光のもとでT

第三章 恋の入り口



第三章 恋の入り口 24話


 昨夜は十一時半から十二時半まで勉強をすると、疲れて眠ってしまった。
 一時まではがんばろうと思っていたのだけど、さすがに無理だった。
 今は理系の問題を片っ端から確認するように解いている。けれどもとくに問題なくきているので、そろそろ苦手科目へシフトする頃合いだ。
「気をつけていってらっしゃい」
 栞さんに見送られ、いつもとは違うドアから外へ出た。
 何せ、学校の私道入り口まで徒歩五分という立地条件のため、朝起きるのも、家を出るのもゆっくり。今日はいつもより一時間遅い七時に起きて、八時に家を出た。
 いつもなら家を出る時間に支度をしているのは違和感があって、少し落ち着かなかった。
 教室に入ると、いつものメンバーがすでに集まっていて、
「教室に翠葉がいないから、休みかと思ったー」
 飛鳥ちゃんに抱きつかれ、
「あのね、栞さんってうちにお手伝いに来てくれている人のこと、覚えてる?」
 四人はそれぞれコクリと頷いた。
「実は、昨夜からテストが終わるまで、しばらくお泊りさせてもらうことになったの」
「えっ、じゃあ何っ!? 昨日って実は秋兄の隣の家にいたってこと?」
「そうなの」
「なんだぁ……。俺、数学訊きに行けばよかった」
「え? だって、海斗くんは司先輩に教えてもらっているのでしょう?」
「だからだよっ! あんなおっかないやつより翠葉に教えてもらったほうがいいに決まってるじゃんっ」
 海斗くんはまるで駄々っ子のように喚く。
 いったいどれほど恐ろしい指導を受けているのだろう……。
「今日の夕飯のとき、わからないものがあったら教えるよ? 私、今日から文系漬けだから」
「マジで? 助かる!」
 会話が進む中、
「翠葉……もしかして、理系科目の勉強、全部終わったの?」
 後ろの席の桃華さんが、覗き込むようにして私を見ていた。
「うん、昨夜で粗方ね。あとは文系に全力注がないと、それこそ目も当てられない結果になっちゃう」
「羨ましいわね。私の頭と翠葉の頭、足して割るとちょうどいいと思うのだけど……」
 言いながら、桃華さんは手元の問題集を解いている。
 こんなふうにみんなで集まっていても、いつもと違うのは各々の手に参考書があったり単語帳があったり問題集があること。
 ホームルーム前の雑談タイムも、片手には勉強という姿勢が抜けなくなるのだ。
 授業はというと、授業の進行に余裕のある先生は、テスト前だから、と授業の半分を自習時間にしてくれたりする。
 その間は、各自好きな科目を勉強したり、わからない場所を教えあったり、という感じ。
 勉強をするという姿勢を、茶化したりする人はひとりもいない。
 中学のときは、勉強をしないことがまるで格好いいことのように、勉強している人がからかいの対象になっていた。今思えば、やっぱりあの学校がおかしかったのかもしれない。
 真剣に、何かに取り組む人のことを囃し立てる人が必ず存在した。だから、どんな行事も基本的にはちゃらんぽらんで、中身の薄いものになる。
 球技大会や体育祭、文化祭――どれをとっても同じ。先日球技大会のように、白熱することはなかった。どこか投げやり――いつでもそんな感じだった。
 それに比べ、この学校の生徒は勉強も部活もイベント事にも全力で取り組む。その姿勢がすてきだと思うし、格好いいとも思う。
 やっぱり、何事にも真剣に取り組む姿勢は見ていて気持ちがいい。
 この高校に入学してから、人の内面にたくさん触れているような気がする。見てくれの格好良さや美しさではなく、内面の格好良さ、誠実さ。
 人の価値はそこで決まるのではないだろうか、と思うほどに。

