「翠、シャワー浴びてからにすれば? まだ時間はあるし」
そこまで言って、あることに気づく。
「でも……シャワーは浴びるだけにしておいたほうがいいかも。俺の使ってるボディーソープを使うと、唯さんあたりがすぐに気づきそう」
あの鬼畜は間違いなく気づく。
それは俺の望むところではないし、翠だって同じはず。
ただ、こんな言葉で翠が俺の考えを汲み取れるのか――
黙りこんでいる翠を見て声をかけると、
「え? あっ……あの、シャワーは遠慮するね? おうちに帰ったらすぐお風呂に入るから。でも……できればタオルを一枚貸してもらえる?」
「タオル……?」
翠は非常に言いづらそうに口を開いた。
「このまま洋服を着るのは少し抵抗があって……ホットタオルで身体を拭きたいな、って……」
それはもっともだ。
「わかった。……なんなら、俺の家にも翠が使ってるボディーソープやシャンプー置いておけば? トラベルセットとかないの? 別に大きなボトルでもかまわないけど」
なんの気なしに提案したわけだけど、翠は顔を赤らめ俯いてしまった。
何? 何か地雷があったとか……?
不安になって名前を呼ぶと、
「あ……えと、なんか……好きな人のおうちに自分が使うシャンプーとかが置いてあるの、少し恥ずかしいなって……」
なんだ、そんなこと……。
「でも、これからのことを考えれば合理的だと思うけど?」
それに、俺の中では一年後には同棲に持ち込む予定だし、今からその片鱗を植えつけておくに越したことはない。
「うん、わかってる……。でも、今ストックがないから、近いうちに買いに行かなくちゃ」
近いうち――
できれば近いうちにもう一度翠を抱きたい。そう、たとえば自分の誕生日とか――
そう考えると、今日から二日以内には準備を整えたいわけで……。
そういえば、翠は明日の午後に予定があると言っていたか? それはマンション内での予定というわけではなく、外出の予定が入ってるということ……?
「翠の明日の予定って?」
「え?」
「午前はピアノの練習をするけれど、午後からは予定があるって言ってただろ?」
「あ、うん。ツカサの誕生日プレゼントを市街まで買いに行こうと思っていて……」
あ、プレゼントもらえるんだ……?
翠に絵のプレゼントをねだられたお返しに、俺も翠の手料理を食べたいとオーダーしていたから、てっきりプレゼントはなしかと思っていた。
「それ、ひとり?」
否、翠がひとりで市街へ出かけるとは思いがたい。絶対に唯さんとか御園生さんがセットになっていそう……。でも、明日は平日。普通に考えれば社会人のふたりは仕事があるはずで――
ただ、翠がひとりで市街へ出かけることをよしとしない人間がもうひとり……。秋兄だ。
そんな予定を聞きつけたならば、自分が――もしくは唯さんを一時的に解放しかねない。
しかし、翠から得られた返答は「うん」。つまり――え……これがひとりで市街へ出かけようとしてたのかっ!? 本当にっ!?
危ない……どう考えても危険すぎるだろ?
俺はなるべく冷静を装い、
「なら明日、一緒に買い物へ行こう」
「……ツカサの誕生日プレゼントを買いに行くのに一緒? サプライズ感なくなっちゃうよ?」
「別に問題ない」
引き換えに翠の安全が守られるのなら、そんなのはなくてかまわない。
警護班がついているのだから、最悪の事態にはならないとはいえ、危ない目には遭わせたくないし、ナンパの対象になどさせてたまるか――
「むしろ、俺の好みがわかったほうが選びやすいんじゃないの?」
もっともらしいことを言って納得させると、
「じゃ、付き合ってもらってもいい? 前に話したとおり、午前はピアノの練習をしたいのだけど……」
「問題ない。昼食、たまには外で食べる?」
この春休みはずっとカフェラウンジで食べていて、そろそろ同じメニューに飽きてきたところだった。それは翠も同じだったのか、はたまたたまの外食が嬉しいのか、とても元気のいい返事を聞くことができた。
「じゃ、ホットタオル持って来る」
「お願いします……」
ホットタオルを持って戻ってくると、タオルを受け取った翠は毛布をまとったままじっと俺を見ていた。
「何?」
「あの……外に出ててもらえると嬉しいのだけど……」
数時間裸で過ごしてもなお、恥ずかしいものなんだ?
