二学期の三者面談で二年次の進路については粗方決まっていたのだ。
私は芸術コースの音楽、聖が理系と芸術コースのどちらに進むかで悩んでいただけ。
悩む選択肢のひとつに文系があると厄介だけど、芸術コースと理系で悩む分には融通が利く。
そんなに人数差があるわけじゃないけれど、うちの学校は男子よりも女子の方が多い。 それゆえなのか、文系希望者が多いのだ。
だから、理系と芸術コースで悩む分には一年の終わりギリギリまで猶予を与えられる。
結局、聖は理系を選んだ。
音楽は趣味で続けたい、と言っていた。
パパとママも反対などしない。
私は気にすることないって言ってたのだけど、聖は進路に音楽を選ばないことを気にしていた。
案の定、何を心配する必要もなかったわけだけど――。
「ずっと好きでいてほしいから、自分に合うスタンスで音楽を続けてほしい」
そう言ったのはママだった。
パパは真面目な顔をして打診する。
「うちの経理やらない? 税理士でもいいけど」
その言葉に緊張を解いた聖は、くしゃりと笑って口にした。
「もし違う職種についたとしても、音楽教室や父さんたちの確定申告くらい引き受けるよ」
親が音楽に携わる仕事をしている――例えば、音楽家であったり音楽の先生。すると、子供にも“音楽の道”を求める親が多いという。
実際、芸術コースを選択する半数の生徒がそんな境遇だ。
だから聖も気にしたのだろうけれど、うちの両親においてはそういった概念はない。
親は親だし子供は子供。どんな道を選ぼうと応援してくれる。
双子の私と聖を比べることなく個々として育ててくれた両親は、こういったときにだって例外なくそれを貫徹する。
心配する必要など、どこにもなかったのだ。
*****
三月始めの週末、聖にれーちゃんちのカフェに行かないかと誘われた。
「一緒に行ってもいいの?」
「ダメな理由なんてないでしょ?」
その言葉が素直に嬉しくて、私は一緒にカフェに来た。
てっきり、れーちゃんと聖もカフェで過ごすものと思っていたのだ。
なのに、何かな? この状況は……。
カフェに着いて早々、聖とれーちゃんは“デート”に出かけてしまった。
カフェに残されたのは私ひとり。否――カフェの手伝いをしていたルイ君と、カウンター向こうにはマスターがいる。
どうしよう……。
ルイ君とマスターを交互に見る。
「座れば?」
「え?」
ルイ君はカウンターに置かれたカップふたつを持つと、店内を横切り、定位置と思われるテーブルについた。そして、テーブルに置いてあった小難しそうな本を手に取り読み始める。
私はドキドキしながらルイ君の座る一角へと向かった。
ルイ君はひとり掛けのソファーに座っていて、私の気配に気づくと顎で正面のソファーを示す。つまり、そこに座れということなのだろう。
ソファーは私が五、六人座れちゃいそうに大きい。が、そこには“先客”が両脇を陣取っている。
ビリーとキャリーだ。
ソファーの真ん中だけがちょこんと空いていた。
「お邪魔します」
私がソファーに腰を下ろすと、わふっ、とビリーが声をあげ、キャリーが首に頭をすり寄せてくる。
「くすぐったいってば!」
言葉が伝わるのか、寄せていた頭をひょいっと離すと、今度はベロンと頬を舐められた。
「こらー。そんなことすると食べちゃうぞー!」
口を大きく開けてキャリーの鼻先を噛むようなフリをして見せると、私のお口のほうがおっきいのよ! とでもいうかのように大きな口を開けて見せられた。
「あはは、負けた! キャリー、私の負けだよー」
この子たちと遊ぶのは大好きだ。けれど、数分で気づく。ソファーに座ると床から足が浮いてしまうことに。
これじゃぁ、ビリーとキャリー相手に踏ん張れない。
店内を見回してみるものの、お客さんは数組でこの一角近くにはいない。
「ルイ君……」
本を読んでるところごめんね、と思いつつ話しかける。
ルイ君は本から視線だけを上げた。
「あのね、このソファーに座ると足がつかないんだ」
私は足をブラブラとさせ状況を説明する。
「靴、ちゃんと脱ぐからソファーに上がってもいい?」
まるで小さな子が電車に乗ってるときにお母さんに訊くような質問だ。
ルイ君は目だけで問題ない、と言い、コーヒーを一口飲んでから本に視線を戻した。
お許しを頂いた私は靴を脱いでソファーに上がりこむ。
これでビリーとキャリーと対等にやりあえる。
そう思っていたのに、実際、そうしていたのはどのくらいだっただろうか?
