光のもとでU+

夏の思い出 Side 藤宮司 14話

 稲荷さんを見送ってリビングへ戻ってくると、翠は何気ない素振りでキッチンへ足を向けた。たぶんこのまま、カレーを作り始めるつもりなのだろう。
 そんな翠の手首を掴み制すると、「なあに?」と言った感じの顔がこちらを向く。
「まだ食休み中だろ?」
「え?」
「ハーブティー、半分も飲んでない」
「あ、そうだったっけ……?」
 翠はお茶のことなどすっかり忘れていたようで、思い出したかのようにリビングテーブルに目をやった。
 そんな翠をソファの方へと促せば、躊躇うことなくソファに腰を下ろす。
 その動作に、
「こういうソファのほうが翠は楽?」
「え?」
「昨日から、ちゃんとソファに座ってるから」
「あ、そう言われてみれば……」
 翠はゲストルームでも俺の家でも、ラグに座るのが常だ。稀にソファに座ることがあっても、完全に上がりこんで足を崩して座っていることが多い。けれど、ここのソファにはごく自然に座り、足を崩す。
 翠は少し考えてから、
「うん……このソファなら、ラグに座る感覚で座れるから楽」
「じゃ、近いうちにうちのソファもこの手のソファに替えよう」
「えっ!? それはなんだか申し訳ないよっ」
「なんで? 翠だっていずれはあの家に住むわけだから、今替えても問題ないだろ? むしろ、使えないソファをいつまでも置いておくほうが不合理だ」
「だって、ツカサは問題なく使えているでしょう?」
「それを言うなら、ローソファになったところで俺は困らないんだけど」
 じっと翠を見つめると、翠は諦めたようにため息をついた。
「帰ったら家具屋でも行く? ネットで探すのもいいけど……このソファどこのなんだ?」
 ソファのあちこちを見て回るも、ブランド名らしきものが見つからない。
「帰ったら母さんに訊くか……」
 そんな算段を立てていると、翠が口を開いた。
「真白さんに訊くのが確実かもしれないけど、この手のことならうちのお母さんの専門分野」
「訊いてもらえるの?」
 翠はコクリと頷き、
「ちょっと立ってもらってもいい?」
 俺がソファから離れると、翠は手早く三方向からソファの写真を撮り、メールを作成し始めた。
 二分とかからないうちにメールを送信すると、間を置かずに翠のスマホがオルゴール音を奏で始める。
「あ、お母さん? ――文面そのままそのとおり。――私が普通に座れるソファだから、ってツカサが購入しようとしていて……。――でも、メーカーとかわからないから……」
 翠の受け答えを見守っていると、翠はパッと目を輝かせ、
「インテリアコーディネーターの城井碧さん!」
 その言葉に、どんな会話なのかと疑問符が浮上する。
「……ん? 今なんて……? ――えええええっっっ!? なんで教えてくれなかったのっ!? ――じゃ、このソファのメーカーもわかるの? ――ちょっと待って、ツカサに訊く」
 そこまで話すとこちらを見て、
「あのね、お母さんがこのソファのメーカー知ってるみたいなのだけど、急ぐなら発注かけようか、って。どうする?」
「まだ通話つながってる?」
「うん」
「貸して」
「はい」
 翠からスマホを受け取り、
「お電話代わりました、司です。ソファの件なんですが、このソファ、色違いもありますか?」
『えぇ、ホワイトとブラウン。それからグレーがあるわ』
「……ホワイトとブラウンとグレー……。翠、どれがいい?」
「えっ? ええと……」
 翠は明らかに困っていた。答えを出すのに時間がかかるようなら通話を一度切って、折り返し電話をかけよう。そう思っていたところ、新たな情報が追加される。
『なんだったらサイトのアドレスを添付してメールするわよ?』
「助かります。じゃ、翠のスマホにアドレス送ってもらえれば――」
『了解! じゃ、メールするわね』
「ありがとうございます。あとで折り返します」
 通話を切って翠に向き直り、
「今からこのソファのサイトアドレス送ってくれるって」
 翠はきょとんとした顔でスマホを受け取った。
 すると、五分とかからずメールを受信し、送られてきたアドレスにアクセスすると、三色のソファがそれぞれサイトに表示されていた。
 ホワイトはオフホワイト、ブラウンは焦げ茶、グレーは濃すぎず薄すぎずの標準的なグレー。
 翠が好むとしたら、ホワイトかブラウンか……。
 そう考えているところへ、
「ツカサの家の家具に合わせるならグレー……?」
 首を傾げた翠の一言だった。
「ブラウンも焦げ茶だから問題ないと思うけど? それに、ゆくゆくはふたりで暮らす家になるわけだから、家具を翠の好みに替えていけばいい」
 何ひとつ、翠を困らせる言葉を言った覚えはない。しかし翠は、眉をハの字型にして困った人の顔でスマホに視線を落とす。
「翠の好みからするとホワイトかブラウンなんじゃないの? 今はモノトーンで整えられた部屋だけど、ナチュラルテイストの部屋にしたいならそうしてくれてかまわない」
 むしろそれを望む。
 たとえあの部屋で一緒に暮らすのが六年後であったとしても、翠の好むもので溢れた部屋になれば、より翠を身近に感じながら過ごすことができる気がするから。
 だが翠は、いったん保留にしないか、と言う。
「どうして?」
「簡単に決められるような値段のソファじゃないから。もっとちゃんと考えたい」
「翠の好みなんて決まってるだろ?」
「そうなのだけど、六年後の私の好みまでは、私もツカサもわからないでしょう? もしかしたら、今の部屋に慣れて、モノトーンを好むようになるかもしれないし……」
