そこは、玄関のドアから何から何までカントリー調に揃えられている、なんともあたたかみのある空間だった。ここまできっちりと揃えられているところを見ると、ご両親どちらかの好みなのかもしれない。
「たっだいまー! 無事ご入会いただけましたー!」
柊ちゃんの声に反応したのか、廊下の先から佐野くんと聖くんが顔を出した。そして、柊ちゃんがタタタ、と走っていくと三人はハイタッチを交わす。
柊ちゃんが動く様は、ぴょんぴょんと跳ねているように見えてとてもかわいい。 ふわふわの髪の毛が動きに連動して、顎あたりで揺れるのがかわいらしさに拍車をかけるのだ。
そんな姿を見ていたら、佐野くんに話しかけられた。
「レッスン日、決まった?」
「うん。日曜日にしてもらえたの」
「ふふっ! 日曜日は一緒にお昼ご飯食べるんだ! ねっ?」
「うん」
このテンションについていかれる気はしないけど、柊ちゃんの嬉しそうな顔を見るのは好き。柊ちゃんの笑顔は夏に元気よく咲く向日葵のようで、心があたたかくなる笑顔だから。
「改めてよろしくっ! 俺もピアノ弾くんだ。今度連弾しよう」
突如目の前に差し出されたのは聖くんの大きな手。
私はその手を見ながらコク、と唾を飲み込む。
初対面だけど、「怖い人」という印象はない。それに、佐野くんの従兄なのだ。怖い人のはずがない。
こういう見方は本人を直接見ているわけじゃない、とツカサに指摘されたことがあるけれど、それに関しては、今は目を瞑ってもいいだろうか。
佐野くんというフィルターを通してなら、佐野くんという保険を得てなら、握手ができる気がする。
「御園生さん……?」
「あ、ごめんなさい。大きな手だな、と思って……」
私はごまかしにもならないようなことを口にして、聖くんの手を取った。
聖くんの手は大きくてあたたかい。ツカサの手よりも柔らかくて、感触だけなら蒼兄の手に似ている。違うところは蒼兄の手よりも白いところ。
そんな確認をしてから、
「よろしくお願いします。でも私、連弾はしたことがなくて……」
「そんなの関係ないよ! やってるうちに楽しくなっちゃうからさ!」
やっているうちに楽しくなる……か。それは去年の紅葉祭のステージと同じような感覚だろうか。
去年のことを思い出していると、私をじっと見る目に気づく。
「佐野くん?」
「いや、それ……」
佐野くんが、「それ」と指したのは聖くんと握手を交わしている手だった。
「「ん?」」
聖くんと柊ちゃんが同時に疑問を唱える声をあげると、
「いや、いいんだけど……」
佐野くんは、「なんでもない」とでも言うかのように手を下げ、視線を逸らしてしまった。
けれど、私だけは佐野くんが何を言おうとしていたのかがわかる。
私はす、と息を吸い込み、
「……あのね、これからはもう少し大丈夫になろうと思って」
急に何もかもクリアできるわけじゃない。きっと、聖くんが佐野くんの従兄であったり友達でなければ握手はできなかっただろう。それでも、変わりたい、という意志はあるのだ。
「大丈夫なの……?」
「うん……大丈夫なはずなの。飛翔くんと話して、本当は何が苦手だったのかを見つめなおすきっかけをもらったから……。大丈夫なはずなの」
たぶん、こういうところから慣れていけばいいのだと思う。そしたら、いつしか誰の手であっても大丈夫になる。今はそれを信じているだけ。
挨拶が一通り済んだところで、柊ちゃんと聖くんが飲み物を淹れてくれることになった。
その状況下で、私はひとりハラハラしていた。
初対面なのに、カフェインが摂れないとは言いづらい。けれど、着々と準備されているものは間違いなくコーヒーなのだ。
この時点で言うべきだろうか。それとも、淹れてもらったコーヒーに手をつけないべきか。どうしたら――
「悪い、御園生がカフェインだめなんだ。なんか別のものない?」
佐野くんの言葉にはじかれたように顔を上げる。と、コツ、と頭を小突かれた。
「このくらい言って大丈夫だよ」
