「何その顔……」
「別に」
言いながら、翠の自室へと通される。
翠はデスクに置いてあったものを手に取ると、
「ううう……やっぱり渡したくないなぁ」
「は?」
「だって、絶対ツカサのほうがきれいな仕上がりなんだもの」
そう言って振り返った翠の胸元には、黒い布が見えていた。
つまり、長ランのことを言っているのだろう。
「そんなの見てみないとわからない」
翠は今にも地団太を踏みそうな勢いで、長ランを抱える腕に力を入れる。
「そうだったところで、俺は翠が作ってくれた長ランを着るしかないんだけど……。ほら、さっさと出して」
催促に催促を重ねると、翠は嫌そうに長ランを差し出した。
丁寧にたたまれたそれを見ていくも、それほどひどい出来だとは思わない。内布に施された刺繍だってそこそこ見られる。
「そんなひどくないし」
世辞は言わない。だからといって嘘を言ったつもりもない。俺の率直な意見を言ったつもり。
翠は俺の手にある長ランをじっと見て、
「ツカサ、それ一度戻して」
「は? 今さら作り直すとか言わないよな?」
「そんな無謀なことは言わない。でも、アイロンくらいはかけたい」
「あぁ、そんなこと」
「そんなことじゃないものっ。アイロンをかけたら少しくらいは見栄えが良くなるかもしれないでしょうっ!?」
あまりにも必死な翠がかわいくて、くつくつと漏れる笑いは抑えられなかった。
「わかった」と長ランを返せば、翠は悔しそうな目で俺を睨む。
そんな翠を見ながら、
「ところで、後夜祭で着るドレスは決まってるの?」
「まだ決めてはいないの。実は、今年の誕生日にも静さんからたくさんドレスをいただいていて、でもなかなか着る機会がないからこの機会に着ようかな、って。明日、園田さんがドレスを数着持ってゲストルームへ来てくれることになっているから、そのときに選ぶ予定なの」
「それ、俺も見たいんだけど」
「え? ツカサも……?」
「……後夜祭のダンス、誰と踊るつもり?」
翠はきょとんとした顔をしていた。
俺がにこりと笑ってローテーブルに身を乗り出すと、
「あ……わ、その……」
翠は身を引いて長ランを抱きしめる。
「俺以外に誰か相手がいるとでも言おうものならどの程度のお仕置きをさせてもらえるのかが楽しみだ」
翠は何を想像したのか、鎖骨あたりから上すべてを赤く染め上げる。目を逸らす動作が意地悪心に油を注ぎ、
「翠は誰と踊るつもり?」
「……ツカサ以外の人なんていないもの」
翠は小さな声で訴えた。
「なら、パートナーのドレスくらい把握しておきたいんだけど」
翠は長ランを自分の脇に置き、幾分か落ち着きを取り戻してから、
「明日、六時半に来てもらえることになっているのだけど……練習は大丈夫なの?」
「一日くらい俺がいなくてもなんとでもなる」
「そう?」
「そう」
「……なら、一緒に選んでほしいな」
にこりと笑んだ顔に満足した俺は、休憩時間にピリオドを打った。
翠の勉強を見始めて一年と半年。
俺の教え方が身についたのか、始めのころと比べると勉強のスピードが格段にアップしている。
今日に至っては十一時半には終わっていた。
帰ろうとした俺を引き止めた翠は、
「お茶、淹れなおしてくる」
と部屋を出て行った。
早く休める日は早く休ませたい。
そうは思ったが、何分学校で会う機会がまったくないだけに、ふたりで過ごせる時間が貴重であることも事実。
お茶を飲む時間くらいならいいか、と翠を待っていた。
程なくして戻ってきた翠に、
「ダンスの練習、どうだった?」
カップを差し出す翠の表情がぱっと花が咲いたように明るいものへと変わる。
「あのね、先日初めて佐野くんと踊ったの。今までツカサと踊っていたから身長差とか最初は慣れなかったのだけど、身長が近い分、少し踊りやすかったかも?」
どうやら、俺の成長はまだ終わっていないらしい。
四月の身体測定では身長が三センチ伸びて一八一センチになっていた。
「ふーん……さすがに身長に文句を言われても変えようがないんだけど」
「えっ!? そんなつもりで言ったわけじゃないよっ?」
どうしたものかな。
俺は翠が笑っているのも好きだけど、むくれた顔や焦って必死になっている顔も好きらしい。
クスリと笑みを漏らすと、翠はむくれた顔で、
「もぅ……意地悪」
愛しい生き物はカップに手を伸ばし口元へと引き寄せた。
一口飲むと穏やかな表情に戻り、
「桃華さんや海斗くん、静音先輩にもとても褒めてもらえたの。ツカサに教えてもらって良かった。ありがとう」
ふわりと笑うその様に、一瞬見惚れた。
「……ま、見られる程度には仕上げたつもりだけど、厳しく指導しようと何しようと、それを習得したのは翠だから、俺だけの力じゃない」
このまま一緒にいるとキスをしたくなる。この腕に翠を抱きしめたくなる。
そんな予感を覚え、約束を守るためにまだ熱いハーブティーを一気に飲み干した。
「帰る。翠も早く休める日は早く休むように」
「うん。いつも遅くまでありがとう」
席を立ちドアノブに手をかけたそのとき、クン、と後ろに引っ張られる感覚があった。肩越しに振り返ると、翠の右手が俺のシャツをつまんでいた。
「何?」
翠は俯いたまま、
「……ぎゅってして?」
願ってもない申し出にすぐさま応じる。
もしかしたら翠も俺と同じ気持ちでいるのだろうか。
そう思うと、嬉しい気持ちが抑えきれなかった。
「何、急に」なんて素っ気無い言葉を吐きながら、嬉しさを隠せた気はしない。
翠からはどんな言葉が返ってくるのか……。
「なんとなく」かなと思っていたら、「スキンシップ」だった。
これは意外な返答だ。
「……へぇ、スキンシップなら、翠の身体のどこに触れてもいい気がするんだけど」
調子に乗って翠の背に指を滑らせると、翠は首を竦めるほどの反応を見せた。
でも、その反応は緊張を示すものだとすぐに理解する。
「……嘘。ゲストルームでは何もしない。翠がしてほしいなら別だけど」
腕を緩め翠の表情をうかがい見ると、翠は口をきつく引き結ぶ。
その口の中にはどんな言葉が詰まっているのか。俺はその言葉を聞くことができるのか――
「翠の望みは?」
翠はゴクリと唾を飲み込んでから、
「……ぎゅってしてほしかっただけっ」
「了解」
俺は再度翠の身体に腕を回す。
すっぽりと腕に収まる翠の頭を見ながら思う。
たぶん、本当に言いたいことは違う。さっき唾と一緒に呑み込んだのだろう。でも、
「ずるいよな」
翠が本当に望んでいたものはわからないけど、それでも「ずるい」と思う。
翠が望むのは良くて、俺が望むのは受け入れられない。
俺はこの部屋では何もしないと約束してしまったから。
言ったことは守るけど――
「このツケはいつか全部払ってもらうつもりでいるから。……おやすみ」
これ以上抱きしめているとキスをせずにはいられなくなる。だから、名残惜しさを噛み殺して翠の部屋を出た。
Update:2015/07/18(改稿:2017/09/13)
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