光のもとで

第10章 なくした宝物 01話

 なんだろう……人の視線を感じるのに、音という音は聞こえてこない。
 ゆっくりと目を開けると、知らない人がベッドの足元に立ち、私を見下ろしていた。
「よく寝てたな」
 だ、誰っ!?
 咄嗟に、羽毛布団を引き上げ顔半分まですっぽりと隠す。そうまでしても、合ってしまった目を逸らすことはできなかった。
「昇から聞いてんだろ? 相馬だ、相馬。嬢ちゃんの主治医になりにきてやったぜ」
 ソウマソウマソウマソウマ――相馬。
 そういえばこの声、電話越しに聞いたことがある。
 パチリ、と瞬きをすると、
「ご理解いただけたようで何より」
 片方の口端を上げニヤリ、と笑った顔がなんとも悪人面だ。目はどちらかというとたれ目で、髪はオールバック。何より目を引くのはアロハシャツ。
 確かに今は夏だけど、どうしてこんなにチンピラ風味を醸し出すアロハシャツを着ているのだろう。
 観察すればするほど突っ込みどころが満載だ。そして、昇さん同様に眼力のある人だった。
「ほら、嬢ちゃんの自己紹介」
 催促されて口を開こうとしたとき、人の声が割り込んだ。
「なんですってっ!? その悪趣味なシャツに相馬って――」
 湊先生がソファの背もたれに手をかけて身体を起こしていた。
「おぉ、麗しのお姫さんじゃないですか」
 相馬先生はにこりと笑みを浮かべ、湊先生を煽るように口にする。
「なんだ、姫さんは昇から俺が来るって聞いてなかったのか?」
 湊先生はわなわなぷるぷる、と身体を震わせながらPHSの操作をしていた。
「昇っ、こいつが来るなんて聞いてないっっっ」
 電話に向かって話す声量ではない。つい、電話の向こうにいるであろう昇さんの耳が心配になる。
 それにしても、湊先生がこんなに険しい顔をして怒鳴るだなんて、いったいどんな曰くがある先生なのだろう。
 湊先生から相馬先生に視線を移すと、
「ほれ、自己紹介」
 再び自己紹介の催促をされた。
 寝たまま、というのは気が引けたので、コントローラーに手を伸ばしベッドを起こした。
「先日はお電話で失礼しました。御園生翠葉です」
「おう、躾の行き届いた嬢ちゃんだ。どっかの姫とは違うな?」
 そう言っては湊先生を振り返る。
 湊先生が反撃しようとしたとき、大あくびをしながら昇さんが病室に入ってきた。
「相馬〜……着いたら連絡入れろって言ったろ?」
「久しぶりだな、相棒」
 相馬先生は昇さんと同じくらいの背の高さで、昇さんよりは若干細い。細い、というよりは、昇さんほど身体を鍛えていなさそうな普通の体型。
「昇っ、聞いてないっっっ」
「あれ? 言ってなかったかぁ?」
 昇さんに噛み付く湊先生を面白そうに眺めながら、相馬先生はベッド脇のスツールに腰掛けた。
「聞いていたら断わってるわよっ」
 湊先生は、小型犬よろしく大型犬の昇さんに噛み付く。昇さんが相手だと湊先生が小型犬に見えてしまうから不思議だ。
「姫さんよぉ、一応ここ病室だぜ? ちょっとは声量落とせや」
 正論だ……正論すぎて湊先生がぶち切れそう……。
「っていうか、相馬と湊ってなんかつながりあったか? 俺、知り合いなんて話聞いてねーよ?」
 昇さんが相馬先生を見ると、「ちょっとな」と相馬先生が笑って答えた。
「で? お姫さんはまだ囲われてるわけか?」
 ……囲われている?
