光のもとで

第13章 紅葉祭 28話

 椅子にかけて一息つく。
「葉月さん、少し雑な扱いをするけど許してもらえますか?」
 葉月さんは訝しげな顔をして見せる。
 これはやっぱりだめだろうか……。
 すると、神楽さんたちが会話に加わった。
「翠葉ちゃん、荒業知ってるのね?」
 荒業と言われてみれば、荒業だなぁ……。
 思わず苦笑してしまう。
 でも、私が家で調弦するときにはこの方法をとっている。
 この方法で調弦したあとは、しないよりは長めにピッチを維持してくれるから。
「葉月さんだっけ? たぶん、彼女がやろうとしている方法が一番いいと思うわよ?」
 神楽さんは少し突き放すような話し方をする人だった。逆に、都さんは擁護するように話す。
「別に楽器を壊すとか乱雑な扱いをするという意味じゃないの」
 ふたりは磁石のプラスとマイナスのよう。
 双子ってこんな感じなのかな……。
 葉月さんはプロに言われたからか、口元を歪ませながらも了承してくれた。
 私は肩を何度か上下させ、手を軽く振ってグーパーグーパーと繰り返す。
 楽器に触れる前のちょっとした準備運動。
 インカムを外し朝陽先輩に預けると、椅子に座りハープを抱え、力いっぱいに弦を掴む。
 両の手の、親指から薬指までの八本をフルに使い、弦にセットした指にぎゅっ、と力を入れる。
 弾いているわけではないので、音は鳴らない。
 こうすることで、弦にいつも以上の張力がかかり、ナイロン弦が伸びたり弦自体が緩む。
 私は今、わざと音程を狂わせるような行動をしていた。
 調弦の前に、弦が伸びるように目一杯引っ張っているのだ。
 低音のワイヤーが長時間ピッチを維持できるのは、弦がナイロンではなくワイヤーだから。
 ワイヤー弦には伸び代がない。ワイヤー弦を干渉できるのはボディとフレームの木枠部分だけ。
 湿度の関係で膨張したり収縮する木の性質だけに左右される。
 左右といっても、ナイロン弦に比べたらわずかなものだ。
 全部の弦をしっかり掴んだあと、音の調整に入る。
 調弦は得意なほうだと思うけど、二十九本の調弦にはそれなりの時間を要す。
 張り替えた音だけは音階に組しない音に設定し、ナイロン弦をできるだけ伸ばすため、許される範囲で無造作に締めていた。
 けれど、これもやりすぎればすぐに弦が切れる。
 そこは自分の経験だけが頼り。
 精密さには欠ける程度に調ったら、力いっぱいにアルペジオを弾く。
 今度はしっかり掴んだ状態で弦をはじくのだから、当然音も鳴る。
 それも普段演奏するような穏やかな音ではなく、荒ぶった音。
 強弱記号でたとえるならフォルテシシモくらい。
 咄嗟に周囲のマイクをオフにしてくれたのは朝陽先輩と都さん。
 それらを二クール済ませたあと、完全五度調弦に入る。
 きっちり合わせたつもりだけれど、チューナーは使っていない。
 その代わり、ここには歩くチューナーがいる。
「都さん、神楽さん、最終チェックお願いできますか?」
 ふたりはにこりと笑顔になり頷いてくれた。
 結果、張り替えた弦以外にはOKをもらえた。
 あたりを見回して思う。
 この環境だとどうしても音は高くなってしまうだろう。
 会場自体が乾燥気味だし、ここはライトも浴びる。すると、必然的に楽器のテンションが上がり、音が高くなってしまうのだ。
 第二部の後半であそこまで音が狂ってしまったのは環境のせいでもある。
 だから、最後にもう一度だけ弦をしっかりしならせた。
 これでどれほどピッチを維持できるかはわかならい。でも、やらないよりはやっておいたほうがいい。
「チューニングレバーは張り替えた弦のピンにつけたままにしておきます。手が空いたときにはすぐに調弦してください。若干高めに合わせておいたほうがいいかもしれません」
「そのくらい知ってるわよっ」
 そうだよね。できないのは弦の張替えであって、張替え直後のチューニング法くらい知っていて当たり前。
 もしかしたら出すぎた真似をしたかもしれない。
 そう思っていると、
「ありがと……」
 ぼそり、と言われた。
「……いいえ」
 都さんと神楽さんにもお礼を述べ奈落へ戻ろうとしたとき、葉月さんに呼び止められた。
「あなたの歌う曲っ、『小さな星』にもハープの音があるんだからっ」
 私はびっくりして目を見開いてしまう。
 振り返ってもなんと言葉を発したらいいのかわからないし、声を発するには少し離れすぎている。だから、私はぺこりとお辞儀だけをして奈落へ戻った。

