「どこへ行くの?」
「ジュエリーショップ」
「え? ジュエリーショップ?」
何がどうしてジュエリーショップ?
そんな私の疑問は解消される間もなくショップへ到着してしまった。
黒い壁にゴールドの文字で書かれた「Jewelry Shinoduka」――
それは以前どこかで聞いたことのある綴り。
あ――携帯事件のとき、秋斗さんからいただいたストラップがそこのものだとあの女生徒が言っていた。そして、そのジュエリーショップが藤宮のお抱えの宝飾デザイナーだとも……。
思い出した情報自体はいやなことではないけれど、携帯事件という微妙な出来事までセットで思い出して複雑な気分。
そんな私に気づかないツカサは、
「翠の好みってどんな?」
「え?」
「だから、翠の好みを知りたいんだけど」
「どうして……?」
「これから先、何かプレゼントするときに有効活用できそうだから」
なるほど……。
納得してショーケースに視線を移したけれど、その直後に後ずさりをする羽目になる。
「つ、ツカサ……もしかしてこの指輪もここで購入したの?」
記憶に誤りがなければ、クリスマスパーティーの日にあとから渡されたケースにはここのショップのロゴが入っていた。
「そうだけど、それが何?」
「あああ、あの……ここのショップが藤宮のお抱え宝飾店であることは知っているのだけど、でも
――だからと言ってお安くなるわけではないでしょう?」
「ここでの購入なら株主優待は受けられるけど、よりいい石を勧められて安くなるわけがないだろ?」
私は頭を抱えてその場にうずくまりたくなる。
「何……?」
訝しげに催促されてるけど、これはちょっと――
「金額が……高すぎませんか?」
それこそ、高校生がクリスマスプレゼントに購入するような金額ではない。否、最近の高校生はこういうショップの指輪をポンとプレゼントしてしまうのだろうか。それとも、藤宮の生徒だから、ちょっと金銭感覚がずれてる、とか……? もしくはツカサの金銭感覚が、だろうか。
こんなときに思い出すのは秋斗さんだ。
あのストラップの値段を考えたことはなかった。でも、髪留めをプレゼントされたとき、間違いなく私は引いた。引いたというより、身の丈に合わないと思った。
そして今、それに近いものを感じている。
なぜなら、私の正面にあるショーケースに並ぶ指輪たちはすべての価格が五桁から六桁。もう少し詳しく話すなら、消費税を入れたら間違いなく六桁になるお値段。
いただいた指輪を高く見積もっても五万円程度という私の推測は、早々に崩れたわけだけど、もういただいて着用してしまっているしどうしたら――
頭の中でぐるぐると回る六桁の数字に眩暈を覚えると、
「おや、司様がお越しとは珍しい」
ショップの奥からグレーのスーツを纏った品のいい男性がやってきた。
「先日はお世話になりました」
「とんでもない。プレゼントはお相手の方に気に入っていただけましたか?」
「はい。……翠、こちら、このショップの社長兼ジュエリーデザイナーの篠塚さん」
「ようこそお越しくださいました。篠塚と申します」
言いながら、皮製のケースから取り出された名刺を差し出される。
その名刺を受け取りながら挨拶をすると、篠塚さんは私の左手薬指のリングに目を留めた。
「そのリング――ではこちらが……」
「はい。フィアンセです」
「さようでしたか。ご婚約、おめでとうございます」
臆して何を答えることもできない私に代わり、ツカサが「ありがとうございます」と答える。と、
「……本日はどのようなものをお探しでいらっしゃいますか?」
「今日は翠の好みを把握したくて寄らせていただきました」
「そうでしたか。では、店内をご案内いたしましょうか?」
「いえ、今日は必要ありません」
「かしこまりました。それでは、帰りがけにスタッフへお声がけください。一番新しいパンフレットをご用意いたしますので」
「ありがとうございます」
そのやり取りが済むと、男性は一礼してショップの奥へと戻っていった。
「あの人、普段こっちの店にはいないんだけど……」
さも珍しいものでも見るように、ツカサは篠塚さんの背中を見送る。
「ここは支店なの?」
「そう。本店はこのデパートの裏通りにある。ほら、去年の誕生日のお祝いに自然食のビュッフェを食べに行っただろ? あの店の並びにあるんだ」
「そうなのね……」
「で、どういうのが好み?」
自然な流れで話を戻されたけれど、
