光のもとで

第08章 自己との対峙 32 Side Momoka 02話

 おば様は器によそったお粥は全部食べたものの、食後三十分もしないうちにトイレに駆け込んだ。戻しはしなかったようだけど、お腹を壊してしまったらしい。
 ここの母子は揃いに揃って身体が弱いのだろうか。
「母さん、今日中には翠葉は強制的にでも病院へ連れて行くことになってる。だから、母さんは病院で待ってて」
「……そうね、今の私は顔を出すべきじゃない」
 言って、自分の頬に手を当てた。
 その行動はやつれてしまった自分を咎めているようにも見えた。
「桃華、今日の予定は?」
「今日は祖母のお見舞いに行く予定があるだけです」
「あ、藤宮病院に入院されているっていう……?」
「えぇ。もうすぐ退院なんですけどね」
「……悪いんだけど、このまま病院に連れていくから少し母さんに付き添ってもらえないかな」
 私は全然かまわなかった。けれど、
「そこまでしてもらわなくて大丈夫よ」
 と、おば様に断られる。
「点滴を受けに行くくらいひとりで大丈夫。送ってもらえればそれでいいから」
「母さん、少し人と話して気分転換をしたほうがいい。ひとりになったらまた翠葉のことを考えるだろ?」
 それには同感だ。
「学校での翠葉の話ならいくらでも話せますよ。その代わり、蒼樹さんの小さい頃のお話を聞かせていただけませんか?」
 そう申し出ると、少し沈黙してから「ありがとう」という返事を聞くことができた。
 家の戸締りを済ませ、おば様のバッグを持つとゲストルームを出た。

 おば様はかろうじて自力で歩ける状態。
 病院に着くとすぐに処置室に収容され、年配の医師がやってきた。
「紫先生、お久しぶりです」
 蒼樹さんが頭を下げる。
「今日は翠葉ちゃんじゃなくてお母さんのほうだったか」
 その医師は柔和な笑顔を浮かべた。
「母子揃ってお世話になってすみません」
 おば様が頭を下げると、
「いや、さぞかし心配しているだろうことは想像していました」
 言いながら白衣を着た医師は脈を取ったり診察を始める。そして、近くにあったパソコンへカタカタと何かを入力すると、近くにいる看護師に点滴の指示を出した。
「点滴にビタミン剤と吐き気止めも入れておきます。終わるまでゆっくり休まれてください」
「ありがとうございます……」
「それから、今日、栞ちゃんのご主人、神崎昇医師が帰国します。彼がアメリカから医師をひとり連れて帰ってくるんですよ。その医師の到着はまだ少し先なのですが、手立てがなくはないようなので……。今よりも良くなることを期待しましょう」
「……はい」
 とても、「期待に満ちた声」とは思えなかった。きっと、何かに縋りたくて、それでも何にも縋れない状態でここまで来たのだろう。
 ……これが「普通」なのかな。
 娘の具合が悪いことでこんなに憔悴しきってしまう母親って――これが、「普通」なのかな……。
 うちはお手伝いさんのほうが親身になってくれる気がする。
 母も父も常に仕事仕事で、娘を心配するあまりに体調を崩したところなど見たことがない。
 私が地方へ療養に行ったときですら、私に付き添ってくれたのはお手伝いさんだった。
 とても冷え切った家族……。
 それはいったいいつからだったのだろう――。
 飛鳥のおば様はいつも飛鳥を叱り飛ばしているけれど、傍から見ていても愛情いっぱいなのがよくわかる。
 御園生の家は少し過剰かな、とは思うけれど、それが示すものは今までの経過、ということなのだろう。
 蒼樹さんの翠葉命ぶりにはそんな背景があるのではないだろうか。
 今になってやっとわかった気がした。

 点滴が始まると、蒼樹さんは幸倉へ戻ると立ち上がった。
「蒼樹っ――」
「ん?」
「……ごめんね」
 おば様は申し訳なさそうに謝る。
「……俺も、何もできてないんだ。でも、俺は何かできることを見つけたい」
 蒼樹さんは少し困った顔でそう口にした。
「きっと、母さんと父さんにしかできないことがあると思う。だから、探そう?」
「……そうね」
 おば様は両手で顔を覆い、涙を隠した。私はその手にハンカチを握らせ、
「蒼樹さんを駐車場まで見送ってきますね」
 と、処置室を出た。
 泣き顔なんて、娘のクラスメイトや息子に見せたいものではないだろう。
 そう思って席を立った。
「桃華、ありがとう……」
「いいえ」

 正面玄関に向かって通路を歩く。三時を回ろうとしているのに、待合室には人が溢れていた。
 いったい、一日にどのくらいの患者が訪れるのだろう。
 そんなことを考えていると、
「桃華はきりのいいところで帰ってくれてかまわないから」
 右隣を歩く蒼樹さんに言われ、私は意を唱えず同意した。
 駐車場まで一緒に行こうとすると、ロビーで蒼樹さんが立ち止まる。
「ここでいい。ほら、外は結構暑いから……」
 私は少しでも長く蒼樹さんと一緒にいたかった。けれども、
「わかりました、気をつけてくださいね」
 気づけばそんな返事をしている。物分りのいい子でいることに慣れすぎてしまったのだろうか。
 ふと思ったことを口にできない。そして、そんな自分に気づいてくれる人もいない……。
 ――そのはずだった、今までは。でも、今は私をじっと見る目がある。
 蒼樹、さん……?
「悪い……。わがままになっていいよって言ったばかりなのに」
 蒼樹さんは自嘲気味に笑う。
「翠葉が入院したら少し落ち着くと思うんだ。そしたら、きちんと時間作るからゆっくり会おう?」
「……はい」
 目に涙が滲んで泣きそうだった。
 下を向いたら間違いなく涙が零れる。
 必死に我慢していると蒼樹さんに手を引かれ、そのまま正面玄関の外へ出る。と、柱の影に立たされた。
「蒼樹さん……?」
 蒼樹さんを見上げようとしたら、すぐそこに蒼樹さんの顔があった。
「っ……!?」
 目の縁に、キス……?
「泣かせないから……」
 と、もう片方の目にもキスをされた。涙を、吸われた。
 次には唇にキスをされ抱きしめられる。
「絶対に桃華を泣かせたりしないから」
「……はい」
 蒼樹さんの腕に抱きすくめられると、私の涙は蒼樹さんが着ているブルーのシャツにすべて吸われてしまった。
 この人は、ちゃんと私を見てくれる――。



Update:2010/04/07  改稿:2015/07/17



 ↓↓↓楽しんでいただけましたらポチっとお願いします↓↓↓


 ネット小説ランキング   恋愛遊牧民R+      


ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。


 ↓コメント書けます*↓

Copyright © 2009 Riruha* Library, All rights reserved.
a template by flower&clover