光のもとで

第12章 自分のモノサシ 18 Side Akito 01話

 司たちが出ていったあと、窓際からの視線に身体を向ける。
「で、茜ちゃんはインク以外に何かご用?」
「大した用じゃないんですけどね」
 にこりと笑う様はどこにでもいる普通の女子高生。けれど、彼女は未来を渇望される歌い手でもある。
 まだどっち方面に身を振るのかは明らかにされてはいないけど。
「意外でした」
「何が、かな?」
「司に対するアドバイス」
 アドバイス、ね。
「大丈夫ですよ、司は大丈夫」
 茜ちゃんは言いながら、今はもう閉まっている厳重なドアに視線を向けた。
 あれは助言とも取れなくはないが、その実どちらでもない。
 今ある司の状態を指摘しただけとも言えるし、けしかけた、とも言える。
 言葉なんて相手がどう受け取るかによって意味が変わったりする。
 だからこそ俺は、翠葉ちゃんに言葉がきちんと伝わっているかの確認を怠れない。
 彼女にだけは真っ直ぐ言葉を届けたいと思うから。
 その分、余計にストレートな物言いになる。
 それだけでは不安な俺は、さらにたくさんのたとえ話を用意するんだ。
「茜ちゃんは司の味方でしょ?」
「えぇ、もちろん」
 それはそれはかわいらしく微笑んだ。
「私は秋斗先生がなんであんなことを司に言ったのかがわからない。秋斗先生だって、今は司にアドバイスする余裕なんてないでしょう?」
「あぁ、ないね」
「じゃぁ、どうしてですか? 何か黒い企みでも?」
 この子は相変わらずだな……。
「残念ながら、何も企んでないよ。企む余裕すらないからね」
 笑って見せると、「信じられない」という視線で見つめられた。
 このあたりで笑顔の応酬は終わりかな。
「ホントホント、余裕なんて全然ないよ。君がどう思っているかは知らないけど、俺にとっては司もどうでもいい人間ではないからね。でも、負けるつもりもなければ彼女を譲るつもりもない」
 言ったところで理解なんてものは得られないだろう。それでも別にかまわないけど……。
 司があれを助言と受け取らなくとも、俺が言いたいことは伝わったはず。それで十分意味は成している。
 今はこの子に訊かれたことに嘘のない答えを返せればそれでいい。
「……邪魔しないで。お願いだから、あのふたりの邪魔をしないで」
 彼女は唇を震わせながら言うと、キッ、と俺を睨んだ。
 威嚇の仕方が野生動物っぽい。
「そこに君は何を願っているの? あのふたりが君の答えにはなり得ないでしょ?」
「っ……」
「成り行きを見守るのはいいとして、ふたりの関係が変わったからといって、それで自分の何かが変わるわけではないし、自分と誰かが同じになれるわけではないよ。それらはまったくの別ものでしょ」
「そんなこと言われなくてもわかってるっっっ」
「いや、わかってないでしょ? わかってないからあのふたりの邪魔をされるのが嫌なんでしょ? 俺の考え違いなら悪いけど、君はあのふたりの幸せを望んでいるというより、ただうまくいくことを望んでいるだけだよね?」
 彼女がつつかれたくない場所を的確についてみせる。
「成り行きを見守ることで自分の何かが変わると信じているのなら、俺はもっと邪魔をしたほうが君のためになると思うけど? そんなに心を揺さぶられたくない? 自分の気持ちにも相手の気持ちにも自信が持てない?」
「うるさいっっっ」
「大声を出しているのは君だけだけどね」
 彼女は耳を塞いで蹲った。
 これがステージに立つと妖精の歌姫と称賛される少女の本当の姿――
「窓際は冷えるよ」
 声をかけただけではその場を動きそうにはなかった。
 ここは軽度の防音を施してあるけれど、今、ドアの向こうにはかなり大人数の生徒がいる。窓の外、テラスもしかり。
 場所を移したほうがいいな……。
