光のもとでT

第二章 兄妹



第二章 兄妹 17話


 湊先生は白衣のポケットからスマホを取り出すと、どこかへ電話をつなぐ。
「バングル装着完了。起動して」
 それだけ伝えて通話を切ると、タブレットの電源を入れ、私の枕元にあるモニター類と照らし合わせ始めた。
「問題なく情報がここに届いてる」
 見せられたタブレットには、私の脈拍数と体温、血圧数値が表示されていた。
 脈拍に関しては、数字の隣でハートマークがぴょんぴょんと跳ねている。
「かわいいわね? これきっと、翠葉の脈拍と連動してるのよ」
「はぁ……」
「不整脈が起きればすぐにアラートが鳴る。そうね……言うなれば、ここにあるモニター類が小型軽量化されて、遠隔でモニタリングできる装置って感じかしら」
 そんな説明に加えて、
「あとひとつ。これを着けたことによる翠葉の利点」
 私の、利点……?
「やりたいこと、何をしてもいいわよ。ひとりでの行動も制限なし」
「え……?」
 それはどういうこと?
「さすがに運動は許可できない。でも、やりたいことがあるならやってみればいい」
「意味が、わかりません……」
「何かやりたいことはないの?」
「学校に通う、とか?」
「ほかには?」
「電車通学してみる、とか?」
 真面目に答えたのに、先生は不服そうな顔をする。
「本当に普通のことね? ま、いいんじゃない? 電車通学だってしてみればいい。ただ、そのあと授業に出なくちゃいけないんだから、自分の体力がもつと思うのならやってみなさい。試しにやってみて断念することだってできる。倒れたら私がなんとかする。緊急時には消防署に通報だってできるのよ。……やっぱりこれ、ものすごく画期的なアイテムじゃない?」
 まじまじとタブレットを見てはバングルと交互に見合わせる。
「どう? 意外と怖いもの知らずになったんじゃない?」
 意味深な笑みを向けられ少し考える。
「本当に……やりたいこと、やってもいいんですか?」
「いいって言ってるでしょ? 諦められずにいることや納得できていないこと。無理に妥協しようとするからつらくなるのよ。それならやってみればいい。そしたら頭と身体の両方で理解できるでしょ?」
 頭と身体の両方で理解する……?
「最初に言っておくけど、これをつけたからといってスーパーマンになれるわけじゃない。ただ、最悪の状況は回避できる。それだけ。でも、自分の限界を知ることはできると思うの。無理をすれば間違いなく身体に響く。けど、どこまでやって良くてどこからがだめなのか――そんなこと、医者でもわからないわ。それを身をもって体験してらっしゃいってとこ。これをつけている間は怖がらなくていい。何が起きても絶対に助けるから。約束する」
 真っ直ぐで、力強い眼差しと言葉。
「リミッターが外れたみたい……」
 思わず零れた言葉に、
「そうね……この装置がなければリミッターが外れていいことなんてひとつもないけれど……。少し羽を伸ばしなさい。そして自分を知りなさい。自分を受け入れるためにはまず自分を知らないと」
 自分の身体を知る。自分の限界を知る。そのうえで、自分の身体を受け入れられるか……。
 まだわからない。でも、やってみなくちゃわからないことはたくさんある。
「翠葉。While there is life,there is hope.よ」
 発音のきれいな英語だった。
「ちょっと、聞いてる?」
「あ、ごめんなさい。私、英語苦手で」
 言うと、先生はさっきよりもゆっくりと話してくれた。
「While there is life,there is hope.命ある限り希望あり」
 自信に満ちた顔で言われ、その顔がとっても格好良くて、思わず頬に熱を持つ。
「くっ……。あんた、本当にこの顔に弱いのね?」
 言いながら先生は笑う。
「あともうひとつ。こんな言葉もあるわ。To know the worst is good.」
「……最悪を知るのはいい、こと……?」
「そう。でも、翠葉にぴったりというのならこっちかしら? You never know what you can do till you try.」
「えっ、ちょっと待ってくださいっ」
 頭の中で単語を並べて英文にする。
「あなたはわかることができない……till you try……試してみるまで――」
「だいたいあってるわ。できるかどうかなんてやってみないと分かりはしないって意味よ」
 あ、そうか……。
 納得しつつ、まだ着け慣れないバングルに意識を戻す。
「先生?」
「何?」
「この装置の話、誰が話すってどうやって決めたんですか?」
 ふと疑問に思ったことを訊く。
 きっと、蒼兄や両親に勧められたとしても、私は絶対に着けなかっただろう。
 紫先生であったとしても、「強制的に」と言われなければ拒絶したと思う。
 ただひとり、湊先生だから受け入れることができたのだ。
「私が買って出た。……というか、これを秋斗のところから持ってきちゃったのは私なのよ。それと、翠葉のメインドクターになったから。だから私が話したまで」
 先生はなんてことないわ、といった顔で話す。
「先生、ありがとうございます」
「何よ、急に……」
 眉間にしわを寄せたけど、すぐにそのしわは取れる。
「少し休みなさい。夕方にまた来るわ」
 そう言って先生は病室を出ていった。

