焼けるのを待っている間にいい匂いが部屋中に充満し、
「匂いに胃が刺激されるのって、本当なんだな」
なんてツカサが零すからちょっとおかしかった。
焼きあがったものにマヨネーズとお好みソースをかけ、さらに鰹節と青海苔をかけたものをツカサの前に差し出すと、ツカサはきっちり手を合わせて「いただきます」と口にした。
一口食べて、表情の緩んだツカサを見られたら、それだけで満足。
「おいしい」と言ってもらえたら言ってもらえたで嬉しいけれど、言われなくても表情を見ていればわかる。
ツカサは口にしておいしいと感じたとき、ほんのわずかだけど表情が緩むのだ。
その表情を見て満足していると、二口目を食べ終えたときに「おいしい」と口にしてくれた。
その言葉に、私も好み焼きにお箸をつけた。
「ん〜……おいしいっ! お好み焼き大好き!」
ツカサが二枚食べる間に私は一枚を食べきり、ツカサはものすごく驚いた顔をしていた。
「本当に好きなんだな?」
「うん? ……うん、好きよ。粉物の中で一番好き!」
「このあとケーキもあるってわかってる?」
「わかってる! 実はね、さっき胃薬を先に飲んだの。だからきっと、胃もたれすることなくおいしく食べられると思うよ」
ちょっとした種明かしをすると、ツカサは少しおかしそうに笑った。
「とは言っても、少し間はあけようね? 今六時過ぎだから……七時半とか八時くらい?」
「今日は九時までいられるの?」
「うん。お夕飯一緒に食べるって話してきたから、九時までに帰れば大丈夫」
ツカサは何か考えているふうで、何を考えているのか勘繰っていると、
「翠、スマホ見せて」
「え?」
「スマホ」
本日三度目の要求に、抵抗を覚えながらスマホを差し出すと、
「三十七度三分……」
この話の流れ――
いやな予感しかせず、私は勢いよく立ち上がった。
「帰れとか言うっ!? 私、体調悪くないよっ!? お好み焼きも全部食べられたしっ」
バイタルの数字ばかりに左右されず、目の前にいる私を見て――
そう思うのに、ツカサは呆れたような顔で私を見上げていた。
「何、その顔っ! 本当に元気よっ? 反復横跳びだって踏み台昇降だってできるくらいっ」
ツカサは呆れに拍車がかかったような表情で、
「それ、本当にしたらまずいだろ?」
「う゛……そうなんだけど……。でもっ、気分的にはそのくらい元気ということでっ――」
懇願するようにツカサを見ていると、
「もとより帰れなんて言うつもりはないから安心していい。食器洗ってくるから、リビングでくつろいでて」
「えっ!? お片づけなら一緒に――」
「洗剤、素手で触れないだろ?」
「じゃ、ツカサが洗ったお皿拭くっ!」
「自然乾燥で十分」
まんまと言いくるめられ、私はリビングへ場を移すことにした。
なんでもかんでも、一緒にしたいだけなんだけどな……。
気持ちを切り替えるために窓の外へと意識を移す。
景色の見え方としては、ゲストルームから見る夜景も、ツカサの家から見る夜景も大した差はない。
でも、ツカサと一緒にいるときはいつだって光がキラキラと瞬いて見えるから不思議だ。
今度三脚を持ってきて、夜景の写真にトライしてみようかな。
ふと振り返ると、キッチンで食器洗いをしているツカサが困惑したような表情だった。
私は静かにキッチンカウンターへ歩み寄り、ツカサに声をかける。
「なんか難しい顔してる……。どうしたの?」
「いや……」
ツカサはずるい……。
「こういうとき、私が話さなかったらツカサは意地でも訊き出そうとするくせに、私が訊いたときには答えてくれないの? それなら、今後は私も考えさせてもらうからねっ?」
言ったあと、ツカサはほんの少し笑みを見せた。そして、
「言ってもいいけど、聞いたら聞いたで翠が困ることだと思うけど?」
「え? どうして私が困るの?」
ほぼ反射的に訊いてしまったけど、こんな簡単に訊かなければよかった、とあとで少し後悔することになる。
「翠を抱きたいと思ってた」
「っ――」
「でも、微熱が続いている翠に無理をさせるべきじゃないし、明日も学校だし、でも誕生日だし
――」
あれこれ聞いているうちに身体が熱を持つ。けれど、言ったツカサも気まずかったのか、おもむろに顔を逸らされた。
これ、返答を求められてるんだよね……?
