俺が腹を立てているのは藤宮の人間に対してであって、リィに対してじゃなかったのに。
でも、結果として、リィにもちょっとイラついた。
だから、つい色々言い過ぎた。
リィと碧さんがダイニング出ていったあと、
「唯……」
責めるような目で秋斗さんに見られた。
でも、責められる覚えはない。
「この場で全部を全部話す必要はないでしょっ!? 秋斗さんだって最初はそう思ってたでしょっ!?」
俺ね、腹が立ってるっていうか、結構すさまじくご立腹なんだよね。
蔵元さんは全部知っていた。
俺は何も知らされていなかった。
いいように踊らされていただけ。
別にそのことを怒っているわけでも恨んでいるわけでもない。
ただ、悔しいだけ。
俺は裏事情を知っても知らなくても司っちについたよ。
秋斗さんが動けないなら代わりに動いたよ。
恩着せがましいことを言うつもりはない。
でも、何も俺に隠す必要なかったじゃん。
俺、どれだけ試されたらいいわけ?
あと、何度試されたらいいわけ?
秋斗さん、俺をいつまで試せば気が済むの?
あんた、どれだけ保険が必要なんだよっ。
そう思うと、腹が立った。
だってさ、もうとっくに信頼されているものだと思っていたから。
学校へ向かうとき、
――「唯の意思で司様の側についてほしかったんだと思う」。
蔵元さんにそう言われたけど、言われたけど――
そんなの、言われて知ろうが自分で気づこうが関係ないから。
その場でどう動くかは自分で決める。
自分が決める。
人の指図を受けるなんてまっぴらごめん。
俺がそういう性格だって知ってるじゃん。
「秋斗さん、勝手だよ。ここにきて俺に黙ってろ? それはないよねっ!?」
秋斗さんは何も言わない。
「俺に司っち側についてほしかったんでしょ? 全力でそうしますよ、そうしましょうっ。こんな大勢の大人に囲まれて、今回の概要をリィが知ることになるのなんて、絶対に司っち嫌でしょっ!? なんでそんなこともわかんないのっ!?」
全部知ってた人間があとから出てきて全部話すなんて、本っ当に最悪だ。
「オーナーも湊さんも、この場にいる藤宮みんな最っ低。悪いけど、俺、こっから全力で司っちの肩持つんでよろしくっ」
「唯、少し落ち着け」
蔵元さんが俺を嗜める。
けど、蔵元さんの言葉だって聞けそうにはない。
聞けるわけがない。
だって、蔵元さんだってそっち側にいたじゃんさ。
子どもっぽいって言われてもいい。
だって、納得がいかないことだらけだ。
「唯」
「何、あんちゃん」
あんちゃんも何も知らなかった人。
俺と同じだけど、俺以上に何も知らなかったのに――なのに、一言も口を挟まない。
いつもなら、全力でリィの擁護に回る人が何も言わなかった。
そんなあんちゃんにも刺々の声を返す。と、
「唯芹亭のコーヒーが飲みたい」
「……は?」
「だから、唯芹亭のコーヒーが飲みたいな、って」
恐ろしいまでに空気を読まない要求をされる。
あんちゃん、脳みそ腐ってんじゃないの?
