光のもとで

第06章 葛藤 31〜33 Side Tsukasa 01話

 マンションまでの道を歩いているところを雨に降られた。
 校内にいるうちに降ってくれば置き傘があったものを……。
 仕方なくマンションまでの数十メートルを駆け上がる。
 エントランスに入るとコンシェルジュの崎本さんがタオルを持って駆け寄ってきた。
「司様、おかえりなさいませ。降られてしまいましたね」
 きれいなタオルを差し出されたが、
「家ですぐにシャワー浴びるので」
「それではお着替えになられましたら、制服はクリーニングボックスへ出しておいてください。今からでしたら十時には仕上がりますので」
「助かります」
「お届けは本日中になさいますか? 明朝にお持ちいたしましょうか」
「今日中で」
「かしこまりました」

 エレベーターで十階に上がると妙なメンバーが揃っていた。
 翠は御園生さんに抱えられていて、その隣には若槻さん。秋兄は少し離れたところで壁に寄りかかっていた。
「司、ずいぶん濡れたな」
 御園生さんに声をかけられため息をひとつつく。顔を上げ口を開こうとしたとき、
「……水も滴るいい男?」
 翠がポツリと言葉を漏らした。
 意識せず口にした感じ。思ってたことが口から出ちゃった感満載。
 その場の人間が絶句すると、
「わ……余計なこと言ったかも」
 と、口元を押さえる。
「翠……感情駄々漏れっていうか、口から漏れてるから」
 忘れていたが、翠はこういう人間だった。
 俺は別にかまわないけど、彼氏の前でそういうことを口にするのはどうなんだか。
 ちらり、と秋兄を見れば、それはそれは不愉快そうな顔をしていた。
「すぐそこまで来て急に降られた」
 滴る髪をかき上げる。と、
「翠葉……それこそ感情駄々漏れだ」
 御園生さんの言葉になんのことかと思って翠を見ると、
「だって、格好いいんだもの」
 俺に視線を固定したままそう答えた。
 くつくつと笑い出したのは若槻さん。
「リィは正直だな。彼氏に昇格した秋斗さん形無しだね」
 言いながら秋兄を見るものだから、秋兄の不機嫌に拍車がかかる。
 ところで、「リィ」って何……。翠の名前のどこを取っても「リ」なんて文字はない。
 何をもとにつけられた呼び名なんだか……。
 翠は翠で、あれこれ災いを零す口に手を当てて、「どうしよう」って顔をしていた。
 その様が妙に間抜けすぎた。
 それから、「どうしよう」って顔をしながらじっと俺を見るのはやめてほしい。
「……見られすぎると減る」
 たぶん間違いなく、神経あたりが磨り減っていく気がする。
 そんな俺を労わってくれたのか、御園生さんにもっともらしいことを告げられた。
「司、早くシャワー浴びないと風邪ひくぞ」
「そうします。ここにいると、自分がどんどん減りそうなので」
 最近気づいたこと。
 御園生さんは翠だけではなく、周りにいる誰にでも気を遣う人だ。ただ、翠に対しては過剰なだけ。

 姉さんの家に入ると、濡れたかばんは玄関に放置したままバスルームへ直行した。
 熱めのシャワーを浴びつつ思う。
 翠は俺の容姿にしか興味がないのだろうか。
 それはつまり、中身は秋兄が好きっていうこと? 俺の中身は……?
 考えるのは翠のことばかり。
 翠にとって俺はどんな存在なのか。
 とりあえず、単なる先輩からは脱し頼れる人には昇格したようだが、友達というわけでもなく……。
 少しずつ警戒が緩んで近づいてきてくれているのはわかる。でも、半径一メートル以内に入るまでは自分から動くつもりはない。
 そう思っているうちに翠は秋兄と付き合い始めた。
 秋兄が強引に話を進めたわけではないのだろう。
 事実、翠は秋兄のことを好きだと見てわかるわけで……。
 ただ、現在戸惑っているのも確か。
 さっきだって秋兄に抱えられていてもおかしくないものを御園生さんが当然の顔をして抱えていた。
 違和感を覚えずにはいられない。
 加えて昼間の不可思議なバイタル――
 いつもよりも血圧が高く、頻脈だった。それが一瞬にして通常値といえる数値に落ち着いた。
 あれは秋兄が何かしら仕掛けたと見て間違いないはずだけど、その割に秋兄の機嫌は悪かった。
 昼に何があったんだか……。
 訊けば教えてもらえるだろうか。
 ……教えてもらえるかは別として、訊くだけ訊いてみてもいいかもしれない。
 それで、どのくらい頼りにされているのかがわかるかも……。

