「何か見て回りたいっ!」
「効率的に見て回るなら、この棟の裏に美術館があるけど……」
「そこには何が展示されているんですか?」
「主には美術学部生の賞をとった作品なんかが展示されています。あと、学祭期間は珍しい民族楽器の展示もしてるって言ってたかな?」
「じゃ、そこで!」
柊ちゃんの一声で行き先が決まり、私たちは構内の移動を始めた。
活気に溢れ、たくさんの人が行き交う中、今はピアニストである先生が車椅子を押してくれている。それだけでも恐れ多いのに、道を譲ってくれる人までいて申し訳ないことこのうえない。
車椅子の上で縮こまっていると、
「御園生さんは気遣い屋さんですね」
「うんうん、私ならこの状況楽しんじゃうけどな! 車椅子に乗る機会なんてそうそうないし! 先生、私も車椅子押したい!」
「それは却下で」
「えー、なんでですかっ!?」
「間違いなく往来の邪魔になるでしょ」
「ひどいっ! そんなことないですようっ」
「いや、あるでしょ……。まるで子供が車椅子押してるようなものなんだから」
そんなふたりのやり取りに笑みを零すと、
「あ、御園生さんが笑った」
真顔の先生に見下ろされ、思わず笑いが引っ込む。と、
「笑うくらい珍しくもなんともないでしょ?」
柊ちゃんの問いかけに先生は、
「いや、珍しい……。少なくとも僕は、苦笑以外を見たことがない」
まじまじと見下ろされ、さらに俯く羽目になる。
「……そうなの?」
柊ちゃんにまで顔を覗き込まれ、
「えぇと……決して笑わないようにしているわけではないのですが、先生と対峙するレッスン時間はどうにも笑う余裕がないと言いましょうか……」
しどろもどろに答えると、柊ちゃんが大仰に驚いて見せた。
どうやら、仙波先生は優しい先生で通っているらしい。
「先生、翠葉ちゃん相手にどんなレッスンしてるんですか……」
「んー……相応のレッスン、かな?」
「相応のレッスンって?」
「芸大を目指す生徒さんに相応しいレッスン?」
「んんん……?」
「誰でも彼でも同じレッスン内容ってわけにはいかないでしょう? その人に合ったレッスンというものがある」
「その人に合ったレッスン……?」
「そう。趣味でレッスンに来ている生徒さんと芸大を受ける生徒さんではレッスン内容が違うって話。あと、やればできる生徒さんとか向上心旺盛な生徒さんに対しても、ね」
「それ、差別なんじゃ……」
背後のふたりを振り返ると、先生はCDジャケットの表紙にできそうなほど完璧な笑みを浮かべてこう答えた。
「差別じゃなくて、ケ−スバイケース。趣味でマイペースに進めたい生徒さんに受験生並みの課題を出しても苦になるだけだし、ペース配分をきちんと考えなくちゃいけない受験生を、その子のペースに合わせて指導しても受験に間に合わなくなるだけ。どちらもいいことはないでしょう? 望まれるところに望まれたものを――需要と供給、ビジネスの基本だよ」
「ビジネス」の言葉に深く納得したと同時、先生の言葉遣いが私と柊ちゃんで違うことに気づく。
柊ちゃんには割と砕けた口調だけれど、私には丁寧語。
ビジネス――そこからすると、私は「お客様」だからかな……?
