光のもとで

最終章 恋のあとさき 43話

 結婚式当日の朝。
 レストランへ行くためにゲストルームを出ると、思わぬ人物が回廊で待ちうけていた。
「おはよう」と言ったのは秋斗さん。「今日は持ってるんだ」と私の手にある携帯を確認したのはツカサ。
 秋斗さんが笑顔なのはいつものことだけど、ツカサまで文句のつけどころがない笑顔を向けてくるから、少し怖くて……すごく困る。
「素敵な王子様がお迎えに来てくれたわね」
 言いながら、お母さんは私とつないでいたお父さんの手を取る。
「その靴、まだ慣れないんでしょう? ふたりにエスコートしてもらうといいわ」
「えっ!?」
「だって、零は私のナイトだもの」
 お母さんはクスリと笑い、唯兄と蒼兄も連れ立って先に行ってしまう。
 異論を唱えたのはただひとり。
「えっ、ちょっ、碧さんっ!? 俺、せっかく蒼樹と唯にジャンケン勝って翠葉のエスコート権獲得したのに!?」
「あら、私が相手じゃ不服なの?」
「やっ、そういう意味じゃなくてですねっ!?」
「父さん、うるさい」
「零樹さん、相変わらずリィ大好きだね〜」
 笑い声や話し声との距離が開く。
「待って」と言いたくても、家族との間には秋斗さんとツカサという大きな障害があった。
「翠葉ちゃん、早く行かないと朝食に遅れるよ?」
「慣れないってヒールの高さ? 必要ならどうぞ」
 右に秋斗さん、左にツカサ。ふたつの手を目の前に、私は何を考えるより先に謝っていた。
 頭を下げ絨毯の一点を見つめていると、クスクスと笑い声が聞こえてくる。
「司、俺たち『付き合ってください』って手出して、思い切り断わられてる状況に見えない?」
「あぁ……。でも、話の内容は全然違うから」
「だから光景が似てるって話」
「……錯覚起こして疑似体験してる気分になるからその手の発言禁止」
「了解」
 秋斗さんが楽しそうに話すのに対し、ツカサは面白くなさそうに話す。
 恐る恐る頭を上げると、ツカサの笑顔に捕まった。
「会って早々、なんで謝られたのかが理解できないんだけど」
 言葉一つひとつはいつものツカサなのに、表情だけが異なる。
 どうしてか笑顔なのだ。怖いくらいきれいで思わず見惚れてしまうほどに――
「俺も知りたいな」
 秋斗さんの声で我に返る。
「……昨日のメール、色々と言葉足らずで……」
「その『色々』……。翠さえ良ければ今受け付けるけど?」
 ツカサに言われ、メールを送ったあとに思いついたあれこれを話す。
 話し終わって唯兄に言われたことを思い出した。
「ごめんなさい」を並べすぎただろうか。
 不安に思ってふたりの顔色をうかがい見ると、ツカサが小さくため息をついた。
「携帯を持っていなかったことと返信が遅かったことの謝罪は受け付ける。けど、中庭に来れなかったのは父さんの判断だから翠のせいじゃない」
「確かに。涼さんに却下されたものは俺と司ふたり揃っても覆せないから気にしないで?」
 ツカサはおもむろに面白くないという顔をしているし、秋斗さんは苦笑いだ。
 ふたりが反論できないなんて、涼先生すごい……。
「さ、早く行こう」
 再度ふたりから手を差し伸べられ、私はお腹に力を入れて断わった。
「ひとりで歩けるのでっ……大丈夫、です」
 本当は全然大丈夫じゃない。真新しい、いつもよりヒールの高い靴に苦戦していた。
 ゲストルームを出るまで、こんなことなら家で少し履き慣らしておけば良かった、と泣き言を漏らしていたくらいには。
 でも、両脇で支えてもらうほどのことではないし、かと言ってどちらかを選ぶことはできないから……。
「ま、無理強いするものでもないしね。とりあえずレストランへ向かおうか」
 秋斗さんの言葉にふたりの手が下ろされた。
 差し伸べられた手が下ろされただけ。しかも、自分が断わった結果。
 たかがそれだけのことなのに、す、と血の気が引くような気がした。
 実際に貧血を起こしているわけではない。ただ、「恐怖」が脳裏を掠めただけ。
 どちらの手も取らないということは、こういうことをいうのだと改めて思い知る。
 頭を振ったのは恐怖を払うため。
 最初の一歩でバランスを崩してしまったのは迷いからだろうか。
 身体が傾いたのは一瞬で、足を捻る前に右脇からしっかりと支えられた。
 ふわりと香ったのは秋斗さん愛用の香水。
「やっぱりガイドはあったほうが良さそうだけど?」
「す、みません……」
「いいえ。ただ、この手は解放してあげられないけどね? 俺で良ければ歩くコツを教えるよ?」
 秋斗さんはにこりと笑い、大きな手は腕から指先へと移動する。
 歩くコツは知りたいけれど……。
 指先を掴まれたまま立ち止まっていると、
「……行きは秋兄に譲る」
「わかった。じゃ、帰りは司で」
「え? あのっ……」
「異論反論は受け付けないから」
 言うと、ツカサは先に行ってしまった。
 背が遠ざかり、カーブの先に見えなくなる。
「さて、そろそろ意識をこっちに戻してもらえる?」
 秋斗さんに顔を覗き込まれてはっとした。
「まずはガラスに映る自分の姿を見て? あ、正面じゃなくて身体の側面が見えるように立とうか」
 ガラスには薄っすらと自分の姿が映っていた。これが夜なら立派に鏡の役割を果たしたことだろう。
 秋斗さんも同じことを思ったのか、ガラスの向こうに深緑の木が植わる場所まで移動した。
 背景が暗い色になるとはっきり自分の姿が映る。
「ヒールのせいだね。いつもは姿勢がいいのに今は少し猫背で膝が出てる。まずはそれから直そう」
 秋斗さんに言われ、膝を伸ばし肩を後ろに引いた。
「そう。静止時、体重は爪先でもかかとでもなく土踏まずのあたりにかける感じ。お腹に力入れて背は反らせない」
 指摘されたことをひとつひとつ直すと、鏡に映る身体のラインがピンと一直線になった。
「足を踏み出したらその足に重心を移す。上体は動かさない。膝下だけで歩こうとしない。脚の付け根から踏み出すように」
 言われたことを守って脚を踏み出す。と、ふらつくことなく歩くことができた。
「踵から着地して重心移動をスムーズにね」
「はい」
「うん、いいね。歩幅が広がった。残るは視線かな? 不安だからといって視線を足元に落とさないように。ここはホテルの中だから足元に障害物はないよ」
「でも……」
「騙されたと思って十メートルくらい先、回廊のカーブのあたりを見て歩いてごらん」
 ほら、と促されて恐る恐る視線を上げた。
 数歩歩いて、「あれ?」と思う。
 不安だし怖いことは怖い。けれどもバランスが崩れることはなかった。
 頼りにしていた右手からも自然と力が抜ける。
「どう? 騙された気分は」
 笑いを含む声で尋ねられ、
「あの……すみませんでした」
「ん?」
「……騙されてませんでした」
 言うと笑われる。
「それは何より。でも、短時間で習得できたのは翠葉ちゃんのバランス感覚がいいからだよ」
「え……?」
「かなり前に蒼樹が言ってた。すごくバランス感覚がいいって」
 今度はいったいどんな話だろうか、と不安に思う。
「おじいさんが作ってくれた竹馬。一発で歩けたんだって?」
 確かにそんなこともあった。あったけれど――まさか小学一年生の頃の話までされているとは思わないわけで……。
 なんともいえない気分のままレストランまで歩いた。

