『庵へ来い』
こちらの返事は聞かずに通話が切られる。
「……っていうかさ、俺、夕方から会議なんだけど」
そんな言葉が誰に届こうか。
大きなため息をつくとパソコンをシャットダウンしてジャケットを手に取った。
じーさんのところへ寄ってからマンションに戻って着替えて出社。
そんな算段を立て、必要なものを持って仕事部屋をあとにした。
庵前の駐車スペースに車を停めると音を聞きつけたのか、じーさんが庵から出てきた。
「用って何?」
車は降りず、運転席側の窓から訊く。
「用などないわ」
「は……?」
「誰が秋斗に用があると言った? わしはただ、庵へ来いと言っただけじゃ」
このくそじじー……。
「用がないなら帰るよ」
再度エンジンをかけると止められた。
「まぁ、待て」
「夕方から本社で会議。じーさんの娯楽に付き合うほど暇じゃない」
車の時計を見ながら言うと変な切り返しが来た。
「用があるのは秋斗じゃろうて」
「……何を言って――」
言われた意味がまったく理解できない。
じーさんに視線を移したそとのとき、開けていた窓から車のキーを引き抜かれた。
「なっ、じーさんっ!?」
「未熟者めが……隙が多すぎるわ。とにかく、散策ルートを回って来い」
「だから、そんな時間ないって……」
「だったらなおのこと、早く行かんか」
キーは取り上げられたままだし何を言っても無駄だと思った。
会議に遅れたらじーさんのせいにしてやろう……。
俺は自棄になって車を降り、散策ルートへ足を向けた。
「紅葉、か……。翠葉ちゃんを連れてきたら喜ぶだろうな」
視界に広がる紅葉を見つつ、きれいに整備された道を進む。
そして、さっきじーさんに言われたことを思い出す。
……俺が藤山に用?
「ないだろ……?」
しかし、じーさんは時に横暴な振る舞いをすることがあっても、無意味に仕事の邪魔をする人ではない。
何かあるのか? ――いやいやいや、ここに用なんてないだろ……。
最短ルートを回ってとっとと車のキーを返してもらおう。
そう思ったとき、ルートの分岐点に差し掛かった。
ルートの分岐点にあるのは藤棚。
その藤棚の下にあるベンチに司が寝転がっていた。
足音に気づいたのか、司は目だけをこちらに向け、俺の姿を認めると驚きに目を見開く。
「秋兄……」
「司、なんでおまえがここに……?」
訊くまでもない気がする。
「明日、ここに入る許可をもらいに来た」
司ひとりなら許可など得る必要はない。
つまり、連れて来る人間がいるということ。
そして、そんな人間はひとりしかいない。
「……翠葉ちゃんと、か」
じーさんは俺と司を会わせるために連絡してきたわけか……。
確かに、用があるのはじーさんじゃなくて俺だわ。
思わず苦い笑みが漏れる。
司、話をしよう。事務的な話ではなく、普通の話を。
司は最初こそ嫌そうな顔をしていたが、途中からは纏う空気が変わった。
俺たちは短時間ではあるものの、自分たちの好きな女の子の話をして過ごした。
どのくらい前だったか……。
司とこんなふうに話ができたら、と思ったのは。
ライバルだけど、ライバルだからこそできる会話というか、同じ子を好きになった者同士だから話せることがあるというか……。
ずっと、こんなふうに話せる日を待っていた。
そして、俺たちの考えは一致する。
彼女の記憶は何かの拍子に戻ったのだと――
司と散策ルートを回り終え、私道に出てくるとじーさんが待っていた。
提案されたのはばーさんの墓参り。
俺と司は何を言うでもなくその提案に従った。
三人でばーさんの墓参りを済ませて庵に戻ってきたとき、司が夕飯に誘ってくれたが断わった。
さすがに、もう会議が始まる時間だ。
蔵元には珍しく、未だ所在確認の連絡は入っていないがそれも時間の問題だろう。
あと数分もしたら携帯が鳴るに違いない。
車のキーをじーさんから返されたとき、
「運転には気をつけよ」
気をつけろと言われても……。
マンションに戻って着替えて――三十分の遅刻で済めばいいけどそれも怪しいくらいだ。
「蔵元には連絡済みじゃ。ついでに、会議の開始時刻を一時間遅らせてある。くれぐれも、事故は起こすでないぞ」
