光のもとでT

第三章 恋の入り口



第三章 恋の入り口 13話


 チャペルの脇から伸びる小道は、林の中へと続いていた。
 十分ほど歩くと道という道は途切れ、木の根がゴツゴツとする場所を歩き始める。
 足元には草花も生えてはいるけれど、鬱蒼としているわけではない。
 立ち並ぶ木々の樹齢はそこそこ。足場の悪い場所を抜けると、少し広けたところへ出た。
 原っぱから空を見上げると、枝葉の合間から見える青空が眩しい。
「ここでどうかな?」
 秋斗さんが振り返り、
「はい!」
「本当に森林浴が好きなんだね」
「それはもう!」
「少し早いけどお昼にしようか」
 言われて元気よく頷いた。
 タータンチェックのトラベルラグを敷き、その上にお弁当を広げる。
 紙袋の中にはサンドイッチとサラダマリネが入っていた。
 飲み物はコーヒーとハーブティー。当然、秋斗さんがコーヒーで私がハーブティー。
「これ、秋斗さんのセレクトですか?」
「そう。おいしいよ?」
 サンドイッチを勧められて手に取ろうとしたら、指先に触れたパンが柔らかくてびっくりする。
 パンが潰れないように気をつけて手にすると、しっとりとしたパンに揚げたてのカツが挟まれていた。
 サンドイッチを一口食べると、カツの衣がサクッ、と音を立てる。
 パンはしっとりふわふわで、カツは肉汁がじんわりと染み出してくる。
 とてもおいしくて、早くそれを伝えたくて、慌てて口の中のものを飲み込んだ。
「すごくおいしいで――」
 秋斗さんを見るとスマホを構えていて、カシャ、とシャッターを切る音がした。
「本当だ。レンズ向けると固まるね?」
「……だからだめですって言ったのにっ!」
 秋斗さんはクスクスと笑いながら、
「わかったわかった。とりあえずはこれをおいしくいただこう?」
「……はい」
 サンドイッチを咀嚼していると、「楽しい?」と訊かれた。
「おいしい?」ではなく、「楽しい?」。
 今は「おいしい」の気持ちが勝ってはいるけれど、楽しいか楽しくないかと言われたら、間違いなく――
「楽しいです!」
「よかった」
 秋斗さんは柔らかな笑顔でふわりと笑んだ。

 食後、お茶を飲んで少し休むと、写真を撮りに行くことにした。
「私、熱中してしまうと時間を忘れてしまうので……。いい加減にしろ、と思ったら声をかけてくださいね?」
「了解。僕はここで寝てるから、好きなだけ撮ってくるといい」
「はい!」
 ここに着いたときは少し肌寒かったのに、お昼ご飯を食べ終わると程よくあたたかくなってきて、パーカはいらないくらいだった。
 山腹ということもあるのか、自分たちが住んでいるところとは気温が異なる。きっと、地元はもっと暑いはず。
 辺りを見回してみても木陰が多い。それでも、日焼け止めを塗っておくにこしたことはないだろう。
 バッグの底の方から日焼け止めを取り出すと、目を閉じていた秋斗さんがこちらを見る。
「すみません。これを塗ったらすぐにいなくなるので、ゆっくり休んでくださいね」
「日焼け止め?」
「はい。さすがに赤くなって痛い思いはしたくないので……」
「あぁ、赤くなっちゃうタイプなんだね」
 首筋に塗るのに髪の毛を左サイドへ流していると、
「持ってるよ」
 親切に、秋斗さんが髪の毛を引き受けてくれた。
 今度からはゴムもセットで持ってこよう……。
「きれいな髪の毛だね」
 秋斗さんは髪に手櫛を通し始める。声が妙に耳に近かったのと、秋斗さんの手が首筋に触れたことにドキッとした。
 何もなかった何もなかった――
 呪文のように頭の中で唱え、手早く日焼け止めを塗る。すると、後ろからくつくつと笑い声が聞こえてきた。
「相変わらずだね」
 それはどういう意味だろう……。
 恐る恐る振り返ると、
「顔も耳も、首筋まで真っ赤だよ」
 笑が止まらないふうの秋斗さんが恨めしい。
「……秋斗さん、意地悪ですっ」
 私はむくれてその場をあとにした。