そんな自己確認をしたうえで、
「きょ、今日はだめだけどっ――でも……熱が下ったら……」
ツカサにまじまじと見られる。まるでその先を早く言え、と言うかのように。
「熱が下ったら、何も問題ないから……だから……」
がんばったところでこの先は言えそうにない。その先は察して。お願い――
ぎゅっと目を瞑ると、
「なら今日は、キスだけで我慢する」
それは、「キスだけは自由にさせて」という意味だろう。
大丈夫、ちゃんと意味わかってる……。
そんな思いでコクリと頷いた。
そのまま対峙しているのがちょっとつらくもあり、私は早々にリビングへ撤収したわけだけど、どうにもこうにも緊張してしまってソファに上がりこんだ状態で正座をする始末だ。
そんな私の背後からクスクスと笑う声が聞こえてくる。
恐る恐る振り向くと、ツカサがおかしそうに笑っていた。
「正座なんてしてなくていいのに。キスには慣れたんだろ?」
「そうなのだけど……」
私の隣に腰を下ろしたツカサは、とても自然な動作で私の唇に自身の唇を重ねた。
何度もキスされるのかと思いきや、
「ずっと正座でいると足痺れると思うけど?」
至近距離で告げられる。
「え? あっ……」
「痺れた暁には、痺れた足に触れて翠をいじめるって楽しみが俺には生じるわけだけど、いいの?」
私は慌てて足を崩す。
あまりにも意地悪な物言いのツカサに何か文句を言いたいのだけど、その前にまた唇を塞がれた。
「んっ――」
唇をきつく吸い付かれたかと思えば、何度も軽く啄ばむようなキスを繰り返される。そのキスに応えていると、そっと身体をソファへ倒された。
目が合ってもう一度キスをされたあと、ツカサははっとしたように口を開いた。
「翠、今日おりものシートって――」
ツカサの、カバーーーっっっ!
私は思い切りツカサの両頬を外側へと引っ張った。
「いっ――」
「ツカサにデリカシーを求めますっっっ」
言った直後、予告なく頬を離す。と、ツカサは頬をさすりながら、
「だって、聞いておかないとまた泣かれる事態とか困るし……」
「それはそうなのだけど……でも、訊かれるのも答えるのも恥ずかしいんだからっ」
いや、繊細か否かと問われたら繊細な人であることは理解しているのだけど、それでもっ!
「もう、そういう関係になったんだから、そのあたりを恥ずかしがるのはやめたら?」
こんなことを言う人は、やっぱり繊細とは言えないんじゃ……。
「うぅぅ……恥じらいをなくすのはだめだと思うの……」
じっとツカサを見つめると、頭をポンポンと叩かれた。そして、
「今日は俺の誕生日なわけだけど、愛しい婚約者からキスのプレゼントとかはないわけ?」
おもむろに話を逸らされたけど、これはどうなの……?