「……じーさん、そういうことは早く言って」
「それじゃつまらんじゃろうが」
いや、そういう問題じゃないから……。
俺は司とじーさんに見送られて藤山をあとにした。
「ホント、あのじーさんにはまいるな。やることなすこと手抜かりなさすぎ」
そうは思うものの、今心にゆとりを持って運転できるのはじーさんのおかげだった。
会議は六時半から始まり、一時間を過ぎたころにツールバーが妙な動きを見せ始めた。
少しの変動にはうろたえないようになったが、彼女の数値は三十分経っても安定しない。
今日、彼女は仕事でホテルへ行っているはずだが、それには唯が同行すると聞いている。
しかし、その唯も四十分ほど前にコンピュータールームへ入ったと通知が来ている。
コンピュータールームに入ったともなれば、メンテナンスが終わるまでは出てこられない。
唯と彼女は今一緒にいない――
だとしても、彼女はホテル内にはいるはず。
俺はすぐに彼女の居場所を確認した。
が、彼女を示す赤い点は支倉にあった。
なぜ――!?
「秋斗様?」
蔵元に声をかけられ会議に意識を戻す。
けれど、目はパソコンディスプレイから離せなかった。
会議は今までのようなぼんくらが雁首揃えているのとはわけが違う。
時間を割くだけの価値があり、人ひとりの発言に無意味なものはない。
彼女につけている警護班のインカムを傍受したいのは山々だが、それらを聞きながらテンポ良く議題が変わっていく会議に対応することはできない。
俺はパソコンのメール画面を立ち上げ、唯にメールを送った。
メンテナンス作業をしているなら、今は間違いなくパソコンの前にいる。
一言送りつけると、「チャットにて」という返信が来た。
ソフトを立ち上げると、ログインした途端に次々とメッセージが表示されていった。
なぜ彼女が単独行動をしているのかは書かれていなかったが、彼女が支倉へ行くまでの詳細な行動がそこには書かれていた。
藤倉の駅で誰かを追いかけるように駅構内へ入ったこと。
そして、電車に乗り支倉で下車。
今は初老の男性と一緒にいる。
同時に、人の姿形のみがわかるような画像が送られてきた。
その情報を得て、すぐにブライトネスパレスのシフトにアクセスする。
木田さんの今日の勤務はウィステリアホテル本店。
ウィステリアホテルの出退勤データにアクセスすると、木田さんは七時十五分に退勤していた。
彼女が追ったのは木田さんだろう。
唯からの報告にそれが書かれていないあたり、警護班も唯も、まだ木田さんにはたどり着いていないようだ。
詰めが甘い……。
彼女の警護にあたるのなら、彼女の交友関係まで徹底してインプットしていてしかるべき。
対象に振り回されるなど言語道断。
俺は一緒にいる相手が木田さんとわかると心なしかほっとした。
木田さんは静さんの直下といっても過言ではないし、彼女の身体のことも粗方把握してくれている。
あの人が一緒なら大丈夫だ……。
その後、彼女のバイタルは徐々に落ち着き始め、彼女を示すGPSは白野へと向かって動き始めた。
会議が終わると、人がいなくなった会議室で蔵元とふたり情報収集に努めた。
警護班の履歴からわかることで引っかかることがあった。
「どうして警護についている人間が彼女の持病のことを何も知らない?」
「えぇ、気になりますね。お嬢様クラスの警護においては持病に始まり交友関係まですべて網羅している人間がつくはずですが」
あまりにも不可解な点が多すぎる。
「こういったことは早期にクリアにすべきです」
そう口にしたあとの蔵元の対応は早かった。
「システム開発第一課所属蔵元です。人事の件で日下部部長にお話をうかがいたいのですが。
――はい、ありがとうございます」
携帯を切ると、
「秋斗様、人事部部長、副部長ともに社長室にいらっしゃるそうです。私たちも参りましょう」
Update:2012/02/19 改稿:2017/07/18
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