光のもとでU+

キスのその先 Side 藤宮司 01話

 翠が春休みに入ってから、自分の誕生日へのカウントダウンが始まった。
 あと十日。あと九日。あと八日――数えるたび、翠はどんな思いで俺と過ごしているのかと思う。
 好きにキスをさせてもらえるようになった最初のころは、溺れるように、または貪るようにキスをしていた。
 許された範囲で得られるすべてを欲していたと思う。
 それから時間を経て、今は翠の反応を吟味できるくらいの余裕はできたけれど、その反面、「足りない」という思いがずっと燻っている。
 ひとつのことに満足すると、次を欲するのは人の性だろう。
 結果、胸に触らせてもらえるようになったというのに、すでにその先へ進みたくて仕方がない。
 焦るな――
 誕生日はすぐそこまで迫っているのだから。
 

 春休みに入ったからとって、翠の自由になる時間が増えたわけではない。
 むしろ、学校へ行っていたときと同様の拘束率。
 それはひとえに翠が立てたスケジュールに問題があった。
 午前八時半から十二時まではピアノの練習。昼休憩を一時間とったあとはハープの練習を一時間。二時から三時までは楽典の勉強。三時から四時までは学校の勉強。
 それらをクリアしてようやくフリータイムとなる。
 朝からずっと同じ室内で過ごしてはいるが、昼休憩までは挨拶以外の言葉を交わすことはない。そのことに不満はないが、一心不乱に楽器の練習をする翠を見て、俺はひとり邪なことを考えて過ごしていたりする。

 マンション内で会うとき、翠はたいていがルームウェアだ。
 その格好は、ワンピースにレギンスを合わせたものかワンピース単体。
 シルエット的にはふんわりとしたものが多く、身体の線を強調するような服を着てきたことは一度もない。
 ただ、そういうデザインが好きなのか、襟ぐりはすっきりとしたものを着ていることが多い。
 時々、喉元までボタンが留まっているワンピースを着てくることがあるが、そんな日はいつだって思うようにキスができない。
 首筋にキスをしたくとも、服が邪魔をする。
 自然な動作でボタンを外そうとして、何度翠に遮られたことか……。
「ボタンをいくつか外すだけ」
「でも……」
「この服じゃなければいつも首筋にだってキスはしている」
「そうなのだけど……」
 翠の中で、「ボタンを外す」ということがとてもハードルの高いものであることは理解した。
 が、それならその服だけは着てこないで欲しいと思うわけで……。
 そんないきさつがあり、翠と会うと真っ先に目が行くのが首周りのデザインになってしまった。
 今日は襟ぐりにゴムが入っているタイプのルームウェア。
 見えるか見えないかといった鎖骨も、襟ぐりに指を引っ掛ければ難なくさらすことができるだろう。
 そんなことを考えながら、まるで陽に当たったことがないような白く滑らかな肌を見ていると、水分補給をしに来た翠の視線に捕まった。
「ツカサ、どうかした?」
 翠は小首を傾げて俺の顔を覗き込む。
「いや、別に……」
 俺は何食わぬ顔でパソコンに目を落とし、株取引を再開させる。

 翠のフリータイムが四時からで、翠の家の夕飯が六時から。
 一緒に過ごせる時間は実質二時間にも満たない。
 それを知っている碧さんから、
「三日に一度はふたりで夕飯を食べたら? 夜九時までに帰ってくるなら何も言わないわよ?」
 そんな提案をされたけど、翠が九時までうちにいたことはない。
 俺が執拗にキスをすると身の危険を感じるのか、そのあと何かと理由をつけて帰ってしまう。
 執拗にキスをしている自覚はあるし、身体を求めているという印象を与えるようなキスであることも理解はしている。
 でも、約束の日はすぐそこまで迫っているわけで……。
 翠は今、何を考えているだろう。
 まだ覚悟ができていないからこそ逃げ腰になるのか――
 もし今日も逃げ帰るようなら、そのときはもう一度翠の心情を聞き出す必要がある。
 もうこれ以上は待てない。そう思うからこそ、もう一度しっかり捕まえて向き合うつもりでいた。

 四時になって勉強が終わると、
「終わった〜……疲れたよ〜……」
 翠は完全に脱力してソファへ転がる。
「当たり前だ。練習と勉強の間に休憩を挟めって何度も言ってるだろ?」
「んー……だって、そしたらフリータイムが短くなっちゃう」
「それが何?」
「ツカサと過ごす時間が短くなるのはいや」
 そう言うと翠は身体を起こし、教材を片付け始めた。
「さっ、十階へ行ってティータイムにしようっ?」
 翠に急かされミュージックルームをあとにした。
 翠は俺の家へ上がるとまっすぐキッチンへ向かう。
 ふたりでキッチンに立ち、お湯が沸くまでの時間をキスに費やすのは恒例になっている。
 婚約を機に、少し距離も縮まった気がする。何より、去年に比べたらずいぶんと甘やかな時間を過ごせるようになった。
 それでも翠は、まだその先へ進むことを躊躇するわけで……。
 あと数日で最後の一歩を踏み出してもらえるのか――
 そもそも、最後の一歩って……?
 俺は翠を抱けると思っているけど、そう思っているのは自分だけで、翠の中にはまだ細かいステップに分かれていたりするんじゃ……。
 たとえば、胸に触る許可が下りた次は尻を触る許可で、その次が肌に直接触れる許可だとしたら、その次にしてようやくペッティング……?
 っていうか、それだけのステップがあったとして、それらをあと三日でクリアするのは至難の業なんじゃ……。
 そもそも俺の理性、そこまでもつのか……?
 正直自信がないし、もうこれ以上待つのは無理だと思う。
 そんなことを考えながらキスをしていると、カタン――水が沸騰したことを告げる音に翠を解放する。と、頬をピンクに染めた翠は、嬉しそうに茶葉が入っている箱を俺に見せた。
「あのね、新しいハーブティーを持ってきたの。フルーツたっぷりのハーブティーだよ! 疲労にはやっぱりビタミンと糖分よね? ハチミツたっぷり入れるんだ! ツカサは? ティースプーンにひと匙?」
 邪気のない笑顔を向けられ罪悪感を覚える。
 でも――好きだからこそ求めるのだと、知ってほしい。

