ワルツ競技で着たドレスは上下セパレートになっていたから、足の怪我を見られることなく着替えることができたけれど、ワンピースタイプのドレスからワンピースの制服に着替えるのは至難の業だ。
さらにはそのあとに打ち上げというものがあるわけで、今日着てきた膝丈の制服では膝下の怪我は隠せない。
その時点でばれるとして――「なんで話してくれなかったのっ!?」という事態になるのだろうか。それなら自分からカミングアウトするべき……?
閉会式からこちら、佐野くんと話す機会が得られず、結果的に海斗くんと桃華さんに話したのかさえ知らないのだ。
ドレスに着替え終わった女子は、クラスで一番器用な美乃里さんに群がり髪の毛を結ってもらっている。
私はハーフアップにして、夏休みに桃華さんと購入していたバックカチューシャをつけるだけ。とはいえ、小さな鏡を見ながら、しかも、ロンググローブをしたままのため苦戦していた。すると、
「グローブつけたままじゃ無理でしょう? やってあげる」
香月さんが助けてくれた。
「ありがとう」
「バックカチューシャのコットンパールが上品で御園生さんに合ってるわね。ドレスとの相性もいいし」
「ふふ、嬉しい。夏休みにね、桃華さんと初めてショッピングへ行ったの。そのとき、色違いでおそろいにしたんだ」
後夜祭で使おうと思っていたわけではないけれど、後夜祭で着るドレスを選んだときに「似合うかな?」とツカサに見せたら、「似合うと思う」と言ってもらえたのだ。
後日、バックカチューシャと雰囲気の似たものがあったから、と唯兄がネックレスを買ってきてくれた。
それを首に着けて思う。
ツカサは気づいてくれるかな、と。
そのとき、廊下から入ってきたクラスメイトに名前を呼ばれた。
「翠葉ちゃーん、藤宮先輩が迎えに来てるよ!」
「え……?」
「あら、話してなかった?」
モモカサン、ナニヲデスカ……?
「基本、後夜祭のパートナーがいる人は、パートナーがクラスまで迎えにくるのよ?」
色んな話を聞いて知ったつもりになっていたから、当日になってまで自分が把握していないことがあることに驚きを隠せない。
こんなことが今日は何度あるのか――
「藤宮司が待ちぼうけとか面白いけれど、周りの男子が迷惑被る前に行きなさい。私も後夜祭の運営があるから先に行くわね」
桃華さんはドレスの裾を軽やかにつまみ、私より先に教室を出た。
教室前の廊下には複数の男子がいて、そのうちのひとりがツカサだった。
「御園生さん、超きれいっ!」
「なんていうか、美しいよな……」
「藤宮先輩羨ましいです」
「おまえ、彼女いんじゃん」
「おまえだってっ!」
「いや、もうなんていうか彼女とは別でしょ。姫は観賞用」
知っている人知らない人の言葉に浅く会釈して通り過ぎ、ツカサの前まで来ると、
「お待たせしました……」
「どういたしまして」
左手を差し出され、その手に右手を預ける。
「足は?」
「えぇと……」
「正直に話して」
「少し痛い……」
「本当に少し?」
「……だいぶ痛かったけれど、今はお薬が効いているのか、少しよりちょっと痛いくらい」
「踊れるの?」
「踊るよ」
「強がり?」
「どちらかと言うなら負けず嫌い」
階段に差し掛かるとツカサが足を止め、自然な動作で横抱きにされた。
「わっ……運んでくれなくても大丈夫だよっ!?」
「階段の上り下りくらいは言うこと聞いてくれていいと思うんだけど」
至近距離で懇願され、私は口を噤んでツカサの首に腕を回した。
人がまったくいないわけじゃないだけに、恥ずかしくなった私はツカサの首元に顔を埋め視界を遮る。
そうして、二階に着いた時点で下ろされたわけだけど、
「どうせなら一階まで下りてくれたらよかったのに……」
「それじゃつまらないだろ?」
口端を上げて楽しそうに笑うツカサを見て、「え?」と思う。
「テラスから桜林館に入れば観覧席からフロアへ下りる際も横抱き確定。つまり、ペナルティを負ってる人間には面白くない光景になると思うけど? いっそのこと、みんなの前で口づけようか?」