 仮眠室を開け、さらにその奥にある階段の施錠を外す。
「茜ちゃん、おいで」
 声をかけても蹲ったまま顔を上げない。
 仕方ないから白衣を頭からバサリとかけ、まるで荷物でも運ぶように図書棟の三階へ上がった。
 生徒立ち入り禁止区域であり、俺と学校長の許可なしには入れない場所。
 ここには窓もなければ防音も仕事部屋よりは厳重だ。
 どんなに泣き叫んでも外に漏れる心配はない。
 置いてあるものが傷まない程度の空調もきいている。
「はい、どうぞ。好きなだけ叫んでも泣いてもいいよ」
 そう言って彼女を下ろす。
 俺はなんだって今日に限って女の子ふたりに泣かれる羽目になっているんだろうか。
 方や愛しい女の子。方や問題抱えまくりの歌姫。
 翠葉ちゃんに関しては、自分の前で笑っても泣いても何をしてもいい。でもこの子は――
 俺、そんなに面倒見がいいタイプじゃないんだけどな……。
 ま、それはこの子もわかってるか。
「誰を好きと言ってもいいし、どんな懺悔をしようとここには俺しかいない。あいにく、置いてある資料が資料なだけに俺がこの場を離れるわけにはいかないけどね」
 二年前、彼女は一度だけここへ来たことがある。
 あれは図書棟の改修工事が終わったばかりのころだったか――
 あぁ、考えてみれば桜の花が終わって緑が深まる少し前くらいだったかもな。
 今年の春を思い出し、そんなことを思った。
 俺は翠葉ちゃんと出逢うまで、季節の移り変わりなんてものに興味はなく、ただカレンダーの数字のみを見て生きてきたにすぎない。
 工事明けなんてタイミングでなければ、二年前、としか記憶していなかっただろう。
 別に助けるつもりも関わるつもりもなかった。この子と出逢ったのは単なる偶然。
 保護者会があった日のこと。俺はたまたまその場に居合わせてしまっただけだ。
 通りすがりに会話を聞いてしまったというのが正しいか……。
 猿――もとい、加納の両親が彼女に吐いた辛辣な言葉の数々を。
 あれは会話にもなっていなかったな。
 一方的に突きつけられる言葉に彼女は返事をするでも頷くでもなく、ただただ無表情を通した。そして、猿の両親が見えなくなると、その場にペタリと座り込み、声を殺して泣き出した。
 両親は結婚しておらず母子家庭であること。認知はされているがその父親が芸能界にいること。そして、彼女自身が芸能界に片足を踏み入れていること。挙句の果てには母親の精神科通院歴まで持ち出されていた。
 ほかにも細々とあれこれ言っては「おまえのような人間は加納の家には不釣合いだ」と罵られていた。
 言われたことのほとんどが、彼女にはどうしようもないことだったと思う。
 俺は木陰から出て、蹲る彼女に白衣をかけた。
 言われたことに対してではなく、声を殺して泣く姿が痛々しくて。
 こんな形で生徒と関わること事態が初めてだった。
 彼女が牙を剥いたのはそのときだったかな。
「放っておいてっっっ。どうせ、秋斗先生だって同じように思ってるんでしょっ!?」
「心外だな」
「憐れまれるのなんて真っ平っ。藤宮だって、加納の家とそう変わらないでしょうっ!?」
「どうだろうね? 俺は加納の人間ではないし、藤宮という一族は人が多すぎて考え方も様々だ。俺はあまり面倒なことは考えない主義なんだ」
 にこりと笑う俺をさらに睨み返してきた。
 この笑顔も通用しないか、と対応を変えたのを覚えている。
「あえて言うなら、俺は君を哀れだとは思っていないし、なんとも思っていない。加納の人間が生徒会の子を捕まえて何かやってるな、とは思ったけど」
 内容もばっちり聞こえてしまったわけだけど、あの境遇だから彼女がかわいそうという発想には至らなかった。
 どちらかというならば、加納の人間と顔見知りの俺は、ここにもくだらない御託を並べる面白くない人間がいる、とそう思っただけ。