 お茶を淹れてリビングへ行くと、ふたり揃ってソファを背にラグへ座る。
 俺が右で翠が左。それがこの部屋での定位置。
 互いの腕が触れるほどの距離にいて、翠の穏やかな表情を見られる。
 こんなふうに過ごせるだけでも、数年前の俺なら満足できただろう。
 過去の自分を思い返せば、今の自分がどれほど強欲なのか、と思わずにはいられない。
 隣の翠は、俺が買ってきた情報誌に視線を落としていた。
「どこか行きたいところあった?」
「どうせだったら全部行きたいよね?」
「は……?」
「だって、ツカサとならどこへ行っても楽しいと思うもの」
 そう言っては屈託なく笑う。
 こいつは――
 そんな笑顔でかわいいことを言われたら、俺の理性が飛びそうになるのとか――知るわけがないか……。この天然鈍感大魔王が……。
 俺はそっと目を閉じ、心の中でゆっくりと数を数えた。

 情報誌を見始めて一時間が過ぎたころ、俺と翠は同じタイミングでカップに手を伸ばした。
 そんな行動に顔を見合わせ、翠がクスリと笑む。
 俺の自制心などその笑みひとつで崩壊する。
 無理――
 少しずつ欲望を小出しにしておかないと、いつか本当に襲う。
 そうならないために――と、翠の手を掴んだ。
「ん?」
 首を傾げる翠に軽くキスをする。でも、それだけでは終われなかった。
 柔らかな唇に触れるだけのキスを何度かして、耳たぶを軽く食むと、何も邪魔するもののない首筋へと移動する。
 首筋にキスをすると、翠は首筋を差し出すような素振りを見せ、小さく吐息を漏らした。その、普段の声とは違う甘やかな響きは、俺の神経を痺れさせる。
 ラグに横になるよう誘導すると、翠は抵抗なく身を倒した。
 キスのその先を危惧しているには無防備すぎる行動。けれど、俺のことを信用しているからこその行動ならば、信用を裏切るようなことはできない。
 俺の葛藤はいつだってそこで行き止まりだ。
 それでも、わずかな抵抗は試みる。
 左の首筋に唇を這わせ、右手は右の首筋から肩へと肌をなぞる。そうしてたどり着いた服の襟ぐりを、肩の方へ引き下げた。
 鎖骨がきれいに見え、右肩が露になったところで、
「だめ……」
 翠の一言と上目遣い、白い手に阻止される。
 服に隠れる部分を見せてもらえないのなら、別の何かを了承させたい。
 そんな取引も、俺たちの関係には少しずつ根ざし始めていた。
 どんなことなら了承してもらえるか。または、「先」へ進むために何をステップアップさせるべきか。
 少し考えた俺は、
「じゃ、服の上から触らせて」
 いつものように「何を」と明確にはしない。
 触れたい部位の第一は胸だけど、欲を言えばありとあらゆる場所に触れたいわけで……。
 とろんとした瞳の翠を見下ろしながら、俺はふたつのふくらみへ手を移動させた。
 翠は華奢なくせに胸のボリュームはあるほうだと思う。
 薄い生地越しに下着の厚みを感じつつ、今が春で、比較的薄着の季節であることにほくそ笑む。
「見ないで……」
 翠が顔を背けると、耳下から鎖骨への筋、胸鎖乳突筋がきれいに浮き上がった。
 その筋に舌を這わせたいと思いながら、
「どうして?」
「……恥ずかしいもの」
「じゃ、目を閉じればいい」
 翠は素直に目を閉じた。
 胸の感触を楽しみながら、時折甘い声を漏らす口を塞ぐ。
 何度も何度も唇を啄ばみ、薄く開いた口に舌を差し込むと、翠の舌は狭い口腔の中で逃げ惑う。そんな舌をゆっくりと追い詰めすり合わせると、唾液が絡む淫らな音が響いた。
 ゆっくりと舌を扱いたあとは、翠が好きであろう口蓋を舌先でなぞる。と、翠の身体がピク、と反応を見せた。
 そんな反応に満足した俺は、かろうじて鎖骨が覗く胸骨切痕にキスを落とす。
 少し息が上がっている翠が目を開けたところで感謝の意を伝え、呼吸を整える翠に手を貸し引き起こす。と、翠は俺の腕を引き寄せゆっくりと顔を近づけてきた。
 翠から少しの緊張を感じると同時、俺の眼前にある翠の目は閉じ、唇には柔らかな感触が押し付けられた。
 それは一瞬の出来事。
 今まで、自分からせがんで翠にキスしてもらったことは何度かある。そして、自発的に翠からキスされたことも何度かあるが、いつだって勢いに任せたもので、こんなタイミングでキスされることは一度もなかった。
 今のキスにはどんな意味があるのか――
 じっと翠を見つめていると、
「ありがとうなんて言わないで?」
 え……?
 翠はゆっくりと言葉を続ける。
「前にも言ったけれど、キスは嬉しいよ? ツカサにキスされるの、大好きよ?」
 言葉の意味を考えるより先、潤んだ瞳に誘われ、俺はもう一度唇を重ねた。



Update:2018/10/14



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