「お茶……?」
「うん。ハーブティーを淹れて持ってきたの」
ツカサは腕の力を緩め、左側からベンチまでエスコートしてくれた。
バッグの中から水筒を取り出しカップにお茶を注ぐ。と、ツカサは立ち上る湯気を吸い込み、
「カモミール?」
「当たり。ほかにもいくつか候補はあったのだけど、これが一番落ち着ける気がして」
どうかな、とツカサの表情をうかがい見ると、一口飲んだツカサの表情が柔らかく緩む。
それに気を良くした私は、同じようにお茶を口に含んだ。
鼻に抜けるリンゴに似た香りを堪能していると、
「今日はカメラ持ってきてないんだな」
「さすがに今日は、ね……。写真を撮りたいのは山々だけど、この足じゃ動き回れないし……」
「動き回る?」
「うん。私はあちこち動いて構えて構図を決めたり被写体を決めることが多いの。だから、動き回れないのは致命的」
「ふーん」
「でも、このベンチから見える景色は、構図とか考える必要なかったね。きっと、このベンチから眺めることを想定して作られたか、この景色を見せるために、ここにベンチを置いたんだろうな」
私は景色を見ながら携帯を取り出し、
「ちょっと物足りない気はするけど……」
パシャリ――
ベンチから見える景色を一枚だけ写真におさめる。
ただ、「今日」という一日を思い出すための一枚を――
「そういえば、昨日はびっくりした」
「何が?」
「ツカサがヒップホップのメンバーだったこと。みんな驚いてたよ」
「あぁ、ワルツに出ると思ってた人間が大半だっただろうからな」
「風間先輩なんて、すっごく悔しそうだった」
「ふーん……翠の感想は?」
ひょい、と下から顔を覗き込まれ、見たことのないアングルに、冷めたばかりの頬が熱を持つ。
「とても格好良かった、デス……。キャップ帽で顔を隠し気味に踊っているところとか、六人の息がぴったりなところとか、観覧席は騒然とするほどで――」
急にツカサ側の左手を取られ、
「周りはどうでもいいんだけど……」
切れ長の目に見据えられてドキリとした。
なんだか、「自分だけを見て」と言わている気分。
大好きな涼やかな目に捕まったまま、
「本当は、ちょっと残念だった」
「何が……?」
「キャップ帽を目深にかぶってて、表情が全然見えなくて。……どんな顔をして踊っているのか、見たかったな」
言い終わるころには下を向いていた。
どうしてだろう。たったこれだけのことを言うだけなのに、恥ずかしくなる。どうしていいのかわからないくらい恥ずかしくなる。
こういうの、いつになったら慣れるのかな。いつまで経っても慣れず、ずっとこのままなのかな。
恥ずかしくて顔を上げられずにいると、ツカサは左手を握りなおし、
「翠のワルツもきれいに踊れてた」
「本当?」
顔を上げると、ほんのりと頬を染めたツカサが正面を向いていた。
今日はふたりして赤面してばかりだ。
恥ずかしくて仕方がないけれど、嬉しくもあるのはどうしてだろう。
心に触れている気がするから、かな……。それとも、さらけ出した心が受け止められているからだろうか。
「まさか、こんな怪我をしてるとは思いもしないほど、よく踊れてた」
若干のいやみを含む。けれど、褒めてもらえたことが嬉しくて、
「ツカサが教えてくれたからだよ。ほかの人にもたくさん褒めてもらえて、とっても嬉しかったの。でも、もうツカサとダンスを踊る機会はないね」
私にはあと一度紅葉祭があるけれど、ツカサは卒業してしまっている。そう思うとなんだか残念だ。
「学校行事の後夜祭で踊ることはもうないけど、踊る機会なら毎年ある」
「え……?」
「じーさんの誕生パーティーが毎年ホテルで行われているのは知ってるだろ?」
「うん……」
「そのとき、会場の片隅で室内楽が演奏される。その曲に合わせてダンスを躍る人間も少なくはない。オーダーすれば、スローワルツだって演奏してもらえる」
「そうなのね……」
でも、そんな場所で踊るのは気後れしてしまう。
去年、朗元さんの誕生パーティーで痛いほどの視線を浴びた。あの視線の中で踊ると思うと足が竦んでしまう気がするし、耐え難いほどの気後れが……。
考えれば考えるほどに踊れる気がしない。
「……別にじーさんのパーティーじゃなくてもいいし」
「え……?」
「翠が踊りたいって言うなら、コミュニティータワーの多目的ホールを押さえればいいだろ」
「……正装もしてくれる?」
「……翠が望むなら。その代わり、翠にもドレス着てもらうけど?」
「着るっ! ……あ、せっかくホールを借りて正装までするなら、栞さんや湊先生たちを誘ってみんなでパーティーするのも楽しそうだよね? 桃華さんたちも招待したら、蒼兄と踊れるって喜んでくれるかな? 茜先輩や久先輩も呼びたいな」
招待したい人の名前をつらつら挙げていくと、
「……翠の好きにすればいい。今からならクリスマスに間に合う。もっとも、日はイヴに限られるけど」
会話をするのが苦手だと思っていたし、ツカサ相手に会話を続けられる気などまったくしなかった。
なのに、今日は不思議と会話が続く。
「イヴなら湊先生のお誕生日や結婚記念日のお祝いも一緒にできるね。あ、でも……社会人組のことを考えたら平日よりも土日や祝日のほうがいいのかな……? だとしたら二十三日とか……?」
会話が続くことが嬉しくて、あれもこれも、と思いつく限りを口にしていた。
ツカサは手をつないだまま話を聞いてくれていて、一つひとつに律儀なまでの返事をくれる。
その何もかもが嬉しくて、なおのこと口が滑らかになっていくことを感じつつ、この日私たちは、今までにないくらいたくさんのお話をして過ごした。
END
Update:2017/01/07(改稿:2017/10/02)
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