助手席の窓から運転席を覗き込むと、ツカサは眉間にしわを寄せていた。
私たちに気づくと、さらにしわを深める。
見るからに不機嫌そう。
そんなツカサを見るなり、
「くっ、仏頂面」
秋斗さんは楽しそうに笑うけど、不機嫌の要因は秋斗さんにあると思う。
でも、私がそれを言えるはずもなく、やり場のない思いはため息でつくことで吐き出す。
「大丈夫、翠葉ちゃんが助手席に座れば機嫌も直るよ」
秋斗さんは助手席のドアを開くと、私から松葉杖を取り上げた。
秋斗さんに支えられながら助手席に腰を下ろすと、
「司、無茶な運転はするなよ」
助手席のドアを閉めた秋斗さんは、後部座席のドアを開けると松葉杖だけを収納する。
秋斗さんが乗らないことを不思議に思って尋ねると、
「そこまで野暮じゃないよ。帰りはふたりでどうぞ」
そう言って、秋斗さんは手をヒラヒラさせながら去っていった。
その場に残されてポカンと口を開けていると、
「後続車は警護班の車」
言われて納得した。秋斗さんはその車に乗って帰るということなのだろう。
ツカサは周囲の確認をすると、ゆっくりと車を発進させた。
「迎えに来てくれてありがとう。でも、どうして? 昨日電話で話したときは何も言ってなかったのに。……あ、もしかして今日から松葉杖って話したから心配して来てくれたの?」
「それもあるけど……」
ツカサは歯切れ悪く口を閉ざす。
足の心配以外に何かあっただろうか……。
考えていると、
「ライブ、どうだったの?」
「すごかったっ! 一番最初はヴァイオリンのソロで、二番目がジャズシンガー。三番目が今日のチケットをくれた人たちのグループだったのだけど、そこはヴァイオリンふたりとヴィオラ、チェロのカルテットで、最後が慧くんのピアノだったの! 私、ジャズシンガーの歌を聴くのも弦楽四重奏をちゃんと聴くのは初めてで、何もかもが新鮮だった。ライブハウスってすごいのよ? 開場時間ぴったりに行くとステージの目の前の席に座れたりしてね、アーティストとの距離が二メートルくらいなの! 今まで大きなホールでしか演奏を聴いたことがなかったから、より近くで感じる音の振動に鳥肌立っちゃった!」
思いつくままに話していたけれど、隣からはなんの反応も得られない。
少し不安に思って、ツカサの顔をうかがい見る。と、ものすごくつまらなさそうな顔をしていた。
「ごめん。私、はしゃぎすぎ?」
「いや別に……。楽しかったならよかったんじゃない」
なんだろう……言葉の並びはいつもと変わらないのに、中身が伴わない空っぽみたいな響きだった。
「まだ、機嫌悪い……?」
「自分以外の男に会いに行って、嬉しそうに話している彼女を見て機嫌のいい男はいないと思う」
「でも、演奏を聴きに行っただけだよ?」
「演奏を聴きに行っただけで話したりはしなかったって言いたいの?」
「あ、ごめん……ステージが終わってから少しだけ話しました……。でも、本当に少しだけよ? 今日はずっと先生と一緒だったし……」
それ以上に言えることがなくて困っていると、
「悪い……」
「え……?」
「今の、なしで……」
ツカサはひどく気まずそうな顔をしていた。
でも、なんと声をかけたらいいのかわからなくて、私は無言で俯いていた。
一週間前は「好き」と言われた気がして嬉しいと喜んだけれど、こんなツカサを見てしまったら、喜ぶなんてできない。
そのくらい、苦々しい顔をしていた。
「嫉妬」とは、そんなにも苦しいものなのだろうか。
もし私がツカサの立場だったら……?
ツカサが私の知らない女の子と話していたら、私は嫉妬するだろうか。
……珍しいな、とは思うかも。
でも、その先の感情はなかなか想像ができない。想像が追いつかない。
沈黙したまま着々と藤倉へ近づいていく。
気まずいまま別れるなんていやだけど、なら何を話したらいいのか――
ピアノの調律のことや通いのレッスンをホームレッスンに切り替えること。話したいことはたくさんあるけど、何を話してもツカサの機嫌を損ねてしまいそうで話すに話せない。
話せそうな話題や言葉を探していると、
「それ……」
「え?」
ツカサを見ると、チラ、と私の手元を見た。
たぶん、ツカサが見たのはブレスレットだと思う。
「ブレスレットがどうかした……?」
「休みの日、いつもつけてるけど、そんなに気に入った?」
「すごくっ。ピアノを弾くときははずさなくちゃいけないけど、それ以外はずっとつけてるよ」
「ふーん……どの石が一番好き?」
「えっ? 難しい……透明な水晶も好きだし、レモンイエローのシトリンも好き。でも……緑のペリドットが一番好き、かな」
「どうして?」
明確な理由はあるのだけど、話すのはちょっと照れくさい。
「ツカサは石言葉って知ってる?」
「いや……」
「私も知らなくて、栞さんが教えてくれたの。水晶は純粋。シトリンは初恋の味、ペリドットは――運命の絆。……これを持っていたら、ずっとツカサと一緒にいられそうでしょう? だから、好き」
言ったと同時、赤信号で車が停まり、運転席から身を乗り出したツカサにキスをされた。
至近距離で視線が交わり、
「ツカサ、好きよ」
すると、もう一度キスをしてくれた。
気持ちはちゃんと伝わっただろうか……。
不安は残るのに、信号は待ってくれない。
車は、何事もなかったように走り出した。
会話なくマンションに着き、車はロータリーに停められた。
エンジンを切ったツカサは車を降り、後部座席の松葉杖を持って助手席へ回ってきてくれる。
ここで別れることになるのかと思いきや、ツカサはフロントに車のキーを預け、ゲストルームの前まで送ってくれた。
ゲストルームの前まで来ると、ツカサは言いづらそうに口を開き、
「さっきは悪かった……。でも、この先も何度でも嫉妬すると思う」
それは宣言ではなく、「それでも一緒にいたい」という懇願のように聞こえる。
そんなこと、懇願されなくてもこちらからお願いしたいくらいなのに。
むしろ、嫉妬してまで一緒にいたいと思ってもらえることが嬉しいというのに。
ツカサはわかってない。
ツカサに私の想いは伝わっていない。
「すっごくすっごく好き」のこの気持ちは、どうしたら伝わるんだろう。
考えたのは一瞬。
私はいてもたってもいられず、松葉杖を壁に立てかけツカサをぎゅっと抱きしめた。
でも、きっとこれでも不十分なのだ。
ツカサの不安は埋められない。
ツカサの不安をなくしたい――
手に掴んだセーターを引き寄せ、ツカサの頬に唇を寄せた。
唇に触れた頬は冷たかった。
私はそのまま抱きつき、
「ツカサ、好きよ。大好きだからね」
そう言って離れると、今度はツカサに抱きしめられキスをされた。
まるで私の気持ちを探るようなキスに、私は必死に応える。
長いキスを終えても、まだ抱きしめられたまま。
今度はちゃんと「好き」が伝わっただろうか。
ツカサの「好き」はこんなにも伝わるのに、私の「好き」はどうして伝わらないのかな。
私とツカサの違いって何……? ――あ……。
自分からキスをすれば、想いが真っ直ぐ伝わるのだろうか。
頬ではなくて唇に……。
私は勇気を振り絞り、
「ツカサ、もう一度かがんでもらえるっ?」
声をかけると、ツカサはすぐにかがんでくれた。
さっきよりもキスしやすい体勢に、私は想いをのせてキスをする。
唇に、そっとそっと口付けた。
まるで、ツカサの心にキスしているみたい。
ツカサから離れて目を開けると、ものすごく驚いた顔をしたツカサがいた。
次の瞬間には、顔を真っ赤に染めて口元を覆う。
そんなツカサを見たら私まで恥ずかしくなってきて、
「あっ、あの、今日は迎えに来てくれてありがとうっ。じゃ、また明日学校でねっ」
私は逃げるように家へ飛び込んだ。
どうしよう……今までにないくらい顔が熱い。
私は家族が迎えに出てくるまでの間、尻餅をついた状態で両頬を押さえていた。
END
Update:2017/09/26(改稿:2017/10/23)
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