……ここに私よりも性質の悪い魔王様がいる。
「キスはだめ。それと、怪我したって思われるのも悔しいから抱っこもだめ。その代わり、怪我をしているだなんて思われないようなエスコートをして?」
そんなお願いをすると、
「負けず嫌いの過ぎる姫だな」
ツカサは文句を言いつつも了承してくれた。
天気予報では午後から雨という話だったけれど、それが午前にずれこんだからなのか、今は雨も上がっている。
さすがに星は見えないけれど、こんなふうにドレスアップしてツカサと星空を見ることができたなら、どれほどロマンチックなことか……。
でも、どれほど見つめても、ひとつの星も見つけることはできなかった。
「空がどうかした?」
「ううん、星が見えたらいいのに、って思っただけ」
「さすがに今日は無理だろ」
「うん、そうみたい。残念……」
「星が好きなら、今度よく見える場所に連れて行くけど……」
「嬉しい! どこ?」
「何箇所かある」
「あ、ひとつはブライトネスパレス? あそこ、ステラハウスが森の中にできたものね」
「ステラハウスなんてできたんだ? 知らなかった」
「じゃ、いつか一緒に行けたらいいね。……でも、ブライトネスパレスじゃなかったらどこ?」
「
「わぁ……楽しみ。じゃ、夏かな?」
「納涼床は夏だけど、山には別荘が建ってるから冬でも問題ない」
「じゃぁ、楽しみにしてるね。あとは?」
「マンションの屋上から見る星空も悪くない。藤倉もまあまあだけど、支倉のマンションからのほうがよりきれい。しかも、兄さんが一時はまってたから天体観測に使うアイテムは粗方揃ってる」
「支倉かぁ……。再来年にはツカサが住む町だね」
「別に、車で三十分の距離だから翠だっていつでも来られる」
「そうだね……」
同意する言葉を返したけれど、私には車で三十分という距離はとても遠くに思えた。
もし、車を運転することができたらなんてことのない距離に思えるのだろうか……。
なんとなしに首に手を添えると、
「気にするな」
言われて、自分がIVHの痕をなぞっていることに気づく。
「翠が気にするほど目立ってない」
「そう、かな……」
「そう。だから気にするな」
でもね、女の子なの。だから、やっぱり肌を出す洋服を着るときには気になっちゃうんだよ。
たぶん、男の人にはわからない感情だろう。
あ、去年美鳥さんにいただいたコンシーラーを使えば良かったのかな……?
もう少し早く気づきたかったなどと考えていると、テラスの中央階段入り口にたどり着いた。
サザナミくんと朝陽先輩、飛竜くんが待機していて、
「姫と王子はここでしばしお待ちください」
飛竜くんはかしこまった言葉で椅子を勧めてくれた。
後夜祭のことはノータッチだったこともあり、こんな仰々しく入場することやどこから入場するなどの情報は一切持っていなかった。
でも、少し考えれば多少の予測はできたかもしれない。
このイベント好きの学校が、姫と王子を絡めたイベントをまったく飾り立てないわけがない。そう思えばこの先にもまだ何か知らないことが待ち受けているかもしれないと思うわけで、何が起きても動じない心を持ちたい、と自分に渇を入れるために姿勢を正す。と、夜風に触れた肌が寒さを訴えた。
わずかに震えただけなのに、すかさずツカサがジャケットを脱ぎ肩にかけてくれる。
「ありがとう。ツカサは寒くない?」
「翠みたいに肌を露出する格好じゃない」
確かに。
ジャケットの中には長袖シャツにジレを着ているのだから私よりは寒くないだろう。
私の格好はといえば、オフショルダーに近い薄紫色のフルレングスのドレスにロンググローブを合わせたスタイルなので、どう考えても十月末日の夕方に外へ出る格好とは言いがたい。
ロンググローブのおかげで露出は控えめになっているけれど、やっぱり肩や二の腕が出ているデザインは寒いらしい。
でも、静さんからいただいたドレスはどれも首周りがすっきりとしたデザインで、チューブトップやオフショルダーといったものに偏っている節がある。
