光のもとでT

第二章 兄妹



第二章 兄妹 08話


 閉会式が終わっても、まだ興奮冷めやらん、といった感じの体育館内。
 それでも徐々に自分たちのクラスへ、と移動が始まる。
 これは人が少し引くまでは出られそうにない。
 出口を見てぼーっとしていると、桃華さんと佐野くんがやってきた。
「どうだった? 歓声の中に立った気分は」
 佐野くんに訊かれて、思わず笑顔になる。
「あのね、声がわーって上から降ってきてすごかった!」
「うん、そんな顔してたわ」
 桃華さんと佐野くんは顔を見合わせクスクスと笑う。
「俺ら、まだ片付け残っててクラスに戻れないんだけど、海斗と立花が来ると思うからもうちょい待ってな」
「うん」
 しばらくすると、海斗くんと飛鳥ちゃん、というよりはクラス全員のお迎えが来た。
「お勤めご苦労!」
 なんて、ところどこから声をかけられて少し気恥ずかしい。
「恥ずかしい」よりも、「くすぐったい」……かな?
 そこへ、ミネラルウォーターをがぶ飲みする飛鳥ちゃんが戻ってきた。
「飛鳥ちゃん! すごいすごいすごいっ! なんで教えてくれなかったの!?」
「へへぇ……びっくりしてもらおうと思って。でも、楽しかったけど疲れたよ〜」
 いつものように抱きつかれ、
「うんうん、お疲れ様」
 言いながら抱きつき返したらびっくりされた。
「翠葉好きーっ!」
 いつものごとく、猫のようにゴロゴロと懐かれる。
 それを見ていたクラスメイトが、「私もー」「俺もー」と便乗しだすのはいつものこと。
 男子に抱きつかれるのには慣れないけれど、このごった返したような雰囲気にはだいぶ慣れてきた。
 ホームルームが始まるころには、時計の針が五時を指していた。
「お前らがんばったなー! 最後に俺から奢りのジュースだ!」
 川岸先生はひとりずつに労いの言葉をかけ、果汁一〇〇パーセントの紙パックジュースを配る。
 私のところに来るとニカッと笑って、「御園生もクラスに馴染んだな」と言われた。
 中等部からの内進生が多いこのクラスに、馴染めた、だろうか……。
 人の目に、もしそう映っているのだとしたら、嬉しい……。

 ホームルームが終わると、蒼兄からメールが入っていることに気づく。


件名:お疲れさん
本文:昇降口前で待ってるよ。


 どうやら五分ほど前に受信したみたい。
「蒼樹さんから?」
 海斗くんに訊かれ、コクリと頷く。
「えっ!? どこかにいるのっ!?」
 途端にキョロキョロしだしたのは佐野くん。
 普段はそんなことないのだけど、蒼兄のこととなると、途端にミーハーっぽい一面が露見する。
「今、昇降口前にいるみたいなのだけど、一緒に行く?」
 佐野くんは顔を真っ赤にして、首を縦にブンブンと振った。

 蒼兄は、混雑した昇降口から少し離れた桜の木の下にいた。
「蒼兄っ!」
 声をかけると、読んでいた文庫本を閉じてこちらを見る。
 五人揃って蒼兄のところまで行くと、蒼兄が佐野くんに気づいた。
「初めまして、佐野明くん。翠葉がいつもお世話になっています」
 とても普通の挨拶だったけれど、佐野くんの反応は普通とは言いがたかい。
「いっ、いいいいえっっっ」
 言葉が上ずるくらいには緊張している模様。
「人間語話せよっ!」
 海斗くんに後ろから蹴りを入れられて、
「初めまして、佐野明です……」
 声は尻すぼみに小さくなり、どうやらその先が続かないらしい。
「困ったな……。俺、そんな緊張されるような人間じゃないんだけど」
 蒼兄は頭を掻きながら苦笑した。
「君の走り、見たことあるよ。今年、インターハイに行くつもりなんだろ? がんばって!」
「がんばります……。蒼樹さんみたいに走れるように――自分にも人にも、何かを残せるように」
 何か思うところがあったのか、蒼兄は目を細めて笑うと、佐野くんの頭をくしゃくしゃ、と撫でた。
「楽しみにしてる。怪我だけは気をつけて」
「はいっ」
 飛鳥ちゃんが、「良かったねぇ」と佐野くんをいじると、佐野くんは顔をくしゃっくしゃにして笑った。
 そのふたりを見て安心する。いつものふたりだ、と。
「翠葉も今日は疲れたんじゃないか?」
 顔色をうかがうように蒼兄に覗き込まれ、
「うん。でもね、とっても楽しかったの!」
「この学校のイベントはどれも楽しめるよ。何かしら変な伝統があるから」
 その言葉に反応したのは海斗くんだった。
「そうですね。何かしらありますね」
「あ、そういえば……かわいい翠葉の写真とかいかがです?」
 桃華さんがデジタルカメラを片手ににこりと笑う。
「さすがは簾条さんだな」
 蒼兄は桃華さんからカメラを受け取り、かばんからノートパソコンを取り出すと、データのコピーを始めた。
「桃華さん、カメラなんて持っていたの? でも今日は、ほとんどクラスにいなかったでしょう?」
「そうね。でも写真は、私じゃなきゃ撮れないわけじゃないから」
 桃華さんはにこりと笑みを深める。と、
「それ、常にクラスの誰かが持ってた密告デジカメ」
 と佐野くんが指差す。
「ミッコクデジカメ?」
 訊き返すと、
「イベントは、思い出にも形にも残す主義なの」
 言いながら、桃華さんはきれいに微笑んだ。
 つまりはどういうことだろう……。アルバムを作る、ということ?
「翠葉……。桃華な、試合が始まる前にクラス全員にこんなメール送ってきたんだぜ」
 海斗くんがメタリックブルーのスマホを見せてくれる。


件名 :ミッション
本文 :取られる前に取りに行け。
   取られたら取り返せ。
   途中で諦めたりしたら許さないわよ?
   私、集計作業で忙しくなるから、
   しっかり写真におさめておくように。

   魔の徒競走前には翠葉を保護すること。
   飲み物の確保はこっちでするから、
   全力で中央観覧席一、二列を死守せよ。

   Do or die !