 服に着替え髪を乾かすと、かばんの中身を確認する。
 雨に濡れたのはかばんだけで、中身は無事だったらしい。
 制服と一緒に出しておけば、靴やかばんも乾かしてもらえるため、玄関に一式揃えて出しておいた。
 九階に下り、ゲストルームのドアを開くと、秋兄が廊下に座り込んでいた。
 落下したであろう携帯が床にある。
 ……この人何してるんだか。
 翠の使っている部屋のドアは閉じており、中からは複数人の声が聞こえてくる。
 即ち、中にいるのは翠と御園生さんと若槻さん。
 秋兄は締め出しを食らっているといったところだろうか。
 秋兄に視線を戻すと、ひどく嫌そうな顔をされた。
 携帯の電源を入れようとしているのか、秋兄は同じ動作を繰り返している。
 そんな秋兄を横目に軽くノックしてからドアを開けると、翠をかばうように抱き寄せている御園生さんと若槻さんが側に付き添っていた。
 状況と翠の充血した目から、泣いていたことがうかがえる。
「これ、なんの集会?」
 訊くと、「兄妹会議?」と三人は声を揃える。
 三人揃って首を傾げるな、と言いたい。
「あぁ、そう。じゃ、俺は邪魔ね」
 言ってすぐにドアを閉めた。
 秋兄に視線を落とすと秋兄も俺を見上げていた。
 声をかける必要はない。今のやりとは聞こえていたのだから。
 もっと言うなら、俺が来る前から中の会話は聞いていたのだろう。
 小さくため息をつき、リビングの照明を点ける。
 キッチンでコーヒーを淹れながら思う。
「電気も点けずに廊下で何座り込んでるんだか……」
 部屋から閉め出しを食らったのは事実だろう。
 しかもあの携帯……。何度も電源を入れる操作をしていたにも関わらず、一度としてディスプレイには明かりが灯らなかった。
 壊れたのか壊したのか――
 ま、秋兄の表情からして相当機嫌は悪そうだけれど。

