「この、カウンセリングサボり魔」
「……あんなの意味ないし」
お互いエレベーターの扉を見つつ吐き捨てる。
まだ扉の奥は暗く、そこに華奢な身体が映っていた。
相変わらず華奢ね……。
若槻は女装させたらそこらの女よりもきれいに化けるだろう。
もともとの中性的な顔立ちがそう見せる。
「で? 少しは前に進めそうなのかしら?」
「……そうっすね。お姫さんの側にいたら何か変わるかも」
「なんでそう思ったの? 翠葉に妹さんをかぶせてる?」
「それはあるかも。ベッドに横たわっているお姫さんを見たときは正直妹とかぶりましたし」
「で、あえて兄に立候補?」
「自分、窮地に追いやってみようかと」
若槻は訊いたことに淡々と答えた。
こんなことは未だかつてなかった。でも、だからといって嘘が含まれているようには思えない。
「……自ら結構な荒療治に出たわね」
「たぶん、時間かけてどうこうってのは向いてないんです。他人に懐柔されるのも色々訊き出されるのも大嫌い。関心もない人間に自分のことを話すのなんて真っ平ごめん」
なるほど……。
エレベーターに乗り込むと、若槻は態度悪く壁にもたれかかった。
「自分の中に色濃く残っているのは後悔なんです。なら、やってやりたかったことを代わりの誰かにすることで払拭できるかなって、結構安直な考えですけど……甘いっすかね」
「ま、一方法としてはありなんじゃない? 何事もやってみなきゃわかんないでしょ」
「そりゃそーですね」
気にかかっているのは妹のことのみか?
若槻が両親の話をすることはほとんどない。何か零すときは必ず妹のことだ。
十階に着くと家に電気が点いていた。
「どうやらうちの愚弟がいるみたいよ」
「……愚弟って、司くんっ!? めちゃくちゃ頭いいって話じゃないっすか」
「そうね。頭のできはいいんじゃないかしら? 顔は私に瓜ふたつだから拝んでいくとご利益あるわよ」
玄関に入るとすぐに司が出てきた。
「おかえり」
「ただいま。あんた夕飯は?」
「適当に食べた。……そちら、どちら様?」
視線が私の後ろにいる若槻を捉えていた。
「秋斗の部下、ウィステリアホテル在中の若槻唯。名前くらいは知ってるでしょ?」
その問いかけに頷くと、
「司です。いつも秋兄がお世話になっています」
と、頭を下げた。
「若槻唯です」
ふたりを見ていたものの、その先に会話が続かない。
ちょっと待て……。
「あんたたち、それでおしまいっ!?」
「「ほかに何が?」」
……どこか似てるとは思ったのよ。この素っ気無さというかなんというか……。
素っ気無いは素っ気無いなりに、若槻のほうがまだ喋るかもしれない。
だけど同じような人間が揃うとこうも会話が続かないものか……。
思わず頭を抱えたくなる。
いや、そこは海斗がふたりいたら延々と喋り続けていてうるさい、という事態を想像して相殺しておこう。
「姉さん、翠は?」
「今日は全然身体起こせなかったみたいね。今週いっぱいは休ませるつもりよ」
「そう」
「気になる?」
「……別に。若槻さん、ごゆっくり」
司は早々に部屋へ戻ろうとした。
「ちょっと司、カイロと包帯探しに戻ったんだけど」
「は?」って顔をしてこちらを見る。
「翠葉、点滴してて手首痛いって言うから」
「……あぁ」
それだけ言うと、リビングへ足を向ける。
いつもなら場所だけ示して「自分で探せ」と言う弟でも、翠葉が絡むと違うらしい。
「たぶん、この中」
司は薬箱になっている引き出しを開けた。
取り出したそれを渡され、
「あんたも一緒に行く?」
「遠慮しておく。具合が悪い人間のところに大勢で行くほうがどうかしてる」
……素直じゃない。かわいくないっ!
でも、大勢でいる、ということを知っているあたり、一度はゲストルームへ立ち寄ったのだろう。それで訪問はやめたってところかしら?