「じゃ、いったん保留。その代わり、次のデートは家具屋や雑貨屋をめぐろう」
「どうして?」
「翠の趣味嗜好を再確認するため。あとは、どういう空間にいる翠が自分の中でしっくりくるのか確認したいし」
「ツカサはナチュラル系の部屋でも居心地悪かったりしない?」
「今だって実家はそんな感じだし、免疫はあると思うけど?」
 翠らしい気遣いではあるが、そんな気遣いは無用もいいところ。俺がすべてにおいて優先するのは翠なのだから。
 翠はおずおずと口を開き、
「でも、自室は黒と白とブルーで統一しているでしょう? マンションの勉強部屋もそんな感じだし……」
 なんだ……。そんなことを気にしていたのか、と思わず拍子抜けする。
「リビングと書斎が同じテイストじゃなくてもいいと思う。むしろ別にして、自分の中で『ON』『OFF』切り替えるようにしたい」
「……そんな考えもあるのね?」
 ひとつ頷き、だから翠の好むもので大丈夫だともう一押ししようと思ったが、それはやめることにした。
 翠がもう少し考えたいというのなら、今はそれを汲むべき。
 考えた末の、翠の希望を叶えられるほうがいい気がした。
「わかった、一度保留。でも、家具屋デートは予定に入れておく。それでいい?」
「うん! 家具屋さん大好きだから、楽しみ!」
 翠は嬉しそうに微笑んで、常温になってしまったであろうハーブティーを一気に飲み干した。
「さ、カレー作ろう!」
 翠は率先して野菜を洗い始めた。
 俺はその背後でメールアプリを立ち上げる。下にいる人間に一斉メールを送信すべく。
「誰かにメール?」
 翠にたずねられ、
「下にいる人間たちに一斉メール」
「ん? どういうこと?」
「昼食のバーベキューを辞退する代わり、夕飯のカレーを翠が作ってここで食べるようにするから、呼ぶまで来るなっていう牽制メール」
 翠は虚をつかれたような顔をした直後に噴き出した。
「何……必須事項だろ? じゃないと、連絡がくるどころか、迎えに来る人間だって発生しかねない。そうなったら、食べられる食べられない如何関係なく、連れ出されるに決まってる」
 翠はコクコクと頷いては笑って見せる。さらにはお腹を抱えて笑いだすんじゃないか、という状況に、
「そんなに笑うほどおかしい?」
「ううん、そうまでしてふたりの時間を守ろうとしてくれているのが嬉しくて」
 そんなふうに言うくせに、翠はおかしそうに笑い続ける。
 でも、笑っている翠を見ていられるのは悪くない。何よりも心が和む。
 心が温かなものに包まれるのを感じながら、
「俺は何をすればいい?」
「そうだなぁ……。じゃ、にんじんと大根、玉ねぎの皮剥きをお願いしてもいい?」
「了解」
 俺が流しで皮むきをしている傍らで、翠は手早くにんにくをみじん切りにしていく。そして、鍋にバターを一欠片入れるとそこへにんにくを投入し、香りが立つと冷蔵庫から取り出した豚の挽き肉を炒め始めた。
「皮むき終わった。次は?」
「大根を五ミリの厚さの輪切りにして、さらに格子切りにしてもらってもいい?」
「了解」
 言われたとおりに切り刻み、次なる指示を仰ぐ。
「その大根は私がもらうとして……。ツカサにはにんじんと玉ねぎをお願いしようかな? にんじんは一口で食べられるくらいの乱切り。玉ねぎは少し大きめのくし切り。うーんと……半分を四つにするくらいの大きさ。OK?」
「了解」
 材料を切り刻む俺の隣で、翠は米と一緒に大根を煮始めた。
「大根の入ったカレーって初めてなんだけど、おいしいの?」
 疑問のままにたずねると、翠は満面の笑みで答える。
「すっごくおいしいよ! でもそれにはひと手間必要で、こうやって事前に煮ないとおいしくできないの」
「ふーん。そういえば、母さんもおでんを作るときにはそうしてたっけ……」
 そのひと手間を省くと、大根のえぐみが出るらしい。
 学校の家庭科では習った覚えがないが、翠がそれを知っているのは普段から料理をするから? それとも、碧さんか唯さんの入れ知恵だろうか。
 何にせよ、今まで翠が作ったものでまずかった料理がないところを見ると、料理は相応にできるのかもしれなくて、このカレーの次にはどんな料理を食べさせてもらえるだろうか、と考えながら野菜を刻む。
「翠、次は?」
「え? あっ――そしたら、今度はお鍋にお野菜を入れて炒めてくれる?」
「了解」
 翠と場所を入れ替わると、翠は煮立った大根の鍋を流しへ持っていき、ザルに流し込んで水気を切った。そして、一緒にザルに入った米をきれいに取り除き始める。その後、俺が炒めていた鍋に水と大根を追加し、出汁の素を投入したら、ようやく普通のカレー作りらしい光景になった。
「あとは十五分くらい煮たらルーを割り入れて、十分くらい煮たら完成! 粗熱が取れたら冷蔵庫で一度冷まして、夕方にもう一度火を通せば味がしっかりしみこんでるはず!」
 その言葉を聞いて、俺は翠の好きなカモミールティーを淹れ始める。と、翠はスツールに腰掛けスマホを手に取った。
「誰かからメール?」
「ううん。ローソファってほかにどんなのがあるのか少し調べてみようと思って。価格帯とか知りたいし」
「それなら俺も一緒に見たいから、俺が持ってきたタブレットで検索して」
 そう言うと、翠はリビングテーブルに放置してあった俺のタブレットを取りに行った。



Update:2019/12/14(改稿:2020/06/12)



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