光のもとでT

第三章 恋の入り口



第三章 恋の入り口 11話


 お風呂上り、時計を気にしながら今日教えてもらった英語の問題集を復習していた。
 司先輩と里見先輩に教えてもらわなかったら、今日中には終わらなかったであろう問題集。
「文法、かぁ……」
 司先輩にくどいくらい注意されたけど、文法と例文の両方を丸暗記しようとしている自分がいる。
 こんなことをしていては、「意味がない」と司先輩に言われてしまうだろう。
「でも、どうしても脳が拒否をするんです……」
 問題集を前に、司先輩に言い訳している自分が少しおかしかった。
 秋斗さんから連絡があったのは十一時を回ったころ。
 先に短いメールが届いた。
 内容は、私が起きているかどうかを確認するもので、起きている旨を返信すると、カーペンターズの「Close to you」が流れだす。
 それは洋楽で一番好きな曲。
 オルゴールの音色で奏でられるそれに聞き入ってしまい、はっとして慌てて電話に出る。
「はいっ」
『遅くなってごめんね』
「いえ」
『なんか笑ってる?』
「着信音に大好きな曲が流れて」
『知ってる。設定したのは僕だからね』
 と、秋斗さんも笑った。
「秋斗さんは今、お仕事を終えられたんですか?」
『そう。頭の固い年寄り相手の会議は疲れるよー……。ところで、翠葉ちゃんの体調は?』
「大丈夫です」
『じゃ、明日は少し早くても平気かな?』
「でも、それじゃ秋斗さんがつらくないですか? 片道二時間もかかるのでしょう?」
『大丈夫。明日、朝八時には迎えに行くね。少し肌寒いかもしれないから、長袖も用意しておいて』
 それだけを話して通話を切った。
 明日は生地をたっぷりと使ったフレアのロングスカートで行く予定。
 淡いブルーの薄いデニム生地で、裾に白い糸で刺繍が施してある。
 トップスは白いキャミソールの上に、七部袖のシャツを羽織る予定だった。
「肌寒いってどのくらいだろう……? 上にもう一枚あれば大丈夫かな?」
 クローゼットを開けるとベージュのパーカが目に入り、それを手に取った。
「これで大丈夫かな?」
 明日着る洋服をソファにかけると、ベッドに入って基礎体温計のアラームをセットする。
 八時に迎えに来てくれるのなら、六時半くらいに起きればいい。
 どこへ行くのかわからないお出かけは、ちょっとドキドキする。
「今日、眠れるかな?」
 遠足の前や運動会の前、何かあるときは緊張して眠れないことが多い。
 でも、そんな心配をする必要はなかったみたい。
 ミルクカモミールティーを飲むとすぐに眠気が襲ってきて、あっという間に眠りに着いた。
 どうか、明日がお天気でありますように――


 翌朝、太陽の光で目を覚ます。
 学校に行く日は六時に起きるから、身体がそれに慣れてしまったのかもしれない。
 もう一度眠る気にはなれなくて、基礎体温を計ってから支度を始めた。
 洋服に着替え終えると、栞さんがやってきた。
 今日は日曜日なので遅めの出勤。
「あら? 翠葉ちゃん、かわいい格好してるわね? どこか行くの?」
「今日は秋斗さんが森林浴に連れて行ってくれるんです」
「あら、デート?」
「うーん……。デート、ではないかも? スマホに無断でGPSを仕込んだお詫びって言われました」
「そんなの建前よ。蒼くんは知ってるの?」
「はい。先日話したので」
「どんな顔してた?」
「え……? どんな……?」
 訊かれて少し考える。
「えーと……秋斗さんなら安心って言ったあとに、なんだか複雑そうな顔をしてました」
 そんな会話をしていると、シャワーを浴びていた蒼兄が洗面所から出てきた。私の姿を視界に認めるなり、
「そんなかわいい格好して……お兄さんは心配だ」
 ブツブツ呟きながら二階へと上がっていく。
 思わず栞さんと顔を見合わせる。
「あれ、なんでしょう?」
「きっと、娘を嫁に出す心境なんじゃないかしら?」
「そんな……。ただ森林浴に行くだけなのに」
「それでも複雑なんでしょう? だって蒼くんったら、病的にシスコンだもの」
 七時過ぎに朝食を摂り、食べ終わってからは荷物を再確認。
 デジタル一眼レフ、メモリカード、替えのバッテリー。それから三脚、ピルケース、お財布、スマホ、パーカ、ティッシュ、ハンカチ、タオル、日焼け止め、小型ハープ。あとは布張りのトラベルラグ。
 それらをじっと眺め、もっとコンパクトにまとめられないかと悩んでいたら、インターホンが鳴った。
「翠葉ちゃーん、秋斗くん来たわよー」
 玄関から栞さんの声がかかり、急いで部屋から荷物を運び出す。
 部屋の外には蒼兄がいて、荷物の半分を引き受けてくれた。
 玄関へ行くと、
「秋斗先輩、翠葉にだけは手ぇ出さないでくださいね」
 蒼兄は真面目な顔で牽制する。
 や……蒼兄、そこは「今日は妹をよろしくお願いします」じゃないのかな……。
 秋斗さんは秋斗さんで、
「きっと大丈夫」
 いつもと変わらない爽やかな笑顔で答えた。

