光のもとでU

それぞれのクリスマス Side 藤宮司 04話

 何を思うことなく十階へ続く階段を下りてくると、ちょうど翠が主寝室から出てきたところだった。
 その姿に息を呑む。
 オフホワイトのワンピースに身を包む翠が天使に見えた。
 っ……ていうか、なんでルームウェアじゃないっ!?
 てっきり、いつもと変わらない格好に着替えるのかと思っていて、思い切り不意をつかれた気分なんだけど……。
 やばい、出会い頭ということは、今言うのか!? この、間四メートルって中途半端な距離で……?
「ツカサ……?」
「っ――」
 何を口にしたらいいのか咄嗟に判断できず、
「俺も着替えてくる」
 俺は逃げるようにしてリビングを突っ切った。
 部屋のドアを閉めてしゃがみこむ。
「出合い頭に言うのって、結構ハードル高くないか……?」
 そんな情けない言葉しか出てこない。
 翠がワンピースを着ているのは珍しくないが、普段は絶対に着ない、丈の短いワンピースだった。
 しかも、襟ぐりや袖、スカートの裾にふわふわしたのがついていて、かわいさを引き立てるというかなんというか……。
 そこまで考えて思う。
「秋兄や唯さんは、こういうの全部口に出すんだよな……」
 そんなことができる人間はすべて滅んでしまえ……。
 いつまでもしゃがみこんでいるわけにはいかず、俺は手早く私服に着替えた。
 普段の翠の行動を鑑みれば、今ごろキッチンでお茶の準備をしているだろう。
「背後からなら言えるか……?」
 いや、言える言えない以前に言うべき――
 俺は覚悟を決めて部屋を出た。
 廊下に出ると、やはりキッチンの電気が点いていた。
 背後からそっと忍び寄る。と、気配に気づいた翠がこちらを振り返った。
 咄嗟に抱きしめたものの、すぐに言葉が出てくるはずもない。
 褒めるってどうやって? 天使みたいとか口にする……?
 無理……。秋兄や唯さんに言えても俺には無理。第一そういうキャラじゃないし。
 なら、どうやって褒めればいい?
 自問自答を繰り返していると、翠の腕が腰に回された。そして、
「どうしたの?」
 心配しているような声音で尋ねられる。
 俺は熟考に熟考を重ね、自分らしいと思える言葉をチョイスした。
「今日のドレス、よく似合ってた。それから、今着てるワンピースもかわいい」
 熟考した割に素っ気無い文章だ。
 やはり、もっと具体的に褒めるべきだっただろうか……。
 悶々としていると、胸元から「嬉しい」と言う声が聞こえてきた。
「誰に言われるよりも、嬉しい」
 まるで噛み締めるように、すっごく嬉しそうな顔で言われるから、思わず顔に熱を持つ。
 やばい……これ、俺が褒めて翠が喜ぶっていうか、喜んでいる翠を見て俺が嬉しいっていう何か別のものなんじゃ……。
 不意に翠が顔を上げ、
「顔見るの禁止」
 俺は即座に顔を背けた。
 けれど、背けるだけでは左頬は防御できないし、耳も首も熱い今となっては、なんの意味もないように思える。
 どこかに着地点が欲しかった俺は、深く息を吸い込み言葉を付け足すことにした。
「いつも開口一番に言えなくて悪い。でも。なんとも思ってないわけじゃないから」
 なんてずるい言葉……。
 そうは思っても、これ以上に言えることなどなかった。
 翠はというと、何を思ったのかぎゅーぎゅー抱きついて離れない。
 何このかわいい生き物……。
 対応に困っていると、カタンとケトルが沸騰したことを伝えた。
 抱きつかれたまま、
「ツカサは何が飲みたい?」
 妙に人懐こい顔で尋ねられる。
 若干ドキドキしながら、「翠と同じでいい」と答えると、
「じゃ、フルーツティーを取ってもらえる?」
 俺は吊り戸棚から茶葉を下ろし、その場を翠に任せてキッチンを後にした。

