光のもとで

第12章 自分のモノサシ 07〜08 Side Momoka 01話

件名 :ごめんなさい
件名 :たくさん心配をかけてごめんなさい。
    今から書くことはとてもひどいことです。

    私はみんなが大好きです。
    ずっとずっと一緒にいたいと思うくらい
    大好きです。

    でも、時々不安に駆られて疑います。
    一緒に行動ができなくなることで、
    クラスの中で浮いてしまうんじゃないか
    またひとりになるんじゃないか、と。

    楽しいと思う時間を一緒に過ごせば過ごすほど
    不意に沸き起こる不安は大きくなります。

    怖いことがたくさんあります。
    ひとりになることも怖いけど、
    みんなのことが好きなのに、
    実は全然信じていないんじゃないか、と思われることも
    こんなことを考えていることを知られることも
    知られて呆れられてしまうことも
    全部怖い……。

    私自身、大好きな人たちを
    信じきれていないことも嫌。

    ちゃんとわかってるのに……。
    みんなが優しいことも
    ここが中学とは違うことも……。
    わかっていても心が思うとおりに
    動いてくれません。

    でも、みんなのことが大好きです。
    ずっとこのクラスにいたいと思うくらい
    三年間このクラスだったらいいのに
    と思うほどに好きです。

    本当は面と向かって話さなくちゃいけないことなのに、
    メールでごめんなさい。
    口にするのも考えるのも、何もかもが怖いの。
    もっとちゃんと向き合って
    しっかり対峙しなくちゃって思うのに
    怖くてできない。

    メールでごめんなさい。
    今朝、校門で待っていてくれてありがとう。
    何も訊かないでいてくれてありがとう。

    御園生翠葉


 二時前に届いたメールはひどく心に痛い内容だった。
「……会って抱きしめないと気がすまないわ」
 メール画面を消し、家の中にいる人間に電話をかける。
「出かけます。車の用意を」
『桃華様、今は試験前では……?』
 電話に出た男は、暗に外出を控えるように、と言っているのだろう。
「試験勉強をしに行くだけよ。学年首席がいるところにね。どう? ご不満かしら? 行き先はウィステリアヴィレッジよ。何か問題でも? あぁ、その場には海斗のほかに藤宮司もいるんじゃないかしら」
『……かしこまりました。ですが桃華様、藤宮の方々に敬称をつけることはお忘れなきよう――』
「あら、失念していたわ。車、表に回してもらえるかしら?」
『すぐにご用意いたします』
 通話を切ると携帯を投げつけたい衝動に駆られる。
 内藤和志ないとうかずし――私のお目付け役といった人間。
 家の用事で外出するときや学校の帰りが遅くなるときは、この男が私の送迎をする。
 お父様は外出のすべてにおいてこの男に送迎させたいようだけど、今のところそれは免れている。
「私はまだ高校生です。杏華きょうか姉様のように家出などするつもりはございません」
 そう言って黙ったということは、私にまで逃げられたら困る、と肯定したも同然。
 お父様が突きつけた難解な条件を蒼樹さんはあっさりとクリアしてしまった。
 だから、お付き合いすることに反対ができなくなった今、蒼樹さんよりも簾条に釣り合う人間を探しているようだ。
 その候補に海斗と藤宮司が挙がったのは言うまでもない。
「同世代に生まれ、さらにはご学友。こんな偶然はそう重なるものではございません」
 そう口にしたのは内藤だったと記憶している。
 けれども、この件に関しては「偶然」などひとつもないのだ。
 本当は藤宮司と同学年になるよう私を産むはずだった。が、うまくはいかず、その翌年、紅子様が海斗を身篭ったという情報を得て、同学年になるよう再度計算されて母は妊娠した。
 そうして、私は生まれる前から藤宮へ通うことが決められていた。
 偶然というならば、私の性別が女であることだけだろう。
 だいたいにして、藤宮に通っている人間ならば、誰もが学友だ。
 私だけに該当するわけではない。
「バカらしい……」
 この家では私の気持ちがどこにあるかなど考えてはもらえない。

