光のもとで

第11章 トラウマ 00 Side Soju 01話

 八月八日――
 栞さんから連絡があり、秋斗先輩が翠葉に会いに来るということを知って、俺と唯は慌てて家を出た。
 司が一緒だとは聞いてはいたけれど、それでも安心という言葉には程遠い心境だったから。
 俺たちがたどり着いたときには、病室の前に栞さんと湊さんがいて、楓先輩までもが駆けつけた。
 ナースセンターの中には呆れた顔をした相馬先生。その隣には栞さんの旦那さん、神崎先生もいた。
 ドアが開いているから耳を澄ませば病室内の会話は聞こえてくる。
 四月からの話をしていたのだろうか。今は、幸倉の家に帰ってきてからの話をしているようだ。
 三人は現実に基づいた話をしており、振り返らずに目を瞑りたくなるような、そんな内容だった。
 なのに、俺はどこかほっとしたんだ。
 翠葉が何をどう考えて行動していたのかを人に話しているのを聞いて。
 思っていることをなかなか口にできない翠葉が、言葉にしているのを聞いて安心した。
 そこへ静さんが現れ、なんてことないように病室へ足を踏み入れる。
「……オーナーってホントにすごいと思う」
 唯の一言に、
「無神経なだけでしょ。もしくは図太いっていうのよ」
 そんなふうに言ったのは湊さん。
 湊さんたちがいたのはナースセンター前の長椅子。
 俺と唯は一ブロック離れたところへ移った。
「あんちゃん、こっちでいいの? リィが気になるんじゃない? あっち、まだ定員オーバーっぽくないけど?」
 唯が湊さんたちの座る長椅子を指す。
 音を立ててイチゴオレのパックをちぅ〜、と飲む唯を見て心が和む。
「おまえ、イチゴオレが似合うな」
「あぁ、オレかわいいからね」
 唯は極上の笑みを浮かべた。
 俺はいつもの缶コーヒー。
「唯も秋斗先輩のこと信じてるからこっちに座ってられるんだろ?」
「あんちゃんも?」
 意外、って顔をされた。
「自分でも意外だと思ってる」
 白い革張りのソファに腰を預け、病棟にしては高めの天井を見上げる。
 スポットライトの埋め込み具合が絶妙。
 センスいいなぁ……。
 ここの照明担当した人、いい仕事してる。
 ほかの階は主に直管の蛍光灯が使用され、ロビーのみ、照明に気を使われている。でも、この階はほかの階と仕様が異なる。
 廊下であっても直管は使用されず、白熱灯系のあたたかみある照明が使われていた。
「翠葉は確かに大切な妹で、心配だってしているし、何かがあったからこそ記憶がなくなったんだと思う。そう思えば秋斗先輩を恨まないこともない。でも――なんだろうな……。あの先輩が理由もなく翠葉を傷つけるとは思えないんだ」
 それが正直な気持ち。
 何をしてくれた、とは思った。でも、それは一時のこと。
 俺の知る限り、先輩は翠葉を傷つけようと思って行動したことは一度もない。
 ただ、先輩の行動に翠葉が対応できなかった。そういうことが続いただけのこと。
 それに、近ごろは何が翠葉の負担になるとか、そういうのだってわかていたはずなんだ。
「あんちゃん、俺が数日間忙しくしてた理由知りたい?」
「え?」
「秋斗さん、あの人、行方不明になってた」
 真正面のなんの飾りもない壁を見たまま、唯が小声で言った。
 向こうの人たちには聞き取れないボリュームで。
 もっとも、あっちに座っている人間はみんな病室の話に耳を傾けているわけで、まず間違いなくこっちの会話は気にしていないだろう。
「正確には所在不明っていうか……行方くらましてたっていうか、雲隠れ?」
 頭痛い、って感じで唯がソファに転がる。
 小柄って便利だな……。
「その間、蔵元さんとふたりだけでフォローしてたから話す暇とかなくってさぁ……」
 唯は手に持っていた紙パックをひょい、と投げてゴミ箱に捨てた。
 あまにもきれいなシュートラインに感服。
「でも、GPSとかついてるんだろ?」
「それがさぁ……携帯の電源入ってないわ、パソコン持っていってないわ、車はマンションに停めたまんま。オーナーが目くじら立てて探しても見つからなかった。そこで、彼――司くんの登場。彼が仰せつかって見事に探し出して連れて帰ってきた。それが昨日の話」
 秋斗先輩――
「雲隠れするくらいの落ち込みだったのか、それほどの何をやらかしたのかは気になるところ。それもリィが記憶をなくしたこと事体がショックだったのか……。なんにせよ、司くんのインハイが終わるまで所在不明者にならなかったことだけは褒めてあげるよ」
 唯は宙を見ながら口にした。
 翠葉が記憶をなくしたのは司のインハイ前。
 確かにそれから少し時間が経ってからの雲隠れ――
 先輩もインハイ経験者なのだ。
 司のインハイに対する配慮は咄嗟にできたのだろう。そして、そこまでが限界だったのか……。
