ツカサは無駄な動きが一切なく、久先輩の脚力には脱帽するばかり。
飛鳥ちゃんの軽快な実況中継と共に、白熱する桜林館の熱気は目を瞠るものがあった。
最後まで見ていたかったけれど、この熱気の中にずっといるのは危険な気もして桃華さんに声をかけた。
「少し早いけど、先に図書室へ行くね」
「顔、赤いわ……。熱、ないわよね?」
「うん、大丈夫」
笑みを添えると、「私も」と桃華さんが立ち上がろうとした。それを遮り、
「せっかくの決勝なんだから見ていて?」
「でも……」
「大丈夫。ツカサが試合に出ているんだもの。ツカサを好きな人たちなら絶対に見逃さないよね?」
桃華さんは言葉を濁し表情を歪めた。
「俺が一緒に行く。どっちにしろ、これが終わったら図書棟行かなくちゃいけないし。ほら、行くよ」
海斗くんは私の同意を得る前に席を立ち、歩き始めた。
「ほら、早く」
肩越しに振り返って催促される。
「あ、はいっ」
私はミニバッグを手に、急いで海斗くんのあとを追った。
図書棟との連結部分に出ると、桜林館の中とは違う熱気に包まれていた。
「直射日光殺人的……」
言いながら、海斗くんは私の右側を歩き影を作ってくれる。
「図書棟連結出口を使って正解」
「本当だね」
思わず笑みが零れる。
暑いけど、人ごみの中で息が詰まる感じとは違う。
テラスには、芝生広場から吹いてくる湿り気を帯びた風が吹いていた。
さすがに桜林館で決勝戦をやっているだけあって、テラスに出ている人も少ない。
それとも、この暑さだからだろうか……。
「翠葉」
「ん?」
隣を歩く長身の海斗くんを見上げる。
「怖くなかった?」
「……さっきの話の続きかな?」
「そう。呼び出し、嫌な思いしなかった?」
嫌な思い、か……。
「うんと……びっくりした。それから、新鮮だった」
海斗くんは私の言葉に目を丸くした。反応が河野くんと似ている。
「中学ではこういうことはなかったの。面と向かって何かを言われたことがほとんどないんだ。だから、何が嫌だってはっきり言ってもらえたのは新鮮だった」
「ま、いじめにも色々手法はあるもんな」
海斗くんは両手を組んで頭に乗せる。
「ツカサって人気者なのね?」
「あの無愛想のどこがいいんだろうな?」
「ツカサは無愛想だけど優しいよ。それになんでもできちゃうのってずるいよね? 頭が良くてスポーツもできて格好いいだなんて、ずるいなぁ……」
「それだけ?」
「え? ほかにもある?」
「いや、なんでもない」
「……それ、絶対になんでもなくないよね?」
海斗くんは急に歩幅を広げ、スタスタ、と先に行ってしまった。
当然のことながら図書棟に入れば日陰となる。
「日陰と日向の差、すごいね?」
「マジで……」
海斗くんは腕でぐい、額のと汗を拭った。
「翠葉、もしさ、その文句を言ってくる人間たちが司と一緒にいるなって言ってきたらどう対応するつもり?」
図書室の、自動ドアを目の前に歩みを止めて訊かれた。
「一緒にいるな、か……。さっきね、それに近いことを言われたよ。一緒にいるところを見るのが嫌みたい。でも、今は球技大会や紅葉祭前だし、それは難しいかもって答えた。そしたらね、じゃぁ生徒会を辞めればって言われたの。成績を落とせば生徒会を辞めざるを得ないでしょって。でも、その要求は呑めなかったんだよね。私、成績だけは落とすつもりないから」
「成績、か……。うちの学校は誰もが本気モードだけど、翠葉はどうしてそんなにテストとかこだわんの?」
「だって、成績表上ではどうやっても一位にはなれないんだもの」
「え?」
「私、体育をレポートでパスしている時点で、絶対に成績表上では一位にはなれないの。だから、テストの点数くらいでは一位を取りたい。……あのね、蒼兄は在籍中ずっと首席だったのよ。だからね、そこに近づきたいの。……今は打倒海斗くんなんだから!」
「翠葉ってさ……蒼樹さんに負けず劣らずブラコンで、実はすんごい負けず嫌いだよな?」
言い終わるころにはクスクスと笑っていた。
「だいたいにして、俺との点差なんて数点じゃん」
「されど数点っ!」
指紋認証をパスすると自動ドアが開く。
「涼しい〜……天国。俺、ちょっと寝るわ」
海斗くんはすぐに床に転がった。
私は窓際の壁にもたれるようにして床に座る。
ミニバッグに入れていたミュージックプレーヤーを取り出し紅葉祭の曲を聴く。
最近は時間があれば曲を聴きながら口ずさむようにしていた。あとは、ツカサが歌う歌の伴奏曲も。
もう、歌詞もメロディも頭に入っている。でも、人前で歌うのは未だに苦手で困ってしまう。
こんなことで、ステージ上で歌えるようになるのだろうか、と不安だけが大きくなっていく。
曲を聴きながら三十分ほど経つと、図書室のドアが開き、ゾロゾロと生徒会メンバーが入ってきた。
「さて、賞状の名前書くよー!」
久先輩の号令に、最後の作業が始まる。けれども、この作業はツカサと久先輩と決まっているようだ。
「ねぇ、翠葉。あれの機嫌なんとかならない?」
嵐子先輩に耳打ちされる。
嵐子先輩の反対側には優太先輩が来て、
「不機嫌モード炸裂で近寄ろうにも近づけないんだよね」
ふたりは苦笑していた。
私もツカサに視界を移し、
「……迷惑極まりないですよね」
と一言。
「翠、聞こえてるけど?」
「地獄耳」
私とツカサのやり取りに、嵐子先輩と優太先輩がフリーズしてしまった。
「どうかしましたか?」
「いや、翠葉ちゃんって司に対しては結構ポンポン言うんだなって……」
「うんうん、私もちょっとびっくりした」
それは夏休みの特訓効果、かな?
「夏休み中、ほとんど毎日会っていたし、思っていることをそのまま言うように鍛えられたからだと思います」
「へ〜……毎日、ねぇ……」
優太先輩がにやにやしだす。
「あのものぐさ男が毎日ねぇ……」
嵐子先輩まで含みある物言いをする。
「翠葉ちゃんと司、仲良しね!」
茜先輩も会話に加わった。
正直、賞状を書いているふたり以外は仕事がないのだ。
テーブルを覗くと、ふたりともとても字がきれいでびっくりした。
「……きれい。……ずるいなぁ……」
テーブルに顎を乗せてそう言うと、不機嫌なツカサがこっちを見ずに、「何が?」と口にする。
「頭が良くて、スポーツできて、格好良くて、そのうえ字まできれいって、どれだけ嫌みなんだろう、って思っただけ」
「…………」
「ツカサっっっ、墨が垂れるっっっ」
咄嗟にツカサの右手を賞状の上からずらした。
「もうっ、急に固まらないでよっ」
「翠こそ、こっちが固まるようなことを急に言うな」
それだけを言うと、再度賞状に向き直るのだった。
Update:2010/06/02 改稿:2017/07/04
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