そんなことを考えていると、朝陽先輩に声をかけられた。
「ちょうどいい頃合。おふたりさん、準備はいい?」
ツカサがジャケットを着用したところでOKを出すと、サザナミくんが手にマイクを持つ。
「Ladies and gentlemen! ただいまより後夜祭を開催いたします。こちら中央階段より姫と王子のご入場です! 拍手でお迎えください」
椅子からゆっくりと立ち上がり、ツカサの手に引かれるままに桜林館へ入る。と、当たり前のことだけど、大多数の生徒が正装して一階フロアに集まっていた。
まるでちょっとしたパーティーのような光景。
こんな光景を校内で見られるだなんて、さすがは藤宮……。
ただ、今の私には障害物にしか映らない階段が数メートル先に待ち受けているわけで、ふわふわした気持ちのままではいられない。
階段の傾斜はそこまで急ではないし、ゆっくり下りれば大丈夫。
自分に暗示をかけていると、ツカサがエスコートする手を持ち替え、今まで私の手を受けていた左手を私の左腰へと回した。
「体重かけてかまわないから」
「ありがとう……」
会場からは女の子の叫び声や、「おお」という男子の野太い声、囃し立てるような口笛が聞こえてくる。
いつもの私なら、このたくさんの視線に竦みあがってしまうところだけれど、今日は観覧席のどこかでこの光景を見ている人たちの視線を意識し、階段を踏み違えないびっこを引かない、格好悪い様だけは絶対見せない、とそこばかりに神経を使う羽目になっていた。
「翠、正面観覧席」
言われてそちらに視線を移す。と、そこには制服を着た女子が三人。
見るからに、後夜祭不参加組。つまり――
「悪い、うちのクラスの女子だった」
その言葉に、
「そうだったのね……。じゃ、仕方ないかも……」
自然とそんな返答をしていた。
「どういうこと?」
隣を歩くツカサを見ると、心底不思議な顔をしている。
「だって、ツカサと同じクラスなのよ?」
ヒントを与えたつもりだったけれど、ツカサは意味がわからない、といった表情だ。
「同じ学年で同じクラスなら、紫苑祭のワルツ競技でツカサとペアになれる可能性があるでしょう?」
ツカサは要領を得ない表情のまま私を見ている。
「ツカサは中等部の紫苑祭でもワルツ競技に出ていたのでしょう? そして、高校一年でもワルツ競技の代表だった。だとしたら、三年次もワルツに出ると思う人が大半なんじゃないかな? その中にはツカサとワルツを踊りたいがために勉強をがんばってA組入りした人だっているかもしれない。なのに、いざ蓋を開けたらツカサはワルツのメンバーじゃないし、後夜祭では私と踊るし、がんばったことが何ひとつ報われない。ご褒美が何もなくなっちゃって、ちょっとやさぐれちゃったのかも?」
「だからといって、人に怪我を負わせていいことにはならない。そのあたりの良し悪しは判断できて当然の年齢だと思うけど?」
「それは認める」
でも、「出来心」は誰の心にも起こりうるものだと思うし、そう思えば、そこまでドロドロとした感情は生まれない。
それほどまでにツカサのことが好きなんだな、と思うくらい。
ツカサとお付き合いしていることやツカサの好意を得ていることに優位性を感じたことなどないけれど、彼女たちにはそう見えるのかもしれないし、事実、私は有利な場所にいるのだろう。
だとしたら、こんなふうにツカサに説明することだって彼女たちに良くは思われないはず。
そんなことを考えていると、
「翠、あと三段で階段が終わる」
すなわち、意識を身体に戻せ、という何か。
私たちがフロアへ下りると人垣がさっと両脇に分かれ、フロア中央まで続く道になった。
そこをゆっくりと通り抜け、開けた場所に出るとツカサと向き合い一礼する。それが合図となり、会場にゆったりとしたワルツが流れ出した。
Update:2016/07/26(改稿:2017/09/25)
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