 平坦ではない足元に注意しながら歩く。
 佐野くんも海斗くんも、秋斗さんみたいにからかうようなことはしない。むしろ、私が苦手とすることは避けて接してくれる。
 だから一緒にいるのがとても楽なのだけど、秋斗さんと司先輩においては面白がっている節があって、私の反応を見て楽しんでいるからひどい……。
 でも、悪意ある意地悪ではないから、早いところ慣れてさらりとかわせるようになりたいとも思う。
 そんなことを考えていると、視界の隅に優しい紫色が飛び込んできた。
 小さくてかわいいお花……。
 スミレのような紫色をしているけれど、スミレではない。でも、藤色がきれいな可憐な花だった。
 私はその場に座り込み、カメラの設定を始める。
 露出を変えたりシャッタースピードを変えたりアングルを変えたり……。
 一枚の写真を撮るのに多いときは三十枚以上撮ることもある。
 いかに自分が見たものをそのままに表現できるか。感じたものをそのままに撮ることができるか。
 私の写真はそういうものだと思う。
 さっき秋斗さんが言ってくれたこと。
「そんなふうに見たことがなかった」と、見てくれた人がそう思う世界を遺していきたい。
 私の目に映る世界を、知ってほしい……。
 写真を撮るのは好きだけど、私が人を撮ることはない。
 人を撮るのは苦手なのだ。
 なぜかと言うならば、その人を深く深く知りたくなるから。
 人が見せる表情は、計り知れない力を持っている。
 そこに魅力を感じるからこそ、人の写真ばかりを撮り続ける人がいるのだろう。
 けれども私は、それが怖いと思う。
 自分の心に大きな闇があるように、もし、人の中のそれを見てしまったらどうしようか、と不安に駆られる。
 もしかしたら別にどうもしないのかもしれない。でも、それを見てしまったら、それまでどおりに接することができるのかな、と考えてしまう。
 だから、自分を撮られるのも苦手……。レンズ越しに、自分の心の奥底まで見られてしまう気がするから――
 加納先輩は人を撮るのが好きだと言っていた。
 見せてもらった写真は躍動感に溢れた写真が多く、被写体の魅力を最大限に映しこみ、その場の空気まで写真の中に閉じ込めてあるような――「一瞬」を写真に留めることのできる人だと思った。
 そして、加納先輩の撮る写真だけはいいな、と思える。
 ボールを追う人の真剣な眼差しと鍛えられた筋肉。汗の一粒一粒が、まるで今にも動き出しそうな迫力で写真に収まっているのだ。ほか、クラスメイトたちがふざけている写真は、声が聞こえてくるんじゃないかとすら思った。
 どうしたらあんな写真が撮れるんだろう……。
 ふと空を見上げると、生い茂る新緑の葉脈がきれいに見えた。
「ズームをきかせたら、葉脈まで写せるかな……」
 三脚を一脚のように使い、カメラを真上に向けてアングルの確認に入る。
 どの葉っぱを撮ろうかな。どの子が一番きれいだろう。
 木にぴたりとくっつき、空へと伸びる木をフレームに収める。
 それはまるで、木の幹が空に伸びる道のよう。
 少し露出を上げると、より葉っぱが明るく写り、空が白っぽくきらりと光った。
 ホワイトバランスを変えて赤味がかったものにしてみたり、青味がかったものにしてみたり。色々設定を変えて楽しむ。
 そうこうしていると、あっという間に二時間半が過ぎていた。
「一度秋斗さんのところへ戻ろう……」
 履き慣れたサンダルで来たけれど、途中から煩わしくなって脱いでしまった。
 今は足裏に感じる草の冷たさが心地いい。
 木陰から、少し広くなっている原っぱを覗いてみると、秋斗さんはラグの上で寝ていた。
 足音を立てないように近寄り、秋斗さんの顔を覗き見る。
「ぐっすり……」
 熟睡してるのかな?
 やっぱり、疲れていたんじゃないかな……。
 そんなことを思いながら、彫りが深く整った顔を見ていた。
 普段屋内で仕事をしているからか、蒼兄よりも色が白い。
 光のもとではただでさえ茶色い髪の毛が、もっと明るく見えた。
 きれい――
 人を撮るのは苦手だけど、これはそそられる……。
 電子音をオフにして、カメラをかまえる。ローアングルでかまえ、顔全体は映らないように……。
 撮りたかったものは、光に透ける褐色の髪と、白人寄りの色素の薄い滑らかな肌。
 緊張しながらシャッターを押すと、一発で思ったとおりの写真を撮ることができた。
 満足心に思わず頬が緩む。
 写真はここまで。
 私はカメラを置いて、秋斗さんの寝顔を眺めていた。
 本当にきれいな顔。男の人なのにお肌すべすべで、つい触れたくなってしまう。
 このまま見ていたら手を伸ばしてしまいそうなので、名残惜しくも視線を引き剥がした。

 ハープを取り出し軽く調弦を済ませると、優しく爪弾き、小さな音で即興演奏をいくつかした。
 メモ帳サイズの五線譜を持ってきていたので、それにモチーフだけを書き留めていく。
 隣でハープを弾いていても秋斗さんは起きない。
 その気持ち良さそうな寝顔が羨ましくなり、私も横になってみようと思う。
 ゴロンと寝転がると、空にはきれいな新緑のカーテンが広がり、まるでお姫様のベッドの天蓋のよう。
 頭の上に置いてあったカメラでそれを写す。
 本当にきれい――
 また、来たいな……。
 そう思いながら空を見ていたら、いつしか眠りに落ちていた。



Update:2009/06/15  改稿:2020/05/26



 ↓↓↓楽しんでいただけましたらポチっとお願いします↓↓↓


ネット小説ランキング   恋愛遊牧民R+      


ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。


↓コメント書けます↓



Page Top