 それこそ、うちの一族のあちこちでもこんなやりとりは日常的に行われているだろうけれど、俺はそれらすべてを把握するほど暇でもなければ物好きでもない。
「ついでに、藤宮で一括りにすると、君も知っている俺の従弟がすごく嫌な顔をすると思うけど?」
「……秋斗先生、先生のくせに変だわ」
「あぁ、ごめんね。俺、こんな格好して校内にいるし、生徒会の顧問なんて言われているけど、所属は学園ではなく藤宮警備。教職員じゃないよ。いちいち訂正するのが面倒だから勘違いされたままにしてあるけど。それで別に困ることないし」
「っ……」
 彼女は生徒会のメンバーだからほかの生徒に比べれば接することがある、という程度で、それはあくまでもほかの生徒と比べたら、という話。
 当時は、今の生徒会メンバーほどには交流などなかった。
 お子様は範疇外だし極力面倒なことには首を突っ込みたくない。
 生徒会の顧問とはいえ、うちの学園は生徒が主体で教師がイベントの表に出ることはない。たまに訊かれたことに答える程度だった。
 知らん顔して通り過ぎればよかった。もしくは、来た道を引き返せばよかった。
 自分がなぜそうしなかったのか。
 誰もいないのに声を殺してなく姿を見たからかな。
 ほかになんの理由もなく、深い意味もなかったと思う。
「いいよ、今だけは少し先生ぶってあげるからこっちに来なさい。君もそんな顔を人目に晒したくはないでしょ」
 おいでおいでと手招きをして連れてきたのがここ。図書棟の三階だった。
 図書室という名の生徒会室には人が入ってくる可能性があったし、それは俺の仕事部屋も変わらなかった。
 あのころはまだ改修工事が済んだばかりで確認事項が山積みだったから、学園警備の人間が出入りすることもあれば、社外秘ファイルも山積みだった。
 司もいなかったから、蒼樹と蔵元が来ない日はずいぶんと物が散乱していた記憶がある。
 通せる場所は仮眠室とその上の階のみ。
 そこで彼女に言われた。
「秋斗先生のイメージが崩れたわ。いつもは格好良くて優しい先生なのに……」
 それはそうだろう。普段はそう思われるように振舞っているのだから。でも――
「君はハリボテの優しさなんて欲しくないんでしょ?」
 そのくらいはわかるよ。いくら君がどんな子なのかを知らなくてもね。
「要らないものを押し付けるほど子どもじゃないし、求められてもいないのに繕って見せる必要もない。言ったでしょ? 俺は教師じゃないって」
「……幻滅だわ」
「なんとでも」
 にこりと笑みを返すと、
「でも、その辺の大人よりもよっぽどいいわ」
 と、彼女は一言漏らした。
 彼女は俺と顔を合わせてからすぐに涙を止めた。
 その涙腺には蛇口でもついているの? と訊きたくなるような早さで。
 そのときは淡々と彼女の持つ不安や不満を聞いたんだっけか……。
 コンクールで賞を取れば親の七光りと言われ、けれどコンクールでいい成績をおさめなければ父親の視界にも入れない。母親からは「どうしてできないの」と責め立てられる。
 どんなに自分が努力してがんばったところで得たい評価は得られないのに、そんな努力を重ねれば好きな人の両親から蔑まれる。自分がいったい何をしたのか、と――
 周りの大人に対する不満を俺にぶつけてきた。
 文句を言いたくても聞いてくれる大人がいなかったのだろう。
 俺だって数年前までは学生だったわけだけど、彼女よりはいくらか年を重ねた人間で、高校一年生の彼女からしてみたら、十分大人と呼ばれる類に組していた。
 俺と彼女の出会いはそんなものだった――



Update:2010/06/02  改稿:2017/07/10



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