店内の品数は残り少ない。
「へぇ……メインストリートから外れてるのに、このパン屋さんあと少しで売り切れだよ」
そんなふうにパン屋さんを観察していたのは聖。
「知る人ぞ知る……のパン屋さんなのかな?」
私たちは毎朝パンを食べるほどにパンが好きだ。自分たちの知らないパン屋さんに興味を持つのは必然。
「「今度買いに来よう!」」
見事に声が揃った。先にそれだけ決めると、本日のイベントに意識を戻す。
レンガ造りのビルの脇にある階段に目をやると簡素な看板を発見。
小さく“PROFUMO(プロフーム)はこちら”と書かれている。確かに看板だし案内図もついている。
でも、夕方の暗くなった時間にこれを見つけろというのは至難の業だと思う。
改めて両親に文句を言いたくなった。
「柊、よく気付いたよな?」
「伊達に上見て歩いてないもの」
「あぁ、俺は自分より上を見ることは滅多にないからなぁ……。柊が下にいるから見下ろすほうが多いし」
「うん、そう言うと思った」
辿りついた二階には、レンガにはめ込まれたような古びた木のドアが待っていた。
格子の向こうにはキラキラと光る何かが見える。
ドアを開けると、屋内はオレンジ色のあたたかな光に満ちていた。
「わっ! 聖っ! ツリー!! クリスマスツリー大きいっ!」
「本当だ……俺と同じくらい? いや、二メートルはあるか?」
“キラキラ光る何か”は、入ってすぐのところに置かれていたクリスマスツリーだったのだ。
駅ビルにも商店街の入り口にも、これ以上に大きなツリーが設置されていた。それらよりも大きく感じるのは空間比率の問題だろうか?
ツリーに全神経を掻っ攫われていると、店員さんに声をかけられた。
私よりも先に気付いた聖が即座に対応する。
「予約を入れてある天川と申します」
「あぁ! いらっしゃい!! 聖くんと柊ちゃんだよね? よく来たね! たどりついてもらえて良かったよ」
改めて歓迎されたものの、最後の一言に引っかかりを覚える。それは聖も同じだったらしい。聖が、
「あの……その『たどりついてもらえて良かったよ』というのはどういう意味でしょうか?」
訊くと、店員さんはにこにこしながら答えてくれた。
「ん? どうも何も、咲ちゃんたちにカフェの名前と大体の場所しか教えてないのに、わかったって電話切られちゃったからさ。本当に大丈夫なのかな? って思ってたんだよね」
その言葉に落胆したくなったのは私だけじゃない。
聖は肩を落として言葉を続けた。
「実のところ、この界隈を二十分ちょっと歩き回りました。まさか二階とは思いもしなくて……」
「ははっ。ごめんね」
謝る店員さんに、「悪いのはうちの両親です」と聖が言い切った。
まったくもってその通り……。
「じゃぁ、冷えただろうし疲れたでしょ?」
私たちはあらかじめリザーブされていた席へ案内された。
店員さんは、
「すぐに温かい飲み物用意するから、少しだけ待っててね」
と言い残し、カウンターの中へ入って行く。
戻ってきたときは、湯気を立てた飲み物をトレイに乗せていた。
赤い液体を見て連想するのはトマトジュース。
「これね、トマトジュースじゃなくてブラッドオレンジジュースっていうんだ。冷たいのも美味しいけど、温めても美味しいんだよ。普通は食前酒をお出しするんだけど、未成年だからこれで我慢してね」
目の前に置かれたトマトスープに見えるそれに口をつけると、目が覚めるような酸味に目を瞠る。
「酸っぱすぎたらガムシロ入れるといいよ」
その人は穏やかな笑みを浮かべ、浅く一礼してから席を離れた。
初めて出逢った不思議なオレンジジュースを飲んでいると、前菜が運ばれてきた。
「根野菜のグリルと魚介マリネになります」
根菜は芽筍、じゃがいも、さつまいも、ズッキーニ。魚介は海老、タコ、ホタテが盛り付けられていた。
聖も私も根菜から手をつける。
「美味しいっ!」
「これ、たぶん、味付けに塩とオリーブオイルしか使われてないよね?」
味わいながらも分析するのが聖らしいと思う。たぶん、できたら家で再現してみようとか考えてるんだろうな。
次にシーフードのマリネを口にすると、今まで私が食べたことのない柑橘系の香りがした。
「これ、なんだろ……?」
柑橘系だということはわかるのだけども、私が普段口にしない味だと思った。
聖もパクリと口にして、もぐもぐ……。
次に口を開けたときには、
「シークワサーじゃないかな?」
と、首を傾げた。
聖曰く、どうやら沖縄では日常的な柑橘アイテムらしい。私たち顔を見合わせて声を揃える。
「どっちも美味しいね」
ふたりにこにこしながら二種の前菜をペロリとたいらげた。
前菜が食べ終わった頃を見計らったように、次の料理が運ばれてくる。
「プリモ・ピアットは生パスタの二色ソースになります」
「前菜、とても美味しかったですっ」
プレートを下げる店員さんに私が声をかけると、店員さんはにこりと微笑み、
「楽しんで食べてもらえると嬉しいな。このパスタも口に合うといいんだけど」
主菜のパスタも二種類。貝殻型のパスタはピリっと辛いトマト味。
スパゲッティーのほうは緑色のソースが絡められている。でも、ジェノベーゼじゃないし何なのかは不明。
聖も首を傾げて難しい顔をする。
「ハーブなんだろうけどミックスされてて何が入ってるのかわかんないや」
「でも美味しい! 美味しい美味しいっ!」
「柊、さっきっから美味しいしか言ってないし」
「だって、美味しいっ!」
つい笑みが漏れてしまう料理とはこういうものを言うのだろう。
お昼に食べたアンダンテのケーキも美味しかったけど、甘いものとは違う美味しさ。