俺は真っ直ぐな視線を向けてくるあんちゃんの顔をまじまじと見ていた。
あんちゃんは苦笑しながら、
「まだ言い足りない? だったら、全部言ったあとでもいいけどね」
肩を竦めて見せる。
――違った。
あんちゃんの脳みそは腐ってない。
ただ、蔵元さんとは違う形で俺を宥めただけ。
キッチンに誘導してコーヒー淹れさせて、少し落ち着きを取り戻させようとしてくれただけ。
悔しいけど、この場の誰よりもあんちゃんが
「……もういい。コーヒー淹れてくる」
「手伝うよ」
「別にいいってばっ」
なんとなく気恥ずかしくて突っぱねる。
「でも、唯に任せたら人数分は淹れてもらえそうにはないからな」
あんちゃんの顔を見上げると、「だろ?」と訊いてくる。
「当たり前っ」
この場にいる人間のコーヒーなんか絶対に淹れてやるもんか――そう思ったけど、俺はあんちゃんの同行を拒否しなかった。
言いたいことを存分に言って、そんな俺を否定はせずに受け入れてくれる人間だったから。
あんちゃんがそういう人だったから、なんか毒気を抜かれたんだ。
御園生の人間は親も子も、みんな共通してそういうの持ってるから不思議。
俺、どれだけ黒くなっても絶対に闇に引っ張られない自信がある。
それは、今この家族がいるから――
キッチンに入ると、いつもの手順でコーヒーを淹れる。
リィが好きだから、という理由で幸倉の家から碧さんが持ってきた琺瑯のケトルに水を入れ、クッキングヒーターの上に置く。
次に冷凍庫からコーヒーが入った缶を取り出しペーパーフィルターにセット。
本当はインスタントのコーヒーを淹れてやろうと思ったけど、俺は自分のために美味しいコーヒーを淹れることにした。
あんちゃんの、穏やかで優しい気遣いを無駄にしないために……。
俺の携帯が鳴ると同時に、リビングにいる人間ふたりの携帯も鳴りだした。
きっと司っちからのメール。
メールには、「久先輩のマンションにいる」という内容が記されていた。
久先輩、即ち、加納久。
クゥの実家はマンションじゃない。
ということは、クゥの仕事場として宛がわれているマンション――藤倉駅近くのマンションにいるのだろう。
俺はちらり、とリビングに目をやる。
秋斗さんは後ろ姿しか見えないから表情はわからないけど、湊さんの表情は見ることができた。
意表をつかれた。そんな顔。
ざまぁみろ……。
今回ばかりは司っちだって湊さんや秋斗さんの家には帰りたくなかったのだろう。
そう思ったからこそ、俺はホテルにある自分の部屋を使えるようにしておいたわけだけど、その部屋も結局は使われていない。
俺、間違いなく秋斗さん側に見なされてるんだ。
冗談じゃない……。
「やっぱインスタントにすれば良かった……」
ぼそりと零す。
「メール、司から?」
「そう。生徒会の先輩のとこにいるってさ」
「そっか……」
あんちゃんは思っていることをひとつも口にはしない。
傍観しているふうではないけれど、この件に口を挟もうとも入ってこようともしない。
そのスタンスがどういったものなのか、俺には理解しかねるけど……。
何もしないでいることができるほどの忍耐力を持っているんだと思う。
――「芯が揺るがない」。
この言葉がぴたりと当てはまった。
あんちゃんのこの強さはどこから来るものなのかな……。
コーヒーを落とし終わると、俺は自分と碧さんのカップにだけそれらを注ぎ、あとをあんちゃんに任せた。
「ごめん。やっぱ、今はあの人たちのとこに戻りたくないから」
俺は夕飯のオーダーはせず、キッチンを出てリィの部屋へ向かった。
リィの部屋の前まで来ると、ドアをノックするかしないかに悩む。
でも、中から声が聞こえてくる気配はなくて、もしも寝てたら、と思うとノックという選択肢はなくなった。
そっとドアを開ける。と、部屋は常夜灯に落とされていた。
リィはベッドに横になっていて、その傍らに碧さんが座っている。
「やっぱり来たわね?」
碧さんが小さな声で言う。
まるで、俺が来るのがわかっていたみたいに。
「コーヒー? いい香りね」
「これ、碧さんの分」
「ありがとう」
「リィは?」
「うん……ポカリと薬は飲ませたんだけどね。なかなか寝付けないみたい」
リィは壁側を向き、こちらに背を向けていた。
ラヴィをぎゅっと抱きしめ、ただでさえ小さな身体をもっと縮こまらせて。
まるで殻に篭るみたいに丸くなっていた。
「今ね、音楽聴かせているの」
「え?」
「この子、言葉が聞こえなくなっても音楽だけはちゃんと聴こえるのよ」
碧さんがクスクスと笑う。
「じゃ、もしかして……今、俺たちが話してるのって聞こえてない?」
「そうね。聞こえてないかもしれないわ。今は全部の感覚を遮断したいみたいだから」
碧さんは少し悲しそうな顔でリィの方を向いた。
薄暗い部屋の中だからそう見えたのかもしれない。
でも、ちゃんと母親の顔だったと思う。
「私、調べたいものがあるから、ここを唯に任せてもいいかしら?」
こんなときに調べもの?
