でも、この真剣な目から顔を背けてはいけない気がする。
全然怖がる必要のない人で、朝早くにここまで来てくれた人で……。なのに、どうしてこんなにも自分が思っていることを伝えるのは怖いのだろう。
本当は気づかないでもらいたかった。でも、隠し通せるほど私は器用ではなくて、ツカサにつつかれたらそれまでは普通にできていたこともできなくなってしまった。
私は向き合おうと思っているだけで、まったく向き合えていなかったのかな。
この感情はふとしたときに襲ってくる。
だから、襲ってきたそのときだけ対峙して、それ以外は自分から意識して向き合うことはしていなかった。
だって、考えるだけでも怖いから……。
これは「逃げ」なのかな。この「逃げ」は人を傷つけるものなのかな。
昇さん、どっちだろう――
逃げても逃げなくてもつらくて、隠しておくこともつらくて打ち明けることもつらいなんて。
でも、どれを取ってもつらいなら――
「御園生?」
「佐野くん……これを言ったら佐野くんを傷つけることになるのかもしれなくて、そのあとに呆れられて嫌われちゃうのかもしれなくて、色んなことが怖い」
「……俺だって、今、御園生を傷つけるかもって思うこと言ったじゃん。世界が狭いのなんて行動を制限されている御園生に自分でどうこうできることじゃなかったと思うし、それをわかってて口にしたんだから、そういう意味なら俺だって怖かったよ。お互い様だろ? 自分の気持ち上の問題ならさ、少し踏ん張ってよ」
そっか……。佐野くんも言うのが怖かったんだ……。
佐野くんの口にした「怖い」は、自分の「怖い」と共通する部分がある気がした。だから自然と口が開いたのかな。
「ここにいる友達は中学の同級生とは違うってわかっているのに、体調が理由で一緒に行動できなくなるって思ったとき、またひとりになるのかなって考えちゃう。またクラスでひとり浮いちゃうのかな、って。みんな優しいし、今までだって仲間はずれになんてされたことないのに――」
この先を言うのが怖い。
「御園生、もう一息」
私はす、と息を吸い込み最後まで話す。
「信じているのに疑っているの。私が勝手に不安になって大好きな人たちを疑っているの。それを知られたら嫌われちゃうかなって、私が勝手に不安になって疑っているだけだから、呆れられても仕方なくて、でも、好きな人たちに嫌われるのはすごくすごく怖くて――今までが楽しかった分、ひとりになったらすごくつらいだろうなって――」
息が吸えなくなりそうな緊張を感じていると、隣からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
「御園生って本っ当に臆病だよな」
佐野くんが笑っていた。
「でも、その『怖い』は理解できる。俺も誰が味方なのかとかあれこれ詮索して、疑心暗鬼に駆られた時期があるから。信じたくても信じられないとか、御園生の場合は『信じてる』が前提だからちょっと違うかもだけど……。でも、類は一緒だと思う」
佐野くんがいつもと少しだけ違って見えた。
自信があって強い、というのが佐野くんに対する印象だけど、少しだけ――ほんの少しだけ、その裏側が見えた気がした。
「今」を見ながらも、「過去」を振り返るような、そんな目――
「御園生、あそこ見てみ?」
佐野くんが指差したのは校門で、そこには見知った顔がたくさんあった。
その中で、桃華さんが腰に手を当て、眉間にしわを寄せて立つ姿が目立つ。
「何が私たちのホームグラウンドは教室でいいわよね、だ。しっかり校門で待ちかまえてるくせに」
「え……?」
隣を歩く佐野くんに視線を戻したとき、背後から声がした。
「マンションまで迎えに来たおまえに言われたくねーんだよっ!」
後ろから現れた海斗くんにびっくりする。
佐野くんは海斗くんにがっつり絡まれていた。
気づけばすぐ近くにツカサもいて、「おはよう」を言うでもなく、頭にポンと手を置かれた。
本当にそれだけで、隣に並ぶ間もなく先に行かれてしまう。
その背を目で追っていると、
「今はクラスの時間っ!」
と、海斗くんに顔を覗き込まれ、至近距離にある顔にドキリとした。
校門に着くと、
「あら、佐野……翠葉と一緒に登校だなんていいご身分じゃない?」
桃華さんがきれいな笑みを湛えて佐野くんに突っかかる。
「俺は外部生だからさ、簾条たちみたいな余裕はないんだよ」
