昨日のスーパーでのこと。
柊が板チョコを目の前に悩んでいた。
何を作るのか悩んでるのかと思いきや、もっと別のことを考えていたらしい。
何を作るの? と訊けば、意外な言葉が返された。
「今年、作らないかもー?」
「え……今日って材料買いに来たんじゃないの?」
「うん、そのつもりだったんだけどねぇ……。なんか気が進まないんだよねぇ」
さっきから唸ってはいたけれど、柊は再度唸り始める。
「毎年楽しそうに作ってたのに? 友チョコイベント、タロちゃん楽しみにしてるだろうに」
「タロちゃんかぁ。最近、学校でも会わないから忘れたよ」
「ひど……」
まぁ、確かに二組と七組じゃなかなか会うことはないかと思うけど……。
俺はというと、理棟の一番端の教室ということもあり、文棟のタロちゃんとはそれなりに顔を合わせていた。
使う階段が一緒なのだから、それも当然のこと。
これは数日前のことだ――。
「今年は柊何作んのかなっ?」
もらえることを信じて疑わないタロちゃんは、無邪気に俺に訊いてきた。
「不精者」
「えー? だって二組遠いもん」
「それを無精者って言うんだろ?」
「ま、そうなんだけどさ。で、何作るのか聞いてないの? 俺的には一昨年だっけ? その前だっけ? とにかく二、三年前にもらったチョコブラウニーが希望なんだけど!」
おいおい……友チョコに希望言うなよ。
「さぁね。今日、買出しの日だからそのときに見た材料で何を作るか予想してみるよ」
「えー? そこでブラウニー作れば? とは言ってくんないの?」
「希望があるなら柊に言いに行きなよ」
「聖のいけずぅぅぅ……」
誰がだ……。
そんなタロちゃんとの会話を思い出していた。
柊は目線と同じ高さにある板チョコをぼーっと見ている。
「考えてるのは立川のこと?」
コクリと頷き、ポツリポツリと話しだす。
「ルイ君、甘いもの嫌いなんだって」
「でも、柊なら甘くないお菓子だって作れるだろ?」
俺が好きなのは、柊が作るチーズケーキだ。あれは甘すぎないし、チーズの濃厚な風味とレモンの酸味が相性のいいケーキだと思う。
「うん。でも……ルイ君はこういうイベント嫌いっていうか、興味ないっていうか……。たぶん、誰からも受け取らないと思うんだよ」
「まぁ、それは想像できなくもないかなぁ……」
「でしょう?」
立川がどうか……って言われたら、それは確かに別問題だ。
「聖、なんだかおかしいね? 今まではお祭りみたいなノリで楽しんでたイベントだけど、好きな人がいるとちょっと違う」
柊は言いながら俺を見上げた。
なんていうのかな。
兄妹だし、でも双子だし……。普段は“妹”とはあまり認識しない柊を“妹”と意識した。
そして、かわいいなと思った。
俺はそんな柊に問い返す。
「どう違うの?」
「作っても、好きな人にもらってもらえないなら友チョコとか義理チョコとか作りたくなくなる……」
「そっか……。なら、作らなくていいんじゃない? 何もイベントに乗らなくちゃいけないわけじゃないし」
「……そうだよね? 私、常にルイ君に好きって言ってるし」
最後の一言に思わず吹き出す。
俺を不思議そうな目で見る柊に、今年ももらえると疑わないタロちゃんへの慈悲だけは促しておいた。
柊はタロちゃんや同中卒の人間渡す友チョコ要員にチロルチョコのアソートパックを買ったわけだけど、そのチョコは俺のちょっとした悪戯心に火をつけた。
そうだ、礼さんを餌付けしてみようか?
*****
ホームルームが終わり柊と落ち合うと、同じようにして立川とレイさんも一緒にいた。
「ルイ君だ! ルーイーくーんっっっ」
柊、昨日のちょっとしおらしい感じの乙女はどこ行った?