そんなことに気を取られていると、
「そういえば、前から不思議に思ってたんですけど、先生、受験生は受け持たない契約じゃないですか。どいうして急に受験生持つ気になったんですか? リサイタルの本数が減ったわけでもないのに」
これは気になる質問だ。
そろりと後ろを振り返ると、
「はい、美術館に到着。ここから私語は厳禁です」
先生は有無を言わさずにこりと笑い、美術館の敷居を越えた。
美術館では思わぬ人物に会った。
それは柊ちゃんの双子のお兄さん。
聖くんは時々お教室で見かけることがあるけれど、柊ちゃんほど頻繁に会うことはなく、この日も数ヶ月ぶりに会うという程度には久し振りの再会だった。
しかし、声をあげた瞬間に仙波先生に睨まれ、私たちは「バイバイ」と唇を動かし、小さく手を振るに留めた。
その際、聖くんの隣に立つ背の高い女の子に目を奪われた。
飛鳥ちゃんよりも背が高いその人は、細身のジーパンにチェスターコートという服装。
抜群のスタイルが目を引いた理由ではあるけれど、ほかにも要因はある。
おそらくはハーフ。そんな顔立ちの彼女は、聖くんのお付き合いしている人だろうか。
ひとつの絵を前に凜と佇む様が印象的で、ふとすれば、その姿が一枚の絵に思えるほど。
その彼女に寄り添い立つ聖くんは、混雑から彼女を守っているように思え、いつもより格好良く映った。
どこがどう、と説明することはできない。でも、柊ちゃんと一緒にいるときに見せる顔や、私に向けられる笑顔とは明らかに違って見えたのだ。
こういうのを「男の子の顔」っていうのかな……。
外で「彼氏彼女」という人たちを見ることがなかった私にはとても新鮮な光景で、ぱっと見ただけで「恋人」とわかる雰囲気や寄り添い具合が、本から抜け出た主人公たちのように思えた。
恋人とは必ずしもそんなふうに見えるのだろうか。
私とツカサが並ぶとき、人にはどんなふうに見えるのかな……。
そんなことを頭の片隅で考えながら、普段は触れることのない絵画や陶芸、彫刻作品を堪能して美術館を出てきた。
コンサートは二時間にわたって行われ、すべての演奏が終わると私は放心状態に陥っていた。
いつもなら、演奏される曲目を前もって勉強してから演奏会へ臨む。けれども、今回は当日まで曲目リストがわからなかっただけに、聴いたことのある曲から知らない曲まで実に様々だった。
さらには、奏者たちの熱や久し振りの生音に触れて全神経飽和状態。
観客が次々と席を立つ中、私たち三人は客席に留まったまま。
私においては完全脱力状態で、天井に埋め込まれているライトを見上げてぼーっと放心する始末。
「翠葉ちゃん、大丈夫? 魂抜けちゃったみたいな顔してるよ?」
「ん……なんか、久し振りの生演奏で……頭の中がわーってなってる。……音の洪水。情報量多くて、ただいま処理能力低下中。若干熱暴走気味」
そんなふうに答える私を、柊ちゃんも先生もクスクスと笑って見ていてくれた。
顔かな、頭かな? なんか、熱い……。
自身の手を添えると、先生の手も伸びてくる。
気持ち的にはよけたいと思っていた。でも、反射神経が作動してくれない。そんな感じ。
骨ばった大きな手が頬に添えられ、
「顔、結構熱を持ってますね。演奏に当てられちゃいましたか?」
「そうかも、です……」
なんとなしに携帯の電源を入れ、バイタルをチェックする。と、三十七度四分。
昨日は三十七度二分以上にはならなかったところからすると、少し高い気はする。
でも、人ごみに入って風邪をもらった気はしないし、際立った倦怠感もない。やっぱり演奏に当てられたのだろうか。
携帯をじっと見ていると、
「それ、何?」
柊ちゃんに尋ねられ、自分のバイタルが表示されることをかいつまんで話す。と、
「微熱ですね。足の怪我から来てるのか……。少し休みますか?」
先生の言葉を疑問に思う。保健室や救護テントへ行こうと言われているのだろうか。
ぼんやりと考えていると、
「構内に、うちの会社の出張所があるんです」
出張所……?
先生はすぐに車椅子の準備を始め、キラキラしていた柊ちゃんの目が曇りだしてはっとする。
「あのっ、大丈夫ですっ。解熱剤も持ってきているのでっ」
今度は作動してくれた反射神経に感謝する。けれども、
「なら、薬を飲んで、薬が効いてくるまではおとなしくしていてください」
有無を言わさない先生と柊ちゃんの心配顔に、私は「はい」と答えざるを得なかった。
Update:2017/03/01(改稿:2017/10/21)
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