「とくにないけど……」
「ないと困るんだけど……」
翠が眉をひそめたから、「焼き菓子」と答えた。すると、
「フロランタン?」
首を傾げて訊かれる。
フロランタンでもなんでもよかった。翠が作るものは甘いものが苦手な御園生さんでも食べられる範疇にあると知っていたから。それは、先日のバレンタインでも立証されていた。
「フロランタンはもともと作る予定だから、それ以外のもので何かないかな?」
「……思いついたら言う」
そんな会話をしたのは三月末、ゲストルームを訪ねたときだった。
その後、何が欲しいとは言わなかったわけだけど、とくだん翠に詰め寄られることもなかった。
誕生日には家族や親戚からプレゼントをもらうことはあっても、ほかの人間からプレゼントをもらうことはない。
今年は翠からもらえるのかと思えば、何をもらえるかは問題ではなく、翠に祝ってもらえることが特別に思えた。
……もし俺が、誕生日に何が欲しいかを尋ねたら、翠はなんと答えるのだろう……。
「……自分だってこれといったものは提示できないくせに」
そんな結論に至れば、ふ、と笑みが漏れた。
日付が変わろうとしたとき、携帯が着信を告げた。
「はい」
『あのっ――』
翠は電話をかけてくると、最初に名乗る癖がある。けれど、最近はそれをどうにか直そうとしているようだ。
前につんのめりそうな声に、
「翠?」
声をかけると、いつものようにこちらの状態を尋ねられた。即ち、今話していても大丈夫かどうか――
名乗ることは改めようとしているくせに、こっちは改める気がないのだろう。
出られる状況でなければ出ないし、出ても話せないなら折り返す旨を伝える。
何度もそう話してきたが、「でも、これだけは気になるから」と言われた。
いつもの問いかけに「問題ない」と答えると、「あのね」と言葉を区切る。
次の声を待っていると、急にカウントダウンが始まった。
『十、九、八、七、六、五、四、三、二、一、誕生日おめでとうっ! ツカサ、十八歳の誕生日おめでとうっ!』
十から始まるカウントに予想ができなかったわけじゃない。ただ、誕生日におめでとうと言われることはこんなにも嬉しいことだっただろうか、と考えさせられただけ。
『ツカサ?』
「……いや、少しびっくりしただけ」
主に、自分の感情の変化に……。
『去年、ツカサがこうやってお祝いしてくれたでしょう? だからね、絶対にカウントダウンしたかったの』
翠の弾んだ声が耳に心地よかった。
『誕生日プレゼントを渡したいのだけど、明日、学校で会える?』
「学校じゃなくても会える」
『え?』
「模試の勉強、明日からにしよう」
思いつきで答えると、
『こっちに帰ってくるの?』
「そのつもり」
『なんでもっと早く言ってくれなかったのっ!?』
「今決めたから?」
何を責められているのかと思えば、
『こっちに帰ってくるならケーキ焼いたのにっ』
悔しそうな声で言われた。その直後、
『ツカサ、やっぱりだめ……』
は?
「何が?」
『明日はツカサの誕生日だもの。真白さん、絶対にごちそうを用意して待ってると思う。だから、明日は藤山に帰らなくちゃだめ』
翠らしい気遣いに心が和む。俺は目を閉じて翠の表情を思い浮かべた。
「家で夕飯食べてからマンションに行くってこともできるんだけど」
『……あ、そっか』
「明日、八時にはゲストルームに行くから」
『うん、待ってるね』
「じゃ、おやすみ」
『おやすみなさい……』
若干名残惜しさを残したまま通話を終えた。
目を開けば今まで読んでいた本が映る。
もう少しきりのいいところまで読むつもりでいた。けど、今日はここまでにしよう。
栞に手を伸ばし本に挟むと、分厚い洋書を静かに閉じた。
Update:2013/11/25(改稿;2017/07/30)
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