うん、それが正しい表現だと思う。
きっとそこにはいるんだろうけど、女子が取り囲んでいて見えない。
俺は時計に目をやりながら自分の席に近づく。
俺の席の上は荷物置き場よろしく、女子どものかばんが山積していた。
はぁ……一丁やりますか。
パンパンと手を叩き、注意を引く。
「現時刻、八時二十三分。芸棟や私棟の人はダッシュしないと遅刻扱いになっちゃうよ?」
にこりと笑みを添えれば一丁上がり。
たったそれだけの言葉で女子の人口密度はぐっと減り、幾分か教室が静かになった。
立川はというと、まだクラスの女子数名に囲まれている。
が、立川ならそのくらい自分でどうにかするだろう。
俺は自分の席に着ければそれでいい。
一限目が終わると、俺は窓を大きく開けて深呼吸をした。
もう、バスが……とかそういう域じゃない。校舎がチョコでできてるんじゃないかって思うくらい甘い香りに満ちている。
休み時間のたびに、立川のもとには匂いの素を携えた女子が訪れる。
チョコの匂いに加え、甘ったるい香水の匂いまでもが充満している。
俺は吐き気をもよおすたびにフリスクを口に放り込んでいた。
そんな俺も全く何もないか……というと、そういうわけでもなく――。
席に着いたら、その机にチョコが仕込まれてるとか……。
その程度のことはあった。
匂いの根源をずっと机の中に入れていられるわけもなく、かばんに入れて匂いが染み付くとか、そういうのも避けたい。
俺に残された道は、生徒一人ずつに与えられているロッカーのみだった。
ジャージをかばんに避難させ、メッセージカードだけ抜き取ったチョコをそこに保管。
でも、これは受領ではなく、あくまでも一時保管。
ごめんね。後で全部、返品させていただきます。
*****
昼休みに甘ったるい校内を移動し、柊のクラスに行く。
あわよくばレイさんにも会えるかと思ったけど、レイさんはクラスにいなかった。
「どうしたの?」
「なんかシンプルな袋ない?」
「袋?」
「そう、このくらいのものが入りそうなやつ。んで、中が見えないとなおいいんだけど」
「あー、グレーと茶色の紙袋ならあるよ?」
「それちょうだい」
「うん」
柊は不思議そうな顔をしてはいるものの、何も訊かずにそれらをくれた。
俺はその中にもらったチョコを入れる。
机に入ってたのは二つだったから、二枚もらえてちょうど良かった。
俺はメッセージカードに書かれていた子の教室を尋ねる。
「横川さん呼んでもらえます?」
教室の入り口で尋ね、その子が出てくるのを待った。
たぶん、こういう呼び出しって、普通ならひどく目立つものなんだろうけど、そこはさすがうちの学校ってところかな?