「あの子、しばらく休むことになるからたまには顔出してやんなさい」
「了解」
部屋に戻る司を視線で追っていた若槻が一言。
「弟くん、ずいぶんあっさりとした人っすね」
「あっさりっていうか捻くれ者っていうか……。あんたと大差ないわよ」
「えぇっ!? 俺、あんなにドライっ!?」
「干からびてると思うわよ?」
「……相変らず容赦ないですね。彼はリィと同級生?」
「違うわ。年は同じだけど学年はひとつ上」
「……あ、そっか。お姫さん留年してるって言ってたっけ」
「そっ、ここに越してきたのは学校に通いやすくするための一環よ。幸倉からじゃ車でも三十分はかかるからね。通学の負担を減らすため」
「なるほどねぇ……」
司に渡されたものを紙袋に入れると、
「ねぇ、お姫さんはどんな病気なの?」
やっと訊いてきたか……。
「コーヒーとお茶、どっちがいい?」
「インスタントのコーヒー」
「……どうせ淹れるならちゃんと淹れるわよ? そのくらい私にもできるんだけど……」
「いや、時々インスタントが無性に飲みたくなるんです。何よりも、湊さんのお手を煩わせるとあとが怖いっす」
「あら失礼ね。私の淹れたコーヒーが飲めるんだからパソコンメンテナンスくらい引き受けなさいよ」
そんな軽い応酬をしつつ、キッチンでインスタントコーヒーを用意した。
「翠葉のは体質みたいなものなのよ。どこか内臓が悪いとかそういうことではないの」
「質問。体質であんなに具合悪くなれるものなの?」
「血圧が低いのは心臓に疾患があるからと関連付けられもしなくはない。でも、体位を変えただけで血圧が下がるとか、その血圧が正常値に戻らないとか、運動時の血液循環量が増やせないのは体質に属するわね。自律神経失調症って言葉くらいは知ってるでしょ? それの症状が顕著に出るとああなるのよ」
「今よりひどくなることは?」
「考えたくないわ。でも、これからの季節、原因不明の痛みが出てくるらしい。本人はそれが一番つらい……というよりは怖いみたいね」
「原因不明って? 普通、痛みって炎症値が出るんじゃないの?」
「出ないのよ。そこがわからない……。あれだけ痛がっているのに炎症値が出ないからこっちも手の打ちようがない。痛み止めも効くときと効かないときがある。脳の痛覚神経をブロックする形で食い止められればいいけれど、それがだめなら対症療法。局部麻酔を使ったりするわ」
「……それ、どこに打つの?」
「胸や背中に五、六本」
「……俺、骨折したとき手術前に打ったけど、局部麻酔って結構痛いよね?」
「神経の中枢に打つんだから痛いに決まってるじゃない。十代の子が受けるような治療じゃないわ」
「……秋斗さん、耐えられっかなぁ……」
若槻はコーヒーカップを持ったまま宙を見た。
どうかしらね……。
秋斗は怪我らしい怪我もしてきてないし、病気だってない。時々風邪をひくのがせいぜいだ。
「……今ですら相当ダメージ受けてると思うわよ」
「でしょーねぇ……」
「それでも側を離れられないみたいだけど」
正直、あの男がひとりの女――しかも女の子と言える年の子に夢中になるとは思いもしなかった。
今ですら疑ってしまう。
「俺もびっくりしましたもん。秋斗さんから本命を見つけたって聞いたとき」
それはそうだろう。若槻は秋斗と一緒になってそこら女を漁っていたのだから。
考えてみれば、そんな男を翠葉の側につけていいものか、とは思う。けれど、コーヒーに口をつけ秋斗の話をする若槻の表情から怪しい気は感じられない。
妙に腹が据わっている気すらする。
……向き合う覚悟を決めたということか――
「さて、翠葉が痛がってるからそろそろ戻るかしらね」
声をかけると、若槻が私のカップに手を伸ばしてきた。
「じゃ、俺カップ洗います」
どうしてなかなか躾けがなってるじゃない……。
「ちょっと湊さん……。俺、一応家事や自炊はできる人間なんですが。そんな意外そうな目で見ないでください」
「あら、ごめんなさい」
意外とまめな男なのだろうか。
まぁ、何にせよ苦労してきていることに変わりはない。
この子が救われる日は来るのだろうか……。
そんなことを思いながらゲストルームへと戻った。
Update:2009/09/01 改稿:2017/06/17
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