揃いに揃った顔ぶれ。さっきよりはひとり減っているものの、兄さんが離脱した以外の変化は見られない。
「昇さん」
「お?」
「入院したばかりのころ頃、翠の相手をしていたのは昇さんですよね。そのあたりの話をしてもらえませんか」
「あぁ……俺が泣かせた件かぁ?」
昇さんは頭を掻きながら、
「やっぱ覚えてねぇか……。ま、秋斗や司の話をしたからな、そんな気はしてた」
そうは言うも、まだパソコンディスプレイから目を離さない。釣られるようにディスプレイを見て絶句した。
ディスプレイには翠のバイタルが表示されていたのだ。
――信じられない。
「その様子じゃ中の連中は気づいちゃいねぇな?」
ケケケ、と相馬さんが笑う。その声音に反応したのは自分の心。
「……誰も気づいていないでしょうね」
「おまえさんは意外とスイハから慕われているようだったが?」
相馬さんは面白がるように俺を見た。けれども、俺はそれに答える言葉を用意することはできなかった。
「坊主、スイハはおまえになんでも言うか?」
「……言わない」
これが今でなければもっと違う返答をしていただろう。
たとえば、言わなくても顔に書いてある、とか。言わなくても俺が気づけばいい、とか……。
俺、どれだけ自信過剰なんだよ……。
思わず笑みが漏れる。
「翠は言わない――きっと、誰にも言わないんでしょうね」
昇さんと一緒に病室に戻るつもりでいた。けど、やめた。
「自分、休憩で……」
昇さんにそれだけ伝え、ナースセンターの一角に腰を下ろした。
相馬さんのデスクには姉さんが持っていたはずのモバイルディスプレイが置かれている。
「それ、見せてもらってもいいですか」
ひょい、と差し出され、
「あぁ、かまわんよ。さて、あのお嬢ちゃんはどこまで我慢するつもりなのかねぇ?」
相馬さんから意味深な視線を向けられたが、それに答える言葉も見つからず……。
結果、手におさまるディスプレイに視線を落とす。
本当に、信じられない……。
血圧がいつもと比べたら異様に高い。脈拍もまったくもって安定していない。さっきから時折こめかみを押さえていたのは頭痛のせいか?
こんなに脈がバラバラで、本人はつらくないのだろうか……。
「そこまで数値が荒れてりゃ本人だって多少の違和感なり症状を感じているはずだ」
相馬さんの言葉が耳に痛い。
それでも翠は言わない。誰にも――
「坊主、あんま長引かせんなよ」
ニヤリと笑う様は、思惑を含む表情そのもの。
「あぁ……そういうこと」
「察しがいいな?」
「……別に。いつだって俺の役目はそんなのばかりだ」
「そうなのか?」
答えずにいると、相馬さんは天井を見ながらこう言った。
「でもよぉ……そういうやつがいねぇと世の中回んねぇんだわ」
ここにいるのも嫌気が差し、自販機まで行くことにした。
どいつもこいつも、冗談じゃない……。
姉さんはインハイ前の俺に向かってあの状態の翠を説得してくれといった。
秋兄にいたっては論外。手、かかり過ぎ……。
翠は俺のことを便利屋か保険屋と間違えているに違いない。
それから、藤宮静――この人は間違いなく俺を便利屋扱いしていると思う。
「本当に最悪……」
人を使うのは好きだが、人に使われることほど面倒なものはない。
冗談じゃない……。
そんなに俺が信用できないのなら、頼りにならないのなら、期待させるようなことを口にするな。
腹が立つ……。
別に今話してることなんて急ぐ必要はない。途中でやめて後日に回したってなんの問題もない。
なのに、どうしてこんな状態で話を聞き続けるっ!?
この状況自体に腹が立つ反面、違うことに落胆していた。
割となんでも話してくれるようになったと思っていた。そういうポジションを自分がキープできていると思っていた。でも、勘違いだった――
俺は全然翠に近づけてなんかいなかった。俺の、単なる勘違い――
缶コーヒーを飲み終え病室に向かって歩いていると、ちょうど昇さんが病室から出てきたところだった。
軽く手を上げ、「終わった」と口にする。
「……変わり、ないですか」
すれ違い様に訊くと、「ないな」と一言返された。
本当に、誰にも何も言わないつもりなのか――?
