「桃華からこのあとはもう学校に来ないって聞いたけど……」
点滴スタンドに目をやりながら海斗くんに訊かれた。
「うん。でも、すぐに夏休みだしね。夏休み中には体調を立て直す予定」
「終業式にも来ないってことだよね?」
小さな声で訊いてきたのは飛鳥ちゃん。
「できれば出席したいのだけど、立っているのがきついから、全校生徒が集まる中で倒れるよりはいいかな、と思ってる」
「成績表はどうするの?」
「たぶん蒼兄に取りにきてもらうことになるかな」
成績表以前に、期末考査のテストがまだ返ってきていない。
いったいどれだけの点を採れたのか……。
心の隅で不安の塊となっていた。
このままここにいても、みんながお昼ご飯を食べることができない。
「じゃ、私はこれで早退だから」
とその場を離脱しようと立ち上がると、人垣の向こうに涼やかな顔をした司先輩が立っていた。
「司、先輩……?」
……待っていてくれたのかな。
「翠葉、保健室まで送るわ」
桃華さんが立ち上がり、私の持っていた荷物を引き受けてくれた。
自分で点滴スタンドを押しながら後ろのドアまで行くと、何も言わずに先輩が点滴スタンドに手をかけ、右腕を取られた。
「……待っていてくれたんですか?」
とくに保健室へ送ってもらうという約束はしていなかったはずだ。
「姉さんからの厳命」
一言言われて納得した。
ゆっくりと階段を下りつつ、会話がないこの状況をどうにかしたくてテストの話をする。
「あのね、私、まだテストの結果を知らないのだけど、ふたりは知っていたりするかな」
「あ、まだテストが返ってきてないのね?」
桃華さんがびっくりしたように口にした。
「でも、大丈夫よ。上位二十位内にはしっかり入っていたから」
「本当っ!?」
思わず立ち止まってしまう。
さすがに今回のテストでは二十位以内は難しいと思っていたから。
「総合得点一二四八点、学年で九位」
教えてくれたのは司先輩だった。
期末考査は全部で十三科目あるから、一三〇〇点が合計点になる。
その内の一二四八点か……。何で足を引っ張ったのかな。でも、とりあえずは二十位以内に入っていたことを喜ぶべきなのかな……。
「テスト、今日返されるんだろうなぁ……。やだな」
「翠葉……つくづく素で嫌みな子ね」
にこりと冷気が漂う笑顔を湛えているのは桃華さん。
「私なんて普通に出席して授業に出ていて十位なんだけど……」
苦笑で受け流すと、
「足引っ張ってるのは古典や世界史だろ。数学と化学が満点って話は先生から聞いてる」
嘘……。確かに理系の科目は解答欄を埋めることはできたけど、満点を採る自信はまったくなかった。
「因みに、うちの学校は期末考査で満点を採ると、その科目だけは夏休みの宿題が免除される」
司先輩はなんでもないことのように言うけれど――ちょっと待って……。
「先輩、首席であることはお察しいたしますが、もしかして……総合得点は――」
「赤丸よ……」
凄まじく低い桃華さんの声が左側から聞こえてきた。
赤丸、イコール全科目満点だ。
「……司先輩が雲の上の人に思える」
その言葉には何も返事がないと思っていたけれど、
「それなりに努力はしてるから」
と一言返された。
「本当に嫌みなやつ……」
桃華さんがそっぽ向いて吐き捨てると、
「本当に嫌みなやつは、努力してない、って答えると思うけど?」
先輩は桃華さんを見るでもなくそう口にした。
なんとなく、ふたりの間に火花が散っているような気がした。
保健室に着くと、すでにお母さんが待っていた。
「大丈夫だった?」と私に声をかけ、すぐに桃華さんと司先輩に向き直る。
「翠葉の母です。翠葉にいつも良くしてくれてありがとう」
「簾条桃華です。翠葉とは同じクラスで席が前後なんです」
「あら、あなたが桃華ちゃんなのね。翠葉からよく話を聞いているわ。いつもありがとう」
先輩は言葉少なに名前だけを述べ軽く会釈した。
「司くんのことも翠葉から話を聞いてるの。いつも助けてくれる人って……。本当にお世話になっているみたいでありがとう。きっとこれからも手のかかるクラスメイトで後輩だと思うの。でも、翠葉のことお願いできるかしら……」
少し不安そうにふたりに尋ねると、
「もちろんです。助けになれるのならいくらでも」
すかさず桃華さんが答えたのに対して司先輩は、
「医療従事者を志すものとして、放っておける対象ではないので」
はっきりとした物言いだった。けれど、私からしてみたらあまり嬉しくない返事でもあって……。
……そっか。医療従事者を志すものとしては放っておけない対象、か。
ふいに思い出す。女子は苦手だと言っていたことを。
でも、私のことは例外だと言っていた。それは、ただ単に身体が弱いからだったのね。
でも……以前そうではないと言われたこともある。人間として興味があるから気になる、と。
先輩……どっち? 本当は、どっち?
こんな小さなことがものすごく気になるのは、きっとこんな体調でこんな季節だからだ。
ふたりが保健室を出ていくと、入れ替わりで川岸先生が入ってきた。そして予想していたとおり、期末考査の答案用紙が返された。
答案用紙には暗号のような文字が並んでいる。こんなにひどい字をきちんと解読してくださった先生たちには頭が下がる思いだ。
びくびくしながら力強く書き込まれている点数を見ていくと、それほどひどいものではなかった。
「御園生、がんばったな。生徒会脱落はなしだ」
先生は満足そう話す。
お母さんは初めて会う担任の先生に日ごろの礼を述べたり、現在の体調などを話していた。
「だいたいのことは校医の湊先生からうかがっています。御園生は成績優秀者ですし、素行にも問題がないので校長のうけもいい。ですので、温情措置を各所でいただくことができています。きっとこれからも大丈夫でしょう。二学期には病院と学園間の通信授業のシステムが完備します。御園生はその待遇を受けられる生徒なのでご安心ください」
そんな話を聞いていると湊先生が寄ってきた。
「あと二〇〇ミリリットルは入れたいわね」
……点滴、五〇〇百ミリリットルじゃ足りないんだ。
「ベッドに横になってあと一時間くらい寝てなさい」
私は再度奥のベッドへ追いやられた。
仕方なしにベッドへ横になると、久しぶりに起きている時間が長かったからか、すぐに睡魔に襲われた。
お母さんと湊先生が何を話すのか気になって仕方ないのに、睡魔に抗うことはできなかった。
Update:2010/03/18 改稿:2017/06/26


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