なんというか、どこか動かしてないと間が持てないっていうか、落ち着かないっていうか、つまりはそんな心境。
少しして翠に視線を戻すと、翠も俺と同じくらいそわそわしていた。
膝とベンチを見比べもじもじしている翠に、
「ベンチに座りたいなら手、貸すけど?」
「えっ!? あっ、そういうわけじゃなくてっ――」
何がどうしてそんなに慌てるのか……。
さらには顔が真っ赤で意味不明。
たかが車椅子からベンチへの移動が何……? それ以前に、ベンチの斜め前に停めてある車椅子からベンチへ移ったところで、景観の変化はなさそうなものだけど……。
翠はそれほどまでに恥ずかしいのか、真っ赤になった顔を両手で隠した。そして、
「気づいてくれなくて良かったのに……」
小さすぎる声で抗議の言葉。
「気づかれなかったらさりげなくベンチに移動できたのに……」
は……?
「別に、俺が気づいても気づかなくても、座りたいならベンチに座ればいいって話じゃないの?」
言いながら手を差し出すと、翠は無意味なほどちょこんと控えめに手を乗せた。
その手をしっかりと掴みなおして引き上げると、翠はつまずき俺の胸に着地する。
「っごめん――」
「いや、いいけど、足大丈夫だった?」
「それは大丈夫……」
だが、体勢を直す気配がない。不思議に思って声をかけると、
「もうちょっと……もうちょっとだけこのままいてもいい?」
言いながら、翠は額を寄せてきた。
そんな申し出を拒絶するわけがないし、そんなことをされて嬉しくないわけもない。
何、このかわいい言動……。
翠の手を離し背に腕を回すと、先日のチークダンスのときのように心地よい体重が預けられる。
「どうかした?」
ゆっくりと話しかける。と、小さく篭った声がこう答えた。
「……ただ、ベンチに座りたかっただけじゃないの」
え……?
「……ツカサの、ツカサの側に行きたかったの」
言うと同時、胸に添えられた手がきゅっとしがみついてくる。
思いもしない言葉や動作に、一気に身体が熱を持つ。
幸い、密着した状態で顔を見られることはない。でも、この異様なまでの体温の上昇ぶりを翠に気づかれてしまいそうで、若干の焦りがある。
しかし、こんな話をしている状態では翠だって似たり寄ったりの状態に違いないわけで……。
ドクドクと脈打つ心臓を必要以上に意識していると、
「顔、見ないでこのまま聞いてね?」
いったい何を言われるのか、と思いながらも腕に力をこめることで返事をする。と、
「ツカサに触れたいって気持ちもあるのだけど、それとは別で……――慣れようと思って。抱きしめられるのもキスするのも、テンパらない程度には慣れる努力をしようと思って――」
それって――
「じゃないと、いつまで経っても前には進めない気がするから」
決意を含む響きの言葉に、どう反応したらいいのかがわからなかった。
把握できる感情としては、気持ちが通じたとき並みの衝撃――幸福感。
それと、どうしていいかわからないほどの愛しさがこみ上げてくる。
やばい、これ、どうしたらいいんだ……?
これ以上腕に力をこめたら「痛い」と言われてしまいそうだし、それ以上に気持ちを伝える術なんて――
そこに考えが至ったとき、ひとつの行為しか頭に浮かばなかった。
バカの一つ覚え――そう思いながら、見ないでほしいと言われたその顔に、血色の悪い唇に、自分のそれを重ねていた。
「もう……顔、見ないでってお願いしたのに……」
抗議され、照れ隠しのように顔を背けられるも、小さい頭はまだ俺の胸に預けられたまま。
顔が見たくてキスをしたわけじゃない。キスせずにはいられなかったからだ。
こういうのも、言葉にしない限りは伝わらないのだろう。
そうとわかっていても言うに言えない……。
けれど、翠が言葉を尽くしてくれるたび、言葉の大切さを感じれば感じるほどに、ただ一点が気になりどうしようもないほど色濃く影を落とす。
俺が気にしているだけで翠はそんなに気にしてはいないかもしれない。それでも――
「翠、こっち見ずに聞いて」
「どうしようかな……今、顔見られたし」
仕返し染みた応答に、ぎゅっと力をこめて抱きしめる。
「好きだ……」
口にした途端、感じたことのない感覚が自身を襲う。
ずっと心の中で燻っていた何かが昇華したような、そんな感覚。
どうして……? こんな、なんてことのない一言なのに。
気持ちすべてを伝えられた気はしない。それでも、心の中で行き場をなくしていた想いが昇華して、心が軽くなった気がした。
気づけばものすごくびっくりした顔に真下から見上げられていて、
「今、好きって……」
「言った」
その大きな目に映る自分にはっとして顔を背ける。
けど、視線が外れる気配はない。
「そんなに見るな」
言ったところで視線が外れることはなく、
「嬉しい……すごく、嬉しい。初めて……初めて言ってくれたよね?」
やっぱり気づいてたか……。
「悪い、今まで言えなくて……」
翠は緩く頭を振る。そして、
「どうして、って……訊いてもいい?」
理由は明確だ。でも、その理由を解消できたわけでもないのに「好き」という言葉を使ったことを、「安易」だと思われはしないだろうか。
「あのっ、言いたくなければいいのっ」
気を遣って言ってくれたのだろう。でも、ここで隠し立てしたら意味がない。
若干の不安を抱きながら、
「『好き』じゃ足りない気がしてた」
できるだけ簡潔に話したつもりだけど、翠は「え?」といった顔をしている。
もう少し詳しく話すにはどんな言葉が適当だろう。
「……自分の気持ちを伝えるのに、『好き』って言葉じゃ足りない気がした。『愛してる』って言葉もなんか違う気がして、もっと――もっとほかの言葉を探してた。でも、見つからなかった」
自分の中で一番しっくりくる言葉は「愛しい」なわけだけど、この言葉が相手に伝える言葉として正しいのかがわからずにいる。だから、「好き」と口にしたけれど、ひどい嫌悪感を覚えるわけでも抵抗感が芽生えるでもなかった。
ふと気づくと、俺を見上げる翠が目に涙を滲ませていて焦る。
「本当に、悪い……」
思わず抱きしめる腕に力をこめると、
「……ツカサ、大丈夫よ? ツカサは好きとは言ってくれなかったけれど、いつだってキスをしてくれたでしょう? 私が好きと言うたびに、ツカサはキスをしてくれたでしょう? だから、気持ちは通じてたよ」
その言葉に、心の底から救われる。
伝わっていた……。キスにこめた想いが、きちんと伝わっていた。
たったそれだけのことが嬉しくて、感極まって目に涙が滲むほど。
うかがうように俺を見上げてくる翠に、俺は変わらずキスをすることしかできない。
キスにこめた感謝の想いは伝わっただろうか。
不安に思いながら翠を見ると、翠は恥ずかしそうに、けれどとても穏やかに微笑んだ。
その笑顔を見て、翠の持論が少し理解できた気がした。
確かに、心が「しゅわっ」と音を立てる瞬間はあるみたいだ。
それは炭酸が水面へ向かって上がっていくような儚すぎる軽やかさと、舌の上ではじけるような刺激を持ち合わせていて、なんとも言えない感覚だった。
END
Update:2017/01/13(改稿:2017/10/02)
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