ところどころで、同じような光景が繰り広げられているため、誰が誰を呼ぼうが視線がひとところに集まることはなかった。
「あの……」
消え入りそうな声で話しかけられる。
「横川さん?」
確認すると、ショートボブの女の子はコクリと頷いた。
「カードとチョコ、ありがとうね。でも、自分好きな人いるから……これはちょっと受け取れないんだ」
彼女は、俺が差し出した紙袋と俺を交互に見る。
「ごめん、そのまま返すのはちょっとあれだったから……」
言うと、その中に自分が渡したチョコが入っていると気付いたようだ。
なるべく断っているふうではなく、借りたものを返すような光景に見えればいいと思って取った行動だけど、結局は断りであり、返品には違いない。
「メッセージカードだけ……もらうね」
俺は震える女の子の手に紙袋を持たせ、その場を後にした。
「……はぁ、これがあともう一回?」
俺の知らないうちに置いていかれたらこう対処するしかない。
「できれば呼び出されてその場で断るほうが楽だなぁ……」
俺はタロちゃんに聞かれたら殴られそうなことをほざきながら、次なるクラスへと向かっていた。
*****
本日の俺と立川。
席が隣だというのに、一言もかわすことなく時間が過ぎた。
唯一、授業中のみが平和な時間だったわけだけど、それでも締め切られた室内のチョコの匂いは拷問に値する。
俺はホームルームが終わると逃げるように教室の外に出た。
今朝、柊は先に帰ると言っていた。
俺はコーラス部の数人に呼び出されていたこともあり、甘ったるい空気を掻き分け、教室階よりは匂いの薄い五階へと急いだ。
まだ誰もいない音楽室の窓を全部開け放つ。
寒いからマフラーもコートも着たままピアノを弾いた。
一曲弾ききらないうちに見知った女子が入ってくる。
なんというか……。
男ならここは喜ぶべきところなのかもしれないんだけど、今の俺にとっては“嬉しい”状況ではないようだ。
まるで順番を決めていたかのように、女子が入れ替わり立ち代りで入ってきては告白していった。
それらすべてに同じ返事をしたわけだけど、最後になって廊下にいた女子どもが全員入ってきた。
それは告白した子もしない子も。
なんで? とか、どうして? とか、訊かれても困るんだよね。
それに答えられない俺を責める君たちはなんて答えるのかな?
「じゃぁさ、どうして俺なの?」
ねぇ、その答えを聞かせてよ。
「だって、ずっと聖くんを見てきたのっ」
「俺だって一目見たときからずっとレイさん見てきたんだけど?」
「っ!?」
「それの何と何がどう違うの?」
できればこういうのは避けたかった。
「自分が良くて相手はだめ? それ、違うでしょ? 人に気持ちを伝えるのってさ、押し付けるのとは違うと思うんだけど……」
「柊だって立川くんにはずいぶんと強引じゃないっ」
「なんで今柊の話題になるのかわからないんだけど? それに、少なくとも柊は立川の嫌がることはしないし、こんなふうに詰め寄ったりはしないよ」
俺はそれだけ言うと音楽室を出た。
後ろ手にドアを閉めると、廊下に妙齢の女性教師がひとり。
「モッテモテねー?」
「からかわないでくださいよ」
「っていうか、うちの子たち泣かせないでよ」
「あのですね、寄って集られて泣きたいのはこっちですってば」
「全然そんな顔してないくせに。この女泣かせが」
先生のジャブが腰あたりに入る。
「ま、女の子って生き物は仕方ないわよ。男にとっては一生未知の生命体でしょ」
「シャレになんないんですけど……」
「あはは」
先生は再度俺の背をポンと叩いた。
「こっちはこっちでどうにかする。だから、伴奏降りるとか言わないでよ? 今、うちの伴奏者ふたりともインフルエンザで休んでるんだから。――そうそう、立川さんだっけ? 美術室にいたわよ」
先生はにやりと意味深な笑みを浮かべ音楽室に入って行った。
俺はこの廊下の延長戦にある第2美術室に視点を定め歩き出した。
*****
俺は“入る予告”に美術室のドアをノックした。
応答があるとは思ってないから、そのままドアを開く。
ガラっという音を立てて開けたドアにレイさんが振り返る。
まるで息するのを忘れちゃったんじゃないか? というような表情の彼女に声をかけた。
「今日はなんの日?」
ゆっくりと彼女のもとに近づき、彼女のかばんが置いてある机に自分のかばんも置く。
さて、餌付け効果はいかほどだろう?
俺は近くの椅子を引き寄せ、彼女に向き合うと再度訊く。
「今日はなんの日?」
「バ、バレンタイン……?」
彼女は真っ赤になって顔を背ける。
……レイさん、そんな態度とると、俺、期待しちゃうんだけど?
