われた。どれほど言葉を並べても感謝しきれない。だから、働いて収入を得るようになってから、ささやかながらも施設への寄付を続けている。毎月給料日に自動振込みの設定をして。
 そのたびに、留守番電話が入っていた。
『涼くん、もういいんですよ? 何も見返りを求めて保証人になったわけじゃない。それでも気がすまないというのなら、お金ではなく会いに来てはくれませんか?』
 毎月、同じ内容が録音されていた。それでも、俺はあの土地に戻ることがでず、今に至る。

 大学時代は大学の近くの安いボロアパートに住んでいた。セキュリティと呼べるようなものがないだけに、保険金や通帳などの大切な書類はすべて貸し金庫に預けていた。
 無事に就職先が決まり大学を卒業すると、すぐに奨学金を完済した。
 そして、手元に残った金の三分の二を費やし、中古マンションのこの一室を買った。
 もう、誰と親しくするつもりもなかった。ひとりで生きていくと、祖父を亡くしたときに決めたから。

「彼は祖母のことが頭から離れず、医者になる道を歩き始めました。大学を出て、病院に就職が決まり、安定した職業についた彼は手元に残った金でマンションを買います。1LDKの、ちょうどこんな一室を。もう、誰と暮らすことも考えず、ひとり生きていくことを考えて。目の前にある仕事のみと向き合い、自分の命が続く限り、自分の面倒さえ見れればいいと思って――」
 少年や彼、そんな言葉を使わずとも誰の話しなのかはわかっていただろう。
 心して隣に視線を向ける。
 すぐ目に入ったのは彼女のスカートだった。スカートは水を零したかのように濡れていた。今も、目から溢れ出る涙がそこに追加されていく。顔に目をやると、彼女は手で口もとを覆っていた。まるで嗚咽を漏らさないよう、声を閉じ込めるみたいに。
「すみません――話し慣れてないもので、聞く人の身になって話すことはできませんでした」
 彼女はフルフル、と横に首を振る。
「すみません……」
 なぜ、彼女が謝るのか――
「途中で、お止めすることができなく、て……すべて、お話し、くださる、まで、お止め、できな、くて……」
 つかえながら、彼女は言った。
 こういうとき、どうしたらいいのかなんて知らない。余命に泣くでもない、体調不良に泣くでもない。
 自分の過去の話に涙されたとき、どうしたらいいのかなんて知らない。
 同情されたり哀れまれたり、気遣われるだけで、泣かれたことなどないのだから――
 困っているのが伝わったのか、
「すみませんっ、すぐ……すぐ、泣き止みますから。泣きませんから――」
 彼女はかばんからハンカチを取り出し目に当てる。だが、涙はなかなか止まらないようだった。
「……水を持ってきます」
 床から立ち上がりキッチンに向かう。その途中、洗面所でタオルを取り水に浸しては固く絞った。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しグラスに注ぎ、それらを持って彼女のもとへ戻る。
「どうぞ」
 差し出したふたつを彼女は受け取った。
 水を一気に飲み干し、濡れタオルで顔を覆う。
 タオルを顔から離し鼻をすすると、正面に膝をついていた俺を見上げ、彼女はしっかりと視線を合わせてきた。
「もう――泣きません。涼さんは……涼さんは、ひとりで生きることをおやめになられたのですよね? 私と結婚してくださるのですよね?」
 この話の展開で、どうして自分が問われているのかが謎だった。
「……それは、私があなたにおうかがいしたい」
「なぜですか?」
「こんな人生を歩んできた人間は、たいていコミュニケーション能力が乏しい。歪んだ一面のひとつやふたつあるものです」
 数にして一つや二つならかわいいものだろう。実際に、自分がどれほど歪んだ人間なのかは自分自身がわかりかねる。
「でも、それが涼さんなのでしょう?」
「……えぇ。ですから、おうかがいしたいのは私のほうです。こんな私と、本当に結婚なさるおつもりですか?」
「私は涼さんの過去を好きになったわけではありません。私は、今、目の前にいる涼さんを好きになりました。どんな過去があってもそれは揺らぎません」
 声は、途切れることも掠れることもなく発せられた。向けられた眼差しも強い。それは、狸の持つものと似ていた。
 ――そうか、親子ってこういうことを言うんだな。
「あっ、あの……。別に過去がどうでもいいと言っているわけではなくて――過去があって今の涼さんがいらっしゃるのですから、その過去は私にとってはなくてはならないものなんです。あ、でも……ご両親が亡くなったことがいいと言っているわけではなくて……その――」
 急に彼女がうろたえだす。気づけば、俺はそんな彼女を抱き締めていた。
「ともに、生きてくださいますか?」
「――はい」
「子どもを産んで欲しいとお願いしても?」
「もちろんです……」
「ひとりではなく、ふたりお願いしても?」
「はい……子どもが多いと、きっと賑やかなおうちになります。それに、子どももひとりよりふたりのほうが楽しいでしょうから」
「真白さん……私と結婚してください」
「はい」