でも、確かにお誕生日だし……。
私はそろそろと身体を起し、ツカサの形のいい唇に自分の唇を重ねた。
「お誕生日、おめでとう……。生まれてきてくれてありがとう。私と出逢ってくれてありがとう。好きになってくれてありがとう。お付き合いしてくれてありがとう。こんな私と婚約してくれて、ありがとう」
ツカサは意表をつかれたような表情だったけれど、そんなに意外な言葉を告げただろうか。
少し考えていると、
「キスは一回しかしてくれないの?」
どこか余裕そうな笑みで問われる。
「……んもぅ……」
私は覚悟を決めてツカサの肩に手を置くと、「ちゅ」と音が聞こえるくらいのキスをした。
じゃれあうようにキスを続けていると、ツカサは首筋や肩、太ももと肌が露出しているところへ手を滑らせていく。優しく触れるそれが数日前の出来事を想起させ、思い出すだけでもこんなに身体が熱を持つのだから、二度目を迎えたらいったいどうなってしまうのか。それ以前に、ツカサってこんなに色気のある顔をする人だっただろうか……。
熱っぽい瞳に見つめられると、まるで身動きできなくなってしまう。そして私は観念したように目を瞑るのだ。
ツカサの身体が少し離れたのを感じて目を開けると、「終わり」というような顔をしていた。
「ツカサのえっち……」
小さな声で文句を言ったけど、いやだったわけではなくて……。すると、
「婚約者限定なら許されてしかるべきだと思うけど?」
などと言う。
「それはそうなのだけど……」
ツカサがこんなふうに触れるのは私だけであってほしい。切実にそう思う。
そしたら、私の口は勝手に開き、「絶対……絶対に私限定よ?」とツカサを拘束するような言葉を口にしていた。
ツカサはびっくりしたのか、本気に取ったのか、
「何それ……。むしろ、翠以外の人間になんて触れたくもないんだけど」
ツカサは真顔で言うけど、
「でもお医者様になるのだから――」
「患者は単なる患者であって、性別が女だったとしても、俺が女として見る対象にはならない」
寸部の迷いも見せずに言い切ってしまうツカサがとても愛おしい。
「大好き」という感情がこみ上げてくるのを必死に抑えていると、
「それに、患者に翠にするように触れたら犯罪だろ?」
その一言に大いに納得してしまった。
私は「大好き」と言う代わりに、ツカサにぴたりとくっついた。
「ね、そろそろケーキ食べない?」
「もうそんな時間?」
「うん。七時半」
ツカサはリビングの時計に目をやると、私を支えていた手をゆっくりと離した。
私はソファから下りてキッチンへ向かう。と、そのあとをツカサもついてきた。
「お茶は――デカフェのアップルティーにしようか?」
ツカサは間違えることなくアップルティーの赤い缶を下ろしてくれる。
お茶の準備をしていると、
「ケーキはなんなの?」
言いながら、ツカサが冷蔵庫からケーキボックスを取り出した。
「フルーツタルトだよ」
「なんのフルーツ?」
「シャインマスカット! ツカサはフルーツの甘さなら大丈夫なのでしょう?」
「あぁ……」
「で、カスタードは七倉さんにお願いして甘さ控えめのものにしてもらったの。さらにはこのシロップをかけていただくのだけど、なんだと思う?」
「シロップなんだろ?」
「うん。でも、甘いシロップとはちょっと違うの」
私は箱に付随していたシロップの容器をツカサに手渡し、
「匂い嗅いでみて?」
ツカサは容器の蓋を開け、素直に容器を鼻に近づける。と、
「ローズマリー……?」
「当たり! これをかけて食べるんだって。カスタードやフルーツが多少甘くても、さっぱりと食べられそうでしょう?」
実のところ、七倉さんにケーキをお願いしてから何度となく試作品を食べさせてもらっており、カスタードの甘さもローズマリーシロップのさっぱり威力も把握済みだったりする。
でも、味や香りに対する感受性は人それぞれ。ツカサが食べてどう思うのかまでは把握できない。
そこで、甘いもの苦手つながりの蒼兄ににも試食の協力をお願いしていたのだ。
蒼兄の厳しい意見をクリアした甘さになってはいるけれど、ツカサはどうかな……?
ケーキとお茶の準備をしてダイニングへ行くと、着信音アプリを起動させ、ハッピーバースデートゥーユーのオルゴール曲をかける。
それに合わせて歌を口ずさみ、
「お誕生日おめでとうっ!」
どうぞどうぞとケーキをツカサに差出しキャンドルを消すよう促すと、ツカサは少し恥ずかしそうにキャンドルの火を吹き消した。
パチパチと何度か拍手をして、すぐに室内灯を点ける。そして、あらかじめ用意していたケーキナイフで豪快に半月型にカットした。
直径十センチほどのケーキなので、半分ずつ食べてもさほど大きなケーキという印象はない。
「「いただきます」」
ふたり揃ってフォークを手に取り、まず口にしたのはシャインマスカットだった。
新鮮でジューシーなマスカットはとても糖度の高いもので、いくつでも食べたくなるほど。
「甘いねっ!」
でも、この甘さなら大丈夫だよね?
そんな意味をこめてたずねると、
「あぁ。でも、あとを引く甘さじゃないから食べやすい」
「よかったぁっ!」
ほっとした私は、何度も試作を重ねたタルトケーキを頬張った。
Update:2019/01/09
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