   みんなの桃華より



「簾条さん、やるね……」
 蒼兄が珍しく大笑いしていた。
「ふふふ、このくらい朝飯前です」
 桃華さんはあくまでも可憐に笑う。
 これは……みんなが攻めの姿勢を崩せないわけだよね。点を採られたら、意地になって食らいつくのもわかる気がする。
「あ、蒼樹さん。ご存知でしょうけど、後日、校内展示でかなりの枚数、翠葉の写真が出回ると思いますよ?」
 ……え? それはなんの話?
 どうして私の写真が出回るの……?
「あぁ……かなり色んなところで撮られてたからなぁ……」
 桜の木の根元に座り込む海斗くんが、思い出したかのように言う。
「そっか、その伝統もまだ残ってるんだ? すっかり忘れてたよ」
 蒼兄は頭を抱え込んでしまう。
「……何?」
 不安になってたずねると、
「んー……なんていうか、いわば校内写真コンテストみたいなもの?」
 言いながら、飛鳥ちゃんが首を傾げる。
「大雑把に説明すると……全校生徒の撮った写真が後日生徒会にガンガン送られてくるんだ。で、生徒会がその写真をより分けて、厳選された写真が食堂にずらっと貼られる。それを全校生徒の人気投票にかける。ひとつは写真として完成度の高いものを選んで、もうひとつは写真に写っている人間の人気投票みたいなもの」
 海斗くんが詳しく教えてくれたけれど、人気投票って何……?
 説明のすべてを呑み込めずにいると、桃華さんが補足説明をしてくれた。
「それで選ばれた男子は王子って呼ばれるし、女子は姫って呼ばれるわ。ふたりは文化祭や体育祭で、その年毎に決まった催しをすることになっているの。たとえば劇の主演とか写真撮影会とか。ほかには校内デート権のくじ引きとかもあったわね」
 劇の主演!? 写真撮影会っ!? 校内デート権っ!?
 なんか想像したくもないイベントだ。でも、私が人気投票で一番になるなんてあり得ない。
 そう思えば、そこまで焦る必要はない気がした。なのに、
「司にでも言って手を回したいところだけど、そこは難しいかなぁ……」
 蒼兄が思案顔で口にする。
「蒼兄、心配する必要なんて――」
「ない」と言おうとしたら、桃華さんに遮られた。
「あら、もう最低限の手は打ってきましたけど?」
 桃華さんが満面の笑みで蒼兄を見上げる。
「え?」
 蒼兄が桃華さんの顔をまじまじと見つめると、余裕たっぷりの笑みが返された。
「クラス委員の特権と申しましょうか――全学年全クラスのクラス委員を味方につけたので、全校生徒のデジカメの中身の検分くらいなんてことありません。それはもう、きれいにスマホの中までチェック済みです」
 言いながら、品良くにっこりと微笑んだ。
「あぁ……確かに、それだけの働きはしたな。俺、初めて買収っていう取引を目の当たりにしたわ」
 佐野くんは桃華さんから目を逸らし、そんな言葉を漏らす。
 いったい桃華さんは何をしたのだろう。
「翠葉、安心して? そんな極悪なことはしてないから。集計作業を少し引き受ける代わりに、クラスメイトのデジカメ画像の検分をお願いしただけ。ついでに、念書の回収もね」
 ……労働力を提供する代わりにこれをやってください、って立派な買収じゃ……。
「画像の処分はさせていないし、校内コンテストの制限もかけてはいない。でも、二次配布等の悪用はしないって念書、今日だけでも半数は回収済みよ。がんばったでしょう?」
 桃華さんはあくまでもかわいらしく笑う。
 佐野くんがスポーツバッグからバサ、と紙の束を出し、
「念書、現物っす」
 と蒼兄に見せる。
「念書は集まりしだい生徒会に一任されるので、何か違反があれば、すぐに停学申請されます」
 佐野くんが付け足すと、
「簾条さん……君だけは敵に回したくないと、今切に思った」
 珍しく、蒼兄の笑顔が固まる。
 いや、誰もが唖然とすることをサラ、とやってのけたというのが正しいのだと思う。
「あらやだ……。蒼樹さんと結託することはあっても、敵になる予定はないんですけど?」
 桃華さんは「心外だわ」と言った顔をする。
「ただ、写真部だけは正式に動いている部なので、あそこだけは私ではどうにもできませんけど……」
「あぁ……でも、今の写真部を仕切ってるのって現生徒会長でしょう? それなら下手なことする人間はいないんじゃないかな」
 気づけば蒼兄に笑顔が戻っていた。
 図書室で会ったとき、ふたりが「気が合いそう」と言った意味が少しわかった気がする。
 それに、桃華さんは学年の女帝でおさまる器ではない気がしてきた。将来の夢に、「世界征服」を掲げていても納得できてしまうかも……。
 とはいえ、これだけのことをしなくちゃいけない状況って、どんな状況……?
 校内写真コンテストというものの規模がわからないだけに、いまいちピンとはこないけれど……。それもそのうちわかるのかな……。
 私は不安を拭うことができないうちに、みんなと別れた。



Update:2009/05/22  改稿:2020/01/31



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