 予定どおり、八時に家を出発。
 車が走り出すと、家の近くにあるインターから高速道路に乗った。
「ここら辺はいいよね。緑も多いし大きな公園もある。高速道路に乗るのも国道に出てすぐだし」
「そうですね。でも、私に関係あるのは緑が多いことと、公園があることくらいです」
「まぁ、そうだね。車の運転はしないもんね」
 笑う秋斗さんを見て、いつもと格好が違うと思った。
 学校ではチノパンにシャツを着ていて、いつもその上に白衣を羽織っている。
 今日はカジュアルなスーツのセットアップ。素材は麻かな? ベージュのジャケットの中には、薄いグレーのシャツ。ネクタイは締めていないけど、カジュアルすぎず堅すぎず、の格好。
 車に乗るときにジャケットは脱いで、後部座席に置いた。そして今は、少し暑いのか長袖のシャツを肘の辺りまで捲り上げている。
 秋斗さんのイメージはオフホワイト。対して、司先輩は黒とか濃紺。
 あれ……? なんだかダークな印象?
 少し考え直し、秋斗さんがオフホワイトならば、司先輩はクリアな白だな、と思った。こぉ、漂白剤できっちり除菌もされている感じの白。そんな感じ……。
 秋斗さんの観察を続行すると、普段は見慣れないものが目に飛び込んでくる。それはクロスモチーフの少し変わったシルバーアクセサリー。
 秋斗さんが学校でアクセサリーをつけているところは見たことがない。けれど、プライベートではアクセサリーをつける人なのかもしれない。
 あくまでもさりげなく、といったふう。そして、薄茶のサングラスをかけているから、いつもと印象が違って見えた。
 蒼兄も私も、普段はほとんどアクセサリーをつけない。その代わり、蒼兄は腕時計が大好きで、いくつかの時計をその日の気分で使い分けている。
 私は腕時計よりも懐中時計が好きで、今までに二度、蒼兄と両親から誕生日プレゼントでもらったことがある。
 私が好きだから、ということもあってアンティーク調のもの。
 今日は懐中時計がペンダントトップになっているネックレスを首からぶら下げている。
 その時計を手に取り眺める。
 時間が気になるのではなく、その時計が見たくなって手に取っただけ。
「懐中時計?」
 秋斗さんにたずねられ、
「はい。蒼兄から誕生日プレゼントにもらったものなんです」
「翠葉ちゃんはアンティーク小物が好きだもんね」
 記憶を掘り返してみても、秋斗さんとはまだそんな会話をした覚えはない。そこからすると、これも蒼兄情報なのだろう。
「今日はまたかわいい格好をしているね」
 改めて言われると、なんだかとても恥ずかしい。
「普段、パンツはあまりはかなくて……。どうしようか悩んだんですけど、結局スカートにしちゃいました」
「うん、よく似合ってるよ。翠葉ちゃんはスカートとかワンピースってイメージだよね」
 秋斗さんの中では、私はそんなイメージなんだ……。私の中の秋斗さんは、どんなイメージだろう?
 再び秋斗さんに視線を戻し、観察をしていると、
「どうかした?」
「いえ……ただ、サングラスしていると雰囲気が変わるな、と思って……。それに今日は白衣じゃないし……」
 もごもごと答えると、
「惚れてもいいよ」
 にっこりと笑われた。
 あまりにもいつもと調子が変わらないものだから、自分もいつもどおりを心がける。
「秋斗さんを好きになったら色々と大変そうだから遠慮します」
「その意図は?」
「まず第一に、競争率が高そう。それに、女の子に対しては誰にでも優しいから、ヤキモキしちゃいそう。でも……どうなんでしょうね? 人を好きになるのって想像ができなくて……。実際はどうなんだろう」
 外の景色を楽しみながら、恋がどんなものかと思いを馳せる。
 少ししてから秋斗さんに視線を戻すと、秋斗さんは苦笑いを浮かべていた。
「……どうかしましたか?」
 サングラスはそんなに色が濃くないので、じっと覗き見るとちゃんと目が見える。
「先日聞いてはいたけれど、やっぱり驚きが隠せなくてですね……。こんな天然記念物がいたのかと……」
「うわ……またその話ですか?」
「そりゃ、衝撃的でしたから?」
 秋斗さんはクスクスと笑う。
 仕方ないじゃない……。本当にまだなんだもの……。
 初恋――私にはいつ訪れるんだろう。
「じゃあさ、今日は翠葉ちゃんにとって初めてのデートだったりする?」
「……デート。これ、デートなんですか?」
「少なくとも僕はそのつもり」
「……蒼兄以外の人とお出かけするのは初めてです」
「そこでデートとは言ってくれないんだ?」
 どこか意地悪な響きがした。
「……『初デート』は、好きな人ができるまで取っておくことはできますか?」
 訊くと、やっぱり笑われてしまう。
「夢は大切だしね。じゃ、そういうことにしておこう」