 奈落に戻ると、会場から力強い和太鼓の音が聞こえ始めた。
 まるで夏の打ち上げ花火みたいな音たち。
 会場でその振動を肌に感じたいと思うものの、この時間に私は休憩を取らなくてはいけない。
 定位置に戻ると、ツカサが「遅い」という顔をして待っていた。
「インカムにくらい応答しろ」
 あ……。
「ごめんなさい。私、インカムを外していたの」
 申し訳ございませんの姿勢で謝ると、朝陽先輩がフォローしてくれた。
「ま、調弦するのにインカムなんてつけてられないよね? 代わりに俺が応えたんだからそう怒るなよ」
 朝陽先輩に「はい」とインカムを渡され、私はすぐさま耳に装着した。
 ツカサは朝陽先輩の言葉には何も返さず、
「休憩を取るのに図書棟へ戻るから」
 と、第四通路へと向かって歩き始めた。
 それは最初から決まっていたことだけど、今はこの音が聞きたくて、もう少しこの振動を感じていたくて、この場から離れるのが名残惜しい。
 でも、これはついていかないといけない状況。
 渋々ツカサのあとを追う。
 無機質な通路には自分の足音と和太鼓の音だけが響く。暗いと音も大きく聞こえるから不思議。
 でも、私の前方を歩くツカサの足音は聞こえなかった。
 和太鼓部が演舞する場所は円形ステージとスクエアステージの間の空間。
 花道を境にAグループとBグループに分かれての演舞。
 ちょうど、この通路の上あたりで演奏している。
 見たかったな……。
 そっと通路の壁に手を添えると、会場から伝う振動が確かに感じられた。
「ツカサ、どうしても――どうしても図書棟まで戻らないとだめかなっ?」
 だめもとで打診してみる。
「……横になって休んだほうがいいだろ」
「……でも、これ聴きたい」
「あとで編集修されたものがDVDで見れる」
「そうじゃなくて……今、この瞬間に鳴ってる音。振動とセットのがいい」
 図書棟まで戻ったら間違いなく振動からは切り離される。
 会場で聞きたいとか、モニターを見ながら聞きたいとか、そこまでのわがままは言わない。ここでいいから――
「……わがまま」
「うん……」
「開き直るな……」
 ふたり、しばらくは無言で歩いていたけれど、ツカサがわざとらしく大きなため息をつき、歩くのをやめた。そして、インカムのリモコンを操作し始める。
「唯さん」
 えっ、唯兄……?
「あぁ、かまいません。ここにいるわがまま姫が第四通路で休憩を取りたいと言いだしたので、お忙しいところ大変恐縮なんですが、手配してもらったものをすべて持ってきていただけますか。――えぇ、布団以外も、です。ここはあくまでも通路で、決して人が寝るための場所ではないのですが、そこで休むとか言い出した、バカ、がいるので……」
 ところどころにアクセントが入り、刺々しい言葉が威力を増す。
 ひどい言われようだけど、悲しいことに反論する余地がない。
 通信を切ると、ツカサはその場に座り込んだ。
「今、蔵元さんが軽食と飲み物、その他布団など――持ってきてくれるから座れば?」
 険呑な目で下から見上げられ、私はおとなしく従った。
 壁に背をつけるとケープを通過してひんやりとした冷気が肌に伝う。それと同時に和太鼓の振動も伝ってきた。
 音と振動が心地いい。
 目を閉じ、それらに意識を集中していると、
「……本当に音が好きなんだな」
 力強い太鼓の音の中に、ツカサの落ち着いた声が混じる。
「うん」
「音からは何が伝わる?」
 何……?
「……そうだな、色、でしょ? 温度、でしょ? 質感とか、色々……。奏者の感情とか作曲した人が伝えたかった旋律やリズム、本当に色々」
「……そう」
 そのままの状態で数分もすると、蔵元さんが相馬先生とやってきた。
「……ツカサ、もしかして図書棟に戻るのって、私の診察も込みだったっ!?」
 ぷい、と顔を背けられる。
「ったく、待機してたのによぉ。元気なくせして俺に足を運ばせるとはいい度胸だ」
 相変わらずの相馬先生節に苦笑い。
「おら、脈見せろや」
 先生は手に持っていた羽毛布団をばさり、とその場に置くと、私の両手首を取った。
「ま、悪くはない。ほらよ、エネルギー摂っとけや」
 蔵元さんが持っていたプレートを先生経由で渡される。
 プレートには、先ほどと同じように二切れのフルーツサンドが乗っていた。
 今度はクリームの中に赤いものが見える。それはきっと苺。
「全部坊主の手配で図書棟に届いてたもんだ」
 言って早々に立ち去ったのは相馬先生。蔵元さんはツカサに捕まっていた。
「唯さんがインカムにも応答できない状況ってなんですか。……今日、あの人に出番はないはずじゃ?」
 蔵元さんは苦笑しながら話す。
「さすが司様ですね。今、この学園には会長直系の方がたくさんいらっしゃいます。今日、会長がここにいることも一部にリークされていまして、そこまでは想定内だったのですが……」
「ほかに何が?」
 言葉を濁す蔵元さんに、ツカサは要点だけを話せと命令するように話す。
 蔵元さんは佇まいを直し、こう答えた。
「メインコンピューターが攻撃されています。今、本社の人間も駆り出して対応に当たっていますが、唯レベルの人間は秋斗様とふたりですからね。もうしばらくはかかりますが、唯が楽しんでいるようでしたから、そう長くはかからないでしょう」
 最初の攻撃されている、という言葉にはドキリとしたけれど、最後の唯兄が楽しんでいる、という言葉に気が抜けてしまった。
 けど、ツカサは今の答えでも満足できないようだ。
「どの時点で気づいたんですか?」
「そこは信頼していただけると嬉しいのですが……。うちのメインコンピューターの門番は、データの吸出しを許すような甘い人間ではありません。こういった件において、唯の敏捷性は群を抜くものがあります」
 にこりと微笑む蔵元さんは、ただ者ならぬ雰囲気を放っていた。
「なるほど……。進入された時点で気づけたわけですね」
「はい。こちらのアクセスを遮断される前に手を打っております。情報の吸出しはおろか、改ざんする暇も中を盗み見る時間もなかったでしょう。今は侵入者を追い詰め中です。その傍らで、秋斗様は新しい防御ソフトの開発をしていらっしゃいます」
「……秋兄に、仕事が嵩むようなら声をかけるように伝えてください」
「かしこまりました」
 蔵元さんは丁寧に腰を折り、暗い通路へと姿を消した。



Update:2011/09/30  改稿:2017/07/11



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