たぶん、まんまそういう目を向けたんだと思う。
碧さんはクスリと笑って俺の額をデコピンした。
「やぁね、仕事じゃないわよ?」
じゃぁ、何?
「曲……好きな曲があったんだけど思い出せないの。もう年かしら?」
「そういうの、俺が調べたほうが早いんじゃ――」
「だって、歌手の名前も曲のタイトルも覚えてないのよ?」
はぁ……これ、間違いなくリィの親。リィと親子。
曲と歌手と曲名が一致してないのとか、間違いなくリィはこの人の娘……。
「それにね、私が見つけ出して翠葉に渡したいの。……唯、ご飯はどうするの? どうせオーダーせずに来ちゃったんでしょ?」
「すんません……」
「仕方のない子ね……。あとで何か軽食作るわ。だからそれは食べなさいよ?」
「お手数かけます」
「なんてことないわ。翠葉のほうが手がかかるでしょ?」
「それこそ、なんのこれしき……ですよ。手のかかる子ほどかわいいっていうのは本当みたい」
碧さんはクスクスと笑い、
「コーヒーありがとね」
と、マグカップを少し上げて部屋を出た。
こんな状況でも碧さんはペースを崩さない。
自信に満ち溢れた――オーラ、って言ったらいいのかな。
今は自分の母親っていう人だけど、時々すごくきれいだなって思う瞬間がある。
リィが体調を崩すと途端に脆い部分が露見するけど、それでも普段はものすごく気丈だ。
オーナーが惚れたのがわかるくらいには。
意識をリィに戻し、横になっている顔をそっと覗き込む。
次の瞬間、息を呑んだ。
閉じられていると思っていた目が開いていたから。
人間の視野角は一八〇度から二〇〇度といわれている。
今のリィは右を下にして寝ているから、左目だけで九〇度前後。
でも、その目は正常に作動していない。
ぼんやりと、何もない白い壁紙を見ていた。
いや、もしかしたら何も映していないのかもしれない。
感覚の遮断、ね……。
これはたぶん、あんちゃんが普段口にしている「シャットアウト機能」だろう。
……こんなリィは見ていたくない、かな。
言葉が届かなくてもいい。目に映らなくてもいいから、こっちに戻っておいで。
ひとりぼっちにならなくていい。そうやって自分を責めなくていいから。
こっちにおいで。
俺は耳にセットされているイヤホンを取ろうと思う。
こんなもので外界を遮断しているとは思ってないけど……。
まず一歩は物理的なものから撤去、除去、排除。
怖くないわけじゃない。
でも、リィに近づくための一歩だから――
極力驚かせないように、腕の辺りを数回叩いてからイヤホンを外した。
「リィ……」
小さく、そっと呼びかける。
返事はない。反応もない。
「リィの手、ちょうだい」
俺はラヴィを抱きしめている左手を失敬する。
リィの身体が変な体勢にならないように配慮しながら軽く握りしめ、少しひんやりとした手をあたためるようにに両手で包んだ。
聞こえているかな、聞こえてないかな。
目に映ってるかな、映ってないかな。
どっちでもいい。
でも、聞いて? 俺が知っている情報を。
「あのね、司っち、今はクゥのところにいるって」
俺はリィに司っちの居場所を教えた。
反応がないリィに、クゥのマンションの場所や周辺にあるもの。
それから、クゥのマンションの部屋番号や入り方。
同じことを何度も何度も繰り返し話して聞かせた。
Update:2012/06/11 改稿:2017/07/19
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