 今日の翠、なんなわけ……?
 何度となく甘える仕草をされて、こっちは理性崩壊寸前なんだけど……。
 少しでも態勢を整えるべく腹式呼吸を繰り返す。と、トレイを持った翠がキッチンから出てきた。
 やっぱかわいいし……。
 あのふわふわしてるのちょっと触ってみたいかも……。
 翠は俺の隣に腰を下ろすと、
「これは……?」
 テーブルに置いていたもうひとつのプレゼントを指差した。
「もうひとつのプレゼント」
 すぐに手を伸ばしてくれるかと思いきや、翠はソファの脇に置いていた紙袋を引き寄せた。
「私からのプレゼントはこれ」
 渡されたのは、大きな包みと小さな包み。
 俺は大きな包みから開けることにした。
 リボンを外すと、巾着の口を開いて中身を取り出す。
 手編みと思われるそれは、やけにボリュームがあった。
 ぱっと見の形状からものを推測し、
「セーターとマフラー?」
「マフラーは正解。セーターはハズレ」
 翠は楽しそうにクスクスと笑っている。
 大物を広げると、
「ひざ掛け……?」
 それは長方形で凝った模様が編みこまれている。
「うん。勉強するときや本を読むときに使ってもらえたら嬉しい。グレーの毛糸だから、ハナちゃんを抱っこしても白い毛が目立たないよ」
 それは助かる。
「ありがとう。もうひとつのこれは?」
 テーブルに置いた箱を手に取ると、リボンを解き中身を取り出す。
 と、よくキッチンで見かけるガラス製のジャーだった。
 中には白いクリームっぽいものが入っているように見えるけど……。
「ツカサの手、少し乾燥しているでしょう? だからね、ハンドクリームを作ったの。浸透力抜群のオイルを使って、水分多めの配合にしたからベタベタはしないと思うんだけど……」
 翠の説明を聞きながら蓋を開け、ふわりと香るそれに神経を注ぐ。
「ハーブ……?」
「うん。オーソドックスにラベンダーとカモミールのブレンド。柑橘系も考えたのだけど、光毒性を考えてやめたの」
「いい香り……」
 素直にそう思えた。
 クリームを手に取ると、瑞々しいそれはすぐに手になじむ。
「ベタベタしない……」
「でしょうっ? 何度も何度も試作を重ねたんだから!」
 翠は目をキラキラと輝かせていた。
「でも、分量多くない? 使い切るのに結構時間かかりそうなんだけど……」
 確か、こういった手作りクリームの防腐剤にはグレープフルーツシードエクストラクトを使うはずけど、それを使っていたとしてもそんなに長くはもたないだろう。
 しかし翠は満面の笑みで答える。
「ふふふ、大丈夫。たぶんそんなに時間はかからないよ」
 どうして……?
 不思議に思っていると、翠がおもむろにクリームを手に取った。それは一回の分量にしてはやや多めのクリーム。
 白い手に左手を包み込まれ、思わず息が止まる。と、
「ハンドマッサージに使ったら、あっという間になくなっちゃうよ。しかも、マッサージはセルフじゃありません! 私がするから、クリームはこっちのおうちに置いててね?」
 いつになく饒舌な翠は、入念にマッサージを施し始めた。
 左手が終わって、翠がクリームに手を伸ばそうとしたとき、
「その前に俺からのプレゼント」
 早く翠が喜ぶ姿を見たくて、強引にプレゼントを押し付けた。
「なんだろう……?」
 翠は重さの確認をしてからリボンを解き、包装紙をはがしていく。
 中から出てきたものを見て、「香水?」と首を傾げた。
「そう。名前が翠好みだと思って」
 翠はケースに書かれた文字をじっと見て、さらに首を傾げる。
「これ、なんて読むの? それ以前に何語?」
 俺はできるだけ平静を装って答える。
「エクラドゥアルページュ。フランス語」
「訳は?」
「光のハーモニー」
 翠は目をぱっと輝かせ、
「わぁ、すてきっ! 色も薄紫できれいね? どんな香り?」
 え……? どんな香り……?
 そこではたと我に返る。
 香水名と翠が喜びそうな藤色の液体に満足した俺は、香りの確認までしてはいなかった。
「実際にかいでみれば?」
「そうする」
 翠は嬉々として手ぬぐいを用意する。
 大丈夫、だよな……?
 翠がスプレーノズルに指をかけた瞬間、緊張が極度に高まる。
 ひと吹きすると、自分のもとまで香りが届いた。
 初めて嗅いだ香りに、「これじゃない」感が自分を襲う。
 不快な香りではない。でも、翠のイメージかと言われると、少し違う気がする。
「いい香り……でも、なんだかおとなっぽい香りだね」
「……確かに」
 言われて思う。
 そうか、これは「おとなっぽい」というジャンルに振り分けられる香りなのか、と。
 翠は俺を凝視した状態で、
「ツカサはこの香水の香り、知っていたんじゃないの?」
「いや……」
 思わず顔を背けてしまったのは無意識のこと。