「外食なんて滅多にしないから、こういう感じは久しぶりだよな」
まだ口にものが入ってたから、もぐもぐしたまま首を縦にブンブン振った。
店内にドレスアップした人はひとりもいなくて、みんなカジュアルな格好。
ベルベットのワンピースとか、サテン生地のシャイニー感溢れるワンピースなんて着てこなくて良かった。
ほかのお客さんが店員さんを“マスター”と呼んでいるのを聞いて、やっと「あぁ、この人がマスターなんだ」と理解した。
店内の光と同じように、お客さんたちの顔はみんなあたたかな優しい笑顔。それは、きっとこの料理がそうさせるんだろうな……。
「みんな幸せそうだね」
私が感じたことを聖が口にした。私は周りを眺めながら静かに頷いた。
セコンド・ピアットはお肉と魚介の二種類あるとのことで、悩んだ末、結局ふたりとも同じものをオーダーした。
だって、子羊のお肉なら割とどこでも食べられるけれど、ロブスターが出てくるカフェはそうそうないと思うの。
本当はね、違うものをオーダーしてお互いのものを食べっこするのも考えた。でも、店内のどこを見ても取り分け用のプレートが乗ったテーブルはなかった。
だから、周りに習ってそれはやめたのだ。
運ばれてきた立派なロブスターを見て感動していたそのとき――。
カランカラン、とドアチャイムの音と共に日本語ではない言語が聞こえてきた。
自然と私も聖もマスターもそちらに目をやる。そこにはスーツケースをガラゴロ転がした王子様と美人さんの姿があった。
私たちも色素が薄く、「髪の毛茶色いね」ってよく言われるけども、そんな域じゃない。
「外人さん? ハーフ?」
私たちの言葉にマスターが、ははは、と笑う。
次の瞬間、そのふたりがこっち目掛けてズンズン歩いて来るからもっとびっくりした。
英語だけども簡単な単語くらいなら聞き取れなくもない。聞き取れた言葉にびっくりしたけど――。
ふたりはマスターに向かって、「お父さん」と言ったのだ。
……言ったけども、そのあとはふたりにこにこギャンギャン(?)流暢な英語を話しながらテラス席へと直行する。
なんというか、笑顔なのだけども声に険があるというか……。
こういうのって日本語じゃなくても声音でわかるものなんだ?
唖然としてる私たちにマスターは苦笑がにわかに混じる笑みを向ける。
「騒々しくてごめんね。あれでも僕の遺伝子が入ってるはずなんだけどなぁ。たぶん君たちと同じ年だよ。……あの子ら、編入試験あるのに日本語大丈夫なんだろうか……」
その言葉にさらに唖然とする。
「「絶対年上かと思った」」
聖と言葉が重なると、マスターはクスクスと笑いながらその長身のふたりのもとへと歩いていった。
呆気にとられたままロブスターを食べ終えると、そのあとにはコントルノが運ばれてきた。
ベビーリーフが主体のサラダで、オリーブオイルにハーブや何かを混ぜてあるドレッシングがかっている。
最初のうちは何で味付けされてるのかとあれこれ考えていたものの、この頃には私も聖も食べることに夢中になっていた。
ドルチェは五種類のケーキが一枚のプレートに一口大の大きさで可愛らしく盛り付けられている。
その様は芸術品と言っても過言じゃない。プレートを縁取る赤いラズベリーソースと散りばめられた金箔がゴージャスさを加味する。
「コーヒーはどうする?」
マスターに訊かれて聖が、
「自分はエスプレッソで大丈夫なんですが、柊はカプチーノ……キアロくらいじゃないと飲めなくて」
と、少し気まずそうに答えた。
「ははっ! 聖くん、詳しいね? コーヒー好きなんだ?」
「好きですがそんなに詳しいわけでは……。あの、柊はお腹がいっぱいじゃないわけじゃなくて、ミルクなしじゃ飲めないだけなんです」
「うんうん、大丈夫だよ。ここはイタリアじゃないし、僕は日本人だからね。人に好みがあることくらいは心得てます。じゃ、聖くんはエスプレッソで、柊ちゃんはカプチーノ。ミルク多めね」
マスターはウィンクを残してしていなくなった。
「おおらかで優しそうな人ね?」
「うん。うちの両親とは別の意味でおおらかな感じ」
マスターに対する印象はそんなところだった。
人柄と店内の雰囲気がリンクする。あったかい人なんだろうなぁ……と思いながら、最後の一口を堪能した。
*****
お店を出るときにもう一度、「ご馳走様でした」と口にすると、マスターは、
「またいつでもおいで」
と、声をかけてくれた。
階段を下り、下からビルを見上げる。
「「隠れ家」」
聖と顔を見合わせ笑う。ふたりの意見は一致した。このカフェは見つけづらい上に居心地のいい“隠れ家”だと――。
「外からじゃあんなカフェがあるなんてわからないよね?」
「うん、メインストリートの建物みたいにそれっぽい飾りつけが外にもあったら、もう少し早くに見つけられたかもしれないけど」
聖のその言葉には同感だ。でも――。
「中に入らないとわからない……。そういうの、なんかいいよね?」
私を見下ろす聖が言った。私は笑顔を返す。
「うん。私もそう思う」
見つけることができた人だけの“とっておきの空間”。
そんな“特別な時間”を過ごせる何かがあのカフェにはある。
「また来よう!」
私と聖は夕方よりも寒くなったというのに、何だかほくほくとした気分で来た道を歩きだす。
少し、ほんの少しカフェテラスの王子様に後ろ髪を引かれつつ――。
Update:2011/12(改稿:2013/08/18)
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