今年から花粉症になってしまった私は、今日も出かける前にもしっかりと薬を飲んできた。
薬を飲み始めてからというものの、止まらない鼻水とくしゃみに悩むことはなくなった。
頭重感もすっきりと取れたが、代わりに眠気という代償がやってくる。
カフェに来たときは少し緊張していたものの、ビリーとキャリーと遊んでいたら緊張などすっかり解れてしまった。
おかげで睡魔さんが、ランランラン、とスキップしながらやってくる。
ここはカフェっ。家じゃないし学校でもない。しかも目の前にはルイ君がいる。
そうは思っても眠くて眠くて仕方がない。
窓から差し込むやわらかな日差しが薬の副作用に拍車をかける。
――そして両脇にいる友達わんこ。
まどろむ意識の中で思う。あたたかい、と。
カフェということをすっかり忘れてしまうくらいに気持ちが良かった。
私は、いつの間にか眠りに落ちていた。
*****
眠りから覚める前の感覚を少しずつ感じる。
まだ寝ていたい……。あたたかくて気持ちがいい。
今が朝なのか夕方なのか――わからないくらいの光を瞼の向こうに感じた。
あ、れ……?
私、聖とカフェに来たんじゃなかったっけ?
それがどうして寝ていて、“暗い”と感じるのだろうか。
カフェに来たのは昼過ぎだったはずだ。
機械的にパチリと目を開ける。
そこが暗い空間であることと、自分が横になってることがわかった。が、目の前――視界の大半を占めるそれは人の喉。
女子にはない、ゴツっとした喉仏が“異性”だと教える。
「――だ、ん、し……???」
反射的に、首につながる顔を確認しようとした。けれど、目で確認する前に“声”という情報が脳に到達する。
私の大好きな声が、「なんだ」と言ったのだ。
視覚情報と聴覚情報が合わさり、人物が特定がされる。
「るっ、ルイ君っ!?」
そこには聖の顔ではなく、大好きな王子様の顔がくっついていた。
「……だからなんだ。お前うるさい」
気だるそうな声はいつもの調子で答えるけれど、状況はいつもと同じではない。同じどころか雲泥の差だ。
いつもみたいに、スミマセン、なんて謝れない。
さすがに人の耳元で叫ぶ趣味はないし、自分の声量は一応把握しているつもりだ。必死に声を出すのを堪えていると、唇が無意味な動きをし始める。
私の口元を見たルイ君は、くっ、と笑った。
「魚みたいになってるぞ」
る、ルイ君、魚とかひどすぎるっ。
お魚さんになってるのはルイ君のせいでしょっ!?
そんな言葉だって飲み込んでしまう。
出したい言葉を飲み込み続けるのは意外と難しい。物理的に押さえてどうなるものでもないけれど、私は自分の手で口元を押さえた。
心地よいと感じていた重みはルイ君の腕だったらしい。
ルイ君は体を起こすと右ひじをベッドにつき、まじまじと私の顔を見る。そして、
「良く寝てたな、柊」
一瞬にして頭がショートした。声に、言葉に、近すぎるその距離に――。
しかし、ルイ君の行動はそれだけでは終わらない。
大きな手が額に伸びてきて髪をかきあげられる。さらには、至近距離にあった顔がもっと近づき、再度目いっぱいに喉仏が映る。
次の瞬間には“チュ”という音がし、額にあたたかなものが触れた。
私は目を見開き呆然とする。次には口を押さえていた手を額に移した。
何も言えず、唇は次第に震えだす。それを見たルイ君は、呼吸忘れるなよ、と言い残して部屋を出て行った。
「…………な、何? 何が起きたの? あれ? 私、起きてる? まだ寝てる?」
ようやく声を出せたというのに全てが疑問符で終わる。
えぇと……ここどこだっけ? 知らない場所だからやっぱり夢?
夢ゆめユメ……。
そうだ、きっと夢だよ。だってこんなこと起こるわけないもん。夢だ。うん、間違いなく絶対に夢。
私は夢だと決め付け、もう一度眠ろうとする。
そう――“眠ろうとした”のだ。
「え……? 眠ろう? あれ? 私、起きてる、の……?」
ばっ、と体を起こすと見知らぬ部屋の大きなベッドの上にいた。しっかりと掛け布団をかぶった状態で。
部屋を見回すと、机の前にある椅子に見覚えのあるニットがかかっている。
間違いない、以前ルイ君が着ていたものだ。
「え……嘘」
ここ、もしかしてルイ君の部屋っっっ!?
悟った瞬間にベッドから飛び降りる。
数回頭をガシガシと掻いて、はっ、と我に返る。
髪にすぐ手櫛を入れたけど無駄に終わった。
動転したまま部屋の中を何度か行ったり来たりして、まずはベッドを整えることにした。
大きなベッド相手のベッドメイキングは慣れない。
四苦八苦しながらそれを終えると部屋の出入り口に目をやる。
半分ほど開いたドアに近づき部屋の外の状況をうかがおうとすると、カツカツ、という聞いたことのある音がした。
ドアから顔だけを出すと、わふっ、とビリーとキャリーに押し倒される。
間違いない……。ここ、ルイ君ちだ。
私はマヌケすぎる方法で確信を得た。
Update:2011/12(改稿:2013/08/18)
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