光のもとで

第13章 紅葉祭 46〜56 Side Tsukasa 10話

 制服に着替え終わり、ふと弓道場の方を見やる。
 本当は道場へ行くのが一番だが、あそこまで行くとなるとそれなりに時間がかかる。
 仕方なく、俺は図書室で射法八節をすることにした。
 もちろん、道着ではないし弓もない。ただ、決まった動作のひとつひとつを丁寧に反復するのみ。
 頭の中に道場のイメージはできているが、何か違うと思うのは――生じる音?
 普段「音」と言うものにそこまでこだわりがあるわけではない。けど、道着の衣擦れの音を意外と気に入っていることに、今になって気づいた。
 二回目の「残心」のとき、図書室にオルゴールの音が鳴り響く。
 それは翠の携帯の着信音。
 テーブルに置いてある携帯に表示された着信名は朝陽だった。
 たぶん、携帯をまだ俺が持っていると確信してかけてきている。
 携帯に出ると、後ろの音が異様にうるさかった。
「うるさい。場所を変えてかけなおせ」
 そう言って切ると、一分と経たないうちに携帯が鳴る。
『非常階段に出た。これ以上に静かな場所はないんだけど?』
「……用件は?」
『司も打ち上げ来るだろ?』
「朝陽、俺との付き合いは何年になる?」
『三歳からだから十四年かな』
「俺が行くとでも?」
『思ってるよ。翠葉ちゃんが来ているのに司が来ないわけがない』
 自信に満ちた声を不服に思う。
『翠葉ちゃんのクラスは一年C組と合同でボックスに入ってる。つまり、翠葉ちゃんには苦手な状況じゃないかな?』
「簾条と海斗がいれば問題ないだろ」
『さぁね? 桃ちゃんの反対側には海斗じゃなくて千里が座ってたけど?』
「…………」
『彼女がいるボックスは三階のFだから』
 その声を最後に通話は切れた。
 俺は専属の警護班を呼び出しカラオケボックスまで車で移動した。

 音は建物の外にも漏れ聞こえている。それは一階フロアに設置してあるクレーンゲームの音だった。
 建物内は各ボックスから漏れる音が混在していて不快極まりない騒音空間。
 そこに足を踏み入れた瞬間、そこかしこから視線を感じた。
 わかってる……。俺が来るとは思っていなかったんだろ?
 俺だって好き好んで来ているわけじゃない。翠がいなければ打ち上げなんて出るつもりもなかった。もっとも、打ち上げに参加するという概念よりも、翠の虫除け要員だけど……。
 店内表示に従いビリヤード場の脇を通ってエレベーターへ向かう。と、私服姿の飛翔と出くわした。
 俺を無言で見下ろす飛翔に、
「言いたいことはだいたいわかる。長居するつもりはない」
「……ですよね」
「飛翔は?」
 今日、ここは高等部が貸しきっているはずだ。
「笹ケン先輩に呼びつけられて、顔を出したらまんまとバスケ部の先輩たちに捕まりました」
 俺同様、飛翔も辟易とした顔をしている。
「さっき笹ケン先輩とアレのいるボックスに入りましたけど、千里が福山のメッセージ歌ってましたよ? もろに、アレをガン見して」
 アレとは翠のことを指しているのだろう。
「いいんですか?」という顔をされ、
「別に、千里が誰に向けて何を歌おうが俺には関係ない」
「相変わらず余裕なんですね」
 飛翔はあどけなさが残る表情を見せた。
 だが、現状俺に余裕があるわけではない。翠に関してはいつだっていっぱいいっぱいだ。
「飛翔、俺の真似なんかしているとあとで痛い目を見ることになる」
 主に恋愛方面で……。
「そんなことありません。もし、藤宮先輩と同じ痛い目に遭うのなら、同じようにそれを切り抜けるのみです」
「……忠告はした。あとは勝手にしろ」
「そうします」