 日曜日の朝八時台だというのに、道はさほど混んでいない。
 平均して一〇〇キロで走れているのだからいいほうだろう。
 いったいどこまで行くのか……。
 あと少しで隣の県をまたいでしまうところまで来ている。
 一時間ちょっと走ると少し大きめのサービスエリアに入った。
 車の外で身体を伸ばす秋斗さんにカメラを向け、すかさずシャッターを切ると、
「あ、撮られた。僕もあとで撮らせてもらうよ?」
 秋斗さんは胸ポケットからスマホを取り出して見せる。
「だめですっ。私、レンズ向けられると固まっちゃうので」
 言って背を向けると、
「そうなの? でも、それはフェアじゃないからだめ。固まろうと何しようと撮るよ」
「困ったな……。あっ――秋斗さん疲れてないです? 昨夜は遅かったし、今朝は早くに迎えに来ていただいたし……」
 昨日、あの時間に会議が終わったのだとしたら、寝たのは十二時を回っていたのではないだろうか。
 秋斗さんのマンションからうちまで三十分はかかる。ということは、六時過ぎには起きているのだろうし……。睡眠時間は五時間くらい?
「大丈夫だよ。ひどいときは徹夜で次の日も仕事だったりするし。それに、今日は癒しアイテムが一緒だからね」
 と、頭に手を乗せられた。
 私は急に恥ずかしくなってそっぽを向く。そして、
「今日、その笑顔使ったら反則と見なしますからねっ」
 必死に照れ隠しをしていると、いつものようにおかしそうにクスクスと笑われた。

 さっきから、通り過ぎていく女の人が秋斗さんを振り返る。きっと、誰が見ても格好いいと思うのだろう。
 そう思いながら、もう一度秋斗さんに視線を向けると、まだこちらを見て笑っていた。
「何かな?」
 にこりと笑みを向けられ、
「……秋斗さんが格好いいから、さっきから女の人の視線が痛いです」
「それは僕も同じなんだけど……」
 それはつまり、自分を見ている人の視線が痛いということだろう。
 それ、自業自得だと思いますよ?
 そんな思いを込め、視線を返した。



Update:2006/15  改稿:2020/05/26



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