「俺、秋斗先輩とはずっと話してないし会ってもいないんだよね。唯は?」
「俺も。仕事は蔵元さん経由で振られてる。最近は秋斗さんから指示されるとかじゃなくて、采配揮ってるの全部蔵元さんっぽい。秋斗さんだったらもっと無茶なもの落ちてくるから」
 その判断基準もどうかと思うけど、俺と唯は秋斗さんからしてみたら翠葉側の人間だったってことだ。
「おまえはこっち側に見なされちゃったんだな」
「そうだけど、ちょっと違う。あの人、基本自分はひとりだと思ってるから。俺や蔵元さんを仲間と見ているかも怪しい。俺たちの関係って最初からそんなものだよ」
「でも、それも違うと思うけどな……。唯のことを心配している秋斗先輩は、少なくとも親身になってたと思うよ」
「だからだってば……。こっちを思う気持ちがあっても、俺たちの気持ちは届いてない。人から何かをもらうってことに――たぶん、そういうことに慣れてない。もしくは知らないんだと思う」
 なるほどな、と思った。
「何かあればひとりになる覚悟が常にある。それって、すごいことかもしれないけど、付き合いが長くなって秋斗さんを知れば知るほどにつらくなる」
「唯は秋斗先輩が好きなんだな」
「なっ――……好きっていうか、引き上げてもらったし、仕事上尊敬できる人だし……とにかく、信用できる人だとは思ってる。たまにあり得ないほどバカだけど」
 少し照れてムキになっている唯がかわいいと思った。
「俺も同じなんだよね。そこに翠葉が関わるからとかそういう次元じゃなくて、俺が――自分が付き合ってきた人だからこそ信用してる」
 そう答えたとき、廊下の空気が動いた。
 相馬先生がナースセンターから出てきたのだ。
「はいはいはい、失礼するよ」
 そう言って病室へ入っていく。
「あの人もオーナーと似た人だよね……」
 唯がぼそりと零す。
 確かに、あの中へ入っていくことを躊躇わない人間はいないと思う……。
 ほどなくして中の三人が廊下に出てきた。
 司は真っ直ぐナースセンターへ向かい、静さんはあちら側のソファにかける。
 秋斗先輩は左のソファを見てから、すぐにこちらへ身体の向きを変えた。
 病室の右側――たぶん、俺たちがここにいるとは知らずに。
 目が合って、次の瞬間にはさらに方向転換をしようとする。
 そんな秋斗先輩を見てすぐに動いたのは唯だった。
「あんちゃんがやじゃなければあの人こっちに連れてくるけど?」
「ぜひ頼むよ」
 言いながらすでに唯は行動していた。
 身軽な身体を翻し、秋斗先輩に絡みつく。
 秋斗先輩はそれにどう対応したらいいのかと顔を歪ませながら、こちらのソファにやってきた。
 しかしながら、何を口にするでもない。
「……何も言ってくれないと、こっちもばつが悪いんですけどっ」
 唯が悪態をつくと、
「あぁ、悪い……。俺、飲み物買ってくる」
 秋斗先輩はすぐにこの場を去ろうとした。
「先輩っっっ」
「秋斗さんっっっ」
 俺とほぼ同時に唯が声を発した。
 ふたり顔を見合わせる。
 言いたいことはきっと同じ。
「人のことなんだと思ってんですか」
 正に同感だ。
「いい加減、もう少し信用してもらえませんかね? もしくは頼ってくれてみたりっ!?」
 唯が続けて口にすれば、先輩は大きく目を見開いた。
「秋斗先輩、何があったのか今度教えてください。俺は翠葉が大切だけど、先輩だって大切な友人なんです。そのくらいはいい加減理解してほしいんですが」
 隣で唯が何度も首を縦に振る。
「……若槻も、蒼樹も――まだ俺を信用しているのか?」
 信じられない、というような顔。
「秋斗さん……先に言っておきますけど、俺の信用ってそんなに薄っぺらくもなければ破格値大安売りもしてないんです。家族なくして世間の人間だまくらかして生きていこうと思っていた俺がっ、そんな俺がまた人を信じられるようになった道のりを甘くみてもらっちゃ困りますっ。俺に信じられてる人間を甘く見ないでもらえますかねっ!?」
 最後は睨みつけるように言い放った。
 くっ、と笑いがこみ上げる。
 その言い回しが唯らしいと思った。
 自分の信じてる人間とは正に秋斗先輩のことだ。でもって、自分とその人をなめんなよ、とご本人様に申し上げたわけで……。
「俺の場合はちょっと違いますけどね。……今まで築いてきたものを一気にぶち壊せるほどの勇気は持ち合わせてないんです。それに、八年かけて築き上げた関係っていうのは、簡単に壊せるほど脆くないんですよ」
 俺は唯のように考えているわけじゃない。でも――付き合ってきた年月。八年という月日をおいそれと覆すのは容易じゃない。
「今じゃなくていいから――何があったのか教えてください」
「……わかった」
 秋斗先輩はようやくソファに腰掛けた。

