光のもとで

第04章 恋する気持ち 16話

 落ち着こう――とりあえず、落ち着こう……。
 心の中で必死に言い聞かせる。その成果があってか、少しドキドキが落ち着いた気がした。でも、手に伝う鼓動は若干速め。
「着いたよ」
 右側から声をかけられて起き上がろうとすると、その前にドアが開いた。
「おかえり」
 蒼兄の優しい声が降ってきた。
「ただいま……」
 蒼兄の穏やかな顔を見て少し落ち着く。
「かなりつらそうだな」
「……うん」
 でもね、違うの……。身体がだるいのは変わらない。きっと身体を起こしたらまた気持ち悪くなる。でもね、違うの。初めて感じた気持ちに動揺しているの。
 蒼兄に手を引かれてゆっくりと起き上がる。
 路上から家の玄関までは階段が八段ほど。一段一段の幅は広めに作られている。
 学校の階段と比べたらかわいいものだけれど、車からは蒼兄に抱えられて家へ入った。
 玄関で栞さんが出迎えてくれる。
「おかえりなさい。薬、ちょっときつかったみたいね」
 私は苦笑しか返せなかった。自室に入ると、
「ゆっくりでいいから、手洗いうがいはしっかりすること。着替えが終わったら声かけて」
 蒼兄はドアを閉めて出ていった。
 私はゆっくりと制服を着替え、手洗いとうがいのために簡易キッチンへ向かう。
 こんな体調だからこそ絶対に忘れちゃいけない習慣。

 数日前から家にいるときは半袖を着るようになっていた。
 制服が半袖になるのは来週の火曜日、私の誕生日。
 腕にピタリとはまっているバングルを見るとまた頬が熱くなる。
 どうしよう……これから一緒に夕飯だというのに。――とはいえ、私はダイニングテーブルには着けそうにない。それを思い出したらほっと息をつくことができた。
 恋って、なんだか気持ちが忙しなくなるみたい。心臓は駆け足状態だし、すごくエネルギーを使う気がする……。
 部屋をノックする音が聞こえ、ドアの外から「大丈夫か?」と蒼兄に尋ねられた。
「うん。今行くよ」
 答えると、ドアが開き手を差し伸べられる。その手を取りリビングへ出る。と、リビングに広がる光景に頭が真っ白になった。
 どうして夕飯がリビングテーブルに並べられているのかな……。
「翠葉ちゃん、椅子はきついでしょう? だから、みんなでこっちで食べようって話になったの」
 栞さんがにっこりと笑い、リビングのローテブルに次々とおかずを運んでくる。そして、そこには秋斗さんも座っているわけで……。
 秋斗さんの向かいに苺のタルトが乗ったプレートが置かれていた。つまり、そこが私の席なのだろう。
 どうして、よりによって秋斗さんの前なのかな……。
 置かれているお箸を見ると、私の隣は蒼兄らしい。
「ソファに寄りかかってもいいし、俺の方にもたれてもいいから」
 蒼兄に促されて席に着く。
 今日の夕飯は皿うどんと野菜たっぷりのスープに卵を落としたもの。あとはお漬物や煮豆などが小鉢によそわれていた。
「スープだけ飲む?」
 栞さんに訊かれて頷くと、小さなカップにスープを入れてきてくれた。
 スープから立つ湯気に手をかざすと、
「あたたかい?」
 真正面に座る秋斗さんに訊かれてドキリとする。
「……はい。……あの、ケーキ……ありがとうございます」
「食べられるだけでいいから、食べて」
 コクリと頷いてフォークを取る。
 普通に言葉を交わしてるだけ。それだけなのに赤面してしまいそうで、蒼兄の顔が恋しくなる。我慢できずに蒼兄の顔を見ると、
「……どうした?」
「……精神安定剤?」
「は?」
 正直に答えすぎて、しまった、と思う。
「あ……えと、違う。あのね、薬を増やすの来週からにしてもらったの」
 苦し紛れに話の路線変更を試みる。と、
「それで大丈夫なのか?」
 思いのほか、すんなりと路線変更ができた。
「大丈夫かはあまり自信ない。でも、今から飲んだら一、二週間は今日みたいな日が続いちゃう。そしたら全国模試は切り抜けられないから」
「……テストよりも自分の身体じゃ――」
 蒼兄が全部言い切る前に否定する。
「それじゃだめなの。今身体を優先させると歯車がどんどん狂っちゃう。全国模試さえクリアできればそのあと一、二週間休んでもかまわない。その間に体調を立て直せれば、七月の期末考査もなんとかできる気がするの」
「……そういうこと。湊はOK出したのね?」
 栞さんに訊かれて、「はい」と答えた。
「栞ちゃん、これ、湊ちゃんから預かってきた薬」
 栞さんは袋に貼ってあったメモを見て、「痛み止め、一段階で飲む薬を二種類に増やしたのね」と呟いた。
 それでも最後には笑顔を見せてくれたから自分も笑顔で応える。