病室に入るとき、一瞬だけ翠と目が合ったけど、それを無視して話を再開させた。
今までの、会話の流れを一切合財切り捨てて――
「司先輩」から「ツカサ」と呼んでもらえるようになって嬉しいと思った。それを足がかりに近づけている気がしていた。けど、それすら勘違いだった。
いっそのこと、ずっと他人行儀に「司先輩」と呼ばれていたほうが良かったのかもしれない。
今は――名前の呼び方こそ親しい間柄に見えるものの、実際はそんな間柄でもなければ、信頼されているわけでもない。
「司、そんな読み上げるような話し方じゃ翠葉ちゃんはついていけない」
秋兄が止めに入ることは想定済み。
「だから?」
翠を見れば、不安に瞳が揺れていた。
「逆に、時間をかけても思い出せるわけじゃないんだろ? なら、知識として頭に入っていればそれでいいんじゃないの?」
こういうときにこそ、何か言えばいいものを。
翠が手を伸ばしたのは最初だけだ。
話を聞いたら側にいられなくなるのかと不安がったり、手をつなぎたいと言ってみたり、同じ室内にいるにも関わらず、遠くにいないでほしいと言ってみたり。こっちが勘違いするようなことをいくつもいくつも――
「異論がないなら次」
ふたりの言い分は聞かずに先を続けた。
翠の手はだんだん力がこもっていき、こめかみを押さえる回数もしだいに増えた。
否、俺が翠の状態を知ったからその仕草を気に留めてしまうのか――
どれだけハイペースで話を進めても、翠は異を唱えない。話に入ってくるでもなく、じっと聞くに徹する。
「翠は、ほかの人たちは昇さんに呼ばせ、秋兄だけは自分で連絡すると言った。……それもひどい話だろ。髪を切ったことは確かに性質が悪いと思う。でも、だからといって、それだけを特別視する必要はなかったんじゃないの?」
視線を合わせると、翠はきゅっと唇を引き結ぶ。まるで何かに耐えるように。
不整脈――それが現況のストレスによるものなのか、気にはなる。気にはなるけど――嫌なんだろ? 話をここで終わりにされるのが嫌なんだろ? なら、望みどおり最後まで全部話しきって終わらせてやる。
その代わり、翠の体調を気遣う余裕は俺にもない。
「その先は俺が話す」
秋兄が何度か口を挟んだが、そのたびに申し出を蹴った。
どんなふうに話そうがどんなに時間をかけようが、今翠が記憶を取り戻すことはないのだろう。ならば、時間をかけるよりもとっとと終わらせて休ませるほうがいい。第一、
「秋兄が話すと現実が歪む」
これ以上話が明後日の方向を向くのは勘弁してもらいたい。その軸道修正までやってられない。
自分が話せる範囲は簡潔に語れたと思う。けど、この先は秋兄にしか話せない。
つまり、これが最後の話だ。
「司、その先は俺が話す」
「そうしてよ……事細かに話してよ。どんなにひどい会話をしたのかさ」
ベッドサイドを離れ、ソファの方へと移る。
翠が俺を目で追っていることには気づいていた。でも、あえて目は合わせなかった。
静さんが翠の名前を呼ぶと痛いほどの視線は剥がれ、秋兄が口を開くと、翠は身体ごと秋兄の方を向き話を聞く体勢に入った。
「どうしたんだ?」
静さんに読唇術で訊かれる。
自分も同じように声にはせず、唇に言葉を乗せた。
「タイムリミットまで時間がない」
あとは自分で考えろ……。
ここが病院だということを静さんも秋兄も、翠も忘れていると思う。
ここは病室だ。病人がいる部屋だ。その病人に無理をさせてどうするんだ。本末転倒だろっ!? そのくらい、少しは気づけよっ――
Update:2010/08/10 改稿:2017/07/03
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