 授業が終わると海斗くんに声をかけられた。
「栞ちゃんちに帰るなら一緒に帰ろうよ」
「うん」
 海斗くんは藤山にあるおうちに帰るときは、大学を抜けて私有地を通って帰るらしい。テスト期間は秋斗さんのおうちに泊るため、高校門から出る。
 私と海斗くんは学園の私道を出て右。飛鳥ちゃんと佐野くん、桃華さんは左。
 私たちが坂を上るのに対し、三人は下っていくことになる。
 佐野くんのみ、公道に出て徒歩五分のところにあるバス停からバスで市街へと向かう。
 藤倉の駅でバスを降りたら、駅をまたいだところにある駐輪場に自転車が停めてあり、そこから自転車で三十分ほどかけて帰るらしい。
 飛鳥ちゃんと桃華さんは歩いて二十分ほどのところにおうちがあるそう。表通りにはバスも通っているけれど、たいていは歩いての登下校で、雨の日のみバスに乗るとか乗らないとか……。
 十分自転車圏内だと思うけど、行きは上り坂だからか、自転車という選択肢はあがらなかった。

 朝は下りだったこともあり、傾斜のきつさをさほど感じることもなかったけれど、帰りは違う。坂を上り始めて気づく。意外と傾斜のきつい坂であることに。
 少し歩いただけでも息が上がる状況に驚いていると、
「翠葉、大丈夫か?」
「大丈夫。でも海斗くん、私と一緒だと無駄に時間かかっちゃうから、先に帰っていいよ?」
「そんなの気にしなくていいのに。それに、こんなことで置いていったら栞ちゃんに怒られちゃうよ」
「そうなの……?」
「そうなの。藤宮において、湊ちゃんと栞ちゃんだけは敵にしないって決めてるんだ」
 それはどんな基準だろう。
「湊先生はわからなくもないけれど、栞さんはとても優しいよ?」
 言うと、後ろから違う声が割り込んだ。
「優しいがゆえに、怒らせたら怖い人もいると思うけど?」
 人物確認をするまでもない。この声にこの物言いは、間違いなく司先輩だ。
 私が振り返る前に、司先輩が隣に並んだ。
「翠がここにいるってことは、栞さんのところ?」
「はい。昨夜から」
「このあと、海斗もうちで勉強する予定だから、気が向いたらどうぞ」
「司っ! いいこと言った! 翠葉、歓迎するよっ!」
 海斗くんは乗り気だ。乗り気というよりは、同士を求める眼差しにしか見えない。
「えぇと……じゃ、お邪魔させていただきます」
 司先輩のスパルタを見てみたいような見たくないような……。
 若干複雑な心境。

 栞さんの家に帰ると、とてもいい香りがした。
「翠葉ちゃん、おかえりー! お昼ご飯すぐできるから、制服着替えて手洗いうがい済ませてね」
 キッチンから声が聞こえてきて、私は「はい」と少し大きめの声で返事をした。
 制服を着替え、手洗いうがいを済ませてリビングへ顔を出すと、ダイニングテーブルにはすでにご飯が用意されていた。
 今日のお昼ご飯はシーフードチャーハンとワカメのスープ。
 栞さんの作るシーフードチャーハンは、和風出汁が隠し味になっている。
 中華なのに和風の出汁を使うところがポイントで、どこかほっとする味に仕上がるのだ。
 またいつか、秋斗さんのところでお昼ご飯を作ることがあったら作ってみようかな?
 そういえば……今日は一日秋斗さんに会わなかった。
 今日が木曜日だから、あと一週間近くは会わないことになる。
「ちゃんとご飯食べてるかな……」
「蒼くんのこと?」
「いえ、秋斗さんです。お昼ご飯にコンビニのパンふたつしか食べないんですよ? びっくりしちゃいました」
「あらあら、翠葉ちゃんが蒼くん以外の人のことを考えるだなんて、少しは進歩ありかしら?」
 栞さんにクスクスと笑われる。
 そう言われてみると、あまり考えたことなかったかな、と思い返す。
 お昼を食べ終えると同時に、スマホがメールを受信した。
 差出人は司先輩で、先に始めてるということと、部屋番号のお知らせだった。
 用件だけのメールに、司先輩らしさを感じる。
「栞さん、司先輩と海斗くんのところでお勉強してきます」
「あら、湊の家?」
「はい。帰りに誘われたので」
「そう。いってらっしゃい」