「囲われてるって何よ……」
 声量と共に声のトーンまで下がってさらに機嫌悪化チック。そんな湊先生を見て、
「あれ? お姫さんは気づいてないのか? ってことは、もしかしたら結婚もまだか?」
 私も昇さんも、そして話しかけられている湊先生すら意味を理解できていないようだ。
「へぇ〜……それは面白い。俺も帰国できたことだし、また姫さん口説こうかね?」
 不敵な笑みを浮かべたとき、コンコンコンコンと病室のドアをノックする音が割って入る。
「失礼」
 病室に入ってきたのは静さんだった。
「おや、仕掛け人のお出ましだ」
 相馬先生の口からはわけのわからない言葉ばかりが飛び出す。
 静さんが仕掛け人って、何……?
「相馬医師、湊は私の婚約者だ。十二月には入籍予定でもあるので、口説くのはやめてもらおうか」
 静さんは余裕の表情で湊先生の隣に並び、腰を抱いた。
 ――今、私、何を聞いたのかな。湊先生が静さんの婚約者で十二月に入籍って、どういうことだろう……。
 完全にフリーズした私の頭はちゃんとした文さえも受け付けない。
「ええええええっっっ!? そうだったのかっ!?」
 微妙な間の末、昇さんが口にした。湊先生の顔は時間が経つにつれて赤く赤く染め上がる。
「嘘……」
 それは、思わず零した私の声。
「翠葉ちゃん、病室を騒がせたうえに驚かせたね」
 にこやかに話しかけてくるのは静さんで、湊先生は「静のバカッ」と一言吐き捨て病室を出ていった。
「おうおう、婚約者ともなると藤宮のナンバーツーを呼び捨てバカ扱いできるのな?」
 相馬先生が昇さんに訊くと、昇さんは何も口にせず苦笑を浮かべる。
「静さん、バカって言われた……」
「そうだね。あとで機嫌を取らないといけないな」
 静さんはどこまでもおおらかに話す。
 これは本当のお話……?
 不思議に思っていると、
「嬢ちゃんは素直だな? 顔中にクエスチョンマークがついてるぜ?」
 相馬先生は相変わらず愉快そうな顔で私を見ていた。
「だって……びっくりしたんです」
「そうさなぁ……昔話をひとつしてやろう」
 相馬先生は悪人面で面白そうに口元だけを緩めた。
「俺が日本にいたときにお姫さんを見初めたわけさ。口説き始めて一週間だったか?」
 相馬先生は一度静さんを見やり、
「国外に追放され、アメリカへ飛ばされましたとさ」
 ひどく現実味のないことを言葉少なで終わらせる。ますますもって意味がわからない。
「俺はそこのナンバーツーに国外へ追放されたんだよ」
 相馬先生は静さんを真似して笑ったけれど、どうやっても悪人にしか見えなかった。
「要はな、そのころからお姫さんはナンバーツーに囲われてたって話だ」
 ケラケラと話すのは相馬先生で、私と昇さんは何も訂正しない静さんを見て絶叫する。
「だって、相馬が日本出たのって十年前の話だろっ!?」
「あぁ、もうそんなになるか?」
 相馬先生は言いながら宙を見やる。
 どうしよう……びっくりな事実に頭がいっぱいだ。
「今度はゆっくり来るからね」
 静さんはすぐに病室を去り、入れ違いで藤原さんが昼食を持って入ってきた。
「まさか桜森に会うとはな」
「今は藤原よ」
「結婚したのか?」
「まさか、養子よ」
「……大学出てから養子ってありえなくね?」
「人には人の事情があるの。それより、相変わらず趣味の悪いシャツね」
 展開される相馬先生と藤原さんの会話にすらついていけない。
「ふたりとも知り合いなのか?」
 昇さんが訊くと、
「知り合いも何も、大学で同期だぜ?」
「どうしたことか、こんなふざけた人間でも私と同じ大学を卒業できるのだから不思議よね」
 話は噛み合っているものの、同調しているようには聞こえない。
「相変わらず美人は手厳しいな」
「あら、美人が誰でも手厳しいだなんて勘違いも甚だしいわよ。御園生さんは将来有望な美少女だけど棘の『ト』の字もないわ」
 突然、自分に話を振られてびっくりする。
「じゃぁ、何か? 現在、棘の『ト』の字を育成中か?」
「失礼ね。相馬が来たなら私はもとの業務に戻るわ」
「えっ!?」
 もとの業務って、ここからはいなくなってしまうということ?