そんなことを思いつつ、
「なんなら俺が拭こうか?」
そもそも、俺がした行為によって身体を汚してしまったのだから。
そう思ったのは本当で、でも少しからかいの要素があったことが口元に表れてしまったようだ。
真っ赤な顔をした翠に即刻拒否られた俺は、渋々といったふうに部屋の外へ出た。
「飲み物でも淹れるかな……」
ホットケーキを食べたあとなら何を飲みたいだろう?
甘いものを食べたあとだから、ミントティーかな。
お茶の準備をして寝室へ向かうと、途中にある洗面所で翠がタオルを水洗いしていた。
「別にそのまま洗濯機に放り込んでくれてよかったのに」
「それは気持ち的に無理……」
そんなものか……?
未だ洗うことをやめない翠を放置して寝室へ向かうと、トレイをベッドへ置き、自分もその隣に腰を下ろした。
背後のシーツを振り返れば、今までそこで情事を行っていたことがわかるような染みができている。
これもあとで洗わないとな……。
そんなことを考えていると、廊下から翠が顔を覗かせた。
なんで入ってこない……?
疑問に思っていると、
「リビングにしよう?」
「なんで?」
翠は気まずそうに口を開き、
「この部屋にいること自体が恥ずかしくて……」
恥じらう姿がかわいすぎた。
「わかった。リビングへ行こう」
「ありがとう」
リビングへ移動すると、中途半端な場所に置き去りにされたかばんが待っていた。
翠はそれをソファ脇に立てかけると、いつもの定位置に腰を下ろす。俺もその隣に腰を落ち着けた。
翠にカップを勧めつつ、
「ミントティーはこれでラスト。明日、ミントティーも買ってこよう」
「うん」
そう答えた翠はほんのりと顔を赤らめている。
何……? 今のどこに赤面ポイントあった?
理解できないままにお茶を口に含み、以前翠の話を聞いてからずっと気になっていたことをたずねる。
「翠も立花や簾条たちに今日のことを報告するの?」
どうやら訊くタイミングが悪かったらしい。
お茶を口に含んだばかりだった翠は必死に口元を手で押さえている。
そして少し落ち着くと、
「えぇと……どうかな? そういう話、あまり得意ではないから自分からすることはないと思うけど
――」
けど、何?
「それ、訊かれたら話すってこと?」
翠は少し考えてから、
「訊かれても話したくない、というのが本音だけど、すでに飛鳥ちゃんの体験談を聞いてしまっている都合上、『話したくない』がまかり通るのかは甚だ疑問でしかなく……」
あぁ、そういう意味か……。
そもそも、どうして立花が体験談を話すことになったのか――
女子もそういう話には敏感な年頃ということなのだろうか。
もっとも男子の場合話は単純で、「俺、とうとう童貞卒業したぜ!」的な会話であることが多いらしい。女子で言うなら、「私ヴァージン卒業しました」か?
