「きれい……」
食事中だったけれど、どうしてももう少し右側の景色が見たくてベッドを下りる。
空にはいくつか雲が浮かんでいて、それらは虹色の貝殻みたいに発色していてとてもきれいだった。
藤山の上には茜色の空が広がり、絵の具では表現できそうにない。こういうときこそ、写真だろうか。
今の時間、携帯ゾーンは間違いなく一等地だろう。
「こういう季節なんだな」
口にしたのは、意外にも相馬先生だった。
「日本の夏は久しぶりだ」
言いながら、私の隣に並ぶ。
「私、海外の空は見たことがありません。今日の空も毎年見ている空だけど、今日は特別きれいに見えます」
「それは俺様効果だな」
ケケケ、と笑っては背中を押され、ベッドへ戻るよう促された。
蒼兄や唯兄、お父さんやお母さん、桃華さんやツカサもこの空を見ているだろうか。
みんなが同じ空の下にいるって、すごいことだね……。
このときの私は知らなかったのだ。こんなきれいな空を見る余裕もなく、唯兄が仕事に追われていたことなど――
夕飯が終わり、歯磨きを終えたころにツカサはやってきた。
最初になんて声をかけたらいいのかわからなくて、「おかえりなさい」と口にした。
「はい、ただいま」
言うなり携帯の操作を始める。
「賞状やメダル、トロフィーは学校管理になってるから写真」
と、ディスプレイを見せられた。
「あ……」
そこには無表情なツカサが写っていて、胸元にはメダルが、手にはトロフィーと賞状を持っていた。
「二位だけど……」
「すごいっ! おめでとうっ」
「ありがとう」
ツカサはすぐに車椅子の用意を始める。
「あっ、ツカサっ。私、歩けるのっ。歩いていいって言われたの」
ツカサは一瞬目を見開いたけれど、「そう」と手をかけていた車椅子をもとに戻し、代わりに点滴スタンドに手をかけた。
「屋上に行くんじゃなかった?」
「行くっ」
病室を出てナースセンターの前を通ると、受話器を片手に話している栞さんがいた。
「あ、ちょっと待って――」
呼び止められたのはツカサだった。
「今、静兄様が病院に向かっているみたいなの。司くんに用事があるから、所在を明らかにしておくようにって」
「屋上にいると伝えてください」
「わかったわ」
栞さんはまた受話器に向かって話し始め、私たちはナースセンターの前を通り過ぎた。
「電話で聞いて知ってはいたけど、ここまで調子がいいとは思わなかった」
エレベーターに乗るとまじまじと見られる。
「私もびっくりしてる」
あ、びっくりしたと言えば――
「今日ね――」
「聞いた」
「……私、まだ何も言ってない」
「家に帰ったら母さんが嬉しそうに話してきた」
あ、そうか……。
ツカサは私よりも先に真白さんに会っているのだ。
「ちょっと残念。珍しく大きな出来事で報告ごとだったのに」
「俺は別の意味で残念。ハナを翠に会わせるのは俺だと思ってた。まさか父さんに先を越されるとは思ってなかった」
面白くないって顔をしているツカサが新鮮。
「ハナちゃん、すごくかわいいね?」
エレベーターの扉が開いて、足は自然と外へ一歩踏み出す。
次の一歩もその次の一歩も軽やかに。
それと同じくらい自然に言葉を話せる。
「この裏に、あんなお部屋があるなんて知らなかった」
ガラス戸を出て、その裏側を指す。
「俺たちの祖母が入院したときに急遽作ったんだ。――翠」
「何?」
点滴スタンドはツカサが押してくれているのに、そのチューブにつながれている私のほうが前を歩いていた。
振り返ると、首に何かを巻きつけられた。
「点滴人間なんだから、そんなに先へ行くな」
言うのと同時、首の後ろで何か作業をしている。
「……何?」
「お土産」
え……?
ツカサの手が首元を離れ、髪の毛を持ち上げられた。
すると、首に何かがぶら下がる。
手に取ってみると、ガラス玉――
「……違う、とんぼ玉……?」
「お土産っていっても食べ物じゃないほうがいいと思ったし、でもこれといったものもなかったから、露店で見かけたとんぼ玉。悪いけど、精巧なつくりじゃないし安物だから」
だから何……?
「すごく、すっごく嬉しいよっ!?」
だって……。
「大好きな淡い緑だし、お花の模様がついているし、ガラス好きだし、ツカサが選んでくれたのでしょう?」
「……俺以外に誰もいないだろ」
「だから嬉しいっ」
せっかくつけてくれたのだけど、もっとじっくりと見たくて外そうとした。でも、指先がうまく動かない。
「……外すの?」
「だって、ちゃんと見たいんだもの」
「わかった、外すから」
また首にツカサの手が触れる。それがくすぐったくて、なんだかドキドキした。
顔も熱い気がしたけれど、夕焼けの名残もなくなり、薄闇色に化した空の下では顔色などわからないだろう。
「ほら」
手の平に置かれたのはシルバーのチェーンに通された淡いグリーンのとんぼ玉。赤いお花が散っていてかわいい。
大ぶりのとんぼ玉だから、チェーンに通すだけで十分なアクセサリーだった。
「きれい……かわいい、ありがとう」
ツカサはぷい、と後ろを向いたかと思うと、少し離れたところにあるベンチに向かって歩きだす。
もちろん点滴スタンドも一緒だから、私もそちらへ行かなくてはいけない。
まるでリードを付けられたペットの気分だ。
「ツカサ、まさかとは思うけど、私のことをペットみたいに扱っていたりしないよね?」
ベンチに座り、私よりも背の低くなったツカサを見下ろすと、上を向いたツカサがニヤリ、と笑う。
「なんだ、やっと自覚したのか」
「ひどいっ! ハナちゃんはかわいいけど、私は一応人間なんだからねっ!?」
「へぇ、一応でいいんだ?」
意地悪王子様降臨だ……。
むぅ、とむくれていると、トントン、とツカサの横のスペースを叩かれる。
「歩きまわってもいいのかもしれないけど、立ちっぱなしは良くないだろ?」
コクリと頷きそのスペースに腰を下ろした。
「何か聞いた?」
「え?」
「うちの両親から」
「……とくには何も」
「ふーん……」
「……だって、百聞は一見にしかず、なんでしょう?」
ツカサは少し驚いた顔をしていた。
どうしてそんな顔をするのか疑問に思いながら、
「私は、会って話をしてツカサを知りたいから、たぶん、誰かにツカサのことを訊こうとは思わないと思う」
手の中にとんぼ玉を見ながら伝える。
「それ、もう一度つけようか?」
「え……?」
「音は鳴らないけど鈴みたいだし……」
意味を理解する前に、チェーンごとツカサに奪われ、さっさと首につけられた。
「私、猫じゃないんだけど……」
「猫には鈴だよな。翠にはガラス玉?」
そんな皮肉を言いながら笑う、その意地悪な表情も好き。
……もっと顔が熱くなりそう。
そう思ったとき――ブン、と音を立ててガラス戸が開いた。
Update:2010/06/25 改稿:2017/07/01
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