勇気を振り絞って――そんな話し方。
そこまで怖がらなくてもいいと思う。ある意味俺に失礼。
「昨日も言ったんだけど――」
俺は言われた覚えはない。
「ツカサが、ツカサが格好良くて困ってるだけっっっ」
翠はぎゅ、と目を瞑って爆弾を吐き捨てた。
身体の両脇に下ろされている手にはこれでもか、というくらいに力が入っている。
緊張からか、肩もわずかに上がっている始末だ。
「だからさ……」
俺はもう一度ため息をつく。
とうに出尽くしたはずのため息がまだ出るとは驚きだ。
「わかってるよっ。そんな短時間で顔は変わらないとか言うのでしょっ!? でも、服装が違うんだからっ」
「翠、どれだけこの顔が好きなわけ?」
「え……? それは、ものすごく……。ど真ん中ストライクくらい……?」
首を傾げながら言われても困るんだけど……。
第一、そういうことを簡単に口にするなよな。
自分の態勢を整えないことには反撃不可能と判断し、今度は深く息を吐き出した。
「じゃぁ――翠がかわいくて直視できない。かわいくて困る」
そこまで言って視線を合わせると、翠は目をまん丸に見開いていた。
「……って、俺がそう言って翠を避けたらどうする?」
翠は急に泣きそうな顔をして、
「意地悪……。そんなこと思ってないくせに」
本気で意地悪だと思われている気がして、つい本音が漏れる。
「……思っているかもしれないだろ?」
そうは言ってみたものの、信じるには程遠そうな表情をしていた。だから、いつものように笑みひとつで冗談とすり替える。
「ツカサの意地悪っっっ」
「俺を避ける翠が悪い」
気づけば反射的に答えていた。
こんな応酬が日常的になりつつあり、そんな会話にほっとする自分に嫌気が差す。
このままじゃいつまでたっても「このまま」なのに――
すっかり人がいなくなった校舎は閑散としていて寒さが助長される気がした。
もとより、最初からテラスという屋外にいるわけだから、これ以上寒くなりようがないわけだけど……。
何よりも翠を立たせておくくらいなら歩かせたほうがいい。そうしないと徐々に血圧が下がり始める。
俺は何も考えずに手を差し出した。
翠はその手を見ているだけで自分の手を重ねようとはしない。
あぁ、またか……。
「何を悩むのか訊きたいんだけど……」
「ツカサの好きな人が見たら誤解するかもしれない。それは嫌でしょう?」
「あぁ……そんなこと」
「そんなことってっ!?」
「やけにくだらない理由だと思って」
「くだらなくないでしょうっ!?」
「くだらないな。誤解したなら解けばいいだけだ。だいたいにして、今現在、根本的なところを誤解されているからなんの問題もない。本当にあり得ない誤解をするバカなんだ」
全部本音、嘘偽りなし。本当にどうしようもないやつ……。
俺は思わず空を仰ぐ。
そこには秋の四辺形と呼ばれる星を見つけることができた。
翠は俺に好きな女がいると気づいているにも関わらず、それが自分だとは認識しない。
スタート地点から誤解だらけだ。むしろ、誤解しか存在しないし、これ以上の誤解なんてあり得ない。でも――
「それを言うなら翠も、か。いや、実のところは俺じゃなくて翠が困るからなんじゃないの?」
「え……?」
「翠だって好きなやつがいるだろ?」
翠はバカか? 正真正銘のバカなのか?
何を今さら、「知っているの?」といわんばかりの顔をする?
昨日、あんなふうに歌を歌って、俺が気づかないとでも思ったのか?