 今は、今できる最善の方法を選んでいくしかない。
 You never know what you can do till you try.
 ――できるかどうかはやってみないとわからない。
 Do and it will be done, don't do and it will not be done, if something is not done, that is because no one did it.
 ――為せば成る、為さねば成らぬ何ごとも。成らぬは人の為さぬなりけり。
 上杉鷹山さんはすごい言葉を残したよね……。

 食事中ではあるものの、さっきから蒼兄の携帯が気になって仕方ない。
 蒼兄は常に数値を見ながらご飯を食べている。きっとそれはご飯の時間に関わらず、何をしているときでも常に視界に入る場所に置いてあるのだろう。
 ただ今は――今だけは見ないでほしい。切に願いながら大好きな苺タルトを口に運ぶ。
「珍しいね? 苺タルト食べてるのに頬が緩まないなんて」
 真正面に座る秋斗さんからの指摘。
 ……それは目の前に秋斗さんがいるからです、とはどうしたって口にできない。
「そんなことないです……」
 頬をつねってみたけど、表情が緩まる気配はない。
 フォークを置きカップに手を伸ばす。と、あたたかい液体が食道を通って胃に落ちたのがわかった。
 自分の意識をどこでもいいから秋斗さん以外のものへ向けておきたい。でも、どうやっても秋斗さんが視界に入ってしまう。その状況に耐えかねて、
「ごめんなさい。ケーキ、またあとで食べます」
 静かに断わりゆっくりと席を立った。ケーキプレートを手に持つと、
「ケーキなら私が冷蔵庫に入れてくるわ」
 すぐに栞さんがプレートを引き受けてくれた。
「部屋で横になるか?」
 蒼兄に訊かれて頷く。と、
「じゃ、僕が連れていくよ」
 蒼兄より先に秋斗さんが立ち上がった。そして、有無を言わさず横から身体を支えられる。
 ――静まれ心臓っっっ。
 どんどん心拍数が上がるのが自分でもわかるし、髪の毛で隠れているとはいえ、頬は十分すぎるほどに熱い。いつもなら右側を支えてくれるけど、今は座っていた位置の関係上左側を支えられている。
 より心臓に近い方というだけあって気が気じゃない。
 自室の突き当たり、ベッドに腰掛けるとそのままコロンと横になる。
 秋斗さんはベッド脇にしゃがみこみ、私と目線を合わせた。
「そんなに意識されると嬉しい反面、こっちにもドキドキが伝染する」
「……なんのことでしょう?」
 苦し紛れの言葉を発すると、クスクスと笑われた。
「じゃ、そういうことにしておいてあげる」
 秋斗さんは私の頭を一撫でして、部屋を出ていった。

「どうしよう。バレバレなのかな……」
 こういうのはどうやって隠すのだろう……。どうやったら隠せるのだろう。
 来週いっぱいは毎日のように顔を合わせるうえ、帰りはいつも一緒だなんて――
 私、体調以前に大丈夫なのかな……。
 不安に思っていると蒼兄がやってきた。
「翠葉、すごい脈速い……。どうした、って訊くまでもない気がするけど」
 苦笑しながらベッドに腰掛ける。
「今日、初めてこれを外したいと思った……」
 バングルを指差すと、
「どう? 初恋の心境は」
「……心臓壊れそう」
「くっ、正直者」
 蒼兄はくつくつと笑いだす。
「ま、とりあえずはおめでとう、かな?」
 そこに、「なんの話?」と秋斗さんが入ってきた。
「……なんでもないです。ね? 蒼兄?」
「くっ……」
 蒼兄がお腹を抱えて突っ伏した。
 そんなに笑うなんてひどい……。
「ま、いいや。で、翠葉ちゃんが危険な科目ってなんなの?」
「え……?」
「模試」
「あ……英語と古典です」
「見事に文系か。英語と古典……今は海斗が持ってるのかな?」
 秋斗さんは宙を見ながら首を傾げた。
「あぁ、先輩のマウンテンノートですか?」
「そうそう」
 マウンテンノートって何……?
「先輩の試験の山は当たるんだよ。そのノートに救われた人間は数知れず。俺も文系ではお世話になってた」
 蒼兄の説明にそんなノートが存在するのか、と思う。
「海斗に訊いておく」
「……ありがとうございます」
 手当たりしだいに暗記をしようと思っていただけに、とても嬉しい申し出だった。



Update:2009/07/03  改稿:2017/06/11



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