時計を見てゲストルームを出てきたにも関わらず、バスの時間が気になって何度も懐中時計を確認する。
逆算して、待ち合わせ時間ちょうどに着くバスは十時四十分発。それだとツカサと一緒になってしまう可能性があるから、二十五分発のバスに乗った。
日曜日だからか、バスの乗客は自分だけ。
私は運転席の後ろの、数段ステップを上る高い席に座り、右手に広がる住宅街を眺めていた。
遠くの雲間からは、幾筋もの光がキラキラと差し込んでいる。光はこの季節特有の柔らかなものだ。
ツカサもバスに乗ったら同じ光景を見るだろうか。それとも、本を持参していてバスの中では本を読んでいるだろうか。
「……なんとなく後者が濃厚」
そんなことを考えれば、バス停で待ち合わせして一緒にバスに乗れば良かったかな、などと少し残念に思う。
駅に着いたのは四十五分。バスターミナルフロアの上に時計台広場がある。
まだ少し早いけど、あちこちにベンチもあるから座って待っていればいいだろう。
エスカレータで広場へ上がり、時計台近くのベンチを目指す。と――
「……どうしているの?」
遠目だけど間違いようがない。ツカサが時計台の下で本を読んで立っていた。
時計台の時計に加え自分の時計を確認したけれど、どこからどう見ても四十七分だ。
私は慌てて時計台まで駆け寄った。私に気づいたツカサは顔を上げ、
「走るな」
「だって、ツカサがいるからっ」
「待ち合わせしてるんだからいるのが普通じゃない?」
「でもっ、まだ四十七分っ」
ツカサは一度腕時計に視線を落としたけれど、
「少なくても、翠が走っていい理由にはならないと思うけど」
「……ごめんなさい」
ツカサは本を閉じ、肩にかけていた皮製の黒いトートバッグにしまった。
ツカサの今日の格好は、いつもと変わらない細身の黒いパンツにサックスブルーのボタンダウンシャツ。エンジと白の細いストライプが入っていてスタイリッシュに見える。靴はグレーのスニーカー。
それらを見て少しほっとした。
今まで私が見てきた格好とさほど変わらないため、変にドキドキしないで済みそう。でも、待ち合わせは思っていたとおりにはいかなかった。
「ツカサは何分のバスに乗ったの?」
「バスには乗ってない」
「え?」
「ちょうどいいバスがないから警護班に車を出してもらった」
私は疑問に思う。
「ちょうどいいバスはあったでしょう? 学校前のバス停に四十分発があったよ?」
「駅で待ち合わせたいって言ったのは誰?」
「私だけど……」
それが何……?
「駅で十一時に待ち合わせだと必然的に同じバスに乗ることになるだろ。そしたら翠は間違いなく一本早いバスに乗る。そこまでわかっていて、待たせることになるバスに乗るとでも?」
全部読まれていたことが恥ずかしくて私は俯いた。
バスの中でも思ったけど、やっぱりバス停で待ち合わせて一緒に来れば良かったのかな。
「翠の希望どおり、駅での待ち合わせだったけど……何、不服なの?」
「……意地悪」
こんなの不服とも言えなければ満足とも言えない。
私の予定では、時計台のもとで待っているのは自分で、エスカレーターを上がってくる人をドキドキしながら見ているはずだったのだ。
ツカサ相手では思ったように事は運ばない。それを痛感した待ち合わせだった。
歩き始めると、
「今日の体調は?」
「どこもなんともないよ」
私は携帯を取り出し、バイタルを表示させたディスプレイをツカサに向けた。
それで納得したツカサは口を閉じ、会話は終わってしまう。でも、いつもこんな感じだからとくに何を気にするでもない。むしろ気になるのは人の視線。
すれ違う女の子はチラチラとツカサを気にして通り過ぎる。それは学校でも変わらないけれど、学校でのそれよりもじっくりと見られている気がしてならない。そういうところを目の当たりにすると、やっぱり格好いいんだな、と再確認するわけで……。
「何?」
「えっ?」
「じっと見てるから」
「……ううん、なんでもない」
見ていたことを気づかれただけでも恥ずかしいと思うのに、そのうえ「格好いい」とはどうしても言える気がしなかった。
どうしてかな……藤の会のときは言えたのに。
「……お店、どこにあるの?」
「デパート裏の大通りを右折して、信号ふたつ目を左折したところ。ウィステリアホテルの料理長の弟がやっている店。自然食のビュッフェだから、食べられるものを選んで食べればいい」
ツカサの気遣いが嬉しかった。
「ありがとう……」
「どういたしまして」
お店の前には人が数人並んでいた。ツカサはそれらを気にせず進むと受付で名前を口にする。どうやら予約を入れていたらしい。
案内されたのは窓際の席。半日陰の中庭には玉砂利が敷かれており、バランスよく植物が植えられている。店内は白とダークブラウンというシンプルな色調。
店内の突き当たりに料理が並ぶ一角があり、おかずは全部で三十種類あるという。交代で料理を取りに行ったのに、ふたりが選んできたものは似たり寄ったりのおかず。そんな些細なことが嬉しくて、思わず表情が緩む。
少しずつよそったおかずを食べながら、家の味付けはこれよりも甘いとか辛いとか、薄いとか濃いめとか、味付けに何が使われているなど、そんな話をしながらランチを食べた。
ツカサは私に合わせていつもよりゆっくり食べてくれている。そんなことも嬉しくて、美味しいランチと嬉しさを噛みしめた。