 英語の教科書とノートを持ち、栞さんに見送られて隣の部屋のインターホンを押した。
 すぐにドアが開き、「どうぞ」と先日寝かされていた部屋へ通される。
 そこには、先日はなかったローテーブルが出されていて、すでに海斗くんが教材を広げていた。
 先輩は窓際のデスクで勉強をしているらしい。
「お邪魔します」
 と、海斗くんの向かいに座り、海斗くんの解いている練習問題を覗き見る。
 科目は数学。ぱっと見ただけでも癖のある問題ばかりが並んでいる。
「……意地悪な問題ばかりだね?」
 声をかけると、
「だろ? 出題者の性格が滲み出てるだろ?」
 同意を求められて思う。出題者は司先輩かな、と。
 私はちらりと司先輩を盗み見て、
「……海斗くん、ファイト」
 小さく応援の言葉を口にした。すると、
「なんだったら翠にも作るけど? 英語とか古典とか」
 恐る恐る司先輩に視線を戻すと、デスクチェアーに座っている司先輩がにこりと笑っていた。
「いえ……間に合ってます」
 私は何も聞かなかったことにして、教科書を広げた。
 まずは単語と熟語から。それが終わったら、英文の暗記と訳の暗記――
 口にしては書く。それをひたすら繰り返すのみ。
 最初は単語や熟語だったのが、しだいに英文になるだけ。
 一時半から始め、五時を過ぎるころには粗方覚えることができた。
 これで、英語の試験範囲はカバーできているはず。
 あとは練習問題を解いて、その問題ごと丸暗記。
 ふと顔を上げると、海斗くんと目が合った。
「翠葉ってさ、一度集中すると周りの音も気配も、何も感知しなくなるのな?」
「え? ごめん、話しかけられてた?」
「うん、何度か……。でも、全然気づかないから耳栓でもしてんじゃないかと思った」
「うわぁ……ごめんっ。私、一度集中すると本当にだめみたいで……」
「いや、いいんだけどさ」
 そんな会話をして部屋を見渡すも、司先輩がいない。
「あれ? 司先輩は?」
「見るに見かねてコンビニに行った」
「どういう意味?」
 そんな話をしているところに司先輩が帰ってきて、手に持っている袋から包みを取り出すと、私の前にずいと差し出す。
「……飴?」
「……翠の集中力はすごいけど、糖分摂取もせずに脳を使いすぎると、脳の疲労が取れなくなる」
 言いながら包みを開き、口の中に飴を放り込まれた。
 苺の香りがふわっとして、口の中に甘酸っぱい味が広がる。
 苺ミルク……。
「そんな頭の使い方するから太れないんだ」
 文句を零すと、「これ食べながらやって」と残りの飴を押し付けられた。
 一連の流れを見ていた海斗くんが、「やれやれ」といった顔をする。
「人間ってさ、何に一番糖分を使うかっていったら考えることなんだって。だから、運動してなくても脳を使ってる人は太らないって説がある。実際、医学的根拠もある話らしい。だから、翠葉みたいな勉強の仕方をするなら、甘い飲み物を飲みながらやるとか、何かしら糖分を補給しないと」
「知らなかった……。海斗くん、説明ありがとうね。それから司先輩、飴ありがとうございます」
 司先輩は椅子ごと振り返り、「どういたしまして」と答えるも、私のノートをまじまじと見る。
「その勉強法は間違ってると思う。学内テストを乗り切れても模試には対応できない」
 断言されて、「わかってます」と心の中で答える。
「それにつきましては後日対応策を練る心づもりで……」
 話を終わらせたくてそんなふうに答えると、
「対策なら俺が練ろうか?」
 司先輩の申し出に、一瞬フリーズした自分がいた。
 親切な申し出のはずなのに、一瞬自分が被食者に思えたのだ。
 いや、もしかしたら含むところなんて何もなくて、本当にただ親切で言ってくれてるだけかもしれないし……。
 あれこれ思い直していると、
「司は厳しいけど、教えるのはうまいし的確だよ」
 海斗くんに言われて考え直す。
「お手柔らかにお願いします」
 できるだけ丁寧に頭を下げると、
「了解」
 快く了承してくれたっぽいけれど、どんな顔で口にしたのかまでは、怖くて確認することはできなかった。



Update:2009/06/21  改稿:2020/05/27



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