すでにイブニングドレスへ着替えた姉さんは、
「あら、いいところに来たわね。晩餐会のあと、お茶会開くから残りなさいよ?」
藪から棒に言われて秋兄と顔を見合わせる。
「で? あんたたちは? 何しに来たの?」
言おうと思っていたことを先に言われ、先手打たれた状態で何しに来たのかなんて訊かないでほしい。
さすがにこの状況をごまかせる話は思い浮かばず、同じ心境だったのか、秋兄が説明を買って出た。
「あっはははっ! お父様最高っ! あんたたちがお父様に敵うわけないじゃない」
視線を外して無視したのは俺、律儀に答えたのは秋兄。
「いえ、むしろ抵抗するつもりなんて最初からないんだけど……」
苦笑交じりに答えると、
「それで、周りから固めようって魂胆だったわけね」
「それはもちろん、ここぞとばかりに手堅くね……」
俺は口を挟むことなくそれらの会話を聞いていた。
「結果としてお茶会が行われればいいわけでしょ?」
「まぁね」
「ただ、私と栞の意図は別にあるの。だから、あんたたちが考えているよりも大人数になるわ」
「どういうこと?」
秋兄が訊くと、
「翠葉、記憶が戻ったときになんて言ったと思う? あの子……しきりに秋斗のことを気にしてたのよ。私たちが秋斗に不信感を抱いてないか、その一点のみを心配してた」
あぁ、と思った。実に翠らしい気の回しようだな、と。
「でも、みんなで集まったのは携帯の一件があった直後の会食のみ。普通とは言いがたい状況だったでしょ? だから、今度こそなんのわだかまりもないことを感じてもらいたくてね。……翠葉には話して聞かせるよりも、状況を見せたほうが早いから」
言葉に詰まっている秋兄を横目で確認し、「なるほど……」と代わりに答えておいた。
「ま、今日はおじい様のことでも動揺させちゃったから、その点のフォローも含めて?」
とどのつまり、茶会は開かれる。
「じゃ、晩餐会のときに誘う方向で」
「そうしましょう」
時間になりレストランへ行くと、御園生家の出席者は三人のみだった。
すぐに秋兄が御園生さんに声をかける。
「蒼樹、翠葉ちゃんは?」
「部屋で休んでます。少し疲れたみたいで……」
「唯はその付き添い?」
「はい。俺も残ろうとしたんですけど、兄妹代表で出て来いって言われちゃいました」
困り顔に笑みを添える表情が、翠と少し似ている。
今までそんなふうに思ったことはなかったけど、考えてみたら、この人が困った顔をするところをあまり見たことがなかっただけかもしれない。
「取り立てて、体調が悪いとかそういうことではないのよね?」
栞さんが心配そうに会話に加わると、
「はい。とくにどこが悪いとかそういうことではなくて、疲れただけみたいです。俺たちが部屋を出るときにはぐっすり眠ってましたから」
秋兄が取り出した携帯には、横になっていることがうかがえる数値が並んでいた。
「それなら来られるかしら?」
「何に、ですか?」
「食後に、中庭でツリーを見ながらお茶会をしようと思っているの。いつもの……テスト前に集まるメンバーで」
言うと、御園生さんは口元を引き結んだ。
その仕草に、断わられる予感がする。
昨日こそふたつ返事で了承してくれたものの、今日は色んなことがありすぎた。それを考慮すれば、「休ませたい。これ以上の混乱はごめんだ」と思うのが兄心……。
御園生さんが口を開いた次の瞬間、
「よっし! 俺迎えに行く組ーっ!」
海斗の大声に遮られた。そして兄さんが前に出る。
「蒼樹くん。声、かけるだけかけてみちゃだめかな? これ、翠葉ちゃんのためにセッティングしたものだから」
兄さんの言葉に御園生さんは瞠目する。
「翠葉ちゃんの記憶が戻ったとき、秋斗がみんなからどう思われているかをひどく気にしていたの覚えてる?」
御園生さんは思い出したのか、ゆっくりと頷いた。
「未だにそれを払拭できてはいないと思うんだ。記憶を取り戻したあとに会食は一度あったけど、何分携帯事件の直後だったからね……。だから、大丈夫だよって伝えるためにセッティングしてる」
渋い顔をしている御園生さんに気を取られていた。
「携帯事件ってなんのこと?」
海斗の言葉にはっとする。
「あー……海斗、あとで話す」
「やらかした」って顔で兄さんが話を濁すと、
「まぁ、いいけどさ」
意外なくらいすんなりと引き下がった。そして、