「ツカサ、ここのアクセサリーは高すぎるよ」
小声で伝えると、
「でも、ものは確かだし……」
「そういう問題じゃなくて……」
ツカサはさっぱり意味がわからない、といった顔で私を見ている。少しすると眉間にしわが寄り、
「秋兄からのプレゼントなら問題なくても、俺からのプレゼントだと問題があるってこと?」
これはたぶん、秋斗さんからいただいたストラップがここのショップのものだと知っていて、さらには髪飾りのことも知っていての言葉。
でも――
「違う。そうじゃないよ? 正直に話すなら、ネックレスにもストラップにもなるアクセサリーをいただいたときは、そんな高価なものだと思わずに受け取ってしまったの。でも、髪飾りは身の丈に合わないから、って辞退したのよ? そしたら、クローゼットの肥やしにするしかないとかあれこれ言われてしまって、仕方なくというか、引くに引けなくなってしまって――」
「ふーん……。じゃ、俺もそういう手を使うかな」
「えっ?」
「今さら、その指輪を返されても困るし」
「う゛――」
さすがの私も、一度いただいてすでに何度も身につけているものを返すことはできない。でも、これからは――と思ってしまうのはおかしいことだろうか。
「そんななんでもないときにプレゼントしたりしないし、節目節目にちゃんとしたジュエリーが増えるのって女子は喜ぶものなんじゃないの?」
それはどのあたりの「女子」を中心に市場調査されたものなのか……。
……そんなの考えるまでもなく、ツカサの周りにいる女性。つまり、真白さんであったり、湊先生、栞さんあたり……。イコール、藤宮基準……。
「栞をプレゼントしたときも、ブレスレットをプレゼントしたときも、そこまで引かなかっただろ? それに指輪をプレゼントしたときだって……」
「それは価格を知らなかったからで――」
「あぁ……じゃあ、今日ショップに連れてきたことが失敗だったんだ?」
そうというか、違うというか……根本的な部分が的外れというか――
こればかりは生まれ育った環境がものを言う部分だから、私がどうこう言ったところでどうなるものではないだろう。だとしたらどうしたらいい?
せっかくの楽しいデートを険悪なムードにはしたくない。
……私が感情に蓋をして目を瞑れば――
「翠」
はっとして視線を上げる。と、ツカサが真剣な目で私のことを見ていた。
「思ってることを呑みこまないでほしいんだけど」
「っ……」
「前にも言っただろ? 価値観が違うからといって、翠の価値観を認めないわけじゃないし、否定するわけじゃないって」
その言葉に冷静さを取り戻す。
「ここのアクセサリーはちゃんとした宝飾品、だと思うの。それこそ、大人が身につけても遜色ないというか、高校生がつけるには身に余るというか……」
これで私の思いは伝わるだろうか。
不安に思いながらツカサを見上げると、
「……その価値観はわからなくはない」
「なら――」
「でも――俺は翠が何歳になっても使えるものをプレゼントしたい。翠が一生付き合えるものをプレゼントしたい」
一生、付き合えるもの……?
「少し考えてみてくれないか? 今の俺たちに見合う値段のものを贈ったとして、どれだけの期間、そのアクセサリーが使える?」
どのくらいの期間……?
「安いものは、そのときの流行であったり、ターゲット層のニーズに合うデザインを取り入れていることが多い。つまり、どれだけ大切に扱おうと、翠が年を重ねればやがてしっくりこないものになる。俺はそういうものはプレゼントしたくない」
そう言われて改めて薬指にはまる指輪を注視する。
細いリングにはこれといった装飾はされていない。そのリングにふさわしい大きさのペリドットは爪で留まっているわけではなく、カボションカットのペリドットをリングと同じ素材がシンプルに囲っているだけ。
確かこういうデザインのものを「覆輪留め」といったはず。
中学に上がりたてのころ、城井のおばあちゃんの宝石コレクションを見せてもらったときに教えてもらった。
接着剤やUVレジンを使わずにきちんと覆輪留めされた宝石は、いつかデザインに飽きたとき、ほかのデザインへ変更することができるのだと……。
「あ……」
とてもシンプルなこの指輪なら、年を重ねても似合わなくなることはないだろう。でも、デザインに飽きてしまうことはあるかもしれなくて、ツカサはそのときのことまで考えて選んでくれていたの……?