どちらにせよ理解に苦しむ。
それ、人に宣言する必要ないし、大切な人と過ごした時間をどうして他人に話さなくちゃいけない? そんなの心の中にしまっておけばいいものを……。
「男子もそういう話するの……?」
翠にたずねられ、
「する人間はするんじゃない? 俺はするつもりないけど。……翠は? 簾条と立花に問い詰められたらするの?」
「……話されたくない?」
こちらをうかがうような目で訊かれた。
「なんていうか、話す人間の気持ちも理解できないけど、話されてOKな人間の気持ちはもっと理解できない。むしろ翠は、俺が朝陽や優太、久先輩に話しても問題ないわけ?」
翠は血相を変え、
「無理っ、絶対いやっっっ」
両腕でバツを作るほどの拒絶に少しほっとした。自分と同種の人間だ、と思えて。
「だろ? ……そもそも、もったいなくて話せるか……」
身体中をピンクに染め上げ、かわいい声をしきりに発する翠とか、恥じらいに涙する翠とか。つらいのに俺を受け入れようと笑顔を作った翠とか、どれも全部俺だけのもので、ほかの人間に露ほども分け与えたくはないし、翠の裸を連想させるような話などもってのほかだ。
「たぶん、飛鳥ちゃんも桃華さんも、私が話したくないって言ったら、無理には聞き出そうとはしないと思う。……それでも、どうしてもって言われたら、ツカサが優しかったことだけ話してもいい?」
小首を傾げて許可を求められる。
でも、「優しかったことだけ」という言葉に引っかかりを覚えてしまった俺は、了承などできなくて……。
「俺、最初に結構ひどいことをしたと思うけど?」
そう、強姦に近いことをしようとしていた。そこ一点に後悔が残る。
そういえばまだ謝ってもいない。謝らなくては――
そう思ったとき、
「それでも、ちゃんと私の言葉を聞いてやめてくれたでしょう?」
労わるような目で見られていた。
「そうだけど……」
そこでやめなかったら本当に犯罪だし……。
「ツカサは最初から最後まで優しかったよ。……今までずっと待たせててごめんね。それから、待ってくれてありがとう」
ふわりと柔らかな言葉に心が包まれ、次の瞬間には翠の唇が頬に寄せられた。
「……後悔、してない?」
もともと誕生日までには、という約束はしていた。でも、今日は三日前だったし、突然のことに翠は心の準備が整ってはいなかっただろう。
そう思えば、少しくらい後悔の念を抱かれてしまっても仕方がないわけで……。
恐る恐る翠の顔を見ると、翠はきょとんとした顔をしていた。
「後悔? どうして……?」
「翠にとっては『今日』じゃなかっただろ?」
翠は納得したように、
「うん。確かに、誕生日に……って思っていたから、今日急にこうなったことには驚いているし、許容するのが大変だったけど――でもそれは、後悔じゃない。ツカサとこうなったことを後悔なんてするわけない」
何かを宣言するように言い切られ、俺はその一瞬で救われてしまった。
直後、話の流れを寸断するようにスマホのアラームが鳴り出す。
アラームを止め、
「八時五十分」
時間を伝えると、
「帰らなくちゃ……」
そう言った翠は無理に笑顔を作って、
「なんか、名残惜しいね?」
「そうだな……」
あと十二時間もすればまた会えるのに、名残惜しい――素直にそう思う。
言葉が続かないことを不思議に思って翠に視線を戻すと、目を見開いて俺をまじまじと見ていた。
「何、そのびっくりした顔……」
「だって……」
「俺だって名残惜しいと思うことくらいあるんだけど……」
でも、柄でもないことを口にした自覚はあって、顔に若干熱を持った。
恥ずかしさに視線を逸らすと、「ふふ」と翠の笑いが聞こえてきて、
「また新しいツカサに会えた気分」
そんなことを平然と言ってのけるこいつが信じられない……。
今ここで煽られても俺、困るだけなんだけどっ!?
そんな自分をひた隠し、
「さ、ゲストルームまで送る」
腰を上げると、
「え? 玄関でいいよ? だって一フロア下りるだけだし……」
……こいつは〜〜〜――
「どうしたの?」
「だから――名残惜しいって言っただろっ?」
なけなしの想いを伝えると、俺の赤面がうつったのか、翠まで顔を赤らめた。
そんな翠に手を差し伸べると、俺たちはエレベーターは使わず、手をつないでゆっくりと階段を下りて、ゲストルームの前で別れた。
帰宅して、なんとなしに屋上へ上がって空を眺める。と、夜空いっぱいに星が瞬いていた。
なんら特別な風景でもないのに、新鮮味溢れる光景に思えるから不思議だ。
想いが通った日もこれ以上ないくらいの幸せを感じたけど、今日はそれ以上だと思う。
記念日あれこれには疎い自分でも、今日という日を忘れることはないだろう。
この先ずっと、今日という日は特別な日であり続ける――
END
Update:2018/10/22
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