「翠葉が秋兄と司を避けてるのは知ってるし、気持ち上であまり無理させたくないのもわかるけど、ずっとこのままってわけにもいかないでしょ?」
兄さんと海斗にまさかここまでフォローされるとは思っていなくて、妙なものを見る気分でその場に立っていた。隣から視線を感じそちらを見ると、俺よりもびっくりしたって顔の秋兄と目が合う。
それからしばらくして、
「わかりました。晩餐会のあと、迎えに行きます」
御園生さんは思案顔で了承した。
晩餐会が終り御園生さんが翠を迎えに行くのについていこうとしたら、兄さんたちに引き止められた。
「秋斗と司が行ったら出てくるものも出てこないよ」
「俺らが行って連れて来るから、司と秋兄はちょっと待ってなって」
適材適所――そんな言葉が思い浮かぶ。
俺はそれを受け入れられる人間だけど、秋兄はこういうの嫌なんじゃ……。
そう思ってちらりと隣をうかがい見ると、「頼む」の一言だった。
俺の視線に気づいたのか、
「手堅く行くならこれが最善、だろ?」
「なるほど……」
何がなんでも出てきてもらう。そのために引いただけ。
中庭に出て椅子に腰を下ろし、コーヒーカップに手を伸ばす。と、
「あんたたち、大丈夫なの? 楓と海斗に丸め込まれるなんて」
ドレスの上に毛皮を羽織った姉さんが中庭を闊歩する。
「湊ちゃん、ちょっと言葉選ぼうか……。あれは丸め込まれたんじゃなくて、助けられたって言葉のほうが――」
「言葉繕ったところで、あんたたちが行かないっていう事実は変らないでしょ?」
「ま、そうだけどさ……」
会話に参加するつもりはなかった。けど、何も考えてないと思われるのは癪で一言挟む。
「俺は海斗たちが連れてくるからと言って、安全圏にいるとは思ってないけど?」
姉さんからぞんざいな視線を投げられ、
「……ここまで来ても引き返すパターンだってあるわけだし」
言うと、姉さんの口端が上がった。
「そしたらあんたはどうするつもりなの?」
「そのとき考える」
……なんて答えたけど、実際できることは限られている。
俺と秋兄がいなければ、翠は茶会を楽しむことができるだろう。けど、それでは姉さんたちの意図に反す――だとしたら、動けるのは俺だけだ。
そこでふと思い出す。昨夜秋兄に言われた「選ばせるためのシチュエーション」という言葉を。
……あぁ、そうか。翠自身に状況を整えさせればいいのか。
思いながら、秋兄に視線を送る。
「何?」
「……秋兄は秋兄にできる方法で引き止めるよね」
「……何を望まれてるのかわかりにくいんだけど」
「いや、いつも通りの秋兄でいてくれれば問題ない」
「それはつまり、お姫様を華麗にエスコートってこと?」
「そんなところ」
「それで司はどうするつもり?」
「俺は自分にできることしかしない」
「……了解」
すべてを話さなくても伝わるだろう。
俺がどう動くかなんて、数えられるほどにしかないのだから。
人がいるにも関わらず、中庭は静かだった。姉さんと静さんは無言で飲み物を口にし、昇さんと栞さんは夜空を見上げている。
そこへ、唯さんの笑い声が聞こえてきた。
「なんかさ、大変残念なお知らせっていうか、お告げをされちゃった感じ?」
わざとらしくコホンと咳払いをすると、
「粘着質なストーカーにお困りの際には藤宮警備にご依頼ください」
寝耳に水のような話。そして、唯さんの半歩後ろを歩く翠を見て舌打ちしたくなる。
なんで外に出るのに手袋もマフラーもしてないんだ。
「何? 翠葉、ストーカー被害にあってるの? ちょっと秋斗っ、翠葉の警備どうなってんのよっ」
「ストーカー? そんな報告は上がってきてないけど……」
秋兄は詰問から逃れるように俺を見て、本当に知らないって顔をした直後、
「……もしかして俺のこと?」
と己に指先を向け唯さんに訊く。
「ほかに誰がいるんですか」
「司とか……?」
秋兄を指していた指は、すぐさま俺に向けられた。
「俺はストーカーになった覚えはない」
「いや、傍から見たらストーカーとなんとかは紙一重って言うからさ」
無駄口叩いてないでとっとと行動に移れ。
思いをこめて睨み返すと、秋兄が席を立った。
人が笑う中、三歩で翠の真正面に進み出る。
「とりあえず、翠葉ちゃんは座ったらどうかな?」
「あ、はい……」
「どうぞこちらに、お姫様」
秋兄は自然な動作で翠の右手を取り、目の高さまで持ち上げる。と、
「冷たい手だね」
翠の手を自分の頬に沿えた。
やりすぎ……。
そう思った瞬間、
「はーい、秋兄ストーップ。我らが姫君、翠葉姫はこっちで預かりましょー?」
海斗に奪還される。
ほっとしたのは束の間。海斗に引き寄せられた翠葉は妙に安心した顔をしていて、それが面白くなかった。
「ふーん……。これはちょっと面白くないかな。けど、静さんに強制退場を宣告されるのはもっと面白くないからね。今は引く」
言いながら、秋兄は身を引いてテーブルセットまで戻ってきた。
三つ並ぶソファの中央、空いているソファに案内された翠は、今にも腰を浮かせそうなほどに浅く腰掛ける。
「唯くんは翠葉の隣に座っててね? そこ、埋まってないと司か秋兄が移動しかねないから」
「りょうかーい!」
唯さんは腰掛ける際に、翠に膝掛けをかけた。そして止めをさすように、ウェイターが飲み物を持って近づく。カップを受け取ればそうそう退席もできなくなるというもの……。
まるで薄っぺらい紙にどんどんペーパーウェイトが追加されていく感じ。
翠はカップをじっくりと見て、
「ミルクカモミールティー……?」
不思議そうに顔を傾げる。
「はい。翠葉お嬢様にはミルクカモミールティーを、唯芹様にはコーヒーをご用意させていただきました」
「……ありがとうございます」
戸惑いながら礼を言う傍ら、
「これ、誰がオーダーしてくれたの?」
訊いたのは唯さん。
「司様より承りました」
ウェイターは丁寧にも俺の名前を残してその場をあとにした。
「俺の好みを覚えててくれるなんて光栄だねぃ」
唯さんの視線に捕まって、振り払うように「別に」と答える。
唯さんの好みを覚えていたというよりも、スティックシュガー四本というオーダーが忘れられないだけだ。
それにしても――なんで誰も気づかない? 誰も何も言わない?
俺は我慢の限界にきていた。
「海斗も兄さんも使えない。ついでに、御園生さんと唯さんも……」
言いながら立ち上がり、翠の座るソファ目がけて歩く。
俺が言う前に誰か気づけよ――
「おいっ、司っ!?」
海斗が引き止めるように声を発し腕を伸ばしてきた。それを振り払って翠の背後に立つ。
俺が使っていた手袋は膝に落とし、髪を結っていて寒そうな首元にはマフラーを巻いてやる。
こちらを向こうともしない翠の表情はわからない。頬にかかるようにマフラーを巻いたから、というのも一要因。
文句のひとつくらいは言っても許されるだろうか。
「外に出るのにどうして手袋もマフラーもしてないんだ」
反応なしかと思ったけれど、翠はこちらを見ることなく「ごめんなさい」と小さく口にした。
肩が震えたように見えたけど、寒さに震えたのか、俺の言葉に萎縮したのかは不明。
「……別に謝られたいわけじゃない。それに……困らせたいわけでもないから」
俺はそのまま屋内に入るドアへと向かって歩きだす。
タイミング的にはちょうど良かったのかもしれない。俺がこの場を去るシナリオ的には。
ただ、困らせたいわけでもないと言った割にはひどい行動をとっていると思う。
こんな状況では翠に選ぶ自由を与えられたとは言えない。むしろ、追い詰めているのだろう。
それでも、俺が退席する原因が自分にあると思えば、翠は引きとめずにはいられない。
わかっていてこういう行動をとる俺は、利己主義と言われても仕方がない。
でも、こういうことを繰り返すしかないのなら、何度でも同じシチュエーションを用意する。何度でも、自分を引き止めるための、選ぶためのシチュエーションを用意する。
あと一歩でドアに手が届くというところまで来たとき、背後から声がかかった。
「司、退席を許した覚えはない」
言わずと知れた静さんの声。
「それは静さんの一存? それとも……」
「お姫様のご要望だ」
振り返ると、翠は静さんに向かって頭を下げており、俯いたままこちらに背を向けていた。
俺は同じ歩調で翠の背後まで引き返し、
「選んだのは翠だから。俺に困るとか言わないように」
「……はい」
縮みあがったような声で返事されてどうする……。
そうは思うのに、結果に満足している自分がいるのだから救えない。
こんなやり方しかないものか――
空を仰ぎ見ると、幾多の星が瞬いていた。
Update:2013/07/28 改稿:2017/07/26
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