 この日、最終的には翠葉がまた倒れることとなった。
 大事にはいたらなかったけど、またしても何が起こったのか、と思うわけで……。
 今度こそ真相を聞きたいと思ったけど、先輩は九階に寄ることなく帰り、気づけば司もいなかった。
 何が起きたのかを知っているのはその場にいた人間のみ――
 静さんは、「いずれ当事者から聞いたほうがいい」としか答えてくれることはなく、大人のずるさを感じたけれど、この件に関して自分が部外者なんだということを改めて知ることができた。そして、静さんも相馬先生も藤原さんも当事者ではないということも理解した。
 秋斗先輩が病院にはいないとわかった時点で唯が蔵元さんへ連絡を入れたのはさすがだと思う。
 マンションにいることさえ確認できればなんとなく安心する。
 翠葉のバイタルも安定し始めていた。
「また雲隠れとかされたら困るからね」
 唯の言葉は切実なものだろう。
 母さんもすぐに駆けつけた。
 そして、夜には翠葉の意識も戻った。
 何があったのかもちゃんと覚えていると言っていた。
 けれど、何があったのかは話してくれず、思いつめたような顔で携帯を気にしていた。
「俺、ちょっとメール」
 病室を出た唯は、きっと秋斗先輩に連絡を入れに行く。そう思ったからこそあとを追った。
「ん? あぁ、あんちゃんも出てきちゃったか」
 俺を気にしつつ、最後の送信ボタンらしきものを押した。そして、一分と経たないうちにジョーズのテーマ曲が流れ始める。
「お、レス早い」
 ディスプレイを覗き込めば、「すまない」の一言だった。
 それに即行で唯が返信メールを打ち込む。「リィはそんなに弱くない」と。
「唯、それ貸して」
「え?」
 唯から携帯を取り上げ、それに追加する。
 さっき俺らが何の話をしたのか、この人はわかっているんだろうか……。
「ふ〜ん……by 兄貴s、ね。悪くないんじゃない?」
 唯は、まだ俺の手にある携帯を覗き見ては送信ボタンを、「えいっ」と押した。



Update:2010/06/02  改稿:2017/07/06



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