 レストランはカフェスタイルに戻っていた。
 テーブルは家族ごとに分かれており、テーブルとテーブルの間には十分なスペースが設けてある。
 真っ白なクロスと水色のセンタークロスがかけられているテーブル中央には、高さのあるケーキスタンドが置かれていた。
 中央には、色鮮やかな数種のフルーツが透明のゼリーに閉じ込められており、スタンドの円周には小さな花が飾られている。
 五枚の花びらが星を彷彿とさせるブルスター。小さな葉の斑入りアイビーと名前の知らない小さな赤い実。
 あまりのかわいさに見惚れていると、秋斗さんに声をかけられた。
「翠葉ちゃんたちのテーブルにも同じものがあるよ」
「あ、わ……すみません」
「どうして謝るの? 足を止めていたわけでもないのに」
「え……?」
 言われてみれば立ち止まって見ていたわけではない。
「俺はこのままでもいいんだけどね」
 手に少し力をこめられ、今もエスコートされていることに気づく。
 あまりにも自然に誘導してくれるから、手を預けていたことをすっかり忘れていた。
「すみません……もう、ひとりで歩けます」
「あと少し……。テーブルまではこのままで」
 笑っているのにどこか寂しそうな表情に思えて、胸がチクリと痛む。
 家族がいるテーブルまで来ると、秋斗さんは私の手を離し椅子を引いてくれた。
「ありがとうございます……」
「どういたしまして」
 家族も口々にお礼を言う。
「蒼樹の言ったとおりだったよ。翠葉ちゃんはバランス感覚が抜群にいい」
「あぁ、そうでしょう?」
 蒼兄はどこか自慢げに話し、さらに何か話しだしそうな気がしたからじとりと睨んだ。
 私の視線に気づいた蒼兄はそこで口を噤み、秋斗さんはクスクスと笑いながら、
「じゃぁ、またあとで」
 私には笑いかけ、家族には一礼して自分の着くべきテーブルへと歩いていった。



Update:2013/01/30  改稿:2017/07/23



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