 入院してからずっとついていてくれた藤原さんがいなくなってしまうのは心細い。
「御園生さん、大丈夫よ。私は持ち場に戻るけど、代わりに栞ちゃんがここへ来るから」
「そうなのかっ!?」
 私が訊くより先に昇さんが反応した。
「俺、何も聞いてないけど?」
「神崎医師が知っていたら私が驚くところよ。つい五分ほど前に電話でスカウトしたところだから」
 藤原さんは飄々と答え、トレイに載っている器の蓋を開けていく。
「神崎医師には外科に下りてもらう予定だったけど、相馬の補助に湊をつけようとしたらナンバーツーに却下されたわ。だから、もうしばらく神崎医師にはこの階に留まってもらうことになると思うわ」
「桜森、昇がここにいても何もやるこたねぇぞ?」
「確かに、俺は鍼灸に関してもカイロに関しても専門外だからな」
「……楓先生は?」
 私は小さな声で口を挟んだ。
 楓先生は確か、東洋医学に関するものを独学で勉強していると言っていた。
「楓先生? 誰だそれ」
「藤宮楓。藤宮涼医師は知っているでしょ? 涼医師のご子息、麻酔科医よ」
「なんでそいつが俺の助手ができるんだ?」
「楓は東洋医学に興味持ってたからな。カイロにも興味はあるようだが、日本ではドクター資格になってないからどうのって言ってた気がする」
 私は昇先生の言葉にコクコク、と頭を振る。
「でも、麻酔科医をこっちに回せるほど人員の余裕はないんじゃないかしら。そのあたりは医局に訊くしかないわね」
 そこをなんとか、と思ってしまう自分がいる。
 私はただ、相馬先生とふたりになるのが怖いだけだ。
 昇さんですら、慣れるまでには少し時間がかかった。けど、相馬先生は――どうしても慣れる気がしない。だって、見るからに怖そうなんだもの。
「嬢ちゃん、別に取って食いやしねーよ」
 自嘲気味に笑ったように見えたのは気のせいだと思う。だって、そのあとに続く言葉は、「ご希望とあらば取って食いますが」だったから。
「相馬、ふざけたこと言ってないでカルテに目を通してらっしゃい」
「はいはい」
 相馬先生は面倒臭そうに立ち上がり、昇さんと一緒に病室を出ていった。その後ろ姿を目で追っていると、
「御園生さん、手の力抜いて大丈夫よ」
 言われて気づく。私は胸の前で両手を組み、思い切り力を入れていた。慌ててその手を解いたものの、うっ血していた手はすぐに白くは戻らない。
「ま、人間性はともかくとして、腕は確かだから安心なさい。大学を出たあと、しばらくしてからアメリカでカイロの勉強をしていたの。いるのよ、どうしようもない人間だけど、技術に秀でた人間っていうのが」
 藤原さんは呆れたように口にする。そして、目の前にある昼食を食べなさい、と促された。
「日本に着いて早々、急患を空港で診たらしいけど、鍼で胃痙攣を止めたって話よ」
 胃痙攣を止めた――!? どうやって……。
「人の身体には陰と陽がある。そういうのが東洋医学なんだけど、動が陽を示すならば、静は陰を示すもの、動が表なら静は裏。それらのバランスを整えるのが東洋医学よ。胃痙攣が起きているということは陽の要素が強いということ。それを抑えるには陰に刺激を与えればいい。簡単に説明するならそんな感じ」
 藤原さんの言ったことは理解できるけど、そんなことができてしまうのだろうか……。
 ……そんな治療ができる人だから、昇さんが連れてきてくれたの?
「つまり、その程度の技術を持っている医者ということよ」
 藤原さんは取って付けたように口にしたけれど、その声は「納得はいかないけれど、事実は事実」と言っている気がした。



Update:2010/06/02  改稿:2017/06/30



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