 三階に上がると、それなりに人はいるものの、ひとつのボックスの前に列ができていた。
 きっとそこが翠のいるボックスなのだろう。
 そこを目がけて歩いていくと、自然と人が俺を避ける。
 視線自体はいただけないが歩きやすいことこのうえない。
 俺は順番待ちしている人間を差し置いて、ボックスのドアを開けた。
 すぐ目のつくところに翠はいた。
 向かって左には簾条、右には知らない男。
 簾条から非難の視線を向けられたがそんなのは無視に限る。
 翠の隣に座っていた男は俺に気づくと直立し表情を固まらせる。
 翠はその男の視線をたどって俺に気づいた模様。
「わざわざ席を空けてくれてありがとう」
 そこをどけ、という視線を向けると、男は血相を変えてボックスから出ていった。
 空いた場所へ腰を下ろすなり簾条に文句を言われる。
 今度は視線だけではないため無視もできない。
「あんた来るの遅いのよ」
「俺がいなくても簾条がいれば問題ないだろ?」
「私は言葉にして威嚇する必要があるけど、あんたなら姿形、名前だけで十分でしょ? そのほうが手間が省けて楽よ」
 どんな理由だと視線を投げると、そんな理由よ、とでも言うような視線が返された。
 翠は俺と簾条の間で縮こまっている。
 今のやりとりが原因なのか、この場が苦手なのか――それとも、「俺」が原因なのかはわかりかねる。
 何を思ったのか急にキョロキョロとし始め、テーブルのあちこちに置いてある携帯を見てこちらを向く。
『つ、ツカサっ、携帯っ』
 声は聞こえなかった。
 ボックスの中で音量がマックス状態なのだからそれも仕方ない。
 でも、言いたいことはわかった。
 そんな必死にならなくてもちゃんと返す。少し、名残惜しいけどな……。
 このままずっと持っていたい気持ちを抑え、携帯を差し出す。
 翠はびっくりした顔のまま、まるで動く気配がない。
 仕方ないから翠が手に持っていた俺の携帯を取り上げ、その手に翠の携帯を握らせた。
 翠が呟くように「ありがとう」と唇を動かしたから、俺も声は発せず「どういたしまして」と返した。

 歌を歌っていたのは海斗と立花だった。
 ふたりで仲良くデュエットね……。
 なんとなしに思いつく。
 ――「好きだとわかった途端に失恋」。
 これは海斗が相手なら当てはまる。
 そう思ったとき、翠が急に立ち上がった。
 俺は条件反射で翠の手首を掴み席へ引き戻す。
 翠がこちらを向いたとき、「絶対零度」と言われる笑みを向けた。
 翠は気まずそうな顔をして、次は簾条の方を向く。
 俺と簾条を交互に見ることから、簾条も同じ行動に出たのだと察する。
 翠は少し困った顔をして、
「お水買ってくるっ」
 今度は理由を告げ、ゆっくりと席を立ちボックスを出ていった。
 海斗たちの歌を聴くのが耐えられなかった……? それとも、ふたりを目の当たりにするのが耐えられなかった?
 ――どちらにしろ、翠をひとりにするのは得策じゃない。
 俺は席を立ちボックスを出た。

 自販機はエレベーター脇にあったはず。
 数メートル先に視線を移すと男と翠が目に入る。
 翠はあからさまに困った顔をしていた。
 そこへやってきたエレベーターのドアが開くと、翠は逃げるように乗り込んだ。
 最後に読み取れた言葉は「涼んできます」。
 エレベーターは二階に停まることなく一階へ下りた。
 そんな確認をしてから簾条へ電話をかけると、機嫌の悪い声が発せられる。
『こんな場所で携帯が使えるわけがないでしょっ!?』
 たぶん、そんな内容だったと思う。
「だったと思う」のは、あらかじめ携帯を耳から離していたからだ。
 通話はすぐに切れ、一分と経たないうちに簾条がボックスから出てきた。
 俺を見つけるなり、食って掛かる勢いで歩いてくる。
「あんたねっ!? あんなうるさい場所で携帯が使えるとでも思っているわけっ!?」
「まさか……そんなめでたい脳は持ち合わせていない」
「じゃぁ、最初からメールにするなりなんなりしなさいよっ」
「メールを打つ時間が無駄。それに、携帯がつながればこうやって怒って出てくると思った」
「……あんたのそのご立派な脳みそには『呼びに行く』っていう選択肢はないわけ?」
「ないな。誰があんな煩い場所に戻るか」
「はぁ……あんたに常識を求めた私がバカだったわ。それで? 翠葉は?」
 簾条はすぐに翠の姿を探し始める。
「エレベーターで下に下りた」
「はっ!? あんたなんのためにボックス出たのよっ」
「逃げるようにエレベーターに乗った人間をボックスを出た瞬間に捕獲できる人間がいるならぜひ会いたいものだ」
 ボックスからエレベーターまでは四メートルほどある。まず、瞬時に捕獲は無理。
 簾条との応酬もそろそろ終わりにするべき。
「あとを追うから、俺のかばんと翠のかばんを持ってきてくれ」
「なっ――」
 二の句を告げようとした簾条は、反撃しようとしてそれを留めた。
「帰るってこと?」
「そう。もうとっくに発熱している。そろそろ潮時だ」
「……わかったわ。早く翠葉のところへ行って」
 簾条はくるりと向きを変え、かばんを取りにボックスへ戻った。



Update:2011/11/30  改稿:2017/07/16



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