食後、お手洗いへ行って戻ってくると、テーブルに置かれていた伝票がなくなっていた。
「……ツカサ、ここに置いてあった伝票は?」
「もう支払った」
私がバッグからお財布を出そうとすると、
「いい」
「でもっ――」
「今日は誰のなんの祝いでデートしてるんだっけ?」
「……私の誕生日、だけど」
「なら、おとなしくご馳走されて」
それ以上は何を言わせてくれる雰囲気でもなかった。
秋斗さんとのときは、ご馳走されることにそこまで抵抗を感じなかった。それはきっと、年の差があったからだろう。けれども、ツカサとは学年は違えど同い年だ。
悶々としたままお店を出ると、ツカサはため息をついて私を振り返った。
「誕生日のお祝いを兼ねてご馳走したんだから、そんな鬱屈した顔しないでほしいんだけど。希望としては、笑顔を添えて美味しかったご馳走様、の一言」
じっと見られて、希望ではなく要求に思えてくる。
「……美味しかったです。ご馳走様」
「笑顔が添えられてなかったけど?」
そうは言いつつも、ツカサはどこかおかしそうに口端を上げている。
「ありがとう……とっても美味しかったです」
うまく笑えたかはわからない。でも、ツカサは満足そうに「どういたしまして」と言ってくれた。
駅向こうにある楽器店ではハープのスペア弦と新しい五線譜を買い、気になるスコアを少し見てからお店を出た。
来るときと同じように線路沿いを戻るものだと思っていたら、ツカサは途中で右折する。
「ツカサ? 駅、こっち……」
「食後の散歩は?」
「え? お散歩?」
「ちょっと歩いたところに公園がある」
「……公園?」
「とくに何があるわけじゃないけど、翠は好きだと思う」
そう言って連れてこられた公園は、遊具がひとつもない公園だった。代わりに、ボートに乗れる池があり、ほどよく手入れされた森林がある。
駅に近い場所にある公園としては珍しい気がした。
「こっち側は楽器店に来るくらいだから、こんな公園があるなんて知らなかった」
背の高い木に囲まれた場所を歩くのは久しぶり。幅一メートルほどの木道は、歩くたびにカポカポ、と乾いた音が鳴る。音の変化を聴き比べながら歩くのも楽しい。
「夏……」
「え? 何?」
数歩後ろを歩いていたツカサを振り返ると、
「インターハイが終わったら車の免許を取る予定」
「免許……?」
「そう。俺も翠も、免許を取れる年」
言われて初めて気がついた。
「免許を取ったら、少し離れた場所にも森林浴に行ける」
森林浴に連れていってもらえるのは嬉しい。でも――
「別に遠出じゃなくても……私、藤山の散策ルートでも十分楽しめるよ?」
どうしてか、ツカサは面白くなさそうな顔をする。
「……ツカサは嫌なの?」
「……嫌じゃない。嫌じゃないけど……」
ツカサにしては珍しく言葉を濁した。おまけに、ものすごく言いたくなさそうな顔だ。
でも、もう少し詳しく聞きたいな……。踏み込ませてくれるかな……。
少し緊張しながら、
「嫌じゃないけど……?」
「……じーさんに見られている気がして落ち着かない」
ものすごく意外な返答だった。
「……朗元さん?」
「そんな暇人じゃないと思うけど、なんとなく……」
ツカサが何を懸念しているのかまではわからなかったけど、尋ねたことに対して答えてもらえたことが嬉しかった。
「ツカサが車で連れていってくれるなら、私はお弁当を作ろうかな。ツカサは何が食べたい?」
「なんでも」
「なんでもはだめ。何か答えて?」
「……から揚げ」
「ほかには?」
「……卵焼き」
「ほかには?」
ツカサは少し沈黙して、
「……食べるときの楽しみにさせて」
言ったあとは俯いた末、顔を逸らされてしまった。
顔を逸らされる直前、眉をひそめて困ったふうの顔が、とってもかわいく思えた。
そんな表情を見られたことを嬉しく思い、幸せな気分になる。
まだ見たことのないツカサの表情を、この先いくつ見ることができるだろう。そんなことを考えながら、私はツカサの嗜好を探る質問を繰り返す。
「洋食と和食だったらどっちが好き?」
「どっちも好きだし食べられる。けど、どっちかっていうなら和食が好き」
「酢の物は好き?」
「好き」
「ごま油も大丈夫?」
「問題ない」
「辛いもの、鷹の爪とかは?」
「それが主体じゃなければ」
「おにぎりの具で一番好きなのは?」
「梅おかか」
尋ねたことにすべて答えてもらえることが嬉しい。
この日、私の頭に「ツカサの嗜好フォルダ」が作られた。
幸せが心に積もると――積もりすぎるとどうなるのかな……。
そんなことを考えながら歩いていると、
「きゃっ――」
木道の段差に気づかず足を取られた。けれど、咄嗟に腕を掴んでくれたツカサにより転ぶことは免れる。
「……食べ物の話で何浮かれてるんだか」
私は恥ずかしくなって俯く。
「……だって、嬉しいんだもの。ツカサの好きなものを教えてもらえるのも、訊いたことに全部答えてもらえるのも、嬉しいんだよ。足元が留守になるくらい、嬉しいんだよ」
言い終わってそっと顔を上げると、
「なら、座って話す」
ツカサは私の手を引いて、近くにあるベンチへ向かって歩きだした。
Update:2014/12/01(改稿:2017/08/17)


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