「佐野、何言ってんのっ!? 一学期が終わってもう二学期だよっ!? 持ち上がり組も外部生もうちのクラスじゃ関係ないでしょっ!?」
飛鳥ちゃんが目を吊り上げて怒ると、
「うちのクラスでは、ね。でも、ほかのクラスの人間がどうかなんて俺は知らないから。このクラスでできることをできるうちにしたかっただけ」
佐野くんは私に話したように答える。何もごまかさず、自分がどう思って行動したのかをありのままに。
クラスの男子にどつかれながら歩く佐野君を見て、いいな、と思う。
私もこんな強い人になりたい。こんなふうにみんなと笑える人になりたい。
校門からは、移動教室のときのようにみんながお団子のようになって桜並木を歩いた。
桜の葉っぱはまだ色づいておらず、風が吹くとザザと音を立てては時々ひらひらと落ちてくる。
そんな、のどかな秋の桜並木をみんなで歩いた。
ずっとこの中にいたい――
不思議と昨日感じたような恐怖は感じず、ずっとこのクラスにいたいという気持ちだけを強く感じた。
でも、ずっとこの中にいるためにはどうしたらいいのかな……。
佐野くんみたいにビシ、と一本筋が通ったような強さはどうしたら得られるだろう。
「翠葉っ!」
飛鳥ちゃんが隣に並び、空いている私の右手を取る。
「もし、翠葉が私たちから離れていこうとしても、私はこの手を離さないからね?」
「っ……」
「あら、そんなに驚くことじゃないでしょ? 一学期にも同じことを言ったわよ? もし学校を辞めるなんて言いだそうものなら、うちのクラスの人間が日替わりで迎えに行くわよ、って。覚えてないの?」
桃華さんに訊かれて、フルフル、と首を振る。
忘れるわけがない。
私はすごく嬉しくて、嬉しくて仕方なくて、あのときに撮ってもらった写真が今でも宝物で、手帳に挟んで毎日持ち歩いている。
今だって、かばんの中にそれはある。
佐野くん……私も強くなれるかな?
強くなりたい。自分の中にある負の感情に負けない強さが欲しい――
学校から帰ってきて制服を着替えると、リビングのソファの裏側に座っていた。
窓から柵までは二メートルほどあることから、空を見るのに柵が邪魔になることはない。
ここから見える広い空が好き。
今日、栞さんは実家のお手伝いに行っていてお昼はいない。
海斗くんは、この期間の昼食はたいていマンションのカフェラウンジで食べると教えてくれた。
ツカサは自分で作ったり、カフェラウンジで食べたり、とその日の冷蔵庫事情で変わるらしい。でも、今日はカフェラウンジで食べると言っていた。
「翠葉も一緒に食べようよ」
海斗くんが誘ってくれたけれど、私はその誘いを断わった。
楽しくご飯を食べる、という気持ちにはなれそうになかったから。
それもこれも、全部自分がいけないのだけれど……。
結局、私はクラスメイトに何も言えなかったのだ。
朝、校門で待っていてくれたことに対してのお礼も、今日一日何も訊かないでいてくれたことにも。
本当はみんなの前で話して、「ごめんなさい」と謝らなくちゃいけない。でも、今の私にはそこまでの勇気も度胸もなくて、けれども、このまま何も言わずにいることも後ろめたくてつらい。
「つらい」とか「怖い」という気持ちは全部自分から生まれるもので、司には「幻影」だと言われた。
間違いなくそのとおりなのだろう。現に、実際にはありもしないことに対する恐怖なのだから。
なのに、そんなことが原因でクラスメイトを少しでも疑ってしまう自分が嫌……。そして、そんな自分を心配してくれるクラスメイトに申し訳なくてつらくなる。
白状することも「怖い」ことの一要素。
携帯を手に、震える指で文字を表示させては変換される言葉に悩む。
どれだけ考えても、言い訳みたいな文章が並ぶから。
「メールで伝えるようなことじゃないものを書こうとしているから書けないのかな」
その場でコロン、と横になる。
暖房を入れていない部屋の床は冷たかった。
一度目を閉じ、床の冷たさだけに神経を集中させる。
みんな、ごめんね……。
今の私にはみんなを前に話す勇気はないの。でも、このままでいたくはないから――
私は身体を起こし、再度携帯のディスプレイにメール画面を表示させた。
Update:2010/06/02 改稿:2017/07/09
ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。
↓コメント書けます*↓