「ツカサがこのデザインを選んだのって……」
「翠なら何をプレゼントしてもずっと大切に使ってくれるだろう? それでも、デザインに飽きることはあるかもしれない。そのとき、石はそのままにデザインを変更できるようにと思って、この工法を選んだ」
そんな先のことまで考えてプレゼントしてくれていただなんて……。
「ごめん……ありがとう」
「納得した?」
胸がいっぱいになった私は言葉を発することができなくて、コクリと小さく頷く。
「ならよかった」
ポンポンと頭を二回叩かれ、
「じゃ、どんなデザインが好きなのか教えてほしいんだけど」
でも、ショーケースを見てしまうと、また値札が目に入ってしまう。そしたら、やっぱり気にはなってしまうわけで……。
動くに動けずにいると、
「翠、そこに座ってちょっと待ってて」
ツカサは店内のソファに私を座らせると、ひとりショーケースへ向かって歩き出し、店員に声をかけた。すると、奥から篠塚さんが出てきて、女性スタッフと一緒にショーケースを端から回り始めた。
「何、してるんだろう……」
その様子を眺めること十五分。ツカサに手招きされてショップの奥へ向かうと、商談ブースのようなボックス席へと通された。そのテーブルにはツカサが見立てたであろうアクセサリーがいくつも並べられていた。けれども、それらにはついているべきものがついていない。つまり、値札がついていないのだ。
「デザインだけ見られるようにしてもらった」
その気使いが嬉しくて申し訳なくていたたまれなくなる。
「ほら、座って」
言われてソファに座ると、自分の前にジュエリートレイと鏡が用意された。
「翠に似合いそうなものをピックアップしてきたつもりだけど、好きなデザインある?」
ツカサは隣に腰を下ろし、私より真剣にトレイのアクセサリーを吟味し始めた。
「まず俺が確認したいのは、色かな……」
「色……?」
「翠は色が白いから、プラチナでもゴールドでも似合うとは思っているけど、ピンクゴールドよりはイエローゴールドのほうが肌馴染みがいい気がしたんだ」
そう言って、プラチナ、イエローゴールド、ピンクゴールドとすべてのリングを指にはめられる。
「篠塚さん、どう?」
「司様のお見立てで問題ないかと思います。ですがやはり、身につける方の好みもあるでしょうから……」
ふたりの視線がこちらを向き、
「あ……えと……もともとはシルバーのほうが好きだったの。でも、ツカサからいただいたブレスレットも指輪も、とても肌馴染みがよくて、今はシルバーよりもイエローゴールドのほうが好き……」
そう言うと、女性スタッフがすぐにプラチナと思われる品物を下げ始めた。
残されたものを前に固まっていると、
「翠の好きなデザインの傾向を知りたいだけだから、ここから何かを選べって言ってるわけじゃない」
そうは言われても……。
「こっちとこっちなら?」
「こっち」
「これとこれなら?」
「こっちかな……?」
「じゃ、これとこれだと?」
「こっち」
二者択一を何度も繰り返すことでツカサと篠塚さんは私の好みを探っているようだ。そして、
「こちらのデザインがお好きでしたら、こういうのはどうでしょう?」
篠塚さんがタブレットにアクセサリーを表示させてくれる。
「あ、好きです」
「それでしたら、こちらもお好きですか?」
「はい、好きです」
そのあとは宝石の好みを調べるべく、ジュエリートレイにまだアクセサリーとして加工されていない宝石が並べられた。
その中から好きな色味を答えてすべて終了。
本当に何を買うとかそういうことではなく、私の好みを知るためのものだった。
「また何かございましたらお気軽にお立ち寄りください」
そう篠塚さんに声をかけられ、私たちはショップをあとにした。
Update:2018/11/06


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