 帰宅してから着物を着ていた私は着替えるのも億劫で、そのままの格好で出かけることにした。
 とりあえず、形だけは……といくつかのテキストを風呂敷に包んで。
「そうだ、餡子なら食べても大丈夫って言ってたわよね」
 ふと、翠葉の食べられるものを思い出し台所へ立ち寄る。
「和子さん、大福あるかしら?」
「はい、ございますよ」
 ふくよかな身体付きの女性――もとは住み込みの使用人の子どもで、小さいころから簾条の家に仕えてくれている人。
 和子さんは実の家族以上に親しみのある人だった。
 私が喘息で静養を必要としたとき、一緒についてきてくれたのも和子さんだった。
 和子さんから包みを受け取り、それを持って表玄関へ向かう。
 門の外には黒塗りのベンツが停まっていた。
 後部座席に乗り込むと、運転席の内藤がバックミラーでこちらをうかがっているのがわかる。
「何かしら。運転は後方より前方に注意を払うものではなくて?」
「……お言葉ですが、海斗様と司様にお会いになるのでしたら、違うお着物をお召しになるべきではないかと……」
 何を言い出すのかと思えば……。
「今日は表向きの外出じゃないわ。友人との勉強会よ。小紋に名古屋帯でなんの問題があるのかしら」
 カジュアルといえばカジュアル。けれど、茶会に招かれているわけでもなんでもない。
 どちらかというならば押しかけ。
 しかも、用があるのは海斗でも藤宮司でもない。
「行き先はウィステリアヴィレッジでも、尋ねる相手は海斗でも藤宮司でもないわ。クラスメイトの翠葉よ。今はわけあってゲストルームに滞在しているの」
「っ……では、尚のことっ――」
「早く出しなさい。運転に集中していただけないようなら歩いていくわ。私、内藤と心中するつもりはさらさらないの」
「桃華様、今一度、お部屋に戻られお召し物のお着替えを」
 まだ言うか……。
「車を出しなさい。翠葉は私の友人よ。同級生の家へ行くのに何をそこまでかしこまる必要があって?」
「ですが、もしも静様のお目に留まるようなことがございましたら――」
「内藤――私は簾条を背負うつもりはないけれど、恥を晒すつもりもないの。不満なら結構。表通りに出てバスで行くわ」
 内藤は納得をしたわけではない。けれど、私をひとりで外出させることもできず、車を発進させることを選んだ。
 着物は嫌いじゃない。華道も茶道も嫌いじゃない。
 何が嫌いかというならば、格ばかりにこだわる人間たちが嫌。
 着物の装いにランクがあるのはかまわない。それは一種ドレスコードといえるもので、TPOをわきまえた服装をというのは現代の服装においても同じことが言えるのだから。
 ただ、誰の前でどんな装いを――という部分において、家の用事ならともかく、友人関係にまでそんなものを持ち出されたくはない。
 家同士の関係を私個人の友人関係に持ち込まれるのは真っ平ごめんよ。