過度な期待はしちゃいけないと思っていたけれど、目の前の彼女を見ていると、少しくらい期待してもいいんじゃないかと思えてくる。
実のところ、昨日からそんな気持ちが浮かんでは沈み、浮かんでは沈みの繰り返しをしていた。
俺は、さらなる質問を彼女に繰り出した。
「バレンタインはどんな日だっけ?」
「ど、どんなって…………」
うろたえる彼女がかわいくて、俺はついにっこり笑顔になってしまう。
俺と目が合った彼女は大きく深呼吸をし、かばんを手繰り寄せた。
彼女がかばんから取り出したのは小さな箱。マーブル模様のシックな箱を目の前に差し出される。
白と黒はピアノの鍵盤を彷彿とさせた。
差し出す箱と共に、手が小刻みに震えている。
彼女の顔を見ると、逸らしていた目をキッと合わせ、早く受け取れと言わんばかりの視線を向けられた。
でも――その視線はいつもと違い、“懇願”の色がとても濃い。
華奢な指先に少し触れ、ありがとうとそれを受け取る。
「開けていい?」
「す、好きにすればっ?」
「じゃ、遠慮なく」
俺は丁寧に包みを剥がし箱を開ける。
中には芸術品みたいなチョコが4粒。
教室や廊下を跋扈(ばっこ)していた匂いとは違う。たとえるなら“品のいい甘さ”。
そんなチョコが入っていた。
「さて、レイさん?」
「何よ」
「これは何チョコでしょう?」
「は?」
「友チョコ? 義理チョコ? それとも、本命?」
三つの意味は柊に入れ知恵してもらっている。
知らないとは言わせないよ?
「レイさん?」
笑顔でごり押しすると、彼女は息を飲み、次の瞬間選択肢にない答えをはじき出した。
「自分で考えてっ」
……ふーん。
自分で考えて、勝手に答え決めていいのかな?
「俺、結構ご都合主義だから、自分にいいようにしか解釈しないけど?」
「……好きにすればいいわ」
投げやりに言葉を発する彼女の顔は相変わらず赤い。
第一ボタンを外している襟元には鎖骨がのぞいているわけだけど、そこまで見事に真っ赤に染まっていた。
「レイさん、真っ赤」
俺がくすくすと笑うと、秀でた反射神経で言葉が返される。
「うるさいっ」
今、どんな辛辣な言葉を吐かれようとも、“かわいい”以外の気持ちは抱きそうにない。
ずっとテリトリーに入れていないと思ってた。
でも、実のところは懐近くまで潜入できていたのかもしれない。
そう思うと、苦手なチョコを持ち歩いてた甲斐もあるってものだ。
気持ちが満たされた俺は一つ疑問に思う。
「レイさん、そのキスチョコは何?」
かばんが置かれていた机にはコンビニの袋が無造作に置かれており、自分がかばんを置く際にチラリと見えたのだ。
自分にはキスチョコではなく、ちゃんとしたチョコが用意されていた。
では、あのレジ袋からのぞいていた5粒のチョコは何だろうか……?
彼女はイーゼルを片付けながら、おぞましいものでも見るような目つきでそれを見る。
「何?」
訊くと、机に入っていたとぶっきらぼうに口にした。
「机に?」
「そう」
彼女は汚いものでも摘むような手つきで、レジ袋の中からレポート用紙を取り出した。
見てもいい、ということなんだろうが、とりあえずは確認。
「見てもいいの?」
彼女は早くそれを手放したかったらしく、俺の目の前にヒラリと落とした。
そして、画材の片付けに戻っていく。
何かと思いながら二つ折りにされたレポート用紙を開くと、丸っこく特徴のある文字が並ぶ。
「うーわ……コタローの字じゃん」
それは同中卒の男子、国見小太郎(くにみこたろう)の字だった。
罫線を思い切り無視した大きな字で、男子らしからぬ丸文字で好きですと書いてある。
しかし、肝心の差出人名がない。
コタローらしい抜けっぷりだけど、いやはやどうしたものかね。
思わず苦笑が漏れる。
「これ、俺が対処する方向でいいかな?」
彼女はちらっとこちらを見て、「お願いするわ」と小さく口にした。
Update:2011/12(改稿:2013/08/18)
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