真白×涼



 診察室でもプロポーズの言葉は口にした。けれど、このときの言葉が本当のプロポーズだと思う。
 狸は、その機会を与えてくれたのだ。
 自分から娘に話すのではなく、俺に告白する機会を作ってくれた。きちんとプロポーズする機会を与えてくれた。契約から始まった交際であることも、何もかもを知りながら――
 食えない狸だとは思う。けれど、藤宮元その人を、義父に持てることを俺は誇りに思わなければならないだろう。

 抱きしめたままに問う。
「真白さん、お義父さんのお誕生日はいつでしょうか?」
「父の、ですか?」
「はい」
「クリスマスです」
「は?」
「十二月二十五日、クリスマスです」
 俺は、くっ、と笑う。
「真白さん、クリスマスはご実家にお邪魔させていただけますか? お義父さんの誕生日を盛大に祝わなくては」
「えぇ……ですが、その日はたいてい一族の人間や財界の方々がホテルに集まってパーティーをするのが恒例で……」
「では、ふたりでそのパーティーに出席いたしましょう」
 彼女は視線を逸らし言葉を濁す。この人はそういったものが得意ではないから。
「真白さん、ご安心ください。私もその手の類は大の苦手どころか大嫌いですから」
 少し身体を離し、びっくり眼が俺を見る。
 俺はクスリと笑って見せた。
「ですが、人をあしらうことは意外と長けてるほうかと思いますので、パーティーの際には藤堂さんではなく私をパートナーとしてお連れください。どなたからもお守りいたしますよ?」
 少しおどけた調子で話せば、彼女もクスリと笑う。
「私だけの騎士様ですね」
「えぇ。ですから、あなたは『宮の姫』ではなく、私だけの妃になってください」

 この日、初めて彼女を腕に抱きしめキスをした。自分も彼女も、人生で初めての経験。
 好きな人を、愛しいと思う人を腕に抱くことを幸せだと思えた。久しぶりに感じる人のぬくもり。
 それが彼女でよかったと、俺は今後何度思うことになるだろうか――

 人はいつか死ぬ。わかりきったことだが、人とは寿命ある生き物だ。それは仕方のないことだと腹は据えている。
 しかし、自分は何もできなかった幼い子どもではない。医療従事者としてできることがある。
 そして、これから手に入れることになる権力。これらを余すことなく使い彼女を守ろう。
 俺がひとりにならぬよう、彼女に寂しい思いをさせぬよう――
 彼女を守るためなら、なんでもできる気がする。
 真白さん、あなたという花が枯れぬよう、その笑顔を曇らせぬよう、私は最大限の努力をします。ですから、どうか私の側を離れないでください。
 どうか、私より先に逝かないでください――



Update:2012/10/07(改稿:2019/12/22)


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++ あとがき ++

 2009年に真白視点を書いたときからあった設定をやっと表に出すことができました!
 本編の涼視点に入れられなかった彼の生い立ち、涼視点の【過去】はこのお話で完結です。
 この設定を表に出したかった理由があります。何かというと、【光のもとで】に出てくる司家の“真白さん至上主義”。これは、涼さんのこういった過去が起因しているのです。「あぁ、納得!」と思っていただけたら幸いです。
 ……が、何やら座りが悪い終わり方のような気がしてならず、今現在、この先を真白視点で執筆中です。
 更新の目処はたっていないのですが、もう少しすっきりとさせられるように頑張ります。
 暗いお話にお付き合いくださり、ありがとうございましたm(_ _"m)ペコリ



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