佐野くんは安心できる笑顔をくれた。
「ありがとう……」
「ハーブティーもあるけど、ローズヒップとハイビスカスの酸っぱい系大丈夫?」
聖くんの隣では柊ちゃんが、「ハチミツもあるよー!」とハチミツの瓶を両手に持ってにこにこと笑っている。
「コーヒー飲めなくてごめんなさい。ハーブティーなら飲めます。……と、ハチミツも嬉しいです」
みんなの視線が自分に集まっているのと、少し天井の高い部屋に自分の声だけが響いていて、なんだかひどく緊張した。柊ちゃんたちを見ていた視線も徐々に下がってしまい、今はアイランド型のカウンターに落ちてしまっている。
数秒間沈黙の間があり、それを破ったのは聖くんの声だった。
「カフェインが摂れないのって体質か何かでしょ? それって仕方ないことだから謝らなくていいと思うよ。それから、敬語で話すのって御園生さんの癖?」
「え、あ……」
「なんか硬いっていうか、他人行儀っていうか、ちょっと遠くに感じる。……俺ら、タメでしょ? できれば、敬語じゃないほうが嬉しいな」
聖くんが言っていることがわからないわけではない。確か、出逢ったばかりのころ、秋斗さんにも同じようなことを言われた。
きっと、聖くんは思ったことを口にしてくれたのだろう。それなら、私も思ったことを口にすればいいのかな。
「……うん。でも、コーヒーを淹れようとしていたところをハーブティーに変えてもらったから、お礼は言わせてもらえる?」
「それなら喜んで」
「ありがとう。それから、敬語は……努力します」
「って、言ってるそばから敬語だよ」
柊ちゃんに指摘されて、慌てて口元を押さえた。そしたら、その場にいた三人がくつくつと笑いだす。そんな三人を見回すと、なんだか自分もおかしく思えてきて、最終的には一緒になって笑っていた。
「ハチミツ、どれにする?」
柊ちゃんはハチミツばかりが入れてある籠をカウンターに出してくれた。
「これはれんげのハチミツで、これはミカンのハチミツ。アカシア、クローバー、藤、たんぽぽ。ラベンダーもあるよ」
ハチミツの入った瓶が丸かったり多角形だったり、見ているだけで飽きない。さらに、ハチミツは透明度の高いものから不透明なものまで多岐にわたる。色がきれいなのはアカシアのハチミツだけど、私が気になったのは藤のハチミツ。
藤のハチミツも、アカシアのハチミツほどではないものの、透明度が高い。
「あの、これ……藤のハチミツが食べてみたいです」
「……敬語?」
下から柊ちゃんに見上げられて、
「あっ、あのっ……今のは意識していたわけじゃなくて、その……なんていうか、藤のハチミツを食べたいって言うのが少し恥ずかしくて、紛らわすために敬語になっちゃったというか……」
あたふた説明をすると、
「なんたって藤宮の生徒だもんね? 藤つながりで気になった?」
にこにこと笑う柊ちゃんに、私はコクコクと頷いた。
「じゃ、お茶に入れる前にテイスティングする?」
「いいのっ!?」
「翠葉ちゃん、食いつき良すぎっ!」
「あ、わ……ごめんなさい」
「いいよいいよ!」
柊ちゃんにティースプーンを渡され、ほんの少しハチミツを掬って口に入れる。と、口の中に藤を感じさせる華やかな香りと、上品でまろやかな嫌みのない甘さが広がった。
「美味しい……」
「でしょ? なんの蜜かでずいぶんと味や風味が変わるんだよね。集め出すときりがないよ」
それはとてもそそられる……。
「楽しそう……。実は私、ハーブティーは飲むのも集めるのも好きなの」
「じゃ、ハチミツ専門店になんて行ったら沼にはまるね」
「間違いなく……」
「あのね、駅向こうの商店街にハチミツ専門店があるの。今度一緒に行こう!」
「ぜひ!」
藤のハチミツは、真白さんにプレゼントしたいな……。
Update:2015/02/16(改稿:2017/08/25)
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