 マンションに着くと、内藤に開けられる前に自分でドアを開けた。
 焦って出てきた内藤に問われる。
「お帰りのお時間は?」
「そのときになったら連絡するわ」
「それでは困ります」
「なら、いらないわ」
「桃華様っ!?」
「紅葉祭の準備で遅くなるのとはわけが違うのよ。日が落ちる前には帰ります」
 黙る内藤を背に、その場をあとにした。
 自動ドアを入ってすぐのところでコンシェルジュに声をかけられる。
「いらっしゃいませ。本日はどちらのお宅へご訪問でしょうか」
「簾条と申します。御園生翠葉さんのお住まいを尋ねたいのですが」
「少々お待ちください」
 コンシェルジュはカウンター内の受話器を手に取った。
 このマンションのセキュリティは機械だけではなく人も動く。
 マンションの住人ではない人間が訪れると、訪問先を問われ、あらかじめ住人側から連絡が入っていない場合はその場で住人に確認を取る。
 この方法ならセールスの類は排除できるだろう。
 宅急便においても例外はなく、このカウンターでの受け取りになり、設置組み立てが必要なものに関しては、コンシェルジュが代行するという。
 住人以外でエントランスの先まで入れるのは、マンションが契約している引越し業者と清掃業者のみらしい。
 さらには、ここには普通のマンションの一階に見られるようなポストの類はなく、郵便物も新聞も、すべてコンシェルジュが一括して預かり、住人の住む家のドアポストに届けられるという。
 クレジットカードなど、重要な郵便物においてはコンシェルジュから連絡が入り、在宅が確認さされると郵便局員がマンションへの立ち入りを許される。
 表にはコンシェルジュが立ち、裏の非常通路には藤宮警備の人間が配置されている。
 海斗の話だと、別棟の駐車場にも警備員が常駐しているという。
 厳重なセキュリティが敷かれているここでは、車上荒し並びに空き巣などの被害が出たことはないらしい。
「簾条様、お待たせいたしました」
 どうやら翠葉とは連絡がつかず、代わりに海斗と連絡がついたとのこと。
「海斗様がいらっしゃるまでこちらでお待ちください」
 と、カフェラウンジへ案内された。
 ホテル並みに徹底した接客。
 数回しかお会いしたことはないけれど、次期会長と言われる人にはそれだけの力があるのだろう。
 そんな藤宮と縁者になりたいと思う家がどれほどあることか――
 その「家」の中にうちが入っていることに嫌気が差した。
「くだらないわね……」
 だから杏華姉様に逃げられるのよ……。
 飲み物が運ばれてくると同時、海斗がラウンジに入ってきた。
「桃華からはメールも電話もないと思ったら、直接乗り込んできたか」
 うしし、と笑っては自分の飲み物をオーダーして私の正面に座った。
「いけなかったかしら?」
「いいえ、助かります」
「翠葉は?」
「結構ズタボロ」
「……でしょうね。あの子、実は自分を追い詰めるのが好きなんじゃないかしら」
「それだけ真面目なんだろ?」
「そうね……真面目というか、正直すぎるというか――」
 私たちが佐野のように問い詰めることはなかっただろう。「待つ」と決めていたのだから。
 それでも翠葉は、その状況を自分に許しはしない。
「今は司がついてるよ」
 藤宮司……いったいいつまでこのままでいるつもりなんだか――
「あれってサドだと思ってたんだけど、実はマゾ?」
「くっ、俺も同じこと考えてた」
 海斗は身体を折って苦笑する。
「私ね、一緒に卒業できればいいと思っていたの」
 この三年間でどうにかするつもりだったし、どうにかできるつもりでいた。
「俺も。同じこと考えてたけどやめた。もっと長期戦で行くことにしたわ」
 あぁ、ここにも気づいた人間がいたのね……。
 それでも短期決戦を選ばないところが私と海斗だろう。
「それって佐野がきっかけ?」
「そう。桃華も?」
「そうよ……」
 佐野はきっと、言葉の意味そのままにしか伝えようとしていない。
 でも、私も海斗もその言葉に違うことを考えずにはいられなかった。

 ――「三年間のその先は?」
 ――「三年間一緒にいて待つだけで、それだけで大丈夫なの?」

 そんなふうに問われた気がしたのだ。
「高校の三年間って長いのかしらね。……それとも、短いのかしら」
 ずっと藤宮育ちの私たちにはわからない。
 幼稚部、初等部、中等部、高等部――
 大学も藤宮に進むという生徒は少なくないだろう。
 生まれてからのほとんどの時間を一緒に過ごしてきた人間がたくさんいる。
 私たちにとってはその中の三年間にすぎない。
 でも、外部生である佐野や翠葉にとっては違う。
 高校三年間という時間を翠葉がどんなふうに感じるのかなんてわからない。
 人には平等に一日二十四時間という時間が与えられているけれど、感じ方は人によりけり――千差万別だ。
 佐野は常に「タイム」と向き合っている。
 コンマ一秒を縮めるための努力をどれほど積んできたことか……。
 それを考えたとき、時間があるからといって、その時間に胡坐をかいていいのかに悩んだ。
 でも、翠葉の抱えるものは焦ったところでどうこうできるものでもないだろう。
 それは変わらないけれど――
「佐野は思ったことをそのまま口にしただけだと思う。でも、俺は――」
「私もよ。三年過ぎたらそのあとは? って訊かれた気がしたの」
「環境ってすごいな? 俺も同じこと考えた。だから俺、とりあえず十年二十年先に引き延ばしてきた」
「……相変わらず抜け目ないわね」
「一番抜け目ないのは司だけどな」
 そう言って、抜け目ない男ふたりの保険屋の話を聞いてから九階へ――翠葉のいるゲストルームへ向かった。



Update:2010/06/02  改稿:2017/07/10



 ↓↓↓楽しんでいただけましたらポチっとお願いします↓↓↓


 ネット小説ランキング   恋愛遊牧民R+      


ネット小説の人気投票です。投票していただけると励みになります。


 ↓コメント書けます*↓

© 2009 Riruha* Library.
a template by flower&clover