抱きついてきたのは飛鳥ちゃん。
「うん、あまり大丈夫じゃないんだけど大丈夫。ただ、これから少し欠席続いちゃうかも……。でも、大丈夫だよ」
「それ、全然大丈夫じゃないでしょう?」
「……桃華さん」
「私たちの前でくらい本音出しちゃいなさいよ」
「そうそう、こういうところで変に無理されてもこっちがつらくなるだけ」
と、佐野くんは隣のベッドに腰掛けた。
「な? 言ったろ? もっと頼れって」
海斗くんの手がポン、って頭に乗ったら、その拍子にボロ、と涙が零れた。
「本当は――すごく不安なの。でも……避けて通れないから……」
しゃくりあげるものが邪魔して話が途切れ途切れになってしまう。
すると、桃華さんがベッドに座り手を握ってくれた。
「会いに行くわ。翠葉の家まで」
そう言って、にこりと笑ってくれる。
「そうそう、そうでもしないとこれがうるさくて敵わん……」
と、佐野くんが飛鳥ちゃんを指す。
「でも、来てもらっても私寝ていることが多いから――」
「顔見て帰るよ。それができるだけでも安心」
海斗くんは頭に乗せたままの手で「イイコイイコ」と撫でてくれた。
「でも、そんな、ちょっと行ってこようっていう距離でもないし……」
直線距離はそこまで遠くはない。けれども、一応は県外であり、公共の乗り物を乗りついでくるとなれば一時間はかかる。
「だからうちに来ればいいって言ってるんでしょうが……」
みんなの背後から湊先生が話に加わった。
「それはそうなんですけど……」
どうしよう、頭が回らなくなってきた……。
「はい、そこまで。第一に優先するべきは翠の気持ち。でも、これはひとりで決められる問題でもないから、あとで家族と相談すればいい」
その場をまとめてくれたのは司先輩だった。
身体を起こすのを海斗くんが手伝ってくれ、立ち上がるときには司先輩が手を貸してくれた。
「マンションまで歩けそう?」
「チャレンジしてもいいですか?」
「別にかまわない。途中で挫けたらコンシェルジュを呼ぶまで」
六人で昇降口まで行き、各々の目的地へ向かって方々へと散らばっていく。
海斗くん、飛鳥ちゃん、佐野くんは部室棟へ。桃華さんは梅香館こと図書館へ。私と司先輩はマンションへ向かうため、校門へと続く桜並木を歩いている。
「あのさ、すでにかなり危なっかしいんだけど……」
隣から呆れたような声がする。
確かに、足元が覚束ないというのはこういうことを言うんだろうなぁ……と思いながら歩いていた。
「せめて腕か手に掴まって歩いてほしい」
「すみません……」
差し出された左手に右手を重ねる。
でも、この仕草は秋斗さんを思い出して少しつらい。
「視界は?」
「大丈夫です。ちゃんと小石だって見えますよ」
「それ、足元見すぎだから……」
私道を出るまでに十分。公道に出てからマンションまで十分。
普段なら上り坂が少しつらいと思うくらいなのに、今は少しつらいどころかひどくつらい。それに、物理的な距離は変わらないはずなのに恐ろしく遠く感じる。
歩道を歩いていると、車のクラクションを鳴らされた。でも、私たちはきちんと歩道を歩いている。
何かと思って車を見ると、外車が私たちの脇に停まった。
運転席を見ると運転手らしき人が乗っていて、後部座席には静さんが乗っていた。
後部座席の窓が開く。と、
「今帰りか?」
「はい」
「すぐそこだが乗っていくか?」
「ありがたいです」
静さんと司先輩のやり取りに、車に乗せてもらえることになった。
助手席に司先輩が乗り込み、私は静さんの隣へ座った。
「今日はお休みなんですか?」
「いや、徹夜明けなんだ」
こういうときは「お疲れ様」だろうか。
少し考えてから、「お疲れ様です」と口にする。
「翠葉ちゃんは今日はどうしてマンション? この時間、栞は実家だろう?」
「あ……えと――」
言葉に詰まっていると、
「体調不良。秋兄のところだと精神衛生上に問題があるから姉さんの家に避難」
ものすごく簡潔に述べた先輩を感心してしまう。
「くっ、なるほどね。あぁ、そうだ。今日はあとで碧と零樹も来ることになってるから、久しぶりに両親に会えるんじゃないかな」
そんな話をしているうちにマンションに着いた。
「零樹たちが来たら連絡を入れるよ」
そう言われてエレベーターの前で別れる。
「静さんのおうちは一階?」
「いや、同じ階だけど、あっちの端にもエレベーターがあって、それは静さん専用と言っても過言じゃない。九階と十階にしか停まらないんだ」
そうなのね……。
「なんかいうまい具合に人が集まるみたいだから、今日中に全部決まるんじゃない?」
「どうでしょう……?」
私は先輩に右側を支えられたままエレベーターに乗り込んだ。
湊先生の家に入ると、案内されたのはテスト勉強で使っていた部屋。
即ち、司先輩が間借りしている部屋だった。
「もうひとつの部屋は本だらけですぐに使えないから」
と、説明してくれる。
私が何も答えずにいたら、「不服?」って感じの視線が飛んできた。
「いえ、とんでもない……」
「心配しなくてもシーツもタオルケットも全部洗濯済み。柔軟剤の香りしかしないと思う」
「あの、何もそこまで考えてはいないんですけど」
「…………」
あ、黙った……。
先輩は私のかばんを取り上げると何か思ったことがあるようで、「ちょっと待ってて」と部屋を出ていった。
数分もせずに戻ってきたその手に持っていたものは着替えらしきもの。
それは黒いTシャツとグレーのレギンスだった。
「Tシャツは俺のだけど、レギンスは姉さんのだから。それならサイズもさほど困らないだろ」
確かに。このTシャツは私が着たら間違いなくチュニックの着丈になるのだろうし、そこへ湊先生のレギンスをはけば、膝下がくしゅくしゅした状態のスキニーになる。
「何から何まですみません……」
「着替えが済んだらドア開けて。俺、あっちで飲み物用意してるから」
本当に気が利くというか、なんというか……。こういうのが普通なのだろうか。
持ってきてくれたそれらに着替え、ふたりとの体格差に改めて驚く。
何せ、半袖のはずのTシャツが、私が着ると五分袖くらいになる。
湊先生が履けば十部丈か七部丈くらいのものが、私だとクシュクシュさせられる長さだ。
ドアを開けると、司先輩が飲み物をトレイに載せて持ってきてくれた。
そして私の格好を見て笑う。しかも、肩を震わせて。
「翠は小さいな」
「小さいといわれても、一応一五八センチはあるのですが……」
限りなく小さな抵抗を試みる。
「まぁいい。飲み物置いておくから小まめに飲んで」
あ、そうか。先輩はこれから学校へ戻って部活に出るのだ。
「お手数かけてすみませんでした」
「このくらいはなんともない。とりあえず休んでて」
言うと、ドアを閉め玄関のドアが閉まる音がした。
作ってきてくれた飲み物を見ると、鮮明な赤が印象的だった。
紅茶だったらどうしようかと不安に思ったけれど、香りが違うのだ。
「ハーブ……?」
カップに口をつけると、酸味と程よい甘さの液体が口に広がった。
「ローズヒップにハチミツ……?」
うちでも時々栞さんが出してくれるのだけど、基本的には緑色のお茶が多いのでとても新鮮だった。
「司先輩、実は料理とかもできちゃったりするのかな……」
そんなことを考えつつ、遠慮なくベッドで休ませてもらうことにした。
Update:2009/08/02 改稿:2017/06/16
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