そんなことを思いながらちびっ子柊を見ていると、同じようにして笑っている人物がいた。レイさんだ。
レイさんは最近よく笑うようになった。
主に、柊を見て……。
それもどうかと思うけど、でも、好きな人の笑顔ってやっぱりいいなと思う。
俺はまだクスクスと笑っているレイさんに声をかける。
ちょっとした動作を伴って。
「レイさん、こんにちわ。はい、これどうぞ」
「あ、ありがと……」
挨拶と同時に差し出した俺の手中にあるものはチロルチョコ。
レイさんは条件反射のようにそれを受け取った。
条件反射に万歳。
チロルチョコを見たときの反応は知ったものを見る目だった。
これ何? と問われることすら想定していた俺はちょっと拍子抜けしたけれど、それでも彼女の表情が少し緩んだのは確認済み。
もしかしたら好きな食べ物だったかもしれないとすら思った。
「きなこもち、牛皮が美味しいよね」
試しに訊いてみると、すぐに返答があった。
「そうね」と。
さらには包みを開け始め、その場で口にした。
俺、心の中でガッツポーズ。
記念すべき第一回、餌付けミッションコンプリート。
レイさん? 餌付けはまだ始まったばかりだからね?
これ、餌付けっていう刷り込みみたいなものだから。
*****
俺はことあるごとに新発売のチョコをレイさんに渡し続けた。
それを拒否られたことはない。
そこからすると、甘いものは結構好きなのかもしれない。
そんなある日、夕飯の席で柊に訊かれる。
「れーちゃんを餌付けするその心は?」
「ん? 日本の文化に触れてもらおうかと思って?」
「何それ」
柊がきょとんとした顔をしている。
「んー、早い話さ、海外と日本ってバレンタインの風習が全然違うんだよ。だから、日本の風習を教えてみようかなぁ? と思って」
「風習?」
訊き返してくる柊は多分知らないのだろう。
「俺が説明するよりもネット見た方が早い。これ食べたらネット見よう」
あと少しで食べ終わる。だから、その話は後で……と一端話を打ち切った。
夕飯の片づけを済ませ、お互いに飲み物を用意してからリビングに置いてあるパソコンで“バレンタイン”を検索して見せた。
「こーれーはー……れーちゃんたちには理解しがたいイベントだろうね?」
「うん。レイさんは文句言いそうだよね」
俺の言葉に柊がうんうんと首を縦に振る。
「でも、敢えて日本の文化に触れてもらおうと思ってるんだ?」
「うん。チャレンジャーでしょ?」
訊くと、柊はおかしそうに笑った。
「チャレンジャーだねぃ……。ちょっと感心した」
「今はとりあえず、チョコイベントを刷り込めればいいかなぁ? くらいに思ってる」
「それを続けてあわよくばバレンタインにチョコじゃなくても何かもらえたらラッキーってこと?」
「そんな感じ。海外ではある程度親しい人にしかものをあげないわけでしょ? だとしたら、何かもらえることに意味があるよね」
そう、ほんの少しだけ期待してるんだ。彼女から何かをもらえることを。
それは、日本の風習としてでもかまわなかった。
だって、日本の風習に馴染みのないレイさんからもらったものは、海外の風習でもらったものって錯覚できそうでしょ?
ま、このときはそのくらいにしか考えてなかったよね。
*****
俺は常にチョコを携帯し、レイさんに会うたびにそれを渡していた。
移動時にしか会うことがない――つまり、そんなときはたいてい柊も立川も一緒のことが多く、不思議に思ったらしい立川に訊かれた。
「なんなんだ?」
その一言で“チョコ”のことだと悟れる自分がすごいと思う。
「あぁ、別に深い意味はあるようでないから気になさらず」
立川は気になったから訊いたんだろうが……という視線を返してきた。
「なんてことない、餌付けだよ。餌付け」
その返答だけを誰かに聞かれていたらしい。
後に、俺がレイさんを餌付けしているという噂が流れ始めた。
本当、うちの学校って噂好きだよなぁ……。
「とりあえず、柊の兄であることは認識してもらえたっぽいけど、まだテリトリーに入れてない感じでしょ?」
立川は無言で肯定する。
「だから、そのテリトリーにどうやったら入れるかなぁ? と日々画策するわけですよ」
俺はにこりと笑い、“画策”と“餌付け”がイコールになった立川は頭振る。
「お前の趣味だけは理解できそうにない」
「光栄至極」
とても会話とは言えないようなやりとりだが、周りからみたら十分会話になっているように見えるらしい。
外から見えるものと中から見えるものは、ずいぶんと違って見えるものみたいだ。
Update:2011/12(改稿:2013/08/18)
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