そこは机と椅子だけがあって、あるべき姿はない。
さらにひとつ後ろの席にいる麗しきお方、桃華に訊けばきっと理由はわかるだろう。
「はよっす! な、翠葉がこの時間にいないってことは休み?」
毎朝一番にこの教室に足を踏み入れ、次々と登校してくるクラスメイトを迎えてくれる存在。それがこの席の主である翠葉だ。
「ちょっとね……」
桃華は言葉を濁して外へ視線を逸らす。
「あぁ、な〜る……」
具合が悪ければそう答える。違うのならば女子日和ってところだろう。
「毎回相当きついみたいだけど、あの子、ピルとか使えないのかしら……」
「薬飲んでる兼ね合いとかあんじゃねぇの? まぁ、湊ちゃんもついているから何かしら策を講じてくれるだろ」
「そうね……」
飛鳥が入ってくればまた一騒動。それでも時間は過ぎていくし、授業の合間に世間話ができるほどの余裕もない。
小テストとはいえ、テストはテスト。点数を落とせばそれなりに成績に響く。
そんな俺たちが一息入れられるのが昼休み。弁当の時間っていうのがまたいい。
「海斗」
大きな声を出しているわけでもないのに、やけに存在感のある声。でもって、俺には聞き馴染みがありすぎて確認などする必要のない声。
「何?」
声の主は教室の後ろのドアに立っていた。
さすがに対角線上の距離で話すつもりはないらしく、廊下に出て来いと目が言っている。
弁当を目の前にして、俺は仕方なく廊下へ出ることにした。
「腹すいたっ! 何?」
「翠は?」
「今日は休み」
「理由――知ってるわけないか」
訊かれているようで訊かれている感じのしない言葉。
知ってるけど、説明をする以前に司は俺の前で携帯をかけ始める。
「知るわけない」ってなんでそう思うかな。俺には鉄壁の情報網なる桃華大先生がついているんだけど……。
いくつかかけてみるも、誰にもつながらなかったらしい。
「呼び出して悪かった」
司は一階へ続く階段へと向かう。
湊ちゃんとこかな?
「っていうか、俺理由知ってるのに」
教えてらやらない俺も俺だけど、弁当をお預けにされた仕返しだ。それに、湊ちゃんのところへ行けば理由くらいはわかるだろうし、廊下で男ふたりが一女子生徒の生理の話をしているほうがどうかと思う。
教室に戻って弁当の蓋を開けるとそぼろご飯が入っていた。それから、俺の好きなから揚げにほうれん草の胡麻和え。
「あ、うまそ……」
佐野の箸がから揚げを狙う。
取られてなるものか、と接戦を繰り広げている時だった。
「あの男、どこへ行く気かしら」
桃華が窓の外を見て言う。
そこからは、司が足早に校門へ向かって歩いている姿が見えた。
「何やって――」
もしかして保健室に湊ちゃんいなかった!? でも、そしたら次は翠葉自身に電話するよな?
自分の携帯から翠葉の携帯にかけると、何度かコール音が鳴ったあと、「ただいま電話に出ることができないか、電源が入っていないため」というお決まりのアナウンスが流れてきた。
「くっ……笑える」
今すぐ電話して教えてやってもいいんだけど、昼休みに学校を抜け出す司なんてそうそう見られるものではない。
いいや、傍観しちゃおう。
「海斗、さっき翠葉のことで呼び出されたんじゃなかったの?」
桃華に訊かれ、
「うん、そのとおり。でもさ、俺に訊かないで四方八方に携帯かけだして、あげくの果てには湊ちゃんのところに訊きに行くみたいだったからそのまま放置プレイ!」
「あら、意地悪ね」
桃華がにこりときれいに笑う。
「そういう桃華さんこそ、訊かれたら答えました?」
「そうね、言わなかったかもしれないわ」
と、また窓の外に視線を移す。
「だって、あんな藤宮司はめったに見られないでしょう?」
桃華は愉悦に満ちた表情を見せた。
みんな思ってることは一緒だな。
そこに意外な一言を発したのは佐野。
「あれはあれで貴重だけどさ、御園生は藤宮先輩に来られても困るだけじゃね?」
「なんで?」
「なんでって……女子はそういうの人に知られたくないもんだろ? 恥ずかしいって思うのが普通じゃん?」
「あぁ、そうか……」
ポン、と手を打ってしまう。
「けど、相手司だし……。翠葉が恥ずかしがったところでなんの反応もしないと思う」
「……それもそっか。いや、それでも恥ずかしいだろっ!?」
勘違いしないでほしい。
別に、うちの学校はこういう話を大っぴらに話しているわけじゃない。女子だって生理期間を男に知られて恥ずかしくないわけじゃないだろうし、男だって何も意識しないわけじゃない。
いや、中には司みたいな例外もいるけどさ……。
取り立てて、だからどう、というわけではなく、女に生まれるとそういう機能が身体に備わっていて、その期間がつらい子はつらいってことを教えてくれる学校。もしつらそうにしている子がいたら優しくしてあげましょう、そんな感じ。
あぁ、これだけじゃ具合悪そうにしている女子はみんな「生理」と思ってると勘違いされそうだ。そうじゃなくてさ、男たるもの女子には優しく、っていうのが基本理念。それが性教育にも通じるだけ。
なっちゃん先生は男の欲望についても理解を示してくれる。ただ、「女の子には優しくね」っていうのが基本理念の人。
司のその精神が翠葉だけに使われているのはやっぱり面白いと思う。
そういえば、中等部からうちの学校に入ってきた美乃里も佐野と同じようなことを言っていたっけ……。
「冷やかしの対象にされるんじゃないんだ」って。
逆にその意味がわからなくて問い返してしまった。
「なんで冷やかされるの?」
「わからないわよ。でも、こっちは知られたら恥ずかしいって思うし、それを冷やかしの材料にする男子なんていくらでもいたわ。私が通っていた学校ではそれが当たり前だった」
「当たり前」ってなんだろうな?
うちの学校ではこれが「普通」だけど、よそでは違うらしい。
この手の授業は「恥ずかしい」ものでしかない感じ。
教師がたちがそういう姿勢なのかと訊けば、
「そういうわけじゃないと思うけど……生徒たちを収拾できる教師がいなかったのも事実よ」
要は大の大人がガキどもの「性」に対する好奇心に負けちゃうわけだ。
そういう話を聞くとさ、学校って社会は狭いんだろうな、って思う。
学校を水槽にたとえると、「水槽」なんてもの自体がそもそもは作られた世界に過ぎなくて、学校なんてものはあらかじめ用意された社会なのだろう。さらにはそれを管理する人間、つまりは教師が変わることで水質も水温も、環境自体がまるで違うものになる。公立校は基本横ばい状態みたいだけれど、私立っていうのはだからこそ「特色」や「校風」なんてものが売りになる。
さてはて、マンションではふたりはどんな会話をするのやら……。
翠葉がご愁傷様なのか、司がご愁傷様なのか――俺からしてみたらどっちもどっちだな。
Update:2010/06/02 改稿:2017/07/08
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