「翠葉、昨日貧血で倒れたって聞いたけれど、大丈夫なの?」
心配そうに声をかけてくれたのは桃華さん。
桃華さんやほかの女子はチアの練習とモニュメントの製作があるため、私とは完全に別行動なのだ。
逆に、応援団の練習を一緒にしていたクラスの男子は誰もが昨日のことを知っている。
「えぇと……ちょっといっぱいいっぱいだったのだけれど、これからはたぶん大丈夫」
二学期になっても、クラス全員にはまだ慣れていない。
そんな中で話すのは緊張したけれど、ここにいる人が自分の心配をしてくれているのはわかるから、きちんと自分の言葉で伝えようと思った。
「それにしても、会計と副団長、さらには衣装の製作って結構なボリュームだと思うけど? 噂だと、藤宮先輩の長ランも引き受けたって話だし」
香月さんの指摘に驚いた顔をする人が多数いた。
「「そんなことになってたのっ!?」」
声を揃えたのは海斗くんとサザナミくん。
間違いなく、唯兄の言ったとおりなのだ。これは、健康な人であってもオーバーワークと判断される事態だったのだろう。
少し冷静になって考えればわかることなのに、負けず嫌いの私は自分で自分の首を絞めていた。
「会計の仕事振り分けらんないの?」
「司のやつ、現状知ってんのかな」
サザナミくんと海斗くんの言葉はツカサを責める響きを含む。
私は慌てて弁解した。
「あのねっ、ツカサは知らなかったの。私、副団長になったことを話していなくて……。昨日、うちに来てくれたときに会計を手放せって言われたのだけど、それは嫌だって突っぱねてしまって……」
「翠葉ちゃん、責任感と無理は混同しちゃだめだよ? 会計の仕事がしたいなら、衣装の製作は私手伝うし。負担は分担しようよ」
美乃里さんの言葉に苦笑を返す。
優しい言葉や気遣いに心があたたかくなるけれど、これがツカサと話す前なら苦しくて苦しくて仕方がなかっただろう。
今、穏やかな気持ちで聞いていられるのは、ツカサと話したあとだから。
改めてツカサに感謝しつつ、クラスメイトを見回した。
さすがにこの状況でツカサと話した内容を話せる神経は持ち合わせていない。だから、間接的な言い回しになってしまうけれど――
「心配かけてごめんね。でも、抜け道を作ってくれた人がいるから大丈夫。最後までがんばる」
ツカサの名前は出さなかった。でも、海斗くんたちにはばれてしまったようだ。
「司、今度はどんな手使ったんだよ。会計の仕事一緒にやるとか?」
「あー……えと、会計の仕事は死守しました」
「なんで……」
「だって、去年せっかく作ってもらった経路だもの。そんな易々と手放せない」
「でも、それ以外に抜け道って何がある?」
私は恥ずかしく思いつつもツカサの申し出を答えることにした。
「あのね……ツカサが私が着る長ランとハチマキを作ってくれることになったの……」
場が一瞬しんとして、次の瞬間には悶絶する人や奇声を発する人、口元を覆って赤面する人、様々な人がいた。言った私もちょっと恥ずかしくて顔が熱い。
そんな中、桃華さんだけが眉間にしわをよせ、
「あの男が手芸? 刺繍……? ……無駄にきれいな作品になりそうで腹が立つわ」
と吐き捨てた。
朝のホームルームが終わり一日が始まる。
授業風景は何も変わらない。けれども、授業間の休み時間になると刺繍を始める女の子は少なくなかった。
ほとんどの子が赤組のハチマキに刺繍をしている中、ほかの組の刺繍をしている人もちらほらといる。
共通しているのは、みんな熱心に、そしてどこか嬉しそうに針を刺しているところ。
そんな様を見ていたら、私も切羽詰った気持ちでするのではなく、心にゆとりを持ち、ツカサのことを考えて一針一針に気持ちをこめようと思えた。
昼休みになると各班の中心人物が風間先輩のクラスに集まり、各々の進捗状況を報告しあう。それを踏まえて練習のスケジュールを再調整する、ということを何度も繰り返していた。
それはうちの組だけではなく、どの組も昼休みは有効活用している。そのため、ツカサとのランチタイムはなくなってしまったけれど、毎晩ゲストルームに来てくれるので、とくに不安も不満もなかった。
不満があるとしたら、ツカサの器用さに、だろうか。
ツカサは私の勉強を見ながら長ランとハチマキの刺繍をしている。その手先の器用なことといったら、自分が女の子であることを恥ずかしく思うレベルだった。
「なんでそんなに不満そうな目?」
「……だって、悔しいくらいにきれいなんだもの」
「翠のは?」
「見せたくない」
「どっちにしろ俺はそれを着なくちゃいけないんだけど」
「…………」
「そんなにひどいの?」
真面目に心配されている気がして、おずおずと生地を差し出した。
ツカサの縫っているものと比べると、やはり粗が目立つ。
そんな状況にむーむー唸っていると、
「そんなにひどいとは思わないけど?」
つまり、上手ではないと言いたいのか。
「お裁縫は苦手なのっ」
ぷい、とそっぽを向くと、ツカサがくつくつと笑いだした。
「細かい作業は得意なのかと思ってた」
「バッグ作りは好きだけど、それだってミシンでダダダと縫えるものに限るし、刺繍なんて学校の授業で習って以来一度もやったことないんだから」
「意外だな。だって、編み物はするんだろ?」
「……編み物のほうが糸が太いし、針だって指に刺さることないもの……」
そう言うくらいには、自分の指にプスプスと針を刺してしまった痕がある。
ツカサは私の指先を見て、堪えられないというふうに笑った。
「ツカサ、ひどい……」
「悪い……」
言いながらもまだ笑いはおさまらない。
こんなふうに笑うツカサは初めてで、面白くないと思う反面、貴重なツカサが見られて嬉しかった。
授業の間の時間を利用して刺繍をしていることを話したら、
「授業始めの小テストは?」
と、そこを心配された。
「毎日ツカサに見てもらってるから大丈夫。今のところ失点はしてないよ」
「ならいいけど、失点するようなら授業間の休み時間は勉強に当てること」
「うん。そうならないようにがんばる」
ひとりで勉強していると、キリキリと切羽詰まるものがあるけれど、ツカサとの勉強はこんな会話をはさみつつなので、ちょっとしたリラックス効果もあわせもっていた。
そして、帰る間際にはキスをしてくれる。それは、「今日一日がんばりました」のキスにも思えたし、「明日も一日がんばろう」のキスにも思えて、私にとっては特別度の高いキスだった。
ねぇ、ツカサは何を思ってキスをしたのかな。こんなふうに思っているのは私だけなのかな。
ねぇ、ツカサは何を思ってキスをしたの?
いつか訊ける日が来るだろうか。
そんなことを考えながら眠りの淵に落ちる日々は、とても幸せなものに思えた。
Update:2015/07/06(改稿:2017/09/12)
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