 玄関で音がして、栞さんだろうと迎えに出ると、今度は栞さんが不思議そうな顔で佇んでいた。
 即ち、不思議そうな顔を向けられているのは秋兄なわけだけど……。
 栞さんは何を言うでもなく、荷物を置くとすぐに翠の様子を見にいく。
 秋兄がやっと立ち上がり、栞さんが持ってきた荷物の半分を手にしてキッチンへと歩いてきた。
 自分も残りのものを手にキッチンへ戻る。
 冷蔵庫へ詰める作業は栞さんに任せてコーヒーカップを片手にリビングへ行くと、携帯の電源を入れる動作を繰り返す秋兄がいた。
「……壊れたの?」
「おまえが玄関開けなかったら携帯落とすこともなかったんだけどな」
「それ不可抗力だし。第一、あんな低い場所から落下して壊れるなんて運が悪かったとしか言いようがない」
 精密機器だから衝撃にはそれほど強いものではないだろう。
 ただ、あの高さからの落下で故障とは運が悪かったの言葉に尽きる。
 相手するのは面倒そうな機嫌だったから、俺はコーヒーを飲みながら持ってきた本を読み始めた。
 秋兄の気配がなくなったことに気づいて振り返ると、
「若槻、ちょっと付き合えよ」
 秋兄は若槻さんに声をかけゲストルームを出ていった。
 若槻さんは、「マジでっ!?」と慌てて部屋を出てくると、靴を履くのもそこそこに玄関を出ていった。
 女漁り……であってはほしくないけど、そのあたりの信用は低い。
 妥当なところで携帯の修理。もしくは手っ取り早く機種変かな……。
 あの人、携帯がないと困ることだらけだし。
 翠の部屋は開いたまま。兄妹会議とやらは終わったのだろうか。
 思いながらそちらへと足を向ける。
 開いたままのドアを軽くノックして一歩踏み入れた。
「秋兄、かなり荒れてたけど昼間何かあった?」
 翠は動揺し、栞さんは首を傾げ、唯一御園生さんだけが口を開いた。
「不肖の妹が、というかなんというか……。経験値の差がネックで本日二回ほど先輩を怒らせてるんだ」
「……二回って、さっきのエレベーターホールの?」
「あぁ……それを入れちゃうと要因は三つになるかな」
 秋兄を三回も怒らせるなんてどうやったらできるんだか……。ある意味かなり難解。
 御園生さんがかいつまんで状況を話してくれた。すると、翠は不安そうな面持ちで、
「栞さん、お付き合いしているとほかの人を格好いいって言っちゃいけないの?」
「秋斗くんて嫉妬深いのね……。悪いことじゃないと思うけど――」
 栞さんはどこか呆れたように口にしつつ翠に向き直る。
「でも、秋斗くんは面白くないと思うわ」
「どうして……?」
 困った顔をしている翠に呆れる。
「鈍感」
 俺は堪えることができずに本音を漏らした。
 今回ばかりは秋兄の心情を察する。
「格好いい」という言葉が褒め言葉だとして、それを自分のライバルに向けて言われたらたまらないだろうな、と。
 ただ、翠は俺が翠のことを好きだなんて微塵も気づいていないだけに知る由はないのだろうけれど……。
 翠は御園生さんに支えられたまま眉をハの字にどんどん歪めていく。
 そして、その状態でラグを見つめて黙り込んでしまった。
 数分して見かねた御園生さんが翠の名を何度か呼ぶ。
「翠葉。……翠葉っ!」
 翠は身体を揺さぶられてようやく気づく。もう少し放っておいたら確実に殻に篭っていただろうという何か。
 翠は独りになるのがうまいと思う。周りに誰がいても殻を作って独りになるのがうまい。
 でも、それもどうかとは思うけど……。
「考えすぎ……」
 御園生さんの言葉に翠は眉をひそめる。今にも泣いてしまいそうな顔だった。
「翠葉ちゃん、今にも泣きそうな顔をしているわよ?」
「栞さん……恋愛って難しい。教科書、ないのかな」
 翠の真面目な質問に、栞さんはクスクスと声を立てて笑った。
「誰もが一度は考えることね。でも、恋愛に教科書はないの。問題にぶつかるごとに自分で解決していくしかないのよ。あとは……人の経験談を聞く、かしらねぇ?」
 恋愛の教科書ね……。
 バイブルなんて言われている雑誌はそこかしこに売られてはいるけど、それがどれほど使えるのか。
 俺は読もうとすら思わない。
 だいたいにして、翠相手にそこらの恋愛指南術が使える気がまったくしない。
「司先輩っ」
 突如自分に矛先を向けられ何事かと思う。
「先輩はどうしてそんなふうに想えるんですかっ!?」
 ……ちょっと待て。何がどうしたら今の話の流れで俺に話を振る!?
 栞さんは笑いを堪えているし、御園生さんは「すまん」といった顔をこちらに向ける。
 仕方なく腹を括って翠に向き合う。
「相手がそういう人間だから仕方ない」
 それ以外に答えようがない。なのに翠は質問の手を緩めない。
「……それはすごく我慢が必要なことですか?」
 我慢、か……。
「……人によると思う。俺は自分に我慢を強いているつもりはないけど、周りの人間には我慢しているように見えるらしいから」
 最後の一言は栞さんと御園生さんに向けて放ったもの。
 俺はかわいそうでもなんでもない。まだ諦めたわけじゃないし、チャンスがまったくないと思っているわけでもない。
 とりあえず、今はがんじがらめになってる翠をどうにかしてやりたい。
 そんなに焦るな。翠が焦る必要はない――
 ベッドに近寄り翠の目を見据える。
「翠は翠のペースでいいと思う。どうしてそこで人に合わせる必要がある? ……それで許容量を超えてたら翠がもたない」
 翠が秋兄のペースに合わせること事体が無理だし、そんなところで無理をする必要はないと思う。
 悩むな――
 翠は赤い目からポロリ、と涙を零す。
「なんで泣くんだよ……」
「だって……だって、わからないんだもの」
 そう言ってまたひとつ、ポロリと涙が零れた。
 わからないって言いながら、それでもそのわからないことと向き合う姿勢。
 俺は翠のそういうところが好きだ。
 人の気持ちを汲もうと努力して、それでも自分にできないと思えばそれを伝えようとする姿勢。その様が真っ直ぐで――真っ直ぐすぎて憧れる。
 人と向き合うということをしない俺が、憧れる。
 最初から完全否定するのではなく、なんとか受け入れようと努力をする。そのうえで悩んだり泣いたり、自分に正直であり人には真摯な態度をとる。
 こういうことを誠実というのかもしれない。でも、どこか「純粋」という言葉のほうがしっくりくるのはなぜだろう……。
 そのままの翠でいいと思うし変わる必要はないと思う。
 そういうの、どう伝えたらわかってもらえるのか、今の俺にはわからない――



Update:2009/10/08  改稿:2017/06/18



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