 左腕に装着されたバングルを見る。
 普段アクセサリーなんてほとんどつけることがないため、なんだか違和感がある。
 でも、本当はアクセサリーじゃないのにアクセサリーに見えるところが嬉しい。
 アクセサリーといえば中学生のころ、ガラスでできた指輪を蒼兄にもらったことがある。
 お気に入りで、家にいるときはずっとはめていたけれど、階段から落ちた拍子に割れてしまったのだ。とても悲しかった出来事。
 身体のあちこちに痣ができたことよりも、指輪が割れてしまったことのほうが悲しかった。
 泣きながら蒼兄に話すと、こんなふうに言われた。
「それはお守りだったんだよ。だから、翠葉が打ち身で済んだのは指輪のおかげ。立派に役目を果たしたんだよ」
 と。
 蒼兄の優しい声音で言われて、「そうなんだ……」と私は納得した。
 今思えば、あれも蒼兄の優しさだった。
 改めてバングルを見る。
 これはガラスの指輪ほど脆くはないだろう。
 思いながら、指で少しつついてみる。
 指先にカツカツと当たるそれはびくともしなかった。
 今一度、蒼兄の言葉を思い出す。
 このバングルは監視のアイテムじゃない。私を守るためのお守り。
 このバングルひとつで蒼兄やお父さん、お母さんの負担が少しでも軽くなるのならなんてことはない。ただのバングルにすぎない。
 それなのに、私はひとりでの行動も許可されてしまった。
 まだ何をしたいとか具体的なものは思いつかないけれど――
「何があるかな……」
 家族と行動することが当たり前になりすぎていて、簡単には出てきそうにもない。
 ひとりでショッピングとか……? ひとりで心行くまで森林浴とか……?
 あ、一度でいいから電車通学をしてみたい。
 ……でも、私には体力がない。
 片道一時間もかかる電車通学。満員電車に三十分も揺られるのだとして、私は三十分も立っていられるだろうか……。十五分もバスで立っていられるだろうか。
 家を早くに出て空いている時間に行くのが最低条件な気がする。
 しかし、そんなに朝早くから行動して午後の授業まで体力が持つのか……。
 やっぱり「無理なのでは?」という答えが脳裏をちらつく。
 けれども、帰りだったらどうだろう?
 授業が終わって体力的にも余裕がある日なら……。
 今日なら、と思える日があったら決行してみよう。
「あとは何があるかな?」
 今までやりたいことはたくさんあったはずなのに、いざ考えてみるとなかなか思い浮かばない。
「あ……」
 次に秋斗さんに会ったらお礼を言わなくちゃ……。お礼を言うくらいじゃ足りないかな?
 蒼兄は今、どうしているだろう。
 さっきの気まずい空気から、互いが逃げるようにして別れてしまった。
 次に会ったときは普通にできるかな……。
 蒼兄の顔が、笑顔が見たい……。
 蒼兄、私は蒼兄が大好きで、いつも後ろをついて回っていたけれど、これからは少し離れることにする。だから、もっと自分の時間を大切にしてね。
 お父さんお母さん、いつも心配をかけてごめんなさい。でも、これからはもっと自粛するから。心配かけないで済むように自粛するから、大好きな仕事を目一杯がんばってね。そして、できた建物を私に見せてね。
 私は普通の妹にも娘にもなれなかもしれない。でも、自分らしく生きられる方法を探すから。
 まだ、自分の気持ちも自分の身体のこともうまく消化できない。
 でも、それから逃げるのではなくて、無暗に妥協するのでもなくて、ちゃんと向き合って闘ってみるから。だから、もうしばらく見守っていてください。
 きっと答えを見つけて、今よりも強くなるから――



Update:2009/06/01  改稿:2020/02/03



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