ここまできて俺の悪い癖が出る。
相手が思わぬ言動をするたびにイラつく。
それが声に表れないように、と思っていたにも関わらず、声音以前に口にした言葉がだめすぎた。
「そいつに勘違いされるのは困るから、だからこの手を取らない?」
一度話し始めたら途中では終われない。
「そのほうが手を取らない理由としてはしっくりくるな」
この手、とっとと下げろよ……。
そうは思うのに、まだ何かを期待しているのか、俺の手は意思とは関係なく宙に留まったままだった。
いずれにせよ、今はこの手を取ってもらえはしないだろう。
そう思ったとき、
「やっ――」
下げようとした手を両手で掴まれた。
俺はまたしても面食らう。
「……何、本当になんなわけ?」
「……なんでもない。ツカサが、ツカサが困らないのなら、手、つなぎたい……」
イラついていた心がシュウ、と音を立てて鎮火した。
「そのほうがいいと思う。校庭まで距離があるし、ランタンの光を演出するためにあまり外灯をつけてないから。ランタンに気を取られて足元の注意が疎かになる翠は何かに掴まっていたほうが安全」
翠はなんともいえない顔をして、俺が手を引くままに歩きだした。
歩いている途中、俺は時々後ろに引っ張られる。
振り返れば翠が足を止めてランタンをフルスキャン中。
俺は後ろに引っ張られるたびに翠の手を少し引っ張って歩いた。
三回に一度は止まるようにしていたが、これ以上付き合っていたらいつまでたっても校庭にはたどり着けそうにない。
俺は別にそれでも良かったけど……。翠と手をつないで歩く時間がとても大切なものに思えたから。
灯火は家の明かりを彷彿とさせ、あたたかな雰囲気を作りだす。
そんな中、言葉もなく歩いているというのに、居心地が悪いとは思わないのが不思議でならない。
さっきまではあんな会話をしていたのにな……。
校庭に着いたら翠の好きな男が現れるのだろうか。
翠に好かれていて気づかない男はいないだろう。そのくらい、翠の感情は駄々漏れだと思う。
俺はまた、目の前で翠を掻っ攫われるのか――?
俺たちが校庭に着くとフォークダンスは終わっており、ワルツがかかっていた。
このテンポのワルツは翠には無理だろう。
俺は曲を聞きながら、一歩後ろを慎重な面持ちで一段一段階段を下りる翠を見ていた。
足元の階段に注意を払うのに必死な翠は、つないでいる手にも力をこめている。
観覧席を担う階段の段差は一段六十センチほどはあるのだから高いほうだろう。だが、ここまで慎重にならなくても、と思わなくもなく、そんな姿を見ていると、思わず口元が緩む。
最後の一段を下りると、翠は目の前に広がる光景に「わぁ……」と声にした。
「みんな、ワルツとか普通に踊れるのね」
「あぁ、そうか……。翠は体育がレポートだから知らないんだな。ダンスは体育の授業で習う」
「そうなのっ!?」
「この時期は一ヶ月間、週に二回は男女混合授業でダンスの練習。試験もあるから試験をパスする程度には踊れる」
翠が知らなくても無理はないか……。
翠の身体のことを知る人間なら、わざわざ体育の授業内容を口にするやつなどいないだろう。
じゃぁ、あの仲良しクラスの人間たちはこの時間の翠をどうするつもりだった?
ふとそんな疑問が脳裏を掠め、突如茜先輩の言葉を思い出す。
――「翠葉ちゃんがいなかったら後夜祭の楽しみが減っちゃうものねっ!」。
そう言ったあと、まるで計算しつくされたかのように完璧な笑顔を俺に向けた。
当然ながら、茜先輩は翠が体育の授業を受けていないことは知っている。きっと、ダンス経験がないことだって薄々は気づいていたはずだ。だとしたら――
あれは俺に対して言った言葉なのか? 俺が翠をひとりにするわけがないと見越して……?
やられた感が否めない。……というよりは、最後の最後で仕組まれた感というか……。
まぁ、誰に仕組まれなくとも結果は変わらなかっただろう。
隣の翠をうかがい見る。
チークくらいなら翠でも踊れるだろう。
そう思ったとき、ちょうど曲が切り替わった。
「ラスト二曲か……」
チークダンスはラスト二曲と決まっている。
俺は横に並んで立っていた翠に向かい声をかける。
「一曲お相手願えますか?」
翠の目線に合わせるように少し屈むと、翠は驚いた顔をした。
それ以外の反応や言語での応答はなし。
「翠、返事」
返事を急かすと翠は後ずさる。
「あっ、わ、私、ダンスなんて踊れないっ。踊ったことないものっ」
大丈夫だから、と言葉を添えたいのに、俺の口からは「手」という言葉しか出てこない。
当然ながら、「え?」と翠に首を傾げられる。
「手と身体を預けてくれたらそれでいい。あとは俺が誘導するままに動けばいいから」
「でもっ、足踏んじゃうかもしれないしっ」
「ワルツとは違うから安心していい。それに、踏まれても三回までなら許してやる」
どこまでも俺らしい言葉を吐き散らかし、巨大な炎を囲む輪に加わった。
結局、「大丈夫だから」なんて言葉はただの一度もかけられず――
Update:2011/11/26 改稿:2017/07/16
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