バラバラバラバラバラバラバラバラ――
今まで聞いたことのない音で、なんの音なのかがわからない。でも、視界に湊先生の顔が見えたから不安に思うことはなかった。
先生が耳元で、
「あと十分で病院に着くから」
言われて移動していることを知る。
乗り物が何かわかったのは病院の屋上にあるヘリポートに着いたときのこと。
「先生……? 私、ヘリコプターで搬送されるくらい大ごとな状態ですか?」
時々脈が乱れる感じはするものの、苦しいと感じるほどではないし、死にそうな気もしない。いよいよ自分の感覚が麻痺してしまったのか、と真面目に心配になる。
「今日は日曜日。どうやっても帰ってくるのに三時間はかかる。ヘリなら三十分もあれば着くのよ? 使わない手はないでしょ」
思わず絶句してしまう。
「不整脈は続いているけど、睡眠とって今日一日おとなしくしてれば頻発はしなくなるんじゃないか……っていうのは私の希望的観測。あんた、おとなしくしてなさいよ? じゃないと退院はお預け」
まるで脅迫。でも、佐野くんと約束したし、お母さんたちとも約束した。
何より、予定どおり火曜日から学校に通いたい。だから、おとなしくしてる。点滴や心電図だって嫌がらない。
「先生……ありがとうございます。空港まで連れて行ってくれて……。早くに病院へ連れて帰ってきてくれて……ありがとうございます」
「……早く元気になりなさい」
額を軽くデコピンされた。
病室ではお父さんとお母さんが待っていた。
ストレッチャーで運ばれてきた私にお母さんが駆け寄る。
「先生、娘はっ」
先生は空港で不整脈を起こして倒れた旨を話した。
「無理はしないって約束だったでしょう?」
責めるように言われたけれど、もうこの際何もかも甘んじて受けようと思う。
「ごめんなさい」
一言謝ると、少し冷たいお母さんの手が額に置かれた。
「……で、どうだったの?」
秋斗さんのことを訊かれていると思った。
「ちゃんと伝えることができた。でも、いってらっしゃいは言えなかった……」
言う前に意識を失ってしまったから……。
「あぁ、それなんだけど……」
湊先生が口を挟む。
「どっかのバカが当分アメリカに行ってるとかほざいたそうだけど、それ嘘よ」
「え……?」
今、「嘘」って言った? 「嘘」って……言った?
私はゆっくりと身体を起こし、食い入るように湊先生を見る。
「あんた、司に嵌められたのよ」
「なっ……」
開いた口が塞がらない。
「秋斗、今回は向こうの医療メーカーにプレゼンしに行くだけ。つながりを持てたら向こうに足場はつくるでしょうけど、それまで拠点は日本よ。今回は確か二週間で帰ってくるって言ってたはず」
「……湊先生――私、怒りのやり場がなくて困ってます」
「それなら張本人の司にぶつけるといいわ」
それは難しい……。
何しろ、私は秋斗さんにもひどいことをしてきたけれど、ツカサにも同等のことをしてきたわけで……。なんと言っても、こちらは現在進行形でもあるわけで……。
「どっちにしろ、あと二時間もしたら蒼樹たちと一緒に帰ってくるわよ」
そう言って、先生は検査の準備を始めた。
検査の結果、「要安静」とは言われたものの、入院の延期は言い渡されなかった。
そして、寝不足なのだから寝るようにと言われたわけだけど、
「先生……色々なことがありすぎて、眠れる気がしません」
目を瞑っても何かしら考えようと頭が動いてしまうのだ。
「仕方ないわね……。睡眠導入剤持ってくる」
薬を飲むと、眠りに落ちるまでの時間はツカサのことを考えていた。
ツカサにはどう話したらいいのかな……。
好きだということは伝えてあるけれど、それ以上に伝えなくてはいけないことなどあるのだろうか。
好き……大好き――
それ以外の、それ以上の言葉が見つからない。
ただ、好き。誰よりも好き。
ツカサの声が聞きたい。ずっと一緒にいたい。
どんな食べ物が好きで、どんな本を読んでいるのか、何を考えているのか。
色々なことが知りたい。もっとたくさん、ツカサのことを知りたい。
知ったら、もっともっと好きになる――
夕飯の時間に起こされた私は室内をぐるりと見回した。けれど、その場にいたのは家族だけ。
「誰を探してるのかな〜?」
唯兄がにまにまと笑い、薄気味悪い表情で寄ってきた。
「司っちがいないって?」
一瞬にして顔が熱を持つ。
「司っち、リィの寝顔見たら帰ったよ」
「そ、なの、ね……」
「何なに〜? 会いたかった? 残念?」
「あ……えと、そんなことはない、かな」
「またまた〜。顔に残念って書いてあるよ」
片頬を押さえたあとに、余計なことをしたと思った。
「唯兄の意地悪……」
「だって、かわいいからさ」
言いながら、無防備だった左頬をぷにっと押される。
「今日は疲れてるだろうからって言ってた」
助け舟のように話に加わった蒼兄に、
「蒼兄……唯兄がいじめる」
蒼兄はクスクスと笑い、
「たまにはいいんじゃない?」
そんなやり取りをしていると、ベッドの足元にいたお母さんから声がかかった。
「具合はどうなの?」
「今はなんともないよ。寝たのが良かったのかな? それともお薬が効いたのかな?」
点滴を見上げて首を傾げる。
「どちらにせよ良かったわ。でも、今日は疲れたでしょう? 夕飯を食べたら休みなさい」
「はい」
家族は夕飯が終わると早々に退散した。
移動はとても楽をさせてもらったはずなのに、横になればすぐにでも眠れそう。
そのくらいには疲れているのだろう。
緊張状態にあった心もだいぶ落ち着きを取り戻し、照明を消すとベッドに沈みこむように眠りについた。
翌日、学校の授業を病室で終えると紫先生立会いのもと、湊先生の診察を受けることになった。
退院ができるかどうかの見極め診察なだけに、昨日の緊張とは異なる緊張を強いられる。
けれども心配とは裏腹に、退院の許可は無事に下りた。
「まだ無理は禁物。移動教室のときは早め早めに行動しなさい」
「はい」
湊先生が一歩引き、紫先生が前へ出る。
「弁膜の手術は成功した。もう血液が逆流することはないだろう。……しかし、不整脈は完治したわけじゃない。これについてはこれからも経過観察が必要になる。それから、翠葉ちゃんの血液を送り出す力は依然弱いままであることは忘れないように。走れば血液循環量が追いつかず脳貧血を起こすし、血圧低下を招くだろう。それだけはきちんと覚えていてほしい」
「はい」
「よくがんばったね。退院おめでとう!」
紫先生に言われ、私と両親は「ありがとうございました」と頭を下げた。
終わった。一ヶ月と五日の入院が。
明日からは、学校に通える。
ゲストルームに帰るとクラスメイトにメールを送った。
『今日、無事に退院しました。明日、みんなに会えるのが楽しみです』と。
これから夕飯を食べようというときに、次々とメールが返信されてきた。
賑やかな携帯をずっと眺めていると、
「見ないの?」
お母さんに訊かれて、
「あとで見るよ」
「どうして?」
「だって、幸せの音が鳴っているみたいでしょう? ……今は、着信音を聞いていたいの」
「……変な子ね」
お母さんは笑ったけれど、鳴り止まない携帯を私と一緒に眺めていてくれた。
Update:2013/06/29 改稿:2017/07/25
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