 香りを確認せずプレゼントしたとは言いづらい。でも、この状況では言わざるを得ないか……?
「ツカサ……?」
 視線を戻すと、責めを含まない目が俺を見ていた。
「香りは確認してなかった。ただ、ネットで名前を見つけたとき、翠が好きそうな名前だったから……」
 正直に述べると、翠はクスクスと笑う。
「どんな香りの構成なのか知りたいから、少しネットで調べてもいい?」
 俺は無言で、テーブルに置いてあったタブレットを差し出した。
 香水の名前を入力すると、すぐにいくつものサイトがヒットする。
 翠はそのうちのひとつを表示させ、香りの構成を口にしていく。
 それとは違うペースでそのページを読み進める。と、香りの構成が書かれた下には、キャッチコピーのような言葉が添えられていた。
「エクラドゥアルページュは甘すぎない大人な香り」――
 ……やってしまった。もっとしっかりリサーチしてからプレゼントに決めるべきだった。
 正直、指輪のデザインに時間をかけすぎて、香水のリサーチにはさほど時間をかけていなかった。
 ただ、選んでいたときの自分は、これ以上ないくらい翠にぴったりな香水名に満足し、それ以上のことを調べようとしなかったのだ。
 痛恨のミスとはこのことか……?
 キャッチコピーの下に連なる口コミは、投稿している年代が二十代後半や三十代。十代の口コミは一切ない。
 やらかした……。
 翠が困らないよう、早々に手を打つことにしよう。
「香り、嫌いだったらつけなくていいから」
「えっ、嫌いじゃないよっ!?」
 翠は慌てて言葉を継ぎ足す。
「あのっ、少し大人っぽい香りだなって思っただけで、嫌いとかつけたくないとかそういうことじゃなくて――」
「無理しなくていいんだけど」
「無理なんてしてないっ。ただ、普段使いはできないから、ツカサとどこかへ出かけるときや、特別な日につけたいなって……。名前もすてきだし、本当に、嬉しいよ? ありがとうね?」
 翠は俺に取り上げられないように、とでもいうかのように、香水を手に取り握り締めた。
 ところで、香りには普段使いできるものとできないものがあるのだろうか……。
 自分が香水をつけることはなたいめ、そのあたりの知識はまるでない。
「普段使いできる香りってどんなの?」
 翠は不意をつかれたような顔で、
「えっ? ……えぇと、香りの弱いコロンとかかな?」
「コロン?」
「うん。香水にはいくつか種類があって、香りの持続時間に差があるの」
「つまり、香りの強さが違うってこと?」
「そう。これは香りの強いオードパルファムだから、学校にはつけていかれない」
 翠はタブレットに香水の種類を表示させ、わかりやすく説明してくれた。
 そこからすると、翠が普段使いできるのはコロンというタイプの香水か、穏やかに香る練り香というものらしい。
「コロンってどこで売ってるもの?」
 おそらく、ネットでも売ってはいるだろう。けれど、もう失敗はしたくはない。
 翠は首を傾げながら、
「ドラッグストアとか?」
 え? ドラッグストア……? そんなところに売っているのか……?
「坂を下ったところにあるドラッグストアにもある?」
「え? うん、あると思うけど……?」
「じゃ、今から行こう」
 翠はひどく驚いた顔をした。
「えっ!? どうしてっ!?」
 どうしてって、普段使いできるものをプレゼントしたいからに決まってる。
「あの、本当にこの香水の香り、好きよっ!?」
 翠は全面にエクラドゥアルページュを押し出してくる。
「でも、普段使いはできないんだろ?」
 翠は何も言えずに口を閉じた。
 別に申し訳なく思う必要とかないんだけど……。
「俺のわがままに付き合って」
 翠は小さく口を開け、「わが、まま?」と口を動かした。
「自分がプレゼントした香りをつけていてほしい。いわばマーキングみたいなもの」
 翠ははっとしたように、
「秋斗さんからいただいた香水が原因……?」
 それは間違いじゃない。でも、肯定できるほど潔くもない。
 答えない俺に、「肯定」を感じ取った翠は、
「もう、秋斗さんからいただいた香水は身につけてないよ? 時々ルームスプレーとして使ってるだけ」
 不安そうに口にした。
 あの香水を気にしていないと言ったら嘘になる。でも、それだけじゃない。ただ、自分がプレゼントしたものを身にまとって欲しいという単なるわがまま。独占欲に由来する。
「秋兄の香水を使うなとは言わない。でも、わがままは聞いてほしい」
 これ以上抵抗してほしくなくて、できるだけゆっくり、想いを聞き届けてもらえるように話